レトロな町並み40−稚内


稚内市は、日本最北の市で、江戸時代の初めに松前藩が宗谷場所を開設した 後、漁業の街として発展し、日露戦争後には樺太(サハリ ン)航路が開設され、大正時代には鉄道建設も行われ、旭川以北最大の都市となったと言われています。

宗谷岬 宗谷岬の
間宮林蔵像
宗谷岬から
見える樺太
大岬旧海軍望楼跡
宗谷丘陵 ノシャップ岬(左写真奥に利尻富士) 氷雪の門
百年記念塔 夜の稚内港 夜の北防波堤 日の出の北防波堤 北防波堤
稚内公園から見た
北防波堤
宗谷本線からの
利尻富士
稚内駅と百年記念塔 稚内駅とスーパー宗谷

【宗谷岬】

 稚内駅から車で約35分、日本最北端の
宗谷岬には、日本最北端の地の碑や、この近くから樺太に渡った間宮林蔵の像日本最北端の灯台( 宗谷岬灯台 )大岬旧海軍望楼跡等、様々な史跡があります。宗谷岬を見下ろす高台にある、大岬旧海軍望楼跡は旧帝国海軍が1902年(明治35年)に海上監視を目的として建設したもので、稚内市内で唯一現存する明治時代の建築物と言われています。また、宗谷岬の南の宗谷丘陵の一帯は、宗谷牧場や風力発電の風車があり、のどかな風景になっています。訪れた日は晴天で、樺太をはっきりと望むことができました。

【ノシャップ岬】
 稚内駅から車で10分の
ノシャップ岬には、稚内灯台ノシャップ寒流水族館等があります。やはり訪れた日は晴天で、利尻島の利尻富士や、礼文島を望むことができました。

【稚内公園】
 稚内市内を望む山の上にある、
稚内公園一帯には、氷雪の門稚内市開基百年記念塔等があります。

 
氷雪の門は、かつて日本領土だった樺太で亡くなった日本人のための慰霊碑で、1963年に樺太島民慰霊碑として、地元の樺太関係者の手で建てられたと言われています。また、近くには、1945年8月20日に旧ソ連軍の進攻により、樺太の真岡町の真岡郵便電信局で自決した9人の電話交換手の慰霊碑である、九人の乙女の像 があります。1968年9月に昭和天皇と香淳皇后が稚 内市を訪問され、氷雪の門九人の乙女の像の前で深く頭を垂れ、詠まれた歌碑も近くにあります。

 
稚内市開基百年記念塔・北方記念館は1978年に、稚内市開基100周年を記念し建てられたと言われています。海抜170メートルの丘に、地上80メートルの高さの鉄筋コンクリート造の塔があります。エレベーターで上がった展望台からは、稚内市内や利尻富士樺太宗谷岬ノシャップ岬等、360度の眺望を楽しむことができました。1階と2階には、北方記念館が併設され、稚内市や樺太に関連した歴史資料等があります。

【北防波堤】
 稚内駅から徒歩すぐの
北防波堤は、稚内港の防波堤、また稚内桟橋から駅までの乗り換え通路として、1931年(昭和6年)から5年間かけて建設されたと言われています。かつては、稚内駅から桟橋まで線路が引かれていて、そこから樺太まで、稚泊連絡船が運航していました。
ドーム状の形態をとっており、古代ギリシア建築のような70本のエンタシス状の柱列群が印象的です。1981年(昭和56年)に改修されており、北海道遺産に指定されています。

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