美術書に限って紹介をしていくページです。みなさんのご投稿をお待ちしています。
松井みどり「“芸術”が終わった後の“アート”」(朝日出版社 1400円)
朝日出版社といえば、1980年代半ばの「ニューアカ」ブームのころ、新書判で「週刊本」というシリーズを出していた。シンプルな装丁、洋書のペーパーバックスに似た軽い本文用紙などが、なんとなく似ている。
さて、これは、1980年以降の世界の現代美術の流れを概説した本である。
そして、筆者は、この本の内容が妥当かとか、そうでないとかは、言えない。
というのは、大きな本屋さんに行くと、美術関係書はたくさん並んでいるのだが、80年代以降の現代美術の流れを書いた本というのは、ほとんど出版されていないからだ。あるいは筆者が知らないだけかもしれないけど、この1冊以外には見当たらないと言っていい。英語の本も含めて。
そういう意味で、たいへん貴重な本だ。しかも、高度な内容ながら、なるべく平易に書こうとした努力の跡がうかがえる。
とりあえず、気付いたことを箇条書きにしてみると…
索引が完備しているのもマル。
(2002年2月28日。3月23日記す)
神吉敬三「プラドで見た夢 スペイン美術への誘い」(中公文庫 590円)
かんき・けいぞう氏は、スペイン美術史の第一人者で、1996年歿。
この本の元本は、小沢書店から出ていた。小川国夫の小説や、酒井忠康さんの美術評論などを出していたシブイ出版社だが、昨年廃業した。
どうしてこんな渋い本が今頃、文庫になったのか?
中央公論新社の親会社は、読売新聞社である。いま東京で開催中の「プラド美術館展」は、読売の主催なのだ。
まあ、どんな背景があるにせよ、こういう地味な本が文庫で読めるというのは、うれしいもんだ。
エル・グレーコ、ベラスケス、ゴヤ、ガウチー、ピカソ、ミローといった天才たちの来歴をつづる、いかにも美術展の図録っぽい文章が並ぶ。ただ、この本を、愛すべきものにしているのは、著者が若き日にスペインに留学したころの思い出が、ところどころに顔をのぞかせているという点にあるだろう。1956年、バルセロナに着いたときは、まだ欧州への道は、航路だったのだ!
思い出ばかりでは、読んでるほうもうんざりするから、ちょっと書いてあるあたりが、ちょうどいい。
オーソドックスな書きぶりのなかにも、はっとする(筆者だけ?)指摘がある。マニエリスムにはアリストテレス主義の影響が欠かせないとか、アングロサクソンは一体に絵画の修復の際に絵を洗いすぎるとか、1973年以前のゴヤは美学的にはロココ的な美意識とバロック的な理想の境界線上にあった等々…。
(2002年2月25日刊。3月18日記す)
喜安朗編「ドーミエ諷刺画の世界」(岩波文庫 700円)
ドーミエは、19世紀フランスの風刺画家。彼が活躍したのは、七月王制期から第二帝政にかけて、フランスの政治が激動した時代だった。
大衆演劇、国民兵、女性解放と選挙権を叫ぶ女性たち、追われゆく大道芸人、屑拾いなどパリの最下層の人たち、乗合場所、夫婦喧嘩…。漫画としての面白さでいえば、現代日本の刺戟の強い漫画に比べて上品すぎるくらいだが、教科書ではわからないパリの民衆の姿がいきいきと描かれているのが興味深い。ひとつひとつ見ていると、人間って変わらないなあ〜としみじみ思う。もちろん、伝染病の流行とか、植民地人の差別とか、いまとは違うところもたくさんあるんだけど。
谷川渥監修、小澤基弘・渡邊晃一編「絵画の教科書」(日本文教出版発行、三晃書房発売 3500円)
通読した。けど、それがこの本にふさわしい読みかただったかどうか、自信ない。
むしろ、ぱらぱらとめくって、気になるところを拾い読みするほうが、この本にあってるような気がする。
中味は多岐にわたる。考えうるあらゆる項目をカバーしているといっていいくらいだ。
「絵画とは何か」「光と色の三属性」「図と地について」といった概念的なこと、「歴史画について」「障壁画について」「動物を描く」「抽象絵画とは何か」など鑑賞の助けとなること、そして「顔料について」「フレスコ画」など実際の制作の手引きなど、400ページ近い。文章も、おおむね易しい。
執筆も53人におよび、よくもこれだけの人を組織したことに感心させられる。秋岡美帆、野見山暁治、村上善男の名も。
ただ、制作については、油彩、鉛筆画から、ドライポイントや木口木版などほとんどすべての技法にわたっているが、どれもほんとに概論であって、これだけを読んで技術に習熟しうるとはとても思えない。しかし、それは仕方ない。この本のよいところは、ほとんどすべての項目に参考文献の項目があって、もっと学習を進めたい人の手引きとなっていることだろう。
上の写真では汚くうつっているが、ビニール装は軽快な印象。手にした感じも軽い。
ただ、文字は小さい。とくに、写真説明は、老眼の人にはつらそう。
道内から、岡部昌生さんが「都市の皮膚」「フロッタージュ・コーポレーション」、艾沢詳子さんが「コラグラフについて」、服部冬樹さんが「フォトエッチングについて」を執筆している。
(2002年2月21日)
トーマス・マン「講演集 ドイツとドイツ人」(岩波文庫)
ナチスドイツ敗退直後の1945年5月、米国亡命中の文豪トーマス・マンが行った表題の講演などを収めた1冊。題名の通り、ドイツとは、ドイツ的なるものとは、を考えるのに、必読の本です。
「ドイツとドイツ人」は、ドイツ精神の特色をなすロマン派の特徴をわかりやすく語っています。
彼は、いかにドイツが破滅へ突き進んでいったか、きびしく追及します。
外部に対する、つまり世界との、ヨーロッパとの、文明との関係における反抗的な個人主義
が、内部においては、奇異の感をもよおすほどの不自由、幼稚さ、鈍感な卑屈さと両立していたのです。それは戦闘的な奴隷根性でした。そして今や、国家社会主義(ナチズム)が、この外的な自由の欲求と内的な自由の欲求との間の不釣合をさらにつり上げさえして、ドイツのように国内ではかくも不自由な一民族による世界奴隷化の思想にまで至らしめたのです。(21ページ)
とはいえ、ロマン派を悪者扱いするのではなく、それが近代西洋の精神にいかに大きな寄与をもたらしたかについても語ります。
ドイツ人は、啓蒙主義の哲学的主知主義と合理主義の反抗するロマン主義的反革命の民族――文学に対する音楽の、明晰に対する神秘主義の反抗の民族であります。ロマン主義は決して弱々しい陶酔ではありません。それはみずからを同時に力と感じ、充溢と感じる深淵であり、批評と社会改良主義に反対して、存在するもの、現実的なるもの、歴史的なるものに味方する、つまり要するに精神に反対して力に味方する、そしてあらゆる美辞麗句を並べ立てる道学者ぶりや理想主義的世界美化の言辞を極度に蔑視する、誠実さのペシミズムなのであります。(30、31ページ)
ほかに、当時の若者にけっして評判のよくなかった共和制を断固擁護した1922年の「ドイツ共和国について」、ナチスの政権獲得によって博士号を剥奪した大学に対して抗議した「ボン大学との往復書簡」などを収めています。
あんまり美術とは関係ないけれど、ドイツというものを考えるには欠かせない1冊だと思います。この前に読んだ「ドイツロマン主義とナチズム」(講談社学芸文庫)が面白くなかったからよけいそう思うのかもしれないけど。
(2002年2月11日)
松永伍一「モンマルトルの枯葉」(アートヴィレッジ 1500円)
1987年から92年に美術雑誌に連載した、小説形式の絵画論。
はたしてこれが、小説として成功しているかというと、うーん、であります。セリフもクサイし。
でも「少しでも読みやすく」と、くふうの手を緩めないその姿勢には感服する。数年前に出した「フィレンツェからの手紙」(丸善ライブラリー)は全編書簡体。ノンフィクション新書では珍しい試みだったし。1930年生まれとは思えません。
取り上げられているのは、ヴァン・ゴッホ、モロー、トゥールズ・ロートレック、ユトリロ、モディリアーニ、ミレー、関根正二、竹久夢二、山下りん、ピカソ、ゴヤ、エル・グレコ、中村彝など31人。
総じて言えるのは、松永さんの絵の見方というのは、相当文学的だということだ。
美術畑の人だったら「線がどーたら、フォルムがどーたら」という観点で絵を見ていくところを、画家の伝記的生涯から、画家の心理を推理しながら読み解いていく。青木繁が童貞を捨てて勝ち誇った気持ちで「海の幸」をかいたとか、デルボーはいつどこで骸骨を見たかとか。
こういう批評は、実はありそうで意外とないんじゃないか。なかなか貴重だし、絵に親しみ始めた一般の人にも親しみやすい見方じゃないかと思う。
坂本繁二郎に低い評価した与えなかった松本清張に対する批判のくだりはおもしろい。奥村土牛「那智」に、横山大観追悼の意がこめられているという指摘も興味深かった。
(2001年1月9日)
神原正明「快読・日本の美術 美意識のルーツを探る」(勁草書房 2300円)
縄文と弥生の違い、室町の水墨画、桃山文化の特質など、日本美術の大まかな流れが半日でつかめる実に便利な本。
固有名詞をずらずら並べた教科書スタイルと違い、むしろ講義に近い文体で、時代ごとの特質を分かりやすく説明しており、題名の通り一気に読める。逆にいうと、画家の伝記とか個々の作品の詳しい説明などは一切省かれている。
けっきょく日本文化は、「わび・さび」的なものと金ぴかの派手さが同居しており、一口にこれだ!と言い切れない多層性を含んでいるのだということが分かる。
カラー図版がないのが残念だが、価格がこれ以上高くなるのもしのびないので、仕方ないか。
(2002年1月3日)
追記。
この本の歴史の組み立ては、加藤周一「日本文化の心とかたち」(平凡社ライブラリー。名著)に準拠しているところもあるが、独自のところもある。
いちばん「ふうむ」と思ったのは、次のくだりである。
日本は[…]いろいろな主義主張が移入されるが、向こうで流行しているものがそのまま入って来るため、一貫性がない。[…]そこには当然論理的な必然性は見出せない。その分、かたちだけを真似た流行というニュアンスが強くなる。(171ページ)
まあ、この手のことはだれでも指摘してますが、ユニークなのはその後。
しかし、一方でイズムの変遷というのはいわば紋切り型の思考操作であって、あとからかたちづくられた論理化の作業でもある。[…]考え直してみて気づくのは、モダニズムのイズムの変遷は、あまりにもつじつまが合いすぎている。つまり、つじつまを合わせるために、例外を意識的に切り捨てていったということでもある。印象派に前後するさまざまなイズムの洗い直しは、むしろ人生は論理化できない突発的なものだと見る私たち日本人に課された作業なのかもしれない。(174ページ)
「日本人は猿真似ばかり、だからダメなんだ」「西洋の様にアカデミズムからきちんと順を追って発達してこなかったがゆえのいびつさがある」といった紋切り型を超えて、歴史に対する真剣な問い直しの姿勢があると思います。
(1月8日)
いきなり大特集 2001年に買った本、買えなかった本
(2002年1月2日記す。3、4日追記)
美術の新刊書は財布が許す限り買おうと思うのだけど、以前のように会社の金は使えないし、大学の研究者のように書籍購入費があるわけでもなく、買った本を置く場所もなく、さらに読む時間も乏しくて…うーむ、出だしから愚痴っぽくなってしまった。
北海道関連ということでいえば、2001年はなんといっても、
・砂澤ビッキの評伝「風の王」(柴橋伴夫、響文社)
・三笠出身の世界的な現代美術家が自らの作品について解説した「アートレス」(川俣正、フィルムアート社)
・「一原有徳物語」(北海道出版企画センター)
の3冊であろう。
もっとも、一原さんの本は、役所勤めの話ばかりで、美術のことはほとんど載っていない。
ほかに、道新から「北海道の山」という画集が出たようだが、高くて買っていない(T_T)。
「岩田藤七」は、「パスキン」以来ひさびさの「北海道と関係ないミュージアム新書」といえそうだ。
しかし、次に挙げる本はみなさんチェックしていないんじゃないかな。
まず、テレビ東京から出た「たけしの誰でもピカソ」である。
これには、画家で、行動展、全道展の会員・矢元政行さん(登別在住)が登場している。おびただしい人物が画面狭しと遊ぶ寓意画で知られる矢元さんは、同題のテレビ番組(道内ではTVhが放送中)の「勝ち抜きアートバトル」に出演、みごとメダルを獲得しているのだ。
短いながらも矢元さんのモノグラフが単行本に記載されたのは初めてかもしれない。
次。「重い手」で知られる画家・鶴岡政行の評伝「ボタン落し」(美術出版社)。
彼が札幌に来たとき、あの加瀬純子に心中しようと持ちかけられたという話が出ている。
彼女は、渡辺淳一著「阿寒に果つ」のモデルになった少女画家で、10代の若さで自殺している。昨年亡くなった菊地又男さんと交遊があったことは知られているが、中央の画家に言い寄っていたとはびっくりである。
3冊目は、大矢鞆音「画家たちの夏」(講談社)。
田村一村、中村一義ら5人の近代の日本画家の評伝。1枚の絵に全精力を傾ける絵かきたちの横顔を活写した好読み物であった。
このうち、清原斎(ひとし、1896−1956)が北海道がらみ。文字通り最期の力を振り絞って死の直前、院展に出品して3年連続の大観賞を得た絶筆の「アイヌ」が、札幌グランドホテルのロビーに飾られているのだ。
場所が場所だけにこの絵のことはもちろん見ていたが、作者のことも、そして重厚な絵肌に秘められた闘病と死のドラマも、この本を読むまで知らなかった。
日本画が好きな人すべてにお薦めしたい一冊です。
さて、筆者が確認できた2001年の主な新刊(文庫での再刊を含む)は次の通り。画集や写真集ではなく、文字が主の本です。
★★は買って読んだ本、★は買ったけど「積ん読」になっている本。
ああ、もうむなしくなるだけだからやめよう。ほかにも、港千尋が写真論を2冊出しているほか、「絵画の教科書」なんて本もあったっけ。
いずれにしても、ほとんど買えなかったってことじゃん。
あと、よくわかんないのが、みすず書房から出たゴッホの書簡選集。これまで、書簡の全集はみすず、選集は岩波文庫というすみわけができていたのに、どうしてこんなのを出したんだろう。
以下3日の追記。
次の本を挙げるのを忘れていた。
そういえば、岩波書店から全12冊の「世界の美術」が出ましたね。
また、河出文庫から、森山大道の随筆★「犬の生活」「犬の生活 終章」が出ました。
同文庫からは、澁澤龍彦の初期の著作「幻想の画廊から」も刊行されましたが、これは横文字の画集を見てて気に入ったやつを縦にしただけという感じの本で、澁澤にしては鋭さが感じられません。
以下9日の追記。