レトロな町並み60−山形

 山形県の県庁所在地である山形市は、人口約25万人、最上氏の城下町として発展した歴史ある都市です。最上氏の時代には東北最大の都市として商人の町としても栄えたと言われています。太平洋戦争の空襲被害を受けなかった数少ない県庁所在地都市の1つであり、明治・大正・昭和初期等の昔ながらの建物が多く残っています。

  山形城・霞城公園 旧済生館本館(山形市郷土館)  最上義光歴史館 吉池医院 
文翔館 旧山形師範学校本館(教育資料館) 山形まなび館  

【山形城・霞城公園】
 山形城は、江戸城、姫路城に匹敵する全国で有数の広さを持つ平城であったと言われ、敵陣から霞で城郭が見えなかったことから、別名「霞ケ城」とも呼ばれたようです。市街地のほぼ中央に位置し、山形城跡は霞城公園として整備されています。

【旧済生館本館(山形市郷土館)】
 明治11年(1878年)に山形県公立病院として現在の七日町に建設され、国の重要文化財に指定された後、当時の姿に復元されて霞城公園へ移築されたと言われています。明治初期の擬洋風建築として知られ、現在は「山形市郷土館」として、1〜2階を一般公開し、郷土史・医学関係資料を展示しています。

【最上義光歴史館】
 山形城二ノ丸東大手門前にあり、山形発展の基礎をつくった最上氏の資料を展示しています。

【文翔館(旧県庁舎及び県会議事堂)】
 大正5年(1916年)に建てられたルネッサンス様式の煉瓦造の建築物で、国重要文化財に指定されています。現在は県の郷土資料館として一般公開され、県政や県議会、近代山形の歩みを紹介しています。

【旧山形師範学校本館(教育資料館)】
 明治34年(1901年)に建てられた、ルネッサンス様式を基調とした木造棧瓦葺き2階建ての建物で、敷地内にある正門、門衛所ともに国の重要文化財に指定されています。現在は教育資料館として一般公開されています。

【七日町御殿堰】
 馬見ヶ崎川が大雨のたびに氾濫したことから、城の濠の水源、城下町の生活用水、農村への農業用水の確保のため。川の上流に堰をつくり、水路を町の中に整備したのが、「山形五堰」と言われています。その1つである御殿堰は、城の濠の水源確保を目的としていましたが、その後、生活用水、産業用水として活用されてきたと言われています。平成22年(2010年)に改修復原されています。

【山形市立第一小学校旧校舎(山形まなび館)】
 県内初の鉄筋コンクリート造の校舎として昭和2年(1927年)に建てられ、国の登録有形文化財に指定されています。現在は「山形まなび館」として一般公開されています。

【その他市内の古い町並み】
 大正元年(1912年)に建てられ、今も現役で使用されている十日町の
吉池医院や七日町二郵便局、非公開の旧西村写真館等、山形市内には昔ながらの建造物が数多く残っています。

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