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展覧会の紹介
矢元政行展 | 2003年6月1−29日 ギャラリーどらーる (中央区北4西17、HOTEL DORAL) |
矢元さんは1953年、伊達生まれ。道教大旭川分校の卒業。いまは登別の在住で、行動展と全道展の会員。 88年に安井賞展に出品しているほか、昨年の安田火災(損保ジャパン)美術財団奨励賞で最高賞を得るなど、いまの道内を代表する画家のひとりと目されている。 グループ展や全道展では目にする矢元さんの絵だが、個展はひさしぶりだと思う。矢元さんの画風だと、1点完成させるのにかなりの時間を要することが、個展の間隔をあけている遠因かもしれない。 お世辞にも混雑しているとはいいがたい行動展の会場で、矢元さんの絵の前に人だかりができているのを、筆者は何度か見たことがある。 それほど、一般の人にもインパクトのつよい絵だといえると思う。 ご覧になったことのない方は、ギャラリーのサイトで見ることができるので、ぜひ上のリンクから飛んでください。 筆者は90年代以降の絵しか知らないが、近年の絵は、おびただしい男女が、あちこちから蒸気を噴出する奇妙な建造物の周囲でたむろしているというものが多い。 おびただしい、というけれど、これがはんぱな数ではない。 32×162センチという変形キャンバスの「生き物たち U」に、筆者が勘定したところでは、およそ230人がえがかれている。この計算でいくと、S100号の「回旋塔 T」には1100人を超す人間がかきいれられていることになる。ほとんど、油彩の限界に挑戦しているような細かさである。 これらの絵については、空知管内沼田町の久保元宏さんのサイト「共犯新聞」の「日記帳」にくわしく批評されているので、そちらをごらんください。 おなじ文章は、ギャラリーどらーるのサイトの掲示板にも出ています。 …で終わるのもひとつの手なのだが、さすがにそういうわけにもいかないので(なお、この文中で漫画うんぬんの説がのべられているが、これには疑問がある。いわゆる漫画の、戦後発展した社会的・経済的な面と、江戸期あるいはそれ以前からつづく造型的な面とを混同していまいか)、若干の追記をしておきたい。 「彼の絵の中で、だれも目と目を合わせている人物がいない」 という指摘は事実である。 ただし、していないのは 「目と目を合わせている」 ことにかぎらない。 わたしたちが日常していることの大半は、していないのだ。 だれも、働いたり、道具をつかってあそんだり、あるいたり、食事をしたり、ねむったり、セックスしたり(まあ、これはふつう絵にかかないでしょうが)、化粧したり、本を読んだりといったことをしていない。 矢元さんの絵を語るとき、ブリューゲルが引き合いに出されることがよくあるけれど、ブリューゲルの絵では、登場人物の多くが、結婚式でさわいだり農作業をしている。矢元さんの絵は、全裸や半裸の登場人物が多いことも含め、およそブリューゲルより日常からかけ離れた世界を描いているといえる。 ただ、ここでもうひとヒネリしたことを述べておくならば、じつは現代の絵画に登場する人物のかなりの多くは、矢元さんの作品に限らず、だれもなにもしていないのである。ほとんどの人物は、ポーズをつけて立っているか坐っているかである。あるいは裸婦だったりするが、人前で裸身をさらすというのは、よく考えると、美術の世界以外にはほとんどありえない異様な光景だといえる。 たまに、サッカーをしている人たちとか、レストランで食事をしている光景とかが油絵になっていると、かえって妙な感じがするのは、そのためである。 で、日常的なことをしていない矢元さんの絵の登場人物だが、なにをしているのかというと、ぼーっと突っ立っている人物が多いようだ。 へんてこな建物や巨大生物の周りをめぐっているパイプにまたがったり、レールの上を走るトロッコに乗っている人も多い。 ようするにあそんでいるのだが、ベーゴマやパチンコをしている人はいないようだ。ただ、大人も子供も、そういう行動に差はみられない。 ほかに意外と多いのが、空中にいる人物である。 ぷかぷかとうかんでいる雰囲気ではないが、さりとて、落下しているという切迫感もあまりない。 この調子で人びとが塔から下へと落下していくのであれば、地面のほうには屍骸がごろごろ転がっていなければならないであろうが、そういう事態にもなっていないようである。 このへんが、絵に非現実感をあたえているひとつの要素なのかもしれない。 だが、なにか具体的な仕事なり遊びなりをしていないから現実社会から遊離している絵だということには、けっしてならないであろう。 大人も子供も、半数は裸体で、ぼーっと立っていたりパイプにつかまったりしている、いわば無為が支配しているような世界でも、いや、だからこそ、わたしたちは、自画像を絵のなかに、自由に見ることができるのではないだろうか。そして、この奇妙で現実とまったく共通点のなさそうな世界が、わたしたちの生きている社会とおなじものであるという感慨をいだくのではないだろうか。 たとえば「生き物たち U」では、人間たちを乗せている建築物に見えるものは、5組の足と陰茎、さらには乳房や尻尾を備えた動物である。 謎だらけ、ということでは、現実の世界も、矢元さんの世界も、おなじである。 性的な事項については、先にあげた久保氏のサイトにまじめに論じてある。 以前、胸がふくらんでいて男性器をぶらさげた人間がいる−と或る画家から耳打ちされて、それ以来さがしているのだが、まだ見つけたことはない。 最後に、アップがおくれたことをおわびします。 出品作は次のとおり。 「道」(F3) 「生き物たち」「樹」「樹」(F0) 「樹」(45×75センチ) 「岩窟都市」(52×130センチ) 「塔」(F3) 「塔」(F3) 「塔」(サムホール) 「塔」(32×14センチ) 「塔」(S100) 「ウオーターパラダイス」(F3) 「生き物たち U」(32×162センチ) 「Tower」(148×162センチ変形) 「生き物たち T」(32×102センチ) 「遠い風景」(22×73センチ) 「遠い風景」(53×194センチ) 「方舟」(F50) 「回旋塔 T」(162×60センチ) 「回旋塔 U」(S100) |
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