レトロな町並み69/レトロな食事処21−小田原
神奈川県の西部に位置する小田原市は、戦国時代には北条氏の城下町、江戸時代には小田原藩の城下町、東海道小田原宿の宿場町として栄えた、人口20万人弱の都市です。明治初期には現在の神奈川県西部と静岡県伊豆半島を範囲とする足柄県の県庁所在地になったこともあります。
小田原市の中心部にある老舗のだるま料理店を訪ねました。
【だるま料理店】
老舗のだるま料理店を訪ねました。緊急事態宣言期間にも関わらず、11時の開店10分前には既に10人位の行列ができており、開店間もなく店内は満員になりました。
明治26年(1893年)創業のだるま料理店は、唐破風の屋根、重厚な木造建築の建物です。現在の建物は、関東大震災の後に建て替えられたも小田原の代表的な歴史建造物として、国の登録有形文化財に指定されています。
海鮮丼や寿司、天丼セット、刺身定食等、小田原の海の幸を使用した料理がありますが、寿司と天ぷらのセットを美味しくいただきました。
【中央労働金庫小田原支店】
だるま料理店に近い重厚な洋風建築の建物は、昭和3年(1928年)竣工と言われています。
【小田原城】
小田原城の前身は15世紀の中頃に造られたと言われています。その後15世紀末、北条早雲拠点を構え、以後北条氏の5代約100年にわたる拠点としてって小田原城が整備拡張されたと言われています。北条氏滅亡後、大久保氏の居城となった後、明治初期に廃城となりましたが、昭和35年(1960年)に天守閣が復興されました。
【小田原宿なりわい交流館】
昭和7年(1932)に大正時代の建物を再建した旧綱問屋は、現在小田原宿なりわい交流館として開放されています。旧東海道沿い、だるま料理店の少し先にあります。
【清閑亭】
小田原城と報徳二宮神社に近い清閑亭は、黒田官兵衛の直系と言われる黒田長成の別邸です。小田原は、明治時代には保養地として知られ、要人達が別荘を構えるようになりました。
【報徳二宮神社】
小田原城に隣接する報徳二宮神社は、二宮金次郎を祀る神社です。勤勉の手本として有名な二宮金次郎は、小田原生まれ小田原育ちと言われています。
【北条氏政・氏照墓所】
小田原駅東口からすぐの、おしゃれ横丁の奥に北条氏4代北条氏政とその弟氏照の墓所があります。1590年豊臣秀吉が小田原を攻略した際に氏政と氏照は自刃したと言われています。
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