2001年6月

 6月28日(木) 
 札幌時計台ギャラリー(北1西3)のA室では、西村一夫展
 西村さんは、シンプルな人物の坐像を、もともと取り組んでいた版画だけでなく、立体などでも展開しています。乳房を円で表した坐像は、彼のトレードマークになっているようです。
 今回は、木彫が多くありました。腕、頭、両胸などの各部位が、それぞれ異なった色に塗られています。木彫をつるしたモビールもありました。
 布の上に、坐った人物を描いた作品も陳列されています。
 筆者が見た感じでは、作者は、このシンプルな形(という制約)にどれだけ豊かな内容を盛り込めるか、という挑戦をしているように見えました。
 筆者は正直なところ、それらの試みにはさほど興味を抱けず、ゴメンナサイなのですが、麻を使った大作「進歩と自然」には目を瞠りました。下半分は真っ黒に塗られ、上半分には坐像の上半身がいくつも並んでいます。ふだんはほのぼのとした坐像もこうして見るとラッシュアワーの通勤者のようで、かえって人間の存在感が出ているようです。
 西村さんは道展会員。札幌在住。

 B室では川村正男個展
 1920年生まれとのことですが、年齢を感じさせない堅実な風景画が並びます。
 色を塗る、というよりは、筆を置くという表現がぴったりの描法。置く、といっても、神経質で細かすぎるものではなく、心地よいリズムを宿しています。これが、画面の緑色を、落ち着きのあるものにしている秘訣なのではないかと思いました。生のビリジアンなど、周囲より彩度の高すぎる色を配置しないといった配慮はもちろんですが。
 「丘の道(美瑛町)」は、絵はがき的な風景ではなく、どこにでもありそうな土の坂道なのですが、そのありふれた感じが、好感が持てます。
 小品の「積丹風景(マッカリ岬)」は、前景にウバユリをちょうどよい大きさで描いたのが、効いています。
 道内のほか、欧州に材を得た風景画もありますが、筆者は道内の方が好きです。
 白日会委員。札幌在住。
 いずれも30日まで。

 府川誠版画展が、さいとうギャラリー(中央区南1西3、ラ・ガレリア5階)で。
 府川さんの版画は、とても郷愁を感じさせる、分かりやすい作品ばかり。
 手前に小さな自転車の列や子供たちが並び、中景には広々とした畑や野、遠くに羊蹄山のような山並みが望まれます。
 後志管内喜茂別町の旧羊蹄小学校跡にアトリエを移して3年とのこと。版画の世界にぴったりのロケーションではないかと思いました。
 府川さんは春陽会会員。1日まで。

 単純に「面白い!」と思ったのが、イーストウエスト・フォトサロン(南3西8、大洋ビル2階)で開かれている神野泰彦写真展Fire Works〜花火〜です。
 花火が開く途中にピントを動かしているので、普通は菊の花びらのように見える光が、まるで熱帯植物か果実のような不思議な形に見えるのです。CGなどを使わなくても、幻想的な映像が撮れるのだなあと感心しました。
 3日まで。1日休み。

 「第2回 グループ環(かん)油彩展」が、スカイホール(南1西3、大丸藤井セントラル7階)の全室を使って開かれています。
 風景画ファンには必見の展覧会でしょう。1日まで。
 詳しくは「展覧会の紹介」欄を。
 で、会場では、例によって、道新批判になったのですが、画家から
「最近の道新はどうなっているんだ。ちっとも取材に来ない
という声は実によく聞きます。
 指摘の通りなんだから仕方がない。確かに、全国紙に比べても美術記事の少なさは異常ですから。
 でも、筆者に言われても、いかんともしがたいのです。
 担当者が、要するにやる気が無いのだとしたら、いったいどうしたらいいんでしょう。
 もっとも、画家のみなさんはどこまで本気で道新に対して憤っているのか、筆者としても測りかねている部分もあります。
 昔は「どうしてオレのが展覧会に載らないんだ!」
などとねじ込んでくる人もいたそうですが、さいきんはおとなしいですよね。
 読者センターに「美術の記事が最近出ないので夕刊をやめます」などのはがきが大量に届けば、あるいは会社も考えるかもしれませんけど。

 29日、30日付けは休み、7月1日付けから復活します(2日未明アップ)。

 
 6月27日(水)
 道立三岸好太郎美術館(中央区北2西15)で開かれている「個人美術館散歩―7人の洋画家」を見た。
 同館など、全国各地の小さな美術館七つが共同で、三岸、久米桂一郎、熊谷守一、萬鉄五郎、東郷青児、荻須高徳、小磯良平の作品を数点ずつ集めた展覧会を企画したもの。
 いずれも、近代洋画史に残る面々なので、見ておいて損はない。
 筆者は、日本で洋画を描くことの困難さということを、あらためて感じ入った。とくに萬鉄五郎の晩年の絵を見ていると、わたしたち日本人は、ほうっておくと漫画や南画はかいても油絵をかくようにはなっていないのだとつくづく思った。
 詳しくはまた書きます。
 7月8日まで。

 コンチネンタルギャラリー(南1西11、コンチネンタルビル地下1階)で開催中の「北海道ゆかりの戦前、戦後の画家たち―中根邸を駆け抜けた時代―」が面白かった。
田中忠雄の「わかもの」の挿絵 タイトルに「中根邸」とあるけど、直接は関係なくて、昨年、芸術の森美術館で開かれた好展覧会「中根邸の画家たち」に登場した画家の時代の作品を集めたということ。コレクター坂野守さんのコレクションということでもありません。
 菊地精二(又男さんの兄。独立展会員)の抽象画、120号「解剖」をのぞいては、売り絵ばかりですが、後年の画風より緻密な松島正人の風景画や、野口弥太郎「摩周湖」などいろんな作品があります。アイヌ民族の、風土性豊かな絵で知られる居串佳一による、絹本の「風景」など、珍しいのではないでしょうか。
 田辺三重松の滞欧中のスケッチもあります。どう見ても、スケッチ集所収のものです。
 左の写真は、「中根邸…」でも、下絵が紹介されていた、田中忠雄が新聞小説に付けた挿絵です。下絵ではなく本物です。
 小説は、阿部知二「わかもの」で、昭和22年の道新に連載されていたそうです。
 田中は、全道展創立会員で、後年はルオーを思わせる宗教的な境地の人物画を描いていた(はずだ。ワタシの記憶に誤りがなければ)高名な画家ですが、ここでは大変に丁寧なタッチで作中人物のさまざまなシーンを描いています。ここまでじっくり新聞小説の挿絵に取り組んでいる人も少ないのではないかと思われるほど、力のはいった作品です。
 1日まで。

 資料館(大通西13)では松浦章博個展
 風景を独自に解釈している風景画。小野州一ほどの洒脱さや、佐藤説庫(えつこ)ほどの「画面を読む楽しさ」はありませんが、厚塗りが特徴的で、色の重なりは独特です。
 1日まで。

 クレセール・アートバーグ(中央区大通西9 札幌デザイナー学院)では、甲斐扶佐義写真展「京の街角から」
 ここにある京都は、名所旧跡の集中した街ではなく、猫が寝そべり美女が笑い子供が遊ぶ、いわば、普段着の京都です。モノクロのスナップという特性がよく生かされた、肩のこらない作品群です。
 鉄橋の橋げたの下、川のほとりで、男女が集まっている写真がありましたが、あれは一帯何をやっているのでしょう?
 作者は、関西のカウンターカルチャーの拠点として名をはせた喫茶店「ほんやら洞」の経営者です。
 30日まで。

 けっきょく三岸好太郎美術館から道新まで歩いてしまった。
 6月26日(火)
 美術展は見る時間なし。
 晃洋書房の「ビジュアル・カルチャー入門」を丸善で買う。同じ出版社の本でもう一冊面白そうな本が最近でてたような気がするけど、なんだったっけ?

 6月25日(月)
 所用で苫小牧へ。
 まさかすぐ近くで、自衛隊機が発射した訓練弾の命中騒ぎが起きているとはつゆ知らず。
 東急画廊(札幌市中央区北4西2、東急百貨店9階)で、毎年恒例の小林さと枝展を見る。
 体調を崩したとのことで、油彩はなく、グワッシュ約20点とガラス絵の小品が数点。グワッシュは、羊蹄山や海を題材にした風景画、花を描いた静物画などで、瀟洒な感じはあいかわらず。海を題材にした作品は、作者がかつて住んでいたオホーツク地方の薫りを漂わせる。
 27日まで。
 きょうは全道展の評の更新はしてません。道新の夕刊を見たら吉田豪介さんによる評が復活していて、よかったよかった。

 6月24日(日)
 休みになるとどうも倦怠感が沸いてきて一日ごろ寝状態になる。きょうも、芸術の森に行くつもりだったが、果たせず。
 6月23日(土)
 全道展を見に行きました。会場は、札幌市民ギャラリー(中央区南2東6)。
 全道美術協会と、北海道新聞社の主催で毎年初夏に開かれており、今年で56回目。
 詳しくは、あす書こうと思いますが、印象を簡単に書いておきます。

 1 若い世代の目立つ道展に比べ、全道展はベテランの頑張り−という感じでここ数年きていたような気がしますが、今年は第1室の壁面をほとんど一般入選クラスの絵画で埋め、いつになく、清新な顔ぶれの擡頭が目立ったこと。全道展、まだまだ頑張ってるな、という感想を持ちました
 2 物故者が多かったこと。田辺謙輔さんと秋山沙走武さんはすでに報道されていたので驚きませんでしたが、斎藤一明さんと桜井雅文さん(彫刻)、戸次(べっき)正義さん(絵画)は、知らなかったので、ちょっとショックでした

 子供の体調が悪い。午前中に小児科に行ったけど、ちょっと心配です。
 
 6月22日(金)
 きょうは、美術の話題はありません。

 今年は、ニセアカシアの花の咲きぐあいが例年になく良いように思えるけれど、気のせいだろうか。
 駅前通りを歩いていると、アカシアの花弁がはらはらと舞い落ちてきて、「アカシアの雨がやむころ」というのはこういうことであったかと、納得したりする。べつに筆者は、60年安保世代ではないのだが。

 新札幌のサンピアザ劇場に「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ! オトナ帝国の逆襲」を見に行った。
 なかなかオタク心をくすぐるアニメであった。クライマックスで、しんのすけが
「オラ、大人になりたいから」
と叫ぶ場面は、全編の白眉である。
 活劇アニメとしては、かなりの水準だと思うし、それなりに引用もあって楽しめる(たとえば、カーチェイスの場面で、2CVが斜面を走るのは、言うまでもなく「ルパン3世 カリオストロの城」の冒頭をふまえている)。
 ただ、それを切実に感じ取れる人というのは、やっぱりオタクなんじゃないかな。
 「エヴァ」映画版の最終シーンで、アスカがシンジに向かって「気持ち悪い」とつぶやくけれど、「現実の気持ち悪さ」を背負って生きていく覚悟のある人はもうそうやって生きているわけでしょ。

 
 6月21日(木)
 きょうは、よく分からなかった現代美術を2題。

 福田篤夫展が、テンポラリースペース(中央区北4西27)で。
 小さなキャンバスが六つ。
 いずれも1辺1センチほどの正方形の格子模様が描かれ、キャンバスの地のままの部分と、ごく淡いピンクや水色に塗られている部分が交互に並んでいる。色が薄いので、遠目には、一面クリーム色の平面に見える。
 うーむ。
 ダイレクトメールには
 COLOR and/or MONOCHROME
 "MAROON"(Mark Rothko:Kawamura Memorial of Art)
と書いてある。
 ロスコねえ…。米国の戦後を代表する抽象画家のひとりで、川村記念美術館(千葉県佐倉市)にいい作品が数点常設展示されている。
 筆者は3回ほど見ているが、同館にあるロスコの絵は、うまく言えないけど、「もわーん」という茫漠とした感じの大きな絵で、福田さんのとは似ても似つかない。
 30日まで。

 だてまこと展は、ギャラリーミヤシタ(南5西20)で。
 小さな平面が16点ほど。レリーフのように、凹の十字架と凸の十字架を、同じ画面に組み合わせて、自動車の塗装に使う、光沢のある顔料で、黒や赤、白などの色をかぶせている。
 作者はむかしは、デイビッド・ホックニーやエドワード・ホッパーが好きで、具象の平面を描いていたとのこと。ただ、レリーフ状の作品だからといって、平面上のイリュージョンを解消しようとしてやっているわけではないようであった。
 筆者のごく個人的な好みで言えば、十字架をモチーフとした作品は、富田知子さんの絵が好きです。

 テンポラリースペースには、中心部から市バスの「北7条線」で行きました。
 北5条通りというのは、幹線道路でよく通るし、昔の電車通りということでにぎやかさがありますが、北7条通りというのは生まれて初めて通ったんじゃないかな。事業所や低層マンション、普通の家などが混在する、なんとも地味な通りでした。

 帯広の作家、池田緑さんからエアメールが届きました。ナント、現代美術を学ぶためニューヨークで勉強中です。スゴイなあ。

 6月20日(水)
 渡會純价展を、スカイホール(中央区南1西3、大丸藤井セントラル7階)で見ました。
 「パリの空の下」「シェルブールの雨傘」などの題名の付いた、いかにも渡會さんらしい銅版画のシリーズ。人物やエッフェル塔などさまざまなモチーフが散らばった、楽しい画面に仕上がっています。わずか2、3版で作られているとは思えないカラフルさも魅力でしょう。神経質な線ではなく、色面が全面におどっているのは、銅版画というよりリトグラフのような印象を受けます。
 ほかに、フランス旅行で描いた、クレパスなどによるドローイングも出品されています。
 ところで、ここでCM。渡會さんが昨秋道新から出した画集「わいん色のスケッチ」は、2200円と決して安くないにもかかわらず、なかなか売れ行き好調のようです。
 わたらい・じゅんすけさんは札幌在住。日本版画協会、全道展などで活躍。
 
 隣接した会場では谷の会展。大谷女子短大美術科の卒業生による展覧会です。
 といっても、卒業生よりも、指導教官の賛助出品のほうがどうしても目立っているのですが…。その中でがんばっていたのが、佐藤潤子さん(札幌。道展会員)。「風」と題した抽象画は、力強さとさわやかさを感じさせる佳作です。
 ほかに岡田玲子さん、加藤早苗さん、洞内麻希さんが健闘していました。やはりOGで、挿絵画家の河口峰子さんが「雪の女王」(アンデルセン作)などの挿絵を出品しています。


 さいとうギャラリー(南1西3、ラ・ガレリア5階)で行われている守矢猛個展は、なかなかのものと感心しました。
 ベネチアの風景に材をとった、絵はがきのような水彩画なのですが、濃い色面も濁りがなく、塗りかたや線に迷いがありません。昨日見た国井さんの水彩はどちらかというとハイキーですが、守矢さんは、かなり暗いところと明るいところを巧みに交錯させ、構図にふくらみを持たせています。一部の作品では空気遠近法も取り入れ、朝や夕方の空気感を過不足なく描き出しています。
 ベネチアの風景を描く人はけっこういますが、守矢さんはかなりの力量とお見受けしました。

 いずれも25日(日)まで。

 18日から読売夕刊に3回にわたり、ベネチア・ビエンナーレの報告が連載されました。世界の美術界はますますビデオアートなどの映像が重きをなしているようです。

 「美術手帖」6月号の特集は「20世紀美術の思想47人」です。
 なかなか便利なのですが、ふと思ったのは、なぜ47人なんだろうということ。ずいぶん半端です。
 勝手に推測すると、編集部の催促にもかかわらず原稿をついによこさなかった筆者が3人いたのではないでしょうか。
 あと3人の顔ぶれを想像するのも楽しい読み方かも。筆者は、かつては広く読まれながら、その後影響力の低下してしまっている人を当てはめたい。すなわち、
 ハーバート・リード
 ジャン=ポール・サルトル
 ルカーチ

 あるいは、テリー・イーグルトン。
 6月19日(火)
 山岸誠二個展を、コズミックギャラリー昴の木(北区北14西1中通り)で見ました。
 最も山岸さんらしい感じのする、印画紙に直接現像液をぶちまけて焼き付けたモノクロームの作品が数点。これまでの、全面に均等に飛沫が散らばっている作品ではなく、濃い色の部分がわりとはっきりしたフォルムをなしていて「宇宙魚」などと題されています。その結果、ますます前衛書道に似てきましたが、独特の造型感覚がたしかにあります。
 山岸さんは札幌のフォトグラファーですが、この4年ほど、非常に積極的に個展やグループ展を開き、さまざまな傾向の現代美術作品に挑んでいます。
 ただ、この会場…。「波動」なるものの効用を信じる人たちの拠点らしく、そのテの本やアクセサリーなどが所狭しと並んでいます。
 26日まで。水曜休み。
 
 キヤノンサロン(北区北7西1)では、須山実写真展 悠々と…白鳥たちの世界。
 これは美しかった。
 日の出後2時間のうちに撮った写真ばかり集めたということで、光線がどれも、とてもやさしい。
 
白鳥たちが優雅に浮かぶ手前の水面には白い霧がたちこめ、背後にはオレンジの淡い光が漂う−といった風景は、この世のものとは思えない美しさです。
 29日まで。土、日休み。

 もうひとつ写真展を。富士フォトサロン札幌(中央区北2西4 札幌三井ビル別館)では、吉澤秀行写真展−大地に生きるが開かれています。
 題材は、美瑛・富良野地方の丘。といえば、この地方を一挙に全国区の観光地にした故・前田真三さんのことを想起せずにはいられません。
 ただ、前田さんがわりあい、人間のことを捨象して、純粋に風景の美しさを追い求める傾向があったのに対し、吉澤さんは旭川在住(つまり、ほぼ地元です)ということもあるのでしょう、そこで農業を営む人たちがいるという視線を忘れません。
 これは重要なことだと思うんですよ。富良野が有名になってしまってからというもの、人の畑にずかずかと踏み込んでいく無神経なアマチュアカメラマンがあとをたたないといいます。吉澤さんの写真は
「単なる美しい風景じゃないんですよ。ここでも人間は、精いっぱい頑張って働いているんですよ」
という、当たり前ながらともすれば忘れられがちなことを、多くの人に訴えているように思えてきます。
 27日まで。日曜休み。

 大同ギャラリー(中央区北3西3、大同生命ビル3階)で、19日で終わりの国井しゅうめい・江理香展
 函館在住の水彩画家夫婦。透明な色彩、描きすぎず省略しすぎない穏当な写生的画風…。
 売り絵というのはこうあるべきです。現代美術もいいですが、だれにでも分かるこういう絵も好きです。

 札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3)では、2階のA、B、C室ぶち抜きで、日夏蛙之介油絵作品展
 「自選1995−2001」という副題がついています。札幌在住です。
 静物画と風景画。鳥のおもちゃや木の実をモチーフにしている点では、浜口陽三の世界がカラーになったような印象を受けます。
 しかし、どっかで見た絵だなあ、と思って、自宅に帰ってから道展の画集をぱらぱら見ていたら、やっぱり! 鹿士政春さんじゃないですか! 
 どうして名前を変えて発表するのか、その辺の事情はわかりませんが、「海と電線」「夏の終り」といった作品には、静謐な抒情と、時間が停止したようなふしぎな感覚が漂い、独自の世界をつくりあげています。

 6月18日(月)
 連休。
 家族とともに真駒内公園に行きました。欧州の森を思わせるすてきな公園です(といって、欧州の森には行ったことないんだけど)。
 6月17日(日)
 休み。ごろ寝。

 artmix(月刊のインターネットアートマガジン)を読んでいたら、ミラノ在住の現代美術作家・廣瀬智史さんのインタビューが出ていました。
 彼は、96年の夏に、札幌のリーセントギャラリー(当時。サッポロファクトリーの近くにあった)と、すすきのの空き地で、展覧会を開いています。すすきのの一隅でインスタレーションを作る廣瀬さんたちに、ジュースを差し入れしたのが懐かしく思い出されました。
 
 6月16日(土)
 コンサドーレ札幌対名古屋グランパスエイトの試合をテレビで見ていたら、家を出るのが遅くなってしまいました。それにしても、ロスタイム、終了間際で追いつかれ、惜しい引き分けでした!

 きのう、市資料館の記述の中で、「陶遊ぶ展」のことを書き忘れました。うつわが中心。札幌の下澤敏也さんに習った女性2人の展覧会です。
 陶芸といえば、きょうはアートスペース201(中央区南2西1、山口中央ビル5階)で「北の焚人・陶三人展」(旭川の佐藤倬甫、札幌の小寺沢恵子、上川管内剣淵町の工藤和彦の3人。19日まで)と、三越で今井雄基展を見たけれど、どれもちゃんとしたうつわが並んでいたけれど、個人的にはなんだか見れば見るほど陶芸が分からなくなってきたと言うのが正直なところです。
 実作者でない筆者がこんなことを書くのははなはだ失礼なんじゃないかと思うんですが、うつわというのは、ある程度の水準まではけっこうだれでも作れるもんなんでしょうか。それとも、習作でも平気で陳列する絵や書道の初心者と違って、陶芸家は、売り物になるまで展覧会をしない人ばかりなので、ちゃんとした作品ばかりに見えるのでしょうか。詳しい方に聞いてみたくなってきます。
 筆者ごときでも「あっ、これは大したことないや」と判別できる陶芸作品があれば話は早いんですが、どれも形になっているんですよねえ。その一方で、それほど製品に個人差がない。ほんとに判断に苦しむのです。

 アートスペース201の6階で開かれていた朝日章個展がなかなか面白かった。
 「亜partment」の連作は、どうやら、ビルの非常階段なんかがついている横側のモノクロ写真を、シルクスクリーンにして薄い石膏板に刷り、支持体の紙にのせた作品のようです。おそらく、同じ写真なのでしょうが、写真の焼きや版画の刷りの関係で微妙に違ってくるのが不思議です。また、トラックの後ろや、抽象模様などがプリントされた4枚の同じ写真を、組み写真のように1枚の額に入れた作品もあります。いま、4枚が同じと書きましたが、色のみが異なっており、人間の認識というものについて考えさせられます。
 19日まで。
 
 6月15日(金)
 北海道神宮祭。札幌の、一年で最も美しくさわやかな季節です。
 快晴の大通公園ではベアトップ姿の女の子が笑い、女子高生が芝生で輪をつくってすわっています。でも、明治生命ビルの温度計を見たら18度。北海道人は夏の気分を楽しむのに、かなり無理をしているのです。ほほえましいと思います。

 矢崎勝美さん(版画家。札幌)のリンクを張りなおしました。
 これまでのリンク先は矢崎さんのオリジナルHPではないようなのです。それではいったい何のHPなのか。「戻る」ボタンがないので、どうもよくわかりません。

 時計台ギャラリー(中央区北1西3)の続き。
 A室の山田展也個展。札幌では初の個展です。
 山田さんは留萌管内天塩町生まれ。現在は群馬県在住、モダンアート協会会員です。
 画面手前に、本物の木の柵をしつらえ、奥には海のような広がりを感じさせる模様がアクリルで描かれています。鮮やかな色の飛沫や線が、地平のかなたまで行き来しているような、そんな絵でした。
 
 C室は第21回でんそん展
 道展会員の画家、彫刻家の田村宏さんの教室展です。歴史の長い会とあって、松井茂樹さんが「木金属融合の試み」と題した抽象の立体を出したり、森谷洋さんが抽象画だったりと、それぞれが自分の道を歩んでいます。田村さんは「廻るまなざし」「月のまなざし」と題した抽象画。なんだか土俗的な薫りのする抽象画で、ボード紙に書いているのがなんとも身近で、不思議な感じがします。
 いずれも16日まで。

 ギャラリー大通美術館(大通西5、第五ビル)では、塩沢照彦・啓成−現代の友禅二人展
 友禅に関しては、以前、塩沢さんも出品している伝統工芸展のところでも触れたように、どうしてもっと現代的な意匠を取り入れないのだろうと、不思議な気がします。恵庭在住の啓成さんのほうがまだ、鳥を直線的に処理するなどモダンな感じはしますが。
 もちろん、着物としてみると、ほんとうにステキで、筆者が女性だったら欲しくなっただろうな、とは思います。
 17日まで。

 CAI(大通西28)の「国際若手建築家展覧会」は、筆者自身が建築にあまり興味がないのでなんともいえませんが、世界各地の建築家から寄せられた図版がびっしりと並び、あまり建築の展覧会という感じではありません。その中で「あなたがモダンだと思うものを寄せてください」という質問があり、返答として、「犬のルームランナー」の広告がありました。これは「へーっ」という感じと笑いがこみあげてきました。最近の犬って運動不足になるんですね。いやはや。
 同じ問いでもうひとつ面白い答えは
「each copy is original!」
というものです。確かに、現代的です。しかもこの紙は、広告か何かをコピーしたもの。その上、この文句はcopywriteなわけで、なかなか深い回答だと思いました。

 あとは、アマチュアの展覧会を駆け足で。
 時計台ギャラリー3階全室は、豊田満さん(道展会員)の第16回イーゼル会展。みなさんで大沼に写生にいったようですが、澤村愛子さん「春を待つ大沼」の力強い塗りが気に入りました。川上茂明さんが小樽を描いた「北の街並み」もなかなかの大作(50号)です。
 市資料館(大通西13)。第19回ふじ美術会展は、越澤満さん(道展会員)の教室。たしか、南区藤野方面の人が多いと思ったなあ。木村ケイ(日へんに景。ごめんなさい、パソコンにない字です)子さんの水彩「秋晴れのオイラン渕」「藤野の夕べ」は、微妙な光の色調をよく観察していました。本間礼子さん「木陰のワイン庫」もさわやかな筆さばき。
 第11回栄彩会展は、高橋栄吉さん(道展会員)の水彩教室。鎌野輝雄さん「静莫」は、ランプやバードカービングを題材にした静物画ですが、しんとした静けさが画面に満ちています。平原郁子さん「冬の庭」は、前景を思い切って広く取った構図が、静寂感を醸し出しています。
 第3回土の会油彩展は、土屋千鶴子さん(全道展会員)の「もくの会」の中にある、主に男性のサークルによる展覧会。第13回グループ正展は、末永正子さん(道展会員)のグループ展です。
 いずれも17日まで。

 市立小樽美術館・文学館で共催している「一原有徳 新世紀へ」展の見どころについて、道新後志版で13〜15日、3回の連載がありました。吉田豪介、玉川薫という執筆陣による分かりやすい文章が後志版だけというのはもったいないですね。

 戦前のシュルレアリスム絵画運動の生き証人的な存在だった画家の糸園和三郎さんが亡くなりました。

 6月14日(木)
 あしたが最終日っていうんで、あわてて「日本美の継承展」を、在札幌米国総領事館・札幌アメリカンセンター(中央区北1西28)へ見に行きました。

 筆者は初めて行ったのでビックリしたんですけど、アメリカンセンターって入場者と荷物のX線検査があるんですよ。空港みたいで、ものものしいです。アメリカっていう国じたいが、世界中でテロの標的になっているから、分からないんでもないんですけど、やっぱりちょっと驚きです。
 で、展覧会は、浅原千代治(ガラス工芸)、木路毛五郎(タブロー。要するに絵画です)、品川等(漆芸)、渋谷俊彦(版画)、中村興市(陶芸)、林亨(ミクストメディア)の、道内の6人が出品しています。
 個人的には、浅原さんのガラスに、うっとりしました。とくに「六条御息所」。深い青の地に、金の斑紋がちりばめられ、息を呑む美しさです。内側を見ると、こんどは、緩やかなカーブを描く縞模様が、白砂の日本庭園を思わせます。
 品川さんは丸みを帯びた椅子4点。中村さんはモノクロの「彩(祭)器」と題した陶器5点。
 渋谷さんは「時の刻印」の4点。これまで取り組んでいた三角形やドーナツ型から離れ、長方形の作品になった分、さまざまな色の点の交響が醸し出す美しさがストレートに伝わってきます。
 林さんは、ここ数年の平面作品の集大成的な展示になっています。(前回の個展はこちら
 
 で、この展覧会に言いたいことがあります。
 木路さんは、西洋美術の物まねではない、日本人ならではの美術ということを考えなくてはだめだということで、この展覧会を企画したようです。
 たしかに、日本の近現代美術は、世界的な評価は低い。北斎あたりと比べると雲泥の差です。
 でもね、最近の筆者は、それで何が悪いんだって思いますよ。
 西洋人は、非西洋人には非西洋的な作品を作ってほしいわけ。日本人には日本らしいオリジナリティーのあるやつを。
 でも、それ自体がダブルスタンダード(二重規範)だと思う。
 彼らは、非西洋人が西洋的な作品を作ること自体が不合理なことだと思ってるんじゃないかな。でもさ、どうして非西洋人だけが「民族的」な作品を作ることを強いられなきゃなんないの?
 「世界に通用する」っていう形容自体がさ、「西洋の価値観にひれふす」ってことだよね。そこまでして「世界に通用」したいのかな。たとえば、前にもどっかで書いたけど、ユーミンやドリカムはアメリカでは通用しない、でも、ユーミンやドリカムは、日本人がいかに西洋音楽を取り入れたか、その最良(われわれにとって)の咀嚼の仕方の結果なんだから、西洋人に通じなくたって別にいいんじゃないか。それは、いかにして西洋文明を取り込むかという漱石の切実さが、あるいは梅原龍三郎や浅井忠の苦闘が、西洋人にはついに理解が難しいのとおんなじじゃないか。
 (ただ、同じような偏見の構図は私たちにもきっとどこかに潜んでいて、たとえばもしアイヌ民族の作家がすごく先端的なCGとか作ったりすると、「どうして民族的なものを作らないのかな」って、反射的に思わない? そういう発想こそ、私たちは断固排斥していかなくちゃいけない)

 もうひとつ。
 北海道で、「日本的」っていわれてもピンとこないのが正直なところなんだよなあ。
 北海道の建て売り住宅ってすごいよね。最初から和室がなかったりする。あんなの、本州じゃ考えられないでしょう。
 ここは、もともと本州の植民地なんだからさ、日本人的な見方をしろって言われたって無理なんだよね。奈良の大仏とか「陰影礼讃」とかよりも、アーリーアメリカン様式の住宅の方が、心理的な距離が近いんだもん。

 
 6月13日(水)
 新聞各紙によると、戦後の抽象美術をリードした斎藤義重さんが亡くなりました。
 インスタレーションという言葉が一般化する前からそういう先鋭的な仕事に取り組んでいた人です。
 各紙読み比べると、今回は読売の記事がいちばん良かったように思えます。
 道新は「抽象表現の美術家」という見出しが付いていましたので、見出しをつけた人に「抽象表現と抽象表現主義は違う」ことを伝えておきました。

 さて、きょうはギャラリーまわりができなかったので、最近読んでおもしろかった美術関係書の感想を短く書いてみます。
 内田芳明「風景の発見」(朝日選書)
 美しい風景を見て美しいと思う心性は、じつは近代のものであり、けっして昔からはなかったということについて、内村鑑三や小島烏水、フンボルト(ドイツの博物学者)、ダーウィンなどの著作を元に論じたもの。
 いや、そうなんですよね。日本でも、風景の美を、白砂青松みたいな旧来のコードを離れて美しさを発見したのは、おそらく、ツルゲーネフを訳していた二葉亭四迷であり、空知川に旅し武蔵野を散歩した国木田独歩であったのです(そのへんのいきさつは柄谷行人「日本近代文学の起源」にも詳しい)。古今集や芭蕉には、風景そのものを美しいと思う心性そのものが存在しないのです(ただ、大伴家持には近代的心性の萌芽が感じられる。なぜだろう)。
 ただ、それはもう分かっていることであって、なぜそうなったのかが知りたいんだよなあ。
 日本でも西洋でも、古い文学と近代文学の語りは全然違う。たとえば「雨月物語」「伊勢物語」と「浮雲」「武蔵野」は全く異なるし、「ダフニスとクロエ」や「コンスタン」と、スタンダールやバルザックは全く違う。強いて言えば、近代の方が視線が微視的なのだが…。
 それと、絵画と文学でも、近代的なものが訪れる時期は違う。絵画では、ファン・アイク兄弟やジオットあたりからぐっと近代的になるが、文学でははるかに遅れる。日本でも、葛飾北斎が(ある程度)獲得した遠近法的視点は、明治初期の戯作作家や政治小説の書き手にはまったく反映していないし、ようやく近代的な、風景と相対峙する心性を持ちえた北村透谷にしたって、その心性を記す文体がまだ存在しないから、そうとうな苦労をしていると思う。
 つまり、これは、おそらく風景にとどまらない、まなざしのあり方が近代とそれ以前では全く異なるという問題なのです(難しい話題でごめんなさい。長くなったので今日はこのへんにして、以下後日。書名だけ予告しておくと、坂上桂子「夢と光の画家たち」、針生一郎「戦後美術盛衰史」、李禹煥「立ちどまって」)。
 
 6月12日(火)
 10、11日はまた風邪がぶり返し、家で本を読んでいました。
 ご心配をおかけしました。

 さいきん、さいとうギャラリー(南1西3、ラ・ガレリア5階)が、借り手がなく、ずいぶん空いているようです。
 今週は珍しく、道教大を卒業して日の浅い若手女性4人組によるグループ展「丘の上のピクニック」。DMをもらってくるのを忘れたので、4人の名前がわからないのですが、筆者の名前を憶えていてくれた千葉敦子さん、どうもありがとう。彼女は、1998年秋、今は無きギャラリーシードで開かれた学生5人による共同制作「きつくないショック」のメンバーだったそうです。とても小さく切り抜いた人物の写真を壁にピンでたくさん貼っていました。
 17日まで。

 おとなり、スカイホール(南1西3、大丸藤井セントラル7階)では、越澤満風景画展
 すべて15号以下の油彩です。利尻、小樽、大雪など道内の風景ばかり。渋い色調の上に、ぱっと生に近い色彩の絵の具がちらばるのが越澤さんらしい。
 DMの「昏れの春国岱」は、実物を見ると、中央の太陽がレモンイエローで、まるで違います。夕空の厚塗りの絵の具の感じも含めて、印刷と実物の違いを確かめるのも一興かもしれません。
 札幌在住、道展会員。17日まで。

 札幌時計台ギャラリー(北1西3)B室では坂本順子個展
 詳しくは「展覧会の紹介」ページをごらんください。(まだ執筆前。竹岡羊子個展のテキストをやっと書きました)
 6月9日(土)
 きょうは短い評をたくさん書きます。

 ギャラリーミヤシタ(南5西20)で、田村郁子展
 ビニールと麻糸で織った、レジャーシートみたいな布を画廊空間に張り渡し、その布から、バラ、トクサ、ススキといった植物をたくさんつりさげたインスタレーション。
 作者本人のイメージでは、海藻がなびく海の中、という感じだそうですが、なにせ筆者は磯焼け現象に悩む日本海を見ていますので、海というより、雑草が生える大地を天地逆転させたというのが第一印象でした。
 すごく惜しいナー、と思うのが、手間ひまかけているわりには、そう見えないことです。

 ギャラリー大通美術館(大通西5)では、熊谷紀子・健彫刻展。
 紀子さんは、道展会員の彫刻家で、道展以外ではこれが初の展覧会になるはずでしたが、5月4日に亡くなりました。
 作品はいずれも、女性を題材にした具象彫刻。真摯に対象に向かう姿勢が感じられます。デフォルマシオンも、無理がなく、まじめで良い作品でした。ご冥福をお祈りします。
 それにしても、ふつうの具象彫刻を造る人がどんどんいなくなってしまいますね。

 同じ会場では、伊達市の坂本功さんの「俺の書展」が開かれていました。
 「師を持たず、いずれの会派にも属さず」ということですが、そのわりにはしっかりと自分なりのスタイルを持った作品が並んでいて、感心しました。鋭角的というか、直線的な行書が持ち味です。

 さいとうギャラリー(南1西3、ラ・ガレリア5階)では、櫻井マチ子・大橋郁夫二人展
 櫻井さんは、不思議な(としか言いようのない)イメージの画家で、大橋さんはふつうの風景画をかきます。不思議な取り合わせだと思います(みんなに言われるそうです)。
 櫻井さんは、道新日曜版の「日曜文芸」に掲載したモノクロの挿絵を一堂に展示していました(それでも道新は取材に来ないんだからなあ。何やってんだか、情けない。今に始まったことじゃないけど)。

 同じ会場では、札幌医科大美術部イリス会OB展
 2号から50号までの油彩、水彩と、陶芸が並びます。松山繁美さんの「ニセイカウシュッペ山」などナイフを駆使した堂々たる風景画で、けっこうバラエティーに富んでいます。北大黒百合会も安閑としてはいられないのでは?

 お隣り、スカイホール(大丸藤井セントラル7階)では、ASAKA書展
 ここは例年、書道の社中としては風変わりなことをやるところで、今年は、共同で隷書などを書いた巨大な和紙を「あかり」のインスタレーションに仕立てた作品が会場の中央に据えられていました。

 すべて10日(日)までです。
 6月8日(金)
 札幌アリアンス・フランセーズ(中央区南2西5、南2西5ビル2階)で川上りえ展〜浸透痕〜
 川上さんは、芸術の森美術館での「北の創造者たち展」の後、ポーランドでの国際テキスタイル・トリエンナーレに出品、帰国したばかり。
 札幌アリアンス・フランセーズは、語学教室の傍ら文化活動にも熱心ですが、これまでの美術展はほとんど壁面を使ったものばかりでした。そこに、川上さんがどどーんと作品を搬入。川上りえ「浸透痕」図書が並ぶ落ち着いたスペースを見事に異化しています。
 アトリエを移設する際に、残った鉄材をそのまま放置していたそうで、錆で自然に開いた穴と、わざと空けた穴が混在しています。しっかりした重たい存在感と、向こう側が透けて見える危うさというか軽さとの共存は、川上さんの作品ならではです。さすが、会場から発想する人だなあと思いました。
 この壁のような作品のほか、奥の壁にも、錆びた鉄の板きれをつなげて人の形にしたものが張ってあります。CDケースの上にもさりげなく針金でこしらえた作品が置いてありました。
 23日まで。日曜休み。

 それにしても、基地外(C筒井康隆)に刃物というか、大阪・池田の小学校で起きた殺傷事件は悲惨でした。どうしてこんなことになるのかまったくわかりません。
 わからないといえば、どうして犯人がセドリックなどという高級車に乗っているのでしょう。
 もうひとつ。ふつうマスコミを騒がす事件では
「まさかあの人が」
という近所の人の反応が普通で、今回のように
「やっぱり。何かやると思っていた」
と大勢が異口同音に語るというのは珍しいと思います。
 6月7日(木)
 This is gallery(中央区南3東1)で毛内やすはる展。
 表面に文字のような文様が書かれた三角錐状の立体3点。いずれも「かなえられたもの」という題が付いている。2点は壁から垂直に突き出し、もう1点は中空に浮いている。文様と同じ破片のようなものが、床の一部分に散らばっている。なにか意図はあるのだろうが、それが何なのかは分からなかった。
 8日まで。7月26日から同じ会場でもう一度個展があるそうです。

 ギャラリーユリイカ(南3西1、和田ビル2階)では、「陶人 荒関雄星」。
 後志管内京極町の陶芸家、荒関さんが陶芸をはじめて四半世紀になるのを機に開いた回顧展。おおまかな制作年代を記した、1970年代以降の作品が並びます。近作では、釉薬をかけずに土の味を生かした花器が、ダイナミックな味を出しています。DMにもある丸い壷は、窯の中で横向きに置いて焼いたもの。釉薬のかかっている部分と焼き締めの部分とが、微妙なバランスを保っています。

 ギャラリーたぴお(北2西2、道特会館)では一原有徳展
 小樽在住の特異なモノタイプ版画家の一原さん。今回はこれまでの代表的な作風の作品が一堂に並び、これまでより若干安い価格で販売されていますので、コレクターの方はぜひどうぞ。それにしても、明治生まれとは思えぬ若々しさが作品から感じられます。

 札幌時計台ギャラリー(北1西3)では、A・B室で、竹岡羊子展が開かれています。
 ニースのカーニバルをモチーフとしたにぎやかな作風は相変わらずですが、「祭りのあとの寂しさ」のようなものも漂わせて、竹岡さんの世界はますます深みを増しているようです。
 近日中に「展覧会の紹介」で。

 昨日のことになりますが、文化勲章受賞者で、白日会の会長の伊藤清永さんが亡くなられました。
 北海道とは関係がとくにないと思いますし、ルノワールそのまんまという画風には個人的には全く興味は持てませんでしたが…。ご冥福をお祈りします。

 鈴木涼子展の評をアップしました。
 6月6日(水
 会社休み。午後2時になってから突発的に滝川市美術自然史館=写真右=へ行き、「有島武郎・今田敬一 黒百合会滝川市美術自然史館の画家たち展」を見ました。7月11日まで。

 筆者は今田さんの絵はほとんど初めて見ましたが、花などを題材にした小品のほかは、黄色や青などで構成した室内画がニ、三ありました。有島の絵は、有名な「やちだもの木立」など5点。

 黒百合会のほうは、まあ玉石混交です。「へー、あの人も」という楽しさはありますが(茨城でオブジェをつくっている陶芸家、小峰尚さんが北大というのは意外でした)、ベテランの道展会員でパリの景物を題材に水彩を描く飯田勝幸さんや新道展会員でやわらかい室内画を描く美阪恵美子さんが、どこか宗教的なインスタレーションをつくる野又圭司さんと同じ団体の出身だからと言って、彼(女)らの作品の理解にはつながりそうにもありません。ただ、個人的には、関谷矢一さん「モハマド・アリモスク」、田中督さん「オスロ風景」、元島英雄「八紘学園の夏」、栃内信男さん「想海」といった穏便な風景画には心惹かれるものがありました。道内の画家の世界でいちばん有名なのは山下脩馬さんだと思いますが。

 第三部として、有島と関係のあった木田金次郎と、その木田の弟子にあたる坪谷六郎さんの絵が5点ずつ陳列してありました。ふだん見る機会の多い木田の絵は1954年の大火以降のものが多いのですが、50年「風景」、51年「雪景」などは、後年の激しい筆致のものとはちょっと違って落ち着いているのが興味深いところです。

 それにしても、学芸員ひとりでやってる美術館にあまりないものねだりをするべきではないのかもしれませんが、黒百合会の発足と現在については分かっても、歴史的な流れの中でこの会がどういう役割を果たしてきたかということについては触れられておらず、残念に思いました。

 それよりも、北海道美術の草創期が、黒百合会−道展というラインで語られることが定説化しつつありますが、ほんとにそれでいいのかなという気がしないでもありません。このほど道立函館美術館が創刊した「ハコビニュース」には、横山大観門下の、檜山管内熊石町出身の日本画家・鐙谷抱圓(あぶらやほうえん 1880〜1962年)が取り上げられていますが…。たぶん、札幌・小樽など道央と、道南とでは、かなり違った見方が可能なのではないかと思うのです。


 滝川市江部乙にある「道の駅」に寄ったら、たまたま「江部乙カメラクラブ写真展」というのをやっていました。二羽の小鳥が枝に止まった瞬間パーっと雪が飛び散ったところをとらえた写真や、洞爺湖の遊覧船から二筋に噴煙の昇る有珠山火口を写したものなど、なかなか楽しめました。


 This is Galleryの「毛内やすはる展」、小生、父親の毛内さんとすっかり勘違いしておりました。スケジュール表は訂正しておきました。どうもご迷惑をおかけしました。
 
 6月5日(火)
 本日でおしまいのアートスペース201(中央区南2西1、山口中央ビル5、6階)に行ったら、主に北海道陶芸会のメンバーによる「使ってみたい8人の器」展が開かれていて、無料ビールサービスなんてのも実施していました。仕事がなかったら飲みたかったなあ。主に販売用のうつわ展でしたが、さすがに高レベル。同会は今年冬にも同じ会場で展覧会をやる由。これは期待できそうです。

 NHKギャラリー(大通西1)では、萩焼・鈴木勝作陶展
 やわらかな風合いの白萩手の茶碗は、いかにも萩焼らしい景色。紅萩手の茶器には、有珠山の土を使ったものもありました。
 8日まで。

 コンチネンタルギャラリー(南1西11、コンチネンタルビル地下1階)では鈴木涼子展
 作者自身の顔にシリコンを張って写真に撮った作品については、筆者は批判(というかほとんど罵倒)してきましたが、今回は作品になっていると思います。社会性の欠如について言いたいこともありますが、これは作者が確信犯でやってることなので、筆者がどうのこうのいっても始まらないでしょうね。
 10日まで。そのうちちゃんと評を書くつもりです
 6月4日(月)
 古本屋に本を売り6千円ゲット。「文人画家の譜」など5冊買い7500円。
 6月3日(日)
 終日ごろ寝。

 NHK教育テレビの「新日曜美術館」は、きょうから芸術の森美術館で展覧会の始まった彫刻家砂澤ビッキの特集。子供が騒いでいてよく聞こえなかった部分もあったが、音威子府のタワーの竣工式とか、昔の写真が興味深かった。それにしても、酒井忠康さん、砂澤ビッキの話をするとなんだかうれしそうだなあ。酒井さんだけじゃない現象だと思うけど。
 6月2日(土)
 午前5時半に起きてNHK総合テレビを入れたら「土曜美の朝」ではなく「美に生きる」という番組に変わっていて、放送時間も繰り上がっていました。ますます早起きしなくてはならなくなりました。もっとも、1週間前の午後10時にも同じ番組を放送しているようですが。

 以前にも書きましたが、筆者が土曜の夕刊1面の担当になると必ず何かあります。今回はネパールで皇太子が王族皆殺し。占い師が「皇太子は35歳になるまで結婚するな」と進言したとか、とても21世紀のこととは思えません。
 ところで、ネパールに学校を建設する運動を進めている北見の市民団体「ランタンの会」代表の西村正義さんは、穏やかな風景画をよくする人です。87歳とのことですが、お元気なようで安心しました。

 午後9時半ごろ帰宅。半月を過ぎた月のすぐそばに純白のスピカが光っていました。
 6月1日(金)
 夕刊スポーツという面に久し振りにあたりました。春の高校野球の開催中でめちゃくちゃ忙しい。見出しを練っているヒマがあまりありません。
 大リーグの見出しは、新庄と野茂で取ってしまいましたが、朝日や読売はきょう復活した伊良部を見出しにしてます。うーむ。自分が正しかったのか、悩みます。
 あすはいよいよ札幌ドームのオープンです。

 大塚英志「「彼女たち」の連合赤軍」(角川文庫)を買う。表紙の絵は会田誠。以前リーセントギャラリーでも展示された、セーラー服の女子高生が焼け跡で日の丸持ってるブッソーな絵です。