十勝日誌 2002夏  

(文中敬称略)

デメーテル 2
デメーテルその1
小林満枝 日本画の世界 ▼第2回しかおいウィンドウ・アート展 ▼とかち環境アート
池田緑展 ▼とかち広域美術展
 カサグランデ&リンターラ「ダラス−カレワラ」
 ヘルシンキ在住で、現代美術にも取り組む建築家のユニット。
 北海道での美術展に参加するので、なんと四輪駆動車でフィンランドからシベリアを約一ヶ月かけて横断。厩舎の各房に、その旅の途中で収集したお土産や、そこに住む人カサグランデ&リンターラが乗ってきた四輪駆動車々のポラロイド写真、斧などを配した、どこか文化人類学的な視点をもつインスタレーションだ。
 それぞれの地点の地図が附されていたのは当然としても、各地点で録音したラジオ放送がながされていたのが、おもしろかった。そういえば、ヴィム・ヴェンダースの映画でも、欧州大陸内の移動を表現するのに、カーラジオの音声を利用していたことがあったっけ。
 ちなみに、北海道上陸後のブースでは、ラジカセから、エリック・カルメンの「All By MYself」が流れていました。たまたまなんだろうけど。

 川俣正「不在の競馬場」
 
世界各国でプロジェクトを進め、いまや日本を代表する現代美術作家として活躍する川俣だが、三笠出身というわりには、じつは意外にも、道内で作品発表らしいことはほとんどおこなっていない。たぶん、83年のテトラハウスのプロジェクト(札幌)が最後だとおもう。
 今回は、ばんえい競馬がおこなわれていない時期の競馬場という会場の特性から、作品を発想したようだ。デメーテル会期中は、不在の馬たち。川俣のおもしろいところは
「不在の馬を組み立てるためにも実在の『デメーテル号』をつくらなければならない」
といって、馬主に掛け合い、デメーテルという名をじっさいのばんえい競馬で走る馬につけさせ川俣正の設営した木の道てもらったことだ。
 また、不在を象徴する存在として、木馬を作り、さらに会場内に木のトラックを設営してそこで木馬競馬を行うことにしたのだ。
 もっとも、会場を訪れた人の多くは、この木の道を、ただ厩舎と厩舎をむすぶ鋪道のようなものだとしか意識しなかった可能性はある。
 ふだんは、都市空間を異化したり、その土地の歴史みたいなものを考えさせる触媒としてつよくはたらくことの多い川俣作品だが、今回に限っていえば、サイトスペシフィックという条件にとらわれすぎ、表層をなでたという印象がないでもない。「川俣作品」のわりには、見る者にひろい思考をうながさないのだ。

 蔡国強「帯広のためのプロジェクト 天空にあるUFO展覧会直前の蔡国強作品と社」
 
これは展覧会スタート時点のタイトルだった。いまはどうなっているんだろう。
 世界各地の美術展にひっぱりだこの美術家だが、作品には大量の火薬を使ったりするので、まず当初の予定どおりいかないことが多いようだ。
 ただ、彼のすごいところは、ただではめげず、どんどん柔軟に作品プランを変更していくこと。当初は、空中にUFOを揚げる予定だったが、デメーテル開幕直前に北海道を襲った颱風のため断念を余儀なくされた(上の写真は、颱風の直撃に耐える作品)。
 それでも、予定どおり8月11日には、火薬を使ったイベントをおこなった。これもじつは、住宅地のなかの会場のため、許可がなかなかおりなかったらしい。
火薬で汚れた蔡国強作品 で、作品がどうなったかというと、火薬の爆発のため、あちこちに穴があいて、黒ずみ、しぼんで地面に横たわっていた。筆者が会場を訪れたとき、黙々と排水溝を掘っていたスタッフがいたので、聞いてみると、下旬をめどに修復して、ふたたび空気を入れて膨らませる予定だという。
 あんがい、この不屈のプロセスが、蔡国強アートの魅力なのかもしれない。

 岩井成明「雪のウポポ」
 真っ暗な厩舎のなかにミラーボールの光の雪がおどり、雪について十勝の人々が話した言葉を同時多発的に流した、光と声のインスタレーション。
 こういう作品は、「準ジモティー(=地元民)」としては、評価がむつかしい。
 (どうして「準」かというと、おなじ北海道でも、札幌と十勝では、風土にそうとうな違いがあるからです)
 作者が、「この地で制作、発表されるのにふさわしい作品」という課題に、真剣にとりくんだのがわかるのは、とてもうれしい。ただ、これは、作者や、遠くから見に来た人にとっては意味のある作品だとしても、北海道の人間にとっては、どうなんだろう。
 ミラーボールの雪は、うつくしさではホンモノの雪にはぜったいかなわない。
 「雪のいやな部分」に着目したのは、作者がステレオタイプなロマン主義的見方と訣別している証左だからいいとしても、その答えは、わざわざ美術作品に教えてもらうまでもないことだ。
 「あしたの雪の予想」なんて、北海道の人が言うのだろうか。多くの人が「あしたの雪の予報は」と言い間違い、「予想は」と言い直していた。
 だから岩井の作品はだめなんだ、などとはもちろん筆者は言わない。北海道の人間しか北海道を本当に理解した作品をつくれないという発想のほうがよほど傲慢で唾棄すべきものだ。むしろ、深い対話というものは、そういう齟齬とか違和感のなかからしか、おそらく生まれないのだとおもう。
 …などとえらそうなことを書いたけど、筆者は時間の都合で、もうひとつの作品「耳と耳の間」を見ていません。ごめんなさい。
 これは、緑ヶ丘公園で、日没後に見られるそうです。

 nIALL「nIALL Project_帯広/ワンダーランドスケープ、ニアルカフェ、青空クリック、SEEKING-terrior、ピンナップ・シティ等」
 ニアルは、アーティストの中村政人、建築家の岸健太、メディアアーティストの田中陽明の3人が、デメーテルを機に結成したグループ。不確定要素「n」と主体「I」、総関網「ALL」からなる造語。
 ながいタイトルがついているが、会場に仮想の住宅展示場を作ってみたら、という壮大な作品。もちろん「仮想」だから、大半の区劃には低い仕切りと、建物の予想位置をしめす白い布があるだけだし、半分くらいしか完成していない家があったりする。
 それにしても、さすが十勝。それぞれの区劃がやたらと広い。たしかに帯広にも「郊外の住宅地」はありますが、それは首都圏のそれとは微妙にちがうような気がしないでもない。
 ところで、±0cafeなどでおなじみの「マイちゃん」こと白戸麻衣が、この仮想の町に住み着き(というか、デメーテルのために札幌から帯広に転居した由)お手前プロジェクトを展開中と聞いていたのだが、筆者がおとずれたときにはいなかった。ざんねん。
*  *  *
 ところで、どうして国際現代美術展などという、正直なところ十勝の人々にはあまりなじみのなさそうな催しをやることになったのだろう。
 そもそものきっかけは、帯広商工会議所の友好交流提携先が、ドイツのカッセルの会議所だったことによる。
 公式パンフレットに附された関連年表を見て、ちょっとおどろいたのは、提携から3年がすぎてメンバーがカッセルをおとずれるまで、帯広側が「ドクメンタ」の存在を知らなかったということだ。それは言うなれば、モーツァルトの生地であることを知らずにザルツブルクへ行くようなものではないのだろうか。デメーテル会場の入口
 でも、思い直した。びっくりするのはやめよう。たしかに「ドクメンタ」は、世界でもっとも注目されている現代美術の祭典だが、一般の人々にとって現代美術の知名度とはその程度のものなのだ、と。
 ただ、ふしぎなことがある。じぶんたちが「ドクメンタ」のことを知らなかったという事実を裏返してみれば、現代美術というものの一般にたいする知名度、アピール度の低さということは、じゅうぶん分かりそうなものだが、にもかかわらずたくさんの人が国内外から見にやってくるだろうと、一部の人が思い込んだことだ。
 もちろん、筆者は、動員数が多ければいい展覧会である、などと言っているのではない。
 たんに海外のコレクションを持ってきたり、どこかの展覧会をそのまま借りてきたのではなく、十勝らしさのある自前の美術展を、一から作り上げたことの意義は、何度強調してもしすぎることはない。
 ただ、この展覧会はオール十勝といってもよい体制で始められており、帯広市の予算や、企業の協賛金がつぎ込まれている。展覧会の終了後
「多額の赤字は残ったけど、いい展覧会でよかったね。またやりましょう」
ということになれば、それはそれでおおいに結構だが、この経済情勢で、はたしてそうなるかどうか。
「こんなわけのわからないものにお金を使って」
ということになりはしないのだろうか。
 「ドクメンタ」だって、けっして最初から世界的な展覧会だったわけではないはずだ。帯広を「東洋のカッセル」にするためには、息の長い取り組みが必要になるだろう。そのあたりを、十勝のみなさんが理解していればよいのだが。

 なお、会場で会ったスタッフやボランティアのみなさんは、とても気持ちの良い方ばかりでした! どうもありがとう。

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