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マイちゃんヨーロッパ滞在記 Vol.008

新年、あけましておめでと〜ございま〜す!

日本の正月では、またもや餅をのどにつまらせて死人が出たとか…。こっちの人は「なんでそんな危険なものをめでたい新年に食べるのか理解できない。」らしい。(確かにな。)日本もまた、救急車がよく呼ばれるのはお正月なのかもしれない…。

さて1月は、ロッテルダムとロンドンにお別れをして新しい地、ハンブルグへ。この街は6年前にたくさんの仲間と来て端さんのお手伝いをしたり、外国での展覧会に初めて作品を出した場所で、何かと縁があって想い出深く私の記憶に残っていて、今もまた新しい出来事や人との出会いに胸ドキドキの毎日。

とにかく何はともあれ、今年も1年私にとって、そして皆様にとって良い年でありますように!
2005年1月1日  *1=マシュー・ボーンの「白鳥の湖」
知っている人も多いと思いますが、男性ダンサーが白鳥を踊るという新演出。でも、トロカデロじゃありません。
□参考サイト
□参考サイト

今日は元旦で〜す。大晦日に見た夢か、元旦の夜が初夢なのかわからないけど、起き際に見た夢が笑えたので書き留めておこう。舞台は学校のようなレジデンススペースで、私はまたゲストルームに招待されたという設定。3つの部屋のうち選んだ部屋のベットの中に、最初気がつかなかったんだけどなぜか小蛇が何匹かいて、寝てたらニョロって動きだして、すぐ隣の壁にはダボハゼのような動きをする黄色と黒と白の熱帯魚がスイッチョスイッチョと這っていて「ギャーッ!!」と逃げまわり誰か助けを呼びになんとか部屋のドアまで辿り着くと、教育実習の時の生徒が(ちょっと大人になっていた)ドアのところに立っていて「よー、久しぶりーマイちゃん!何してんのこんなとこで。俺、今専門学校に行ってんだよ。」その後………???

あぁー忘れた。ハッキリ覚えてないけど、とにかく今年1年を暗示するかのようなオモロイ夢だった。(懐かしい人に再会するって事かぁ…??)

記念すべき2005年の始まりは、今さらだけど10周年記念でロンドンに帰って来たマシュー・ボーン(*1)の「白鳥の湖」を観に行って来た。解釈も設定も違うけど全体的なストーリーはやっぱり悲恋物語で、振付もバレエっつーよりはむしろミュージカルのような…コンテンポラリー・ダンスに近い。衣裳も現代風でほとんどモノトーンでスタイリッシュなカンジ。どこか本作をシニカルにとらえているところがあったり、コメディーな笑いもあるけど田舎臭くなくて、スマートで斬新な演出。照明の使い方も影とかうまく利用してて、本当にバレエというよりはやっぱオフ・ミュージカルかな。また観たい〜。

祐さんとの奇妙な2人暮らしも後少しで終わり…。私にとってこの1ヶ月間は本当に勉強になった。なぜなら一人だと出無精だし、こんなにたくさんのギャラリーや美術館に行かなかっただろうし、やっぱ舞台を気軽に観に行けるのもかなりポイントが高かった…ロイヤルバレエももっと見ても良かったかも。住むにはちょっと都会すぎるけど、また来たいなぁ〜ロンドン。

2005年1月4→6日 






















*2=Duendeの建物内にある短期滞在のための部屋。プロジェクトルームとも言っていた。



*3=Kunstlerhaus Vorwerkstift
今のレジデンス先。’クンストラーハウス(芸術家の家という意味)フォーべークシュティフト’
簡単に説明すると3ヶ月のゲストルームが3部屋、5年間住める地元アーティストのための部屋が19あって何か表現活動をしている人(現代アートに限らず、ミュージシャンや写真などジャンルが幅広く年齢層も若い)が住んでいます。屋根裏には、共同のアトリエスペースがあり、ギャラリースペースも持っていて、ゲストは滞在中にそこで展覧会かプレゼンを求められます。

  (写真は「雲の上からパシャリ」)

今日は、夜中3:00に出発しなければならなかったので寝際に別れを告げ、飛行機でロッテルダムに帰って来た。お目当てはマーケット。(ドイツには食べ物のマーケットしかないと聞いていたので、洋裁道具を買いだめするため)私のいたアトリエに10〜12月滞在していたアーティストもまだいて、私の荷物を保管していたDuende Hotel(*2)に移っていて、既にアトリエには新しいゲストが来ていた。そして、去年アプライ中だと聞いた日本人の女性アーティストが今年の7月から半年間来る事が決まったらしい。

荷物の梱包も終わって明日の準備は完璧だけど、改めて見たらすごい量だよ…。果たしてこの荷物を全部持って日本に帰れるの?私??みたいな。まぁいいや、その時考えよう。何はともあれ、さようなら Duende!!


  
(写真は、引っ越しの荷物@Duendeの廊下)

朝10:00に運転手が来て、皆にお別れをして、5時間かけてロッテルダム→ハンブルグ間をドライブ。夕方6:00過ぎに’Kunstlerhaus Vorwerkstift’(*3)に到着。案外早く着いてしまってミキさんのところにマットレスを取りに行く時間と合わなくて、結局運転手は明日朝早くに病院に行くとかで帰ってしまった。(マジかよ!どーすんのよマットレス。手で運べってか!)しかも到着するのがわかっているというのに、前のゲストがまだ部屋の片づけをしていなくて、私の荷物は入れれず別の部屋で待機することに。待つのはいいけど、問題はミキさんのところにある荷物の移動。まず今あるのを整理をしていたら、あっという間に夜中に…。

いよいよハンブルグの新生活がこれから始まろうとしている。言葉の問題は、すぐにどうにかなるもんではないので地道な毎日の積み重ねが大事だと思いつつも、どっと疲れて…あぁ…もうダメ。寝ます。

  
(写真は、Vorwerkstiftの正面玄関)

今日は、ミキさんの計らいで彼女の友人がワゴン車を出してくれてマットレスと鏡と毛布を無事回収。

だいぶ部屋が整ってきて良いカンジになってきた。やっぱりDuendeにいた時より生活感が出て来たと言うか。やっぱり3ヶ月しか滞在しないことを考えると「仮」感が出てしまうけど、ハンブルグには1〜2年はいる気でいるからかちら。あとはアトリエのスペースが早く決まるといいなぁ〜。展覧会かプレゼンをいつにしようか。構想は固まりつつあるから、あとはどう見せるか詳細を来週いっぱいくらいまで考えて、衣裳部の研修が始まる前までに終わらせてしまおうかなぁ〜と思っているところ。

2005年1月10日 

ここ数日、近所の散策にいそしむ私。そうこうしているうちに、なんと偶然にも去年家捜しをしていた時に紹介された日本人のケンイチさんと道端でバッタリ会った。どうやら彼はこの近所に住んでいるらしく、今ちょうど友人のプロのカメラマンがバルト3国から来ているというので、その後彼の家にお邪魔した。彼のバスルームにはバスタブがあり、リビング、寝る部屋、キッチン部屋と3部屋もあって広い。借りる前は壁も天井もボロボロでリノベーションにかなりの時間と労力を費やしたらしいけど、ぜんぜんグー。

カメラマンの藤井さんはおやじギャグも飛ばすパワフルな人だ。音楽(昔バイオリンをやっていたらしい)やバレエ(というよりダンサーの動き?)がすごく好きで、雑学も多くて物知り。(裏の歴史とかも良く知っている)皆で「小紋」という日本料理屋に行ったら、そこでバイトしていた女性がまたもや偶然にも、同じところから(北海道文化財団)から声楽部門で助成金をもらって5年前にドイツに来た人で、しかも実家が歩いて15分くらいの超近所。このお店のロゴは端さんがつくったらしく、板前のカズさんは当然彼を知っていて最近ドイツに来ないねーなどと話していたので、11月に個展で来るかもしれないことを伝えたら「ロゴのおかげでお客さん少しずつ増えてます〜、よろしく伝えてください。」と頼まれた。いやぁあ〜、改めて世間は狭いことを再確認。その後、ちょうど彼らの帰り道が私の住んでいる所を通るので、部屋に招待した。

2005年1月11→12日 

今日は、中古屋でまけてもらい80euroで自転車をGET!そして、ロンドン滞在中に料理を覚えたので毎日のご飯をつくるのが楽しい今日この頃。もちろん食べるのはもっと好き!(>u<)d お菓子やめてもコレじゃ痩せないよ…この前タカからメールがあって、彼の友達がヨーロッパを旅行していてハンブルグに来ると言うので数日泊めてあげてほしいということで、明日やってくる。何をしている人かわからないけど、どんな子か楽しみ。

  
(写真は、屋根裏のアトリエスペース)


今日は、オランダから詔太郎君とその友達・亮太郎君が来た。

夜行バスに乗って来たらしく朝8:00前に中央駅に着いたようなので、ひと休みしてから近所のでかいスーパーに買い物へ。その後お腹が空いたので、何か食べるものでもつくろうかと言ったんだけど、詔太郎君が腕を振るってくれた。うちは父が絶対台所に立たない人なので、家でそんな光景を見たことがない。やっぱり男の子が台所に立って料理する姿ってのは良いもんだわねー。

そして、こりゃまた偶然にも彼らは私の幼なじみと同じ幼稚園だったらしく、夜その話で盛り上がった。すごく不思議なところで、木の上から吊るされた空中ブランコとか、オモチャの注射器とかいろんな変なものがあって面白かったのを何となく覚えているので、私はもしかしたらそこに行ったことがあるかもしれない。子供の頃の記憶って、だいぶデフォルメされてしまっているけど鮮麗だよなぁ〜。

詔太郎くんはペインター。タカとは最近知り合ったみたいで、現在東京造形大の研究生。亮太郎君は、大学で語学の勉強をしていて今はロシア語と英語がしゃべれるみたい。文章を書く子で、彼がロシアに滞在している時のネタをもとに書かれた「ロシア式」を読ませてもらった。メトロ文庫/駅においてある無料の本。勝手に持って行って良い。…のために200部くらい刷ったそうで、ボランティアの活動もしていて、お年寄りの登山会の方達にもこの「ロシア式」が大ブレイクとか…。もともと人とコミュニケーションをとるのが得意で、口は悪いけどやさしくて素直な子です。明日違う街へ旅立ってしまうけど、別れが名残惜しいほど話がオモロイ。寝る前に、彼から英語(というよりは、語学の勉強の仕方)を教わった。

2005年1月20日 

今日はハンブルグバレエ団の「ラ・バヤデール」の公演を観に行った。3大バレエ(白鳥の湖、くるみ割り人形、眠りの森の美女)ではないのでストーリーをあんまり覚えていなかったのだけど、とにかく衣裳が超豪華!!金銀、真珠、スパンコールにネックレスとジャラジャラ装飾が付いていたり、羽衣のような帯状の布が頭から手にかけてつながっていたりと「踊る時にひっかけないの??」というような構造ばかり。でもシルエットはどれも素敵で、やっぱり実際にダンサーが着ている衣裳というのは見応えがある。バレエの舞台はダンサーが日本ツアーに行ってしまうので2月中はないけど、オペラはそれこそ衣裳に醍醐味があるだろうから(舞台装置や演出も面白そう。)研修が始まる前に、全部じゃなくてもいくつかの舞台を観に行こう。

ハンブルグの街にも慣れて来たことだし生活そのものを楽しむのも大事だけど、そろそろコンセプトシートを完成させて、自分の誕生日から次の展覧会に向けてプロジェクトを開始しようと思う。

2005年1月21日 

この前、友人から心の調子が悪くて落ち込んでいるというメールが来た。彼女もまた表現者で、その孤独に押しつぶされてかなり参っているという話。その友人に宛てた文章が、彼女の心を少しでも慰める事ができたというので、ここに記しておくことにする。

でも、尊敬する大事な友人である彼女がそー言ってくれたことで、逆にそれが私にとって励ましの言葉となったのは言うまでもない。もし、この滞在記を読んでいる人が同じような悩みを抱えているとしたら、その凝りを解してあげられたらいいなぁ〜と思ってさ。

これはすべて持論だし、何の根拠もないんだけど、そーいう時は無理しない方が良いと思う。彼女は自分をダメな人間だと言うけども、ダメなところを自分で解っているから冷静に客観的に自分を判断しているんだと思う。私から見たらむしろ自分にすごく厳しい人。人間なんだから浮き沈みがあるのは当然だし。

彼女は自分を確認するためにその穴を男の人に頼ることで解決しているというのだけど、私は男女関係とか肉体関係の奥の深さは全然わからないから、むしろなんでダメなの?と思うくらいで…。だってそーじゃん!親じゃない他人と親密になるのって結構難しい。その男の子も、今彼女といるための役目があるんではないかと。そんな考え方をしてみると案外糸口が見つかるかもしれない、相手も人間だから。お互いなるべくして一緒の時間を過ごしているんだと思う。私だったら、楽な方に流れちゃう質だから、そーいう時ほど努力しなきゃいけないんけどね。(私の場合これは「無理」ではなく努力というより「戒め」と言った方が正しい。)自分を確認する方法とは何か…う〜ん、私も後3日で26になると言うのに、たぶん誰かお祝いしてくれる人もなく、ある意味超〜孤独。(しかも誰にも頼れない…)私の場合、創作活動だろうなぁ〜。

そいうえば、私の恩師も「アーティストは孤独なものだ、一生耐え続けなきゃいけないんだよ。それができるかできないかだよね。」と言っていた。でも私は、毎日の生活の中で孤独に対して「負ける」時があってもいいと思う。時にはね。だって一生つきあっていかなきゃいけないんなら、終わらないって事だし、勝ち続けるのって至難の業。道を踏み外してもそこで思わぬ拾い物があるかもしれない。そしてパワーを蓄えるためには息抜きも必要。作品をつくったり表現したりする時には完璧を求め続けるべきで、ここ一番っ!な場面で、本領を発揮できればノープロブレムではないかと…でも「怠ける」という意味ではない。超ポジティブ・シンキングな考え方でいうと、そんなところ。


2005年1月24→25日 

本日26歳になりました!私もいよいよ大人世代に突入。しかし予想通り、誕生日なのにケーキもご馳走もプレゼントもなし!さ…寂しい………。こっちの人は“記念日”をすごく大事にしていて(何というか…“祝い事”を楽しむ術を知っている)誕生日の前夜は、友達を招いて盛大にパーティーをするという。誕生日になった瞬間に、心を込めたプレゼントを送るその一連のイベントを行うことが、受け取る側と送る側にとってステイタスなことなんだって。でもね、ここに着いたばかりでよく知らない人に「今日誕生日だから、祝ってよ!」なんて言えると思いますか?皆さん。私は、そんなこできませんでした。

でも展覧会の構想が固まったので、今日からプロジェクトを開始した。今回、今までと大きく違うのはロッテルダムでのプロジェクトを引き続きやるということ。同じコンセプトで2回目をやる訳だけど、これがまた自分に対する反省や改善点が面白いほどに見えてくる!いつか端さんから聞いたピカソの「自分のマネはしてはならない」話がずっと頭の中に残っていて、今までそれ(同じコンセプトで対象者が変わっただけ)はダメなことだと思っていたんだけど、たぶんその話は私の思い違い(解釈違い)だったのかもしれない。この制作で自分が何を問題提起してるのか明確になってきたし、造形的なクオリティーもグッと上がった!(ような気がする…)「継続は力なり」とはまさにこのこと…とヒシヒシ感じている。対象者は今住んでいるこのクンストラーハウスの住人達。Duendeと違ってみんなここで生活しているので、彼らから生活必需品を集めて服を着せてみようかなと。時間がそんなにないので、片っ端からもらった物に服を着せることにした。
2005年1月28→29日 
  
(写真は、DMの制作)

今日はDMの制作にほとんど1日を費やしてしまったが、かなり上出来。最初、どこか印刷屋に頼もうかとも思ったけど、時間がかかりそうだしいくらかかるかもわかんないのでお手製にした。手間はかかるけど、手に取った人が観に行きたいと思ってくれるようなものをつくりたかったのでこれで良いと思う。ここ数日ものつくりに没頭してるけど、私はわりとOn(制作モード)とOff(エンジョイライフモード)を切り替えるタイプで、やっぱり制作を始めると食事をつくるのが面倒になるみたい。それから妙な罪悪感(「毎日何か創作活動しなきゃ!私からそれを取ったら何の価値もなくなってしまうわ!」という強迫観念のようなもの)がなくなる。やっぱりつくり続けなきゃダメなんだわ、私。

夜は、CAIの近くのクラブへ。ここのオーガナイザーは内装にコンセプトを持っていて、アーティストに頼んで3ヶ月ごとに変えるらしく、今は絨毯を使ってパッチワークの様に花が描かれた状態になっていて部屋全体がまるでキャンバスのように見えた。(一緒に行った友人は悪趣味だと言っていたけど、個人的には好きなテイスト。音楽も良かったし。)そして、何と家に帰ったのが朝の4:00過ぎ。これぞ「The 夜遊び」。あんまり気づいてなかったけど、これって実家にいるときは絶対できなかったよなぁ〜。一人暮らししてるんだからそーいう醍醐味もたま〜に味わわないとね!


  
(写真はクラブの内部=暗くてよく写らない)


翌日の夜、CAIにいた時お客さんから夕食の誘いがあって、"由比"という日本料理屋に皆で行くことに。私は刺身が食べれないんだけど、極上のエビだのトロだの出て来るもんだからものは試しに味見したら、美味しかったですっ!お客さんにエビ(意味はキス。確かポルトガル語だったと思う。)を要求されたけど、最後の記憶は本人は覚えてないかもしれないけど好きな人とだったので、ほっぺにとどめさせてもらった。(エビは妊娠しないし、減るもんじゃないしと言われたけど…そういう問題ではない。減るって。無理ですってば。…でもジョークが利かない面白くないヤツだと思われただろうなぁ〜)

とにかく、展覧会まであと2週間しかないので遊んでもいられない。


2005年1月31日 


先日から、詔太郎君(彼もまたレジデンス先を探しているらしい)が再びハンブルグに戻って来て、1週間ほど泊まっていた。寝る前に話をしていて「マイさんはアートで何をしたいんですか?」という質問に、私は「“アート”で、というよりは私が“つくるもの”によって、人が幸せを感じることができたら良いなと思う。」と答えた。すごく漠然としているけど、私の中にはまだ迷いがあるのか、彼に具体的な答えを示すことはあえてしなかった。


  
(朝食の写真)


今のプロジェクトは、収集する時に協力者がものについて自分の想い出を思い起こし、それを私に伝えてもらうことが大前提。それをしてもらうことで、少なくとも自分と協力者の間に改めてこの“もの”を再認識する機会を与える訳である。その後、エピソードを基にものの服を考えて、制作に移る。より簡単に誰でも「外見が変わった」と理解できるように、今回は生活必需品を擬人化することを徹底していて、完成した「服を着た」生活必需品はまるで生きているかのように見える。それが少なくとも自分に「ウフ」という微笑みを与えているけども、これが例えば持ち主、そして観客が見た時にも(自分の生活必需品でなくとも)変わった外見を見て再認識してくれるかどうかは今のところわからない。ただ、そーあることを願う。