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遊楽部川(栄立橋から)つれづれ日録の題字 

 200479

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 9月30日(木) 

 午前は、町内の韃靼ソバの畑に取材に行く。原稿執筆もする。
 午後は黒松内町と長万部町の合併協議会。
 なんだか、ぜんぜん先が読めないなあ。(新聞記者がそれでいいのか(^_^.)

 10月からは新しいファイルに移行する予定です。

 9月29日(水)

 午前は電話や来客多くて、早く過ぎる。


 9月28日(火)

 札幌から八雲へ戻る。
 午後から仕事に復帰するが、まだカンが戻らない感じ。

 このたび自民党幹事長に抜擢された武部勤さんには、筆者は北見に勤務していた関係で何度かお会いしたことがあるが、とても実直でまじめな人という印象がある。体育会系コツコツ型というんでしょうか、頭の回転の良さを売り物にするんじゃなくて、地道にやるタイプだと感じた。
 それはともかく、自民幹部や閣僚に北海道の出身者が多いからと言って、北海道新幹線を期待するのはどんなものか。
 そういう田中角栄待望論、公共事業よやって来い的な発想は、そろそろなんとかしないと、北海道はいつまでも自立できないんじゃないだろうか。
 気持ちはわかるんだけど。

 9月27日(月)

 この日も札幌。
 滞在中の行動で、いままでといちばん変わったのはタクシーに3回乗ったこと。
 貧乏性の筆者は、タクシーに乗るということ自体、ひじょうにお大尽な行為のように思っていたが、札幌にいられる時間の短さを思えばぼんやりバスを待っているヒマがないことに気がついた。
 それでも、義理を欠いたギャラリー等多数あり、ごめんなさい。

 9月26日(日)

 休み。
 長万部の民宿を出発。車で札幌に出かけた。
 が、静狩トンネルを越えたところで、たいせつな忘れ物の書類に気づき、八雲に戻る。
 静狩−長万部が10キロ、長万部−八雲が33キロ。八雲まで戻った時点で、またステアリングをにぎるのがアホらしくなった。ちょうど札幌行きの特急列車が出るようなので、駅まで歩いて行った。
 八雲−札幌は、特急で2時間10−20分前後である。
 これが自動車だと、高速を使っても3時間を切るのがやっとだと思う。
 函館から八雲を通って札幌に向かう特急「スーパー北斗」は、気動車でありながら、新幹線を除くJRの列車で最も速いのである。
 ところで、この日は、登別で、先頭の客が下りた。
 北斗は、札幌側の先頭が、前が見える事実上の展望席になっている。
 乗務員室越しではあるが、列車の進行方向が見える特等席が、札幌行きの場合、自由席なのである。
 筆者は、この座席に移って、めったに見られない車窓風景を楽しんだ(ほとんど子供)。
 いうなれば「ナマ電車でGO!」状態である。
 ただし、登別・札幌間は、ほとんど直線のため、「電車でGO!」のように、カーブの向こうからにょきにょき建物が見えてくるような箇所はない。

まもなく札幌駅に到着

 札幌到着後は、札幌彫刻美術館と道立近代美術館を見たあと、ファクトリーでやっていた浅野さんたちの写真展に行ったが、すでに後片付けに入っていた。
 山岸誠二さんがいて、来月、プレステイジギャラリーで個展なんだそうである。
 せっかくなので、札幌市写真ライブラリー(中央区北2東4、サッポロファクトリー・レンガ館3階)で開催中の田沼武能写真展を見た。見ごたえがあった。

 9月25日(土)

 前の晩にひとりで酒をのみすぎて、大寝坊。昼から、スポーツ大会などの取材に出かける。
 夕方やっと一息ついて、長万部の民宿へ。なぜか、カラオケ大会になり、ひさしぶりに何曲も歌った。
 長万部泊。

 9月24日(金)

 町議会などの取材で長万部に2往復。
 昼間、上八雲で単独死亡事故。
 何人死んでも事故は悲惨だと思うが、新聞では、一人のときと4人のときでは、扱いに雲泥の差がある。一人だと、北海道はあまりに多すぎるので、ベタ、15行がせいぜいである。

 9月23日(木)

 世間は秋分の日。
 筆者は、中学生駅伝大会の取材。
 「北部渡島・檜山」の大会なのになんで江差中(女子)が出てるんだと思ったけど、ぶっちぎりの優勝。アンカーの子のタイムは、男子の優勝チームのアンカーと同タイムだった。
 午後は原稿執筆。けっきょく11時ぐらいまで仕事をしていて、晩飯を食い損なった。
 きょうから、妻子が北見に帰省などしている。

 9月22日(水)

 朝は山越小学校に防犯訓練の取材に行く。
 子供たちの元気の良いのに感心したが、国道から数百メートル入った校内ですでに、携帯電話の電波が弱くなっているのにはびっくりした。
 八雲では、市街地と国道5号線では携帯電話が使えるが、ちょっと郊外に出ると「圏外」の表示が出る。
 落部公園から3分ほど車で走るともう「圏外」である。

 こないだ読んだ斎藤貴男さんの岩波新書「安心のファシズム」に、携帯電話が国民支配の道具となる可能性が指摘されていて、近年のジャーナリズムがまことに批判精神を失っている中での斎藤さんのがんばりはすばらしいものがあるけれども、こと携帯電話(とプリペイドカード)のくだりに関しては、八雲のような小都市にいるとまったく現実味がない。
 このまちには、監視カメラもないと思う。
 ただ、はっきりしていることは、このまちで犯罪に走れば、住めなくなることは確実である。昔ながらの共同性が、安全を担保しているのである。
 だから、斎藤さんの言うように、けっして昔は自由だったのではない。共同体の目=世間の目が、監視カメラに変わっただけである。
 わるいけれど、この本は
「ちょっとぐらい不自由になっても、犯罪がないほうがいい」
という大衆の心を、動かすことはできないと思う。

 夕方は、郷土資料館でクマの木彫りを見せてもらった後、合併事務局でテレビ会議システムの取材。
 うーん、のんきな支局長の一日であった。
 事件のない日の水谷豊。ちがうか。


 9月21日(火)

 下痢気味。
 ところが、トイレに入っているとどういうわけか電話が来るのであった。

 9月18日(土)−20日(月)

 世間では3連休。
 筆者は、1日1、2時間ずつボチボチと仕事。
 それ以上に爆睡していた。

 それにしても読売1面の署名記事には失笑したね。
 「プロ野球選手は夢を売る労働者だ。だからストをすべきではない」
だとさ。
 この論法は無限に拡大しうるので、労働者のみなさん、注意しましょう。
 いわく、教師は聖職だからストをすべきではない。
 いわく、公共交通の運転手は人々の足を奪うからストをすべきではない。
 …・。
 はっきりいって、労働なんだから、やめることで他人に迷惑の掛からない職場なんてあるわけがない。
 それでもあえてやらなくてはならないからストをやるのだ。
 筆者が思うに、人の生命に直結する職域は別にして、ストライキは基本的権利でしょ。
 消防署だって、火災出動をやめられたらこまるけど、事務や訓練を30分やめるとかのストはいいんじゃないかと思う。
 消防や警察にくらべたらプロ野球選手のストなんて、なにが困るというのだ。

 おなじ記事では、こうも言っている。
 2日間試合をやらないことで、球場の出入り業者などに多大な損失を与えることを考えよ、だと。
 来シーズンから1球団減れば2日間の減収どころでないと思うんだけど。

 読売は、中面のサイド記事も露骨に球団側の肩を持つ内容だった。
 選手会側が交渉で古田選手よりも弁護士が多くしゃべったのが悪いんだと。
 交渉で代理人が出てくるのはあたりまえじゃん。
 はたして古田選手が自分のアタマで考えていなかったのかどうか。交渉終了後の記者会見で、球団側と選手会側と、どちらが自分のことばで話していたか、一目瞭然だったと思うけどね。

 この問題については、日経が社説で、はっきりと球団側の譲歩を要求している。
 毎日のコラムのとおり、インターネット時代の申し子たるライブドア側からすると、球団オーナー側の「審査が間に合うかどうかわからない」という言い草のほうがわからないに違いない。来シーズン開幕までまだ半年もあるんだぜ。この経営感覚の遅さにはついていけないだろうな、きっと。


 9月17日(金)

 ツール・ド・北海道の第2ステージが長万部でフィニッシュ。
 自転車とは思えない速さ。

 9月16日(木)

 連日、プロ野球の労使交渉などに出ている古田選手がヤクルトスワローズの4番に座ってホームランなぞ打っているのを見ると、ご苦労様と思うと同時に、ほかの選手はもっと働いて! と言いたくならないでもない。

 上司は「夏休みをとってくれ」と言い、別の上司は「原稿が足りないのでよろしく」と言ってくる。
 どうしたらいいんでしょうかねえ。(^_^.)

 9月15日(水)

 路傍のイタドリがもう黄色くなっている。
 どうしてあんなに短時間で大きくなって、早々と冬支度をするのか。せわしない植物だ。


 9月14日(火)

 曇りときどきにわか雨。
 八雲町議会二日目。長万部町議会は最終日。
 図書館で絵画展の取材。
 夜は長万部で町政懇談会に顔を出す。帰宅8時過ぎで、実働11時間弱。
 これぐらいのペースで仕事ができたら、疲れもたまらないのになあ。

 9月13日(月)

 雨。
 八雲町議会が開会。八雲は一般質問から始まる。勉強と思って、一生懸命聴くが、なかなかねむい。
 夕方、厚沢部町との境界にあるトンネルで軽トラックの単独事故。いちおう現場まで行くが、ものすごい遠さ。支局から40キロ近くある(それでも八雲町内なのだ)。しかも、ものすごい雨。事故より洪水のほうが心配になったが、災害とまではいかなかった。

 ラジオで、太田裕美の「九月の雨」が流れていた。1976年の出世作「木綿のハンカチーフ」を別にすれば、彼女にとって最大のヒットということになるが、あらためてベースのうまさに舌を巻いた。良い曲だと、ばくぜんと感じていたのは、ベースのおかげにちがいない。リアルタイムで聞いていた当時はまだ中学生で、AMラジオだったから(まだ道内に民放FMがなかった)、ボーカルのほかはストリングスやコーラスばかり気にしていたのだと思う。

 9月12日(日)

 休刊日。
 午前は、高齢者が町中から集まる「ふれあい広場」と、八雲生まれの新スポーツ「スポンジテニス」の全道大会の取材。
 午後は、家人のリクエストで、となりまちの森町(となりといっても、八雲から32キロもあるのだ)に最近できた「しまむら」へ。
 筆者はすっかり体力を使い果たしており、子どもたちと家人が青葉が丘公園で遊んでいる間、車で寝ていた。帰りも家人に運転を頼む。
 図書館から借りていた岩波ジュニア新書の「故事成語で読む楽しい中国史」読了。「鳴かず飛ばず」「孟母三遷」「五十歩百歩」などのいわれを学びながら中国の歴史もわかってしまう楽しい本。

 9月11日(土)

 晴れときどきくもり。
 午前6時に体育館前に集合し「おはよう1万歩 健康づくり」(町教委主催)に参加。
 …のはずだったが、起きられるはずもなく、午前7時半起床。ほかに取材の予定を入れていないので、事実上の休みとした。9日ぶりですね。ただし、短い原稿(クマ捕獲)を出稿した。
 ぼちぼちスケジュール表の更新などをしていた。
 札幌から父母が来て、幼稚園の「敬老の会」に出席し、孫たちと交流した。午後は、子どもや父(愚息からみるとおじいちゃんですな)につきあって公園に行くなどした。

 9月10日(金)

 晴れ。
 長万部町議会の一般質問。午前で終わるはずが午後まで長引く。
 疲労度が増していたので、仕事は7時前に切り上げた。

 9月9日(木)

 晴れ。
 前日の疲れで、さすがに朝は元気が出ない。
 警察で、秋の交通安全運動の会議。
 交通安全運動は、ふだんはそれほど注目をあびる要素がないんだけど、なにせ8月に6人も死んでいる八雲警察署管内なので、それにかこつけて(というとことばは悪いけど)記事を書く。
 午後は長万部で、合併協議会。
 岩内支局員も来ていたが、彼は前夜1時まで仕事だったとのこと。道東の一部をのぞいて8日は、北海道新聞の記者ほとんどがオーバーワークだったんじゃないだろうか(なお、彼の持ち場である神恵内村では、国道の橋が落下するなど大きな被害が徐々に明らかになりつつあった)。
 会議は長引き、しかも途中で抜け出して颱風被害の取材をやりながらだったので、忙しかった。原稿は20分かからずに書いた。

 9月8日(水)

 起床午前5時。
 颱風(たいふう)18号が北海道に接近しているというので、警戒のため早く起きた。
 たしかに風雨は強いが、想像していたほどでもない。
 6時過ぎから町内をざっと車で回るが、被害らしきものは目に入らなかった。
 しかし、これは甘かった。
 雪印踏切で貨物列車が過ぎるのを待っていると(ちなみにこの貨車は、夜まで八雲駅構内で足止めをくっていた)、ふと気がついた。向こうの信号が着いていないのである。
 おどろいて近くの道新販売店にとびこむ。ほんの数分前に一帯が停電したらしい。
 警察に寄る。自動ドアを開けるのがひと苦労だ。とりあえず停電以外には災害は起きていないらしい。
 この日の八雲は、午前中、たびたび数分間の停電が繰り返された。
 もっとも、長万部は、正午過ぎから午後5時過ぎまでずっと停電していたというから災難である。役場もあかりが消え、信号も消え、温泉街はポンプで湯をくみ上げることができなくなってしまったという。
 風は朝7時半ごろからにわかに強まり、雨も激しくなった。
 午前中は、春日地区に、倒れた木が教員住宅の屋根を直撃した写真を撮りに行ったり、ほくでんに停電のようすを聞きに行ったり(こういうときは電話するより直接行ったほうがはやいのだ)、八雲神社に倒れた木を見に行ったりした。
 また、停電の余波で、踏切の遮断機が故障して下りっぱなしになったり、いろんなことがあった。
 午後は、あいた時間に、きのう書けなかった原稿を執筆しつつ、避難した人に話を聞きに行ったり、農村地区の様子を見に行ったり。夕方になって、ようやく風雨がおさまった。
 自分ではそこそこ精力的に記事や写真を送ったのだったが、なにせ札幌ではトラックが横転するわ、救急車を街路樹が直撃するわ、ポプラ並木や、中島公園の木が一気に倒れるわで、八雲の情報はあまりインパクトがないのであった(まあ、ないほうがいいんだけど)。
 この日は夜、町議会が主催して、合併問題で町内会長さんの意見を聞く会が開かれた。そんなこんなで、朝5時半から夜12時まで働いたので、そりゃつかれるよな。

 9月7日(火)

 早起きして午前6時から原稿書き。
 しかし、後ほどこの原稿はボツになってしまい、あらたに別の原稿を書かねばならなくなった。
 朝、表彰式の取材で警察に寄ったあと、10時から長万部町議会。
 合併問題等調査特別委員会などにはさんざん出席しているが、定例会ははじめてである。
 このサイトをお読みの方には、市議会とか町議会なんてよう知らんという人も多いでしょうが、3カ月に1度おこなわれる「定例会」では、議員が市長や町長に行政方針を問う「一般質問」のコーナーなどがあり、それなりにきき応えがあるのである。

 午後、八雲出身で、アテネ五輪射撃に出場した小西ゆかり選手のインタビュー。
 今回の日本選手団でいちばんの美女とのほまれ高い選手です。
 夜は、町内のホテルで、彼女のアテネ五輪出場報告会。
 料理には手をつけず帰宅。運動部に電話して、報告会の原稿を書いて送る。
 1日に200行ぐらい書いた気もするが、あすの颱風(たいふう)に備えて早く寝る。

 9月6日(月)

 晴れのちときどき雨。
 午前中は雑用などを済ませているうちに終わってしまう。
 午後は長万部へ。静狩地区に初めて行く。長万部と静狩の間は、北は原野、右は海の間を、一直線に国道と線路が伸び、いかにも北海道らしい荒涼とした風景である。
 ちょうど、北海道の果て、浜中や釧路に行くと、なにもない平原に電柱の列がつづいているのと似ている。ここは道南の果てで、豊浦までいくといったん北海道の景観がリセットされるのである。


 9月4日(土)・5日(日)

 4日。晴れ。
 子どもたちの幼稚園の運動会。
 札幌から祖母が応援に来た。
 子どもたちは札幌の幼稚園でも運動会をしているから、1年に2回も運動会を体験することになる。
 筆者もいろいろな種目に出場させられる予定だったが、桜野地区というところに、クマの箱わなを設置するのを見に行くことになり、運動会は途中で退席した。
 ケータイが「圏外」になるような山奥だが、せまい谷あいにデントコーン畑や牧草地などがつづいている。デントコーンとは、牛に食べさせるトウモロコシのことで、酪農地帯ではたくさん植えられていることが多い。クマも好物らしく、畑のあちこちで、2メートル以上に育ったデントコーンが倒伏し、食いかけのコーンが散乱していた。
 箱わなをコーン畑の中に設置する。えさは腐りかけのイカゴロ。どうもクマは妙なものが好物だと思う。

 運動会は閉会直前に復帰。
 夕方からは仕事せず。

 5日。くもり。
 長万部の町民ふれあいオリンピック、八雲の陸上大会、春日八幡神社の改築の取材のあと、図書館まつりへ。
 古本市もやっていたが、八雲の古本市のすごいところは、タダなのである。
 小林多喜二全集が何冊かあったので、持ち帰ろうとしたが、司書の人が「つづきがありますよ」と全集のほかの巻をくれた。本来ならかなりの費用がいる全集をタダで入手できたのでうれしかったが、帰ってからよく見ると、全巻そろってるんじゃなくて、第2巻や第3巻が2冊あるのであった。やれやれ。

 まいちゃんの欧州リポートを、メールをもらって1カ月以上たってようやくアップしました。
 写真説明がないですね。近く付記します。


 9月3日(金) 

 浅野久男さんに書いてもらった「東川リポート」をようやくアップした。
 長文の、なかなか熱のこもった文章ですのでご一読を。
 えーと、つぎはまいちゃんですね。

 9月2日(木)

 はあー。
 やっと、自宅がADSLになった。
 これで、今までよりはもうすこし頻繁に更新できるのではないかと思う。
 ただし、きょうはスケジュール表の手直しだけで2時間以上かかってしまった。
 現在開催中の展覧会だけで34もある。筆者が転居しても、ぞくぞくとDMなどが送られてくるのは、うれしいというしかありません。

 表紙のTOPICSの更新だけでもかなりあります。

 ともあれ、見たのに書いてない展覧会などが大量にあるし、リンク集も3カ月以上放置しているので、まだまだやることはいっぱいある。
 日記も再開したいし。
 ただ、まだ転居のはがきを書いてないので…。

 8月29日(日)

 とりあえず、スケジュールだけアップします。
 郵便局に住所変更を届け出るのが遅れ、一部の展覧会が完全に時機を逸してしまったことを深くお詫び申し上げます。


 八雲日記、8月1−11日を一気にアップする。

 8月1日(日)晴れ
 引っ越しの手伝いに来ていた母親が札幌へ帰ることになり、駅まで見送る。おかげでかなり荷物が片付いた。感謝。
 家人は、いよいよ知りあいがいなくなるので、さびしそうだ。
 八雲神社で開基記念祭。この神社は、熱田神宮ただ一つの分社ということで格が高い。岡田道議と名刺交換。
 昼から「デカレンジャーショー」を見るため、妻子を連れて今金のピリカダムへ夏祭りに行く。
 盆地のせいか、めちゃくちゃ暑い。ステージで行われていた「オクラホマ」なる道内ローカル漫才コンビのしゃべりは笑えないし、もんすけショーには小学生しか参加できないし、次第にイライラがつのる。
 取材に来ていた北桧山支局長に会う。このまつり、昨年まで6年だか7年まで連続して雨にたたられていたそうだ。昨年は雨がふったりやんだりで、支局長が
「ひどい雨ですね」
と町長に話し掛けたら
「いままでで一番いい。去年はどしゃぶりだったんだ」
との答え。
 9650歩。

8月2日(月)晴れ
 これまで、週のはじめは電話や来客が多かったのだが、なぜかきょうはほとんどない。午前はわりあいゆっくり仕事をこなす。
 午後、長万部へ。詩人の薩川益明さんに、夏休み連載「あのころあの本」インタビュー。アイヌ語地名の話で盛り上がる。
 開発局で立てた長万部川の看板に地名由来が書いてあるのだが、武四郎だか永田方正だかの文章の「出(い)づ」を「でず」と誤って引用しているとか。情けない。
 6700歩。

8月3日(火)曇り時々雨
 大変な1日。
 八雲高校から電話。「きょう大学体験講座をやるんですが、これから資料を持ってうかがいたいんですが」
 直前、あるいは当日になってからの取材依頼が多いのが八雲の特徴。たまたま私がいるからいいけど、いないときはどうしてるんだろう、みんな。
 一応、まだ顔が売れていない新米支局長なので、細かい催しものなども嫌がらずに顔を出すのがポリシー。10時からの八雲町議会が終わり次第、こちらから出向くと約束。
 町議会はあっさり終わり、高校へ。
 高校生が、びっくりするくらい静かに、大学の先生の講義を聞いていた。
 自分の時代には、偏差値ぐらいしか大学選びの情報や材料がなかった。いまの高校生はその点で良いと思う。
 廊下に、道内中堅日本画家のホープ平向功一さんの「N氏の船に乗り」が飾ってある。そういえば、平向さんは以前八雲高校の先生だったのだ。

 校長と雑談の後、支局に帰って原稿を書いていたら、お昼ごろ、野田生の国道で大きな事故がおきているとの情報。ミルクロード(裏道の農道)をぶっ飛ばして事故現場に行くのも、早くも3回目である。
 踏切のあたりに路駐して、現場に走る。おお。ダンプカーの前面に、ストリームががばっと食い込んでいる。反対車線なのに、まったくの正面衝突だ。ムリな追い越しか、それとも居眠りか。
 本社や函館から、ひっきりなしに携帯電話が鳴る。とりあえず、現場の写真を撮って、支局に戻り伝送することになる。どうやらストリームの4人は絶望らしい。
 1時過ぎからほとんど警察署に詰めっぱなし。本社や函館から、あれは分からないか、まだかと催促の電話が次々と来るが、なかなか新しい情報はない。ホワイトボードには、死亡した人の名前などが書かれていて、盗み見しようとしたらできないこともないのだが、時々あちこち書きかえている。つまり、まだ確度の低い情報というわけで、この内容を本社に電話して教えても、あとで訂正ということになりかねない。むろん、現場の警察官はまだ署に戻らない。しかも、道警本部から、たまたま出張に来るとかで、その応対もしなくてはならないようで、署内はたいへんな忙しさだ。
 とりあえず、夕刊遅版のテキストは、函館のサツまわりに書いてもらった。私の撮った写真が、署名入りで、社会面のトップを飾った。
 亡くなった4人のうち、祖父母は深川・納内、孫兄弟は上磯である。遺族が病院に駆けつけるに違いない。ここで私は、総合病院にあいさつをしていなかったことを激しく後悔した。涙の対面の瞬間の取材ができないかもしれない。わずかな空き時間に、以前一度会っていた事務長に電話して、急ながら出向くことにした。
 応接室には、札幌の艾澤詳子さんの銅版画が飾ってあった。初期のものらしく、オーケストラの風景が挿入されていたりして、どことなく渡会さんふうなのが興味ふかい。院長にあいさつ。結論から言うと、4人の遺体はすでに病院になく、警察に安置されているとのこと。
 頼もしいことに、森の支局長と、函館の若手記者が応援に来てくれるとのこと。
 若手記者には、警察に行ってもらい遺族が来たら話を聞くように言っておいた。つらい仕事だが、私が初めてわかったことは、この種のことは、だれかに命令されるか、他社の記者がやっているのについていくかでもしなければ、とてもできないということである。だから、わるいけどやってもらうしかない。
 亡くなった18歳と15歳の兄弟の父親は気丈な人で、報道陣の問いにもしっかり答えてくれていた。しかし、切ないなあ。
 関連原稿は、全道版、地方版とも函館報道部がまとめるということなので、3人でバコバコとパソコンのキーをたたいて情報を送った。関係者が八雲以外なので、顔写真集めといういやーな仕事をしなくて済むのが不幸中の幸いである。
 家人が3人分のカレーライスをこしらえて支局まで運ぶ。ありがたい。デザートのメロンつき。
 ひと段落して森支局長が帰還。若手記者にも、警察に顔を出した後、函館に帰ってもらった。
 本記を、早版と遅版で書き分けるなどしていたので、結局午前1時過ぎまで支局にいた。
 それに先立つ午後10時ごろ、長万部豊津の国道5号でダンプと軽自動車の玉突き事故があり、現場へ走るが、幸い軽い人身事故で済む。つかれたあ。
 国道5号は交通量が多いので、昔から交通事故は多い。しかし交通安全運動のベテランYさんも、八雲で4人も死んだ交通事故の記憶はないと言う。大変なことがおきてしまったのだと、あらためて思う。
 11234歩。

8月4日(水) 快晴
 いつものように6時分に起床。さすがに、あまり仕事をしたくない。長万部の取材予定は、電話を入れて延期してもらう。
 前日の4人死亡事故を受けて、午後、八雲署で緊急の総決起大会。続いて事故現場で、警察署、開発建設部などによる点検。この手のことには、他社の記者はまず来ないのだが、さすがに大事故の後なので、函館新聞やNHKなどが来て取材していた。
 5755歩。

8月5日(木)曇り時々雨
 八雲支局の担当範囲は、八雲町と長万部町だけだが、現在八雲町が桧山の熊石町と、長万部が後志の黒松内町と、それぞれ合併協議を進めている。
 道内で、支庁をまたぐ合併協議は二件しかないが、その二件ともが、わが支局の管轄内の話なのだ。
 それでも、渡島と桧山は天気予報などでも常にワンセットで、あまり別の地方というイメージがないのだが、合併後は後志になるという方針を町長が打ち出している長万部では、不安の声がないわけでない。
 この日は保育所の着工安全祈願祭を取材した後、長万部の議会特別委員会を傍聴。町議はいろいろな論拠で合併に対して質問するが、どうも加藤町長にかわされているというか、町長の議論のほうが一枚上手のような印象がある。
 昼は、道新杯ゲートボール大会をのぞく。道新杯とはいえ、運営は地元の協会に丸投げで、私の仕事は、短い記事を書いて写真を撮ることくらいである。
 夜、八雲総合病院で、リハビリ推進会議の設立総会を取材していたら、ケータイが鳴って本社のデスクから
「今日組みの『地域から』、八雲が当たってるんだけど」。
ダチョウ倶楽部じゃないけど「聞いてないよー」。
 全道版の第四社会面のコラムである。聞いてないけれど、そのうち書こうと思っていた話題があったので、支局へ戻って超スピードで執筆した。30分ぐらいか。
 ネットが普及すれば全国どこでも仕事ができる、というのがいかに大嘘かという話。山間部では、まだISDNすら使えない地域があるのだ。
 5556歩。

8月6日(金)晴れ
 広島原爆忌。
 広島市長は護憲を訴えていたが、さすがに読売新聞の記事には、その部分がまったくない。
 新聞の主張はいろいろあって当然だが、こういうのはどうかと思う。

 昼間は「道南リポート」の執筆が中心。
 午後、町内の国道沿いで、大型検問。後で聞いた話だと、道警本部長も来ていたらしい。
 帰ってくると、玄関に大量の書き置き。私の不在時を狙ってきているとも思えないのだが。
 それにしても30度の炎天下で、黄色い旗を持たされた関連団体、町職員の皆様、お疲れさまです。
 夕方、私の何代か前の支局長がふらりと顔を出す。夜、商工会婦人部のビアパーティーに行ったら、支局長が、マチの人々と旧交をあたためていた。2次会は「嵯峨」。ジャズ喫茶にカラオケがあるとは。
 歩数不明。

8月7日(土)曇り
 さんざん飲んだ翌日が休みならいいのだけど、午後から取材3件。
 1件目は、手づくりみこしの作者が床屋さんなので、ついでに散髪してもらう。父親と同じ年だ。平日は自衛隊の理容店にいる人のせいか、やたらと短く刈る。でも暑いから、これくらいでちょうどいいと思う。
 国道から望むだけだった、黒岩名物の奇岩にも立ち寄ってみるが、ペットボトルなど漂着物が多い。どうも遠くから見ているほうが美しい風景である。
 夜はもう原稿を書く元気がなく、テレビでサッカーのアジアカップを見ていた。日本が3対1で勝って連覇を果たした。
 今回の応援騒ぎについては、いつもはやたらと北京に甘い朝日新聞もふくめ、いかがなものかという論調が圧倒的である。
 8565歩。

8月8日(日)曇り時々晴れ
 休刊日。
 さすがにくたびれてきているが、家族を連れて牧場まつりへ。駅前から無料送迎バスに乗る。
 どこまでが遊びでどこまでが仕事なんだかわからない展開になってきた。
 地場産の肉の当日券を買い求めようとすると、渡されたのは「券」ではなく肉の実物。昼まで肉を持ち歩くわけにもいかないので、さっそく炭火で食う。うまい。火おこしなどは、ボランティアのおじさんがやってくれるので、とてもラクであった。噴火湾を一望できる高原の牧場でステーキを食べるなんて、すばらしい贅沢だと思う。
 夕方居眠り。かなり早く眠る。
 6018歩。

8月9日(月)晴れ
 長崎原爆忌。
 2日ぶんの原稿執筆に追われる。
 駐在所に取材。道警本部から表彰された57歳の巡査部長はとつとつとしゃべる人だった。
 6666歩。

8月10日(火)快晴
 暑い日が続くが、朝晩は涼しくなってきた。
 合併協議、ミネラルウォーター、町長室…。一気に5つも6つも取材すると、頭が混乱してくる。
 とりあえず八雲と熊石の合併後は渡島支庁に帰属することになりそう。檜山が南北で分断されてしまうが、わりとすんなり決まってしまう。
 夕方、写真家のAさんがわざわざ立ち寄ってくださり、東川の記録などを置いていく。どうも!
 夜も合併協議にともなう住民懇談会。担当者と軽く1杯。
 深夜、ふと夜空を見上げると、はくちょう座のあたりに天の川がうっすらと見える。駅前で天の川が見えるなんて! さそり座までの間にはいくつもの散開星団があるのだが、あらかた名前はわすれてしまった。
 東の方に、流れ星。ペルセウス座流星群だ。
 6090歩。

8月11日(水) 曇りときどき晴れ
 9日夜から長万部では飯生(いいなり)神社例大祭が行われており、この日はみこしを漁船に載せて海に出る「海上渡御」。
 時間通りに漁港へ行ったのだが、祝詞を読んだり獅子舞をやったりしているうちに1時間以上が過ぎている。ずいぶんとスローライフなのだ。
 でも、これまで道新ではこの行事がほとんど記事になっていない。来年は漁船に乗せてもらい、お神酒を海に注ぐところを写真に撮りたいと思う。
 労働意欲少しずつ低下。夜は、ようやくこのサイトのすけじゅーる表の更新に着手する。いただいた案内状やメールのうち、もう終わっているものがいくつか。愕然。関係者のみなさま、申し訳ございません。
 それにしても、もうすこし時間ができるのはいつのことだろう。
 4554歩。

8月12日(木) 曇り朝のうち一時雨
 たまったインタビュー、原稿書きなどなど。雑務はやってもやっても減らない。
 一気に日記をアップする。
 アテネで日本が女子サッカー、初戦で強豪スウェーデンを下す。

 


 7月26日(月)

 更新が半月以上滞ったままです。
 とりあえず、スケジュール表と、表紙「TOPICS」の更新をしないと、情報が陳腐化してしまう(すでにダイレクトメールをもらっておきながら、まにあわなかった展覧会があります)ので、そこだけ更新しておきました。
 八雲日記はまた後日のお楽しみ、ということで…。


 7月11日(日)

 10、11日と、札幌に出て、「絵画の場合」展アーティストトークに出席。
 ちらしを見て、3日のパネルディスカッションに筆者が出る(あるいは、出た)と思っていらっしゃる人がいるようだが、当日は八雲最大のイベントのひとつにして北海道三大あんどん祭りのひとつ(←だれが決めたんだろう)「山車行列」のため、それどころでなかったのだ。
 この展覧会については、会期中にアップしたい(とは思っている)。
 ほかに札幌で見たい展覧会もあったが、時間がなくパス。ごめんなさい。

 10日は、朝6時過ぎに出る「北斗星1号」に乗って札幌へ行くつもりだったが、プラットフォームで待っていると

ただいま本州方面の大雨のため列車は約3時間遅れで運転しております。

というアナウンス。
 しかたがないので、つぎの「スーパー北斗1号」に乗った。
 それにしても朝6時の八雲駅はまだ駅員が出てきておらず、無人駅状態なのだが、どういう仕組みで放送がながれたんだろう。
 スーパー北斗1号は、すでに指定席が満席。筆者はようやく自由席にありついたが、伊達紋別あたりから通路に立っている人があふれる混雑だった。

 ところで、11日朝、八雲に戻るため、札幌駅に行くと、場内放送があり、大阪から来る寝台特急「トワイライトエクスプレス」が、東北地方の大雨で5時間遅れとのこと。
 そんなに雨がひどいんだろうか。

 きょうは参院選。
 昼間はじつは新聞社は意外と忙しくない。ただし、夜は戦場である。


 7月9日(金)

 取り急ぎ、topicsを訂正しておきます。
 絵画の場合のアーティストトークはあす10日です。
 みなさんのご来場をお待ちしております。

 7月7日(水)

 6月に予告したとおり、筆者は、八雲支局に異動となりました。

 支局の回線はLANで、速いことは速いのですが、ネット閲覧、メール送受信、掲示板への書き込みなどはできても、ウェブサイトのアップはできません。
 ダイアルアップでやるのも大変だと思っていたところ、支局から車で3分ほどの「はぴあ八雲」(商工会事務所)がフリースポットになっていることを知りました。
 そこで、これから出かけて、はたして更新ができるのかどうか、試してみたいと思います。


 北海道新聞八雲支局の管轄は、渡島管内八雲町と長万部町の2町。
 支局長という肩書で、はっきり言ってヤナイには似合っていない。
 ただし、支局員はいない。通信員など、いろいろ手伝ってくれる人はいるが、基本的に、社員は筆者ひとりである。
 支局が1階で、2階が住居である。
 まあ、駐在所みたいなもんである。

 ところで、八雲がどこにあるか、道内でも知らない人が少なからずいるのにはおどろいている。
 むしろ長万部のほうが知名度が高い。
 そもそも、町名をまちがっておぼえている人がいる。
 「やぐも」ではない。
 それでは、ごまそば屋になってしまう。
 「やくも」である。
 八雲は長万部の南となり。森町と長万部の間である。
 長万部が人口7000人台なのに対し、八雲は17000人。
 道南の北部ではいちばん大きい町なのだ。
 いうまでもなく道南では函館が約30万人で、他を圧倒しているが、つぎが函館のベッドタウンである上磯と七飯であり、八雲は道南第四の都市なのである。
 ホーマックやスーパーマーケットなども複数あり、生活の便は良い。
 休日ともなると、今金や熊石など、近隣の町からも買い物に訪れる人が多いそうだ。
 しかし、自然は豊かで、街中を流れる遊楽部(ゆうらっぷ)川には、秋になると鮭がどしどし上り、郊外には牧場が広がっている。
 八雲と長万部は、夏が涼しいため、八雲南部の落部地区以外は、稲作があまり行われていない。
 道南ということばから、人は、古い歴史とかニシン漁とかを思い出すようだが、ぱっと見た感じでは、ここらへんは道東のほうにむしろ似ているようなところもある。
 酪農が中心なので、函館や江差、松前などとは、風景がかなり違う。
 そのくせ冬は雪が降る。
 夏は太平洋岸気候、冬は日本海側気候なのである。
 ところで、どうして赴任1週間もたたない筆者が、冬の天気について知っているのか。
 それは、筆者は、大学時代、親が転勤で八雲に住んでいたため、八雲が帰省先だった年代があったのである。八雲にはもとから縁のある人間なのである。
 この2町くらい豊かな自然と、住みやすさの両立した町は、道内でもそれほどたくさんあるわけではないだろう。
 だが、観光ガイドなどを見ると、道南の本にはだいたい函館と大沼、せいぜい奥尻ぐらいの情報しか掲載されていない。
 八雲にも長万部にも温泉があり、周遊には事欠かないと思う。というわけで、遊びにいらっしゃる際は、どうぞご一報ください。

 とりあえずのリンク…□八雲町役場
□やくも観光ステーション
□長万部町 

 
 なお、今月から「つれづれ日録」の更新日に時間を記入するのをやめます。
 基本的に、朝から晩までの仕事になったためです。