美術書の感想を気ままにつづるページです。みなさんの参加、乱入も歓迎いたします。
小林忠「江戸浮世絵を読む」 (ちくま新書 680円)
書店に行くと、浮世絵の画集はわりあいたくさん並んでいるけれど、その時代背景を分かりやすく解説している本は、意外にもほとんどない。
というわけで、この新書は、カラー図版が1枚もないかわりに、盗作まがいの行為が横行して絵師が怒っていたとか、町人以外にも大名や外国人までが浮世絵を買い求めていたとか、さまざまなエピソードがたくさん書かれ、たのしく読める。
浮世絵を読み解くのに欠かせない「見立て」の知識、浮世絵がつくられるまでの工程、当時裕福でない町人でも買えた価格(文化文政期に細版役者絵なら1枚8文。ちなみにかけそば1杯16文) で、江戸のお土産品としても重宝されていたことなど、基礎知識も詰まっており、お得な一冊だ。
(2002年4月。5月26日記す)
草間彌生自伝「無限の網」(作品社 1600円)
下の「彫刻の投影」に比べるとこちらは屈折がほとんどない。そりゃそうだ、いま降り返って、20世紀後半の世界の現代美術シーンでもっとも成功した日本人作家なんだから。
つらい制作の日々をへて、ニューヨーク・プラダ画廊での衝撃的なデビュー。評論家からの絶賛。立体へ、そして「ハプニング」へと拡張していく作品世界。ヒッピームーブメントとのシンクロ。小気味よく成功への階段を駆け上っていく。
読んでいていちばん面白かったのは、ボックスアートの第一人者で知られるジョゼフ・コーネルとの交流だろう。彼は草間がすきだったらしく、1日に十何通もの手紙をよこし、数時間にわたって手紙を送ってきたと言う。ところが、無類のマザコンで、彼の庭で二人過ごしていると、老母が上から水をぶっかけてくる。母親は、女はすべて梅毒と淋病の巣だと信じており、息子が異性と付き合っているということが許せないのである。しかし、コーネルは、草間の方には見向きもせず、母親に謝るというのだ。でも「どう見てもホームレスとしか思えないような男と、東洋のお妃みたいに可愛らしい女の子が歩いていると」って、自分で書くな、自分で。天才は、謙遜ということをしないのである。
ほかにも、ダリや、ミニマルアートの第一人者ドナルド・ジャッド、画家のジョージア・オキーフ、彫刻家のデイビット・スミス、評論家のハーバート・リードらそうそうたる顔ぶれ。やはり、下田治とは交友の範囲からしてちがうのだなあ。
いっぽうで、没個性的で、現代美術への理解度の低い日本社会への評価はすさまじく低い。まあ、無理もないとおもうけど。
70を超えた今も「作品がじゃんじゃん作れる」というからすごい。やっぱり天才なんだろう。「時よ、待ってくれ。わたしはよい仕事がしたいのだ」。
このエネルギーを少しでも見習いたいものです。
以前の著作「すみれ強迫」など未読のため、それらと重複しているかどうかなどについては不明です。
(2002年4月。5月9日記す)
下田治・下田幸「彫刻の投影」(論創社 2300円)
帯には「モニュメンタリスト」なんて耳慣れない言葉が書いてあるけれど、著者は長らくニューヨークで活躍していた画家・彫刻家。1997年には「かみつくめす犬」で、旭川市の中原悌二郎賞も受けている。
とはいえ、彫刻家に転じるのはこの本の末尾30ページほど。70年代後半以降のこと。それ以前の抽象画家だった時代の思い出が、内容の中心だ。2000年に他界したので、奥さんの幸さんが遺稿をまとめた。
この「他界した」っていうのが、けっこう重要な点だとおもう。
というのは、筆者がもし生きていれば、こんなにストレートな感想(ようするに悪口)や、ウラの取れないうわさ話を、活字にはしないだろうな−とおもうからだ。
いわく、イサム・ノグチはケチ。オノヨーコはほとんど自分でつくったものがなく、男を乗り換えては吸収していく。草間彌生は完全に狂っていた…などなど。
正直なところ、こういう個所は読んでいてあまり後味のいいものではない。
もっとおもしろいのは、アーティスト以外の人々が登場するささやかなエピソードの数々ではないだろうか。
たとえば、鮮やかなダンスで満場の眼を釘付けにした越地吹雪。ひとりぽっちで寂しくしていた筆者を独立記念日のバーベキューに誘ってくれたアパート管理人のジョー。貧乏旅行中の筆者が偶然宿を借りた大農場の主の溝上さん。
まだ貧しく、しかし人々の間に素直で優しい感情が残っていた「古きよき米国」が、ベトナム戦争やヒッピーの時代を経て変質していくさまが語られている。こういったことは、知られているようで、わたしのような世代には、けっして自明ではない。
もうひとつ貴重な指摘がある。それは、日本人アーティストはエキゾチズムで米国に受け入れられるが、そのメッキがはげると忘れられていく−ということだ。しかし、米国人と同じ土俵で勝負しようとすると、まず日本人が評価されることはない。西洋的な表現を日本人がする必然性がないからだ…
だいたいそんなことが書いてあったとおもう。
下田治は中原悌二郎賞をもらったことからも分かるように美術の世界の落伍者ではない。だが、かといってイサム・ノグチやピカソのような世界的巨匠にはとうていなりえなかった。その落差からくる寂しさ、せつなさが、この本に陰影をあたえている。
(2002年2月。5月7日記す)
多木浩二「天皇の肖像」(岩波現代文庫 1000円)
江戸時代まで人は「じぶんは越後人」だったり「長州人」だったりしたけど、日本人だ」なんていう自覚はあまりなかったはず。なのに、黒船来航からたった15年で幕府をひっくりかえし、明治末までには国民を「日本」というひとつの国にまとめあげていったのだから、そのはやわざには、賛否両論はあるとしても、おそれいってしまう。
その、急速にまとめあげていく過程で、最大限利用されたシンボルが天皇だった。そのことはいくつもの歴史書でふれられているが、天皇の図像そのものに的をしぼり、初期の「錦絵」を初めとしてどのような図像があったのか、どうやって学校に「御真影」が配布されたのか、といったことを、分かりやすく説明している。
だいたい、明治天皇の「御真影」が、じつは写真ではなくて、お雇い絵師のキヨッソーネが描いた油絵を写真に撮ったものだとは知らなかった。明治天皇は写真がお嫌いだったようだ。
空襲下の校舎に昭和天皇の御真影を守るために残り、焼死した校長などの「美談」が生まれるのは、またのちの話である。日本人の「洗脳」は思いのほかはやく完了し、しかもそれには図像の力が大きくあずかっていたというわけだ。
トマス・ホーヴィング「にせもの美術史 メトロポリタン美術館長と贋作者たちの頭脳戦」(朝日文庫 940円)
単行本は99年4月発刊。まだ店頭に並んでるぞ。ちょっと早すぎないか、朝日新聞社(・o・)。
ともあれ、古代ギリシャの彫刻、中世の図画など、贋作をめぐるエピソードがオンパレードの1冊。とかく近代美術の話題が多いこの業界(?)にあって、古代中世の話が充実していることや、中世や近世ベネチアなどの贋作の歴史、さらには贋作師の手の内や横顔にまで筆が及んでいるあたり、読みごたえがある。また、じつにたくさんのコレクターや美術館がカモになってきたかというところもびっくりだ。
けっきょくのところ、科学鑑定も大事だが、最後には人間の目が頼りになるという、意外と平凡な結論に落ち着いている。「筆に勢いがない」といった、印象批評みたいな感覚が、最もかぎになるというのだ。
で、気になるのはですね、ゴッホの名画「ガシェ医師の肖像」が贋作ではないかと言ってるんですね。下にある「消えた名画を探して」の表紙に採用されているのは、オルセー美術館にあるのではなく、日本人が落札、その後手放して以来行方が知れなくなっているほうのバージョンですが。もう1点、「ドービニーの庭」は、市場に出てきたのは1895年のことで、これも贋作の疑いたつよいと指摘しています。たしか、小林英樹さんの「ゴッホの遺言」でも贋作と指摘されていましたよね(ちがったかな)。
(2002年4月刊の奥付。3月30日記す)
糸井恵「消えた名画を探して」 (時事通信社 1800円)
バブル期に日本に大量に輸入された西洋の絵画は、いったいどこへ消えたのか。その行方を追ったリポート。
NHKがドキュメンタリー番組にしていたが、1冊の本になったのははじめてだと思う。
読んでいて好感が持てるのは「マネーゲームのために買った、芸術の価値もわからない日本人」とか「高く買って、あとで安く売らざるを得なかったばかな日本人」というステレオタイプな見方をしていないこと。バブル紳士のなかにも、のちに美術館をたてて、買った絵をきちんと見せようとしていた人が少なくなかったことや、飛島建設のようにバブル期よりも高く売却した例があることなどを、きちんと取材している。
また、バブル以前には一般には敷居の高かった美術品売買に、多数の人や会社が参入することによって、透明度が高くなったことや、日本の画商の慣行を閉鎖的と批判していた欧米のオークション業界が実は日本に負けず劣らず閉鎖的だったことなども、指摘している。
もっとも、日本人にわりあい好意的な筆者も、許永中らが食い物にしたイトマン事件ではさすがにあきれがお。実勢の10倍から100倍の高値で美術品を買ったイトマンの取引の異常性を暴いている。2000年、ニューヨークの売り立てで、イトマンが持っていた加山又造の屏風「花吹雪」は28万8500ドルで落札したが、10年前にイトマンの購入した金額は14億円だったという。
それにしても気になったのは、つぎのくだり。
事件になった許関連の作品のほかにもイトマンは1989年から1990年だけで、セゾングループの高級輸入宝飾品などを扱う会社、「ピサ」(以前の西武ピサ)から大量に買い付けていた。[…]アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックの、ポスターや版画のほか、手紙やメモ、画家が使った小物類まで合わせると7000点以上―大変な数字だが、そのとおり、7000点である―を、[…]23億4000万円で購入している。(105ページ)
ポスターや版画、手紙を含む大量のロートレック・コレクションが、小樽のぺテルブルク美術館にあったのは、知っている。有名な「ムーラン・ルージュ」のポスターなどもあった。イトマン関連のものだったかどうかはわからないが。
丸井今井の経営危機のため、同美術館は閉鎖され、館長らがいまどこでどうしているのかも分からない。あのロートレックも、どこへ行ってしまったんだろう。
(2001年10月刊。3月26日)