レトロな町並み57・食事処15−銀座・築地
[2021年1月更新]
新型コロナ第3波拡大前、2020年10月に訪問した際の記録になります。事態の収束を心から願っております。
【ビヤホールライオン銀座七丁目店】
ビヤホールライオン | 和光本店 |
銀座の中央通り沿い、GINZA SIXから新橋方向へ少し歩いた場所にビヤホールライオン銀座七丁目店があります。一見普通の雑居ビルに見えますが、1934年(昭和9年)に大日本麦酒(株)の本社ビルとして新築され、戦災を免れた昔ながらの建物です。当時から1階がビヤホールとして営業していました。
中央通りに面した、1階の玄関を入るといきなり、昭和初期そのままの異次元空間に入ります。わが国で初めてすべて日本人が制作したと言われる、ガラスモザイクを使った正面大壁画には、ビール麦の収穫に働く婦人たちが描かれています。この風情満点のビヤホールで美味しい生ビールとウインナー盛り合わせ、ステーキ盛り合わせ等を味わいました。Withコロナの感染防止策を取りながらのGOTOイートではありますが、土曜日の夕方早い時間帯にも関わらず、ホール内は結構混雑しており、多数の人たちが賑やかにビールや料理を楽しんでいました。
このビルの2階から5階も銀座ライオンのレストランや居酒屋が入っており、6階のクラシックホールは、往年のままのレトロな雰囲気の貸切ホールとなっています。銀座中央通り沿いの銀座中心部にありながら、空襲を免れたこのビヤホールの長い歴史に思いを馳せ、同じく昔ながらで残る和光のライトアップを見ながら帰路に着きました。
[2020年4月更新]
【浜離宮恩賜庭園】
都営地下鉄大江戸線の築地市場から徒歩すぐ、築地や汐留、新橋からも徒歩圏内の海岸にある、江戸時代の代表的な大名庭園です。
将軍家の鷹狩場で、一面の芦原だった場所に、六代将軍、徳川家宣の別邸が建てられ、浜御殿と名付けられたと言われています。その後改修、造園工事が行われ、十一代将軍、徳川家斉の時代に現在の姿になったと言われています。明治維新の後は皇室の離宮となり、関東大震災や戦災の後、整備されて有料公開されています。潮入の池と二つの鴨場、複数の御茶屋があり、都心のオアシスになっています。
和光本店(銀座4丁目) | 歌舞伎座 | 築地本願寺 | ||||||
築地市場(場内) | 築地市場(場外) |
歴史ある銀座と築地界隈を訪れました。銀座と築地は徒歩圏内にあり、銀座4丁目交差点、歌舞伎座、築地本願寺、築地市場と晴海通り沿いを散策しました。その翌週に築地場外市場の火災が発生したようです。多くの訪問客で賑わっていたエリアであり、大変残念です。心からお見舞い申しあげます。
銀座は、江戸時代に設立された銀貨幣の鋳造所が、17世紀初めに駿府から江戸に移され、通称、銀座と呼ばれるようになったと言われています。日本橋と並び、江戸時代から賑やかな街として栄え、大正時代から昭和初期にかけて、松坂屋、松屋、三越等のデパートが進出し、日本を代表する賑やかな街として発展してきました。
【和光本館】
銀座の中心、銀座4丁目交差点の一角にある、銀座のランドマークとして知られる和光本館は、1881年(明治14年)に服部時計店(現:セイコーホールディングス)として創業し、1894年(明治27年)に初代時計塔が建てられ、現在の2代目時計塔は1932年(昭和7年)に建てられたと言われています。重厚なネオ・ルネサンス様式の建物は、経済産業省により「近代化産業遺産」に登録されています。
【歌舞伎座】
1889年(明治22年)に設立された歌舞伎座は、その後の改築を経て、2013年(平成25年)に現在の5代目歌舞伎座が竣工したと言われています。
【築地市場】
場外市場の中心にある、1889年(明治22年)創業の老舗「築地寿司清・築地本店」で、美味しいおまかせ寿司をいただきました。とても新鮮な素材と美味しいしゃり、お店のスタフの気配り等、老舗の味に大満足しました。このあたりは多数の寿司店、海鮮丼の店が立ち並んでいて、とても賑やかです。
【築地本願寺】
築地本願寺は、浄土真宗本願寺派の寺院で、京都の西本願寺の直轄寺院と言われて言われています。現在の本堂は1934年(昭和9年)竣工と言われています。築地場外市場のすぐ近くにあります。