目次 . | 掲示板 | つれづれ日録 | あーとだいありー | 展覧会の紹介 | ギャラリーマップ |
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2003年11、12月
12月29日(月)
気温が上がって、道は溶けた雪でべちゃべちゃ。つるつる凍った道も歩きづらいが、水びたしの道もこまったもの。
12月28日(日)
休み。
とにかくつかれて、なにもしたくない。
新聞は1月2日以外は毎日出ているから、たんに筆者がやすみに入っただけで、おもに若手とか、休みをずらしてとるつもりの人などが交代で毎日はたらいているのは言うまでもない。
イランで大地震があったが、自衛隊はこっちのほうに行ったほうが役に立つような気もするんだけど、そうもいかないんだろうな。
12月27日(土)
仕事納め。
午後で終わり、のはずだったが、予定になかったページつくりの仕事が入った。
2週間分のつかれがたまり、ぐったり。
12月26日(金)
仕事。
正月の連載の先作りなどでバタバタ。
開設3年余りで、アクセスが10万に達しました。
みなさまのおかげです。ありがとうございます。
今後とも、がんばりますので、よろしく情報提供、投稿などおねがいいたします。
12月25日(木)
きょうも、あーとだいありーの更新はありません。
12月24日(水)
あーとだいありーの12月16日以降の部分を「12月後半」に分割した。
ただ、更新はなし。21日の記述の一部を訂正しています。
釧路に行ってきた。
気のついたこと。
うーん、やたらローカルでもうしわけない。
12月21日(日)
仕事。
ニュースがなくて、紙面をうめるのが大変な日。こんな日もあるんです。
22、23日は、更新を休みます。
12月20日(土)
北海道新聞のスクープだと思うが、豊平区中の島に道内最大級の書店ができるそうだ。
釧路に本社のあるリラィアブルの計画だから、「コーチャンフォー」という名前になるんだろう。
いったい道内最大級の書店っていくつ目なんだろうっていいたくなる。コーチャンフォー美しが丘店(清田区)も東京旭屋書店札幌店(JRタワー)も喜久屋書店(小樽)も、そういう触れ込みだったような気がする。
本は好きなので、わりと近くに大きな書店ができることは、そう悪い話題ではない。
もっとも、地下鉄南北線の澄川駅からあるいて15分はかかる。美しが丘店と同様、マイカーで行くことが前提の、郊外型書店である。
さて、予定地となっている中の島1条13丁目であるが、豊平川にかかるミュンヘン大橋のたもとである。
この橋が90年代に入って架かり、中央区と結ばれて、クルマの流れが一変しつつある。ことしはショッピングセンターも近くにできた。
正確に言えば、ミュンヘン大橋につづく「ミュンヘン高架橋」の北側の土地が予定地である。
中の島は、豊平川の堤防と、河岸段丘に挟まれた低い土地である。堤防の上は、札幌市民は知ってのとおり、道路になっている。もうすこし北側だと中の島地区の幅がひろいので、豊平川につづく道路は、平岸から中の島にへと下り坂になり、もう一度堤防に向かって上りの勾配になるが、ミュンヘン大橋のあたりは、中の島地区の南端で、幅も100メートルほどしかない。
そこで、100メートルの低地を、高架橋でまたいでいるのである。
ところで、おもしろいことに、高架橋の南側の「中の島1条14丁目」には、民家がまばらにたっているのであるが、北側の「中の島1条13丁目」には1軒も家がない。それどころか、高木がそびえ、原始林のようですらある(右の写真)。
さらにその北側の「中の島1条12丁目」の大部分にも、まったく家はないが、こちらは木々はわりと少ない(右下の写真)。最近、12丁目のほうは、大手業者による宅地造成がはじまった。もともと国有地で、今年入札がおこなわれたのだ。
1971年に国土地理院が発行した「札幌 1万5千分の1都市機能図」によると、12丁目には開発局アスファルトプラントがあり、13丁目以南は、果樹園になっている。
中の島に隣接する平岸地区は、もともとリンゴの産地として知られていた。だから、ここも林檎園だったのだろうと推察される。
筆者が78年に学校からもらった教材用の地図でも果樹園のマーク。80年代以降の地図では、12、13丁目とも荒地の記号がついている。
30年でリンゴが1本もなくなって、あんなに他の木が10メートルも20メートルも成長するものだろうか。たぶんヤナギやドロノキの類だと思うが。
果樹園マークが、どうもすなおに信じられない筆者である。
1950年の2万5000分の1地図や、それ以前の地図では、このあたりは河川敷地になっている。豊平川の勢いが今より強かったので、これは当然だろう。
そして、70年前後に発売された民間の地図(複数)では、13丁目に沼が描かれているのだ。
豊平川の昔の流路が現在よりかなりひろかったことを考えると、河跡湖があってもおかしくはない。
そもそも、札幌で、オリンピック開催がすでに決まり、100万都市目指して急膨張をつづけていた60年代後半から70年ごろに、わざわざ沼を埋め立てて果樹園を造成するなどという事業がほんとにおこなわれたんだろうか。札幌に農地をひらく時代だっただろうか。筆者にはちょっと信じられないのだ。
だとしたら、中の島1条13丁目は、公園でも、保存樹林などでもないのに、今ものこっている、貴重な平地の林、ということになるのだが…。(傾斜地の緑はめずらしくないが、平地の林は、都市の真ん中ではあまりないと思う。まあ、札幌郊外には、野幌森林公園という国内最大の平地原生林があるんですが)
こんな土地が、有史以来ほとんどつかわれずに今まできた、というのも、それはそれで信じられない話ではあるが。
12月19日(金)
12月19日、と書いて、あらためて「19日!?!?」とおどろくしかなかったりする。
やりのこしていることが多すぎる。
発熱してるヒマはなかったのだ。もう快癒したけどね。
12月18日(木)
掲示板に書いたとおり、17日は昼過ぎから体調が急降下。
全身がだるく、食欲がまったくない。
風邪とおもって、帰宅後とっとと寝たが、夜中に目がさめ、そのあとはあまりのだるさで寝つけない。
体温をはかってみたら37.6度(掲示板のは0.1度まちがって書きました)。そりゃ、ねむれんわな。
冷蔵庫をあけたら、こども用の「ひえピタ」(ひたいにあてて冷やす一種のインスタント氷のう)があったので、貼って寝た。
会社でも数十人単位で、おなかをやられたり熱を出したりする人が続出。北海道新聞中枢を狙った生物兵器テロか(なわけないだろ)。
あーとだいありーの更新はあすにします。
12月16日(火)
あちゃー、2日さぼってしまった。
フセイン元大統領が見つかったため、号外や増ページに追われていた、のではありませぬ。
12月13日(土)
芸術の森美術館(南区芸術の森2)へ坂東史樹さんのアーティストトークを聞きに行ったあと、やすみにもかかわらず所要のため会社へ。
まだ洟が出る。やれやれ。
12月12日(金)
地下鉄東西線円山公園駅を降りたら、南1西28の角(ケンタッキーフライドチキンの斜め向かい)にあった「アンセリジェ」があとかたもなくなっていた。
これって、もともと田上義也(フランク・ライド・ロイトの弟子で、札幌で活躍した建築家)が1934年に設計した民家だったんじゃないの!?
北3西16のお屋敷も、来春マンションになるらしい。
やばいぞ、札幌の歴史的建築!
12月11日(木)
風邪は気合でなおったので、突発的に石狩に行ってきた。
石狩は遠い。家からバス、地下鉄、バスと乗り継いで、1時間半はかかる。
よく考えると小樽より時間がかかる。
道路地図帳などでは札幌と石狩はおなじページに載っており、そういうイメージはないのだが。
しかし、教育大学生にしてみれば、石狩はちかくて、札幌芸術の森はやたらと遠いんだろう。
筆者のところから札幌芸術の森は、夏なら車で十数分で行けるのだ。
帰りは、首尾よく札幌ターミナルへの直通バスが来た。所要約50分で、410円。長距離バスタイプの車体で、快適だったが、客はほとんどいなかった。
12月10日(水)
風邪をひき体調不良。夕方まで寝ていて、夜は仕事。
よって、あーとだいありーの更新はなし。
12月9日(火)
前夜、夜中に目がさめてしまい、寝酒と称してブランデーを飲んでいたら、9日の昼ぐらいから二日酔いになってきてぐあいのわるい1日だった。
きょうは、朝9時から夜11時まで会社。
12日が命日にして誕生日とあって小津安二郎についての言説が新聞をにぎわし、テレビでは彼が監督した映画が放送されている。
しかし、こうも小津礼讃の文章が多いと、ひねくれ者の筆者は、なんかちがうんじゃないかと言いたくなる。
小津は、生前から、現在のように黒澤明とならび称される映画監督だったわけではない。戦前は、3年連続キネマ旬報ベストテン第1位という、すごいことをなしとげている。しかし戦後は、もちろん巨匠として遇されてはいたが、今日ほどは評価されていなかった。代表作とされる「東京物語」すら、キネ旬で2位である(クイズ。ではそのときの1位はなんでしょう)。
戦後の小津がいまほど賞賛されていなかったのは、彼の作品が、左翼が多かった当時の言論人とか批評家の目に、民衆の日常を反映しない、いわばブルジョワ的なものと見えていたためではないかと思う。「いずれもごく普通の市民の日常生活を描いた」(7日読売新聞の経済面コラム)というのは、はっきり言って嘘だ。1950−60年代に、丸ノ内の企業に勤め、国鉄の2等車に乗り、高級洋酒を飲み、ゴルフをして、能を鑑賞する人間の、いったいどこが普通なんだ。
(もっとツッコミをいれると、「浮草物語」などは旅芸人ばかり出てくるから、やはり普通の市民の日常生活を描いた映画とは言えないだろう)
筆者は、「晩春」とか「秋刀魚の味」といった、完成度の高い晩年の映画よりも、「出来ごころ」など、戦前の喜八ものや、「一人息子」「東京の合唱(コーラス)」などの作品に共感をおぼえる。晩年の映画は、たしかに様式的に完成されているが、登場する人間はしょせん別世界という気がしてしまう。
戦前の多くの作品に共通している題材は「失業者」である。いつおまんまの食い上げになるかわからない庶民の哀感は、戦前の作品にこそ表現されているのだ。
もうひとつ書いておくならば、言うまでもなく小津映画はけっして小津ひとりの手でできたものではない。彼を支えたスタッフとして撮影を担当した厚田雄春の名はよく出てくるし、インタビューなども公刊されているのにくらべ、脚本の野田高梧が言及されることがあまりにすくないのではないか。脚本家なしでは映画はできない。函館生まれのこの稀有の作家を、ぜひだれかが忘却のかなたから救い出すべきではないか。
(クイズの答え。今井正監督「にごりえ」)
12月8日(月)
午前7時25分出発、午前0時15分帰宅。
こんな日ばかりではないとはいえ、つかれる。
自衛隊のイラク派遣基本計画が閣議決定されようとしている。
隊員の危険もさることながら、戦後はじめて、日本の軍人が戦闘で他国の人を殺さなくてはならないという可能性がかなり高い。
それも、日本の安全とは直接関係ない、米国が始めた戦争のために、である。
わたしたちの国の軍隊が戦後、人を殺傷しなかったこと、死の商人にならなかったことは、わたしたちの誇りであったと思う。それを、こんなかたちでくつがえしてしまってよいのだろうか? イラク人が日本に攻めてきているわけではないのである。
12月7日(日)
長男の幼稚園で学習発表会。
長男は「さかな」の役だというので、出てきてあっという間に引っ込むのかと思っていたらそうでもなかった。
夜は仕事。
札幌はようやく雪景色となり、路面はつるつるである。
12月6日(土)
やすみ。
家族で焼肉を食いに行ったら、やっぱりねむくなって、更新の途中でねてしまった。
12月5日(金)
公正取引委員会がNTT東日本に排除勧告を出した。光ファイバーの接続サービス(Bフレッツ)の値段が安すぎて新規参入をさまたげているというのだ。
「ニューファミリータイプ」は、何軒かで分岐しているというふれこみだったが、じっさいにはそのような工事は行われていないという。
うーん、いまBフレッツの価格は、キャンペーンのおかげ(SMAPの中居くんがCMやってるでしょ)で、ADSLとかなり近づいているのだが、これだとまた上がるのかなあ。どうなるんでしょ。
12月4日(木)
札幌時計台ギャラリーの山下康一作品展の会場で、作者の方から
「ヤナイさんですか」
と声をかけられた。
筆者は、人の顔と名前を覚えるのが苦手で、何度か会った方でも
「えーと、だれだっけ」
となることがあるが、こんどの山下さんは長野県の方で、まちがいなく初対面。
「え! どうしてわかったんですか」
と動揺していたら、先日芸術の森美術館でひらかれた伊藤隆介さんのギャラリートークで筆者を見たとのこと。伊藤さんはなんども筆者を引き合いに出して
「たとえばヤナイくんという人がいたとしますね」
なんてしゃべって、そのたびに筆者は大笑いしていたから、ばれたんですね。
でも、ちょっとびっくりした。
見たのにまだ書いてない展覧会がかなりあります。あすも「あーとだいありー」は、大量の更新になる予定。
12月3日(水)
あーとだいありーの更新は4日にまとめておこないます。
12月2日(火)
休み。1日ごろ寝。
12月1日(月)
朝7時50分に家を出て、帰宅は12時近く。ふだんは、夕刊と朝刊の作業のあいだにやすみ時間があるのだが、打ち合わせ、会議などで、ほとんどなし。なんとかアートスペース201まで足を運ぶ。
11月30日(日)
連休。
かと思ったら朝、デスクから電話があり
「イラクで日本人が殺された。号外を出す」。
急いで会社へ。
いったん家へもどり、夜は朝刊増ページのため再び会社へ。
それにしても午前中、テレビ各局がこのニュースをほとんど流さないんだな。テレ朝がちょっとやってたけど。
よく「電波は新聞より速報性で勝る」といわれるけど、あれは、スポーツの結果とか、だれでもできる伝達以外は、うそだと思う。重大なニュースは、たいてい新聞がいちばん速い。
数日前の朝日新聞のコラムに、イラクの人々が親日的だという話が出ていた。
フセイン政権が反米機運を盛り上げるためにテレビで広島・長崎のドキュメンタリーを流していたらしいのだ。
それにしても
「オレたちは米国機を撃ち落してやった。君らも広島・長崎を忘れていないだろう。喜べ」
と言われたのには閉口した−という話だった。
こんどの事件は、いよいよイラクでも、日本が米国寄りだという認識がひろまってきたあらわれなのかもしれない。
それにしても、米国追随によって失うものは大きいようだ。
殺害された奥参事官はずいぶんマメに外務省のウェブサイトに日記を更新していた。
「イラク日記」はこちらで読める。
一生懸命な人だったことがわかる。気の毒なことだと思う。
11月29日(土)
冬の雨。
朝刊作業明け、とりあえず睡眠4時間で、南幌へ。
高速をつかえば南幌は近い。道央道に乗ってから南幌まで20分ちょっと。
それから、北広島市の文化芸術ホールで、クラフト6人展を見て、芸術の森美術館で、「北の創造者たち展」出品作家・伊藤隆介さんのアーティストトーク。
いやー、おもしろかった。たった1時間半で、ビデオアートのツボと、伊藤作品のツボがわかっちゃう超オトク講義。来なかった人、一生後悔してください。
夜は、家人忘年会のため留守番。相手をするのがめんどくさいので子供を8時に寝かせるが、自分もほどなく寝てしまう。
11月28日(金)
北海道新聞を読んでいると、ほんとに道はカネがないんだなということがわかる。
いま、美術界では芦屋の市立美術館の民間売却・委託方針が大きな話題になっているが、あるいは、道立5館体制(釧路芸術館を入れると6館)がいつまでもつづくと思わないほうがよいのかもしれない。
たとえば(あくまで例ですが)、帯広の美術館が売却される−となったとき、地元は負担をしてまでも存続をえらぶ覚悟はできているだろうか?
11月27日(木)
国内最長にして道内唯一の第三セクター鉄道「ふるさと銀河線」(北見−池田。140.0キロ)の存廃問題が注目されている。
しかし、これまで支援してきた道に、とにかくカネがない。また低金利がつづいて、基金から運用益がほとんど出ない状態がつづいている。廃止は避けられまい。
筆者は、昨年銀河線に乗った際、本別−足寄間の車窓から、並行して走る開通前の道東道を見た。率直に言って、高速道も必要だ、鉄道も残せ−ということにはなりにくいのではないかと思った。
国鉄がJRにきりかわる、1983年から88年にかけて、道内では22路線ものローカル線が廃止の憂き目を見た。廃止路線のうちとくに問題視されたのが「長大4線」といわれた、名寄本線、池北線、天北線、標津線である(じつは、羽幌線は、池北線より長いのであるが、あまり取り上げられることもなく85年に廃止されている)。
いちばん廃止がおくれたこれらの路線のうち、池北線のレールだけが生き残ったのは、偶然のたまものにすぎないと思われる。つまり、終点が北見市という10万都市だったためである。
ほかの3線は、北見のような大きな財政規模を持つ市が沿線になかった。
したがって、第三セクターとして残そうにも、利子で赤字を補うための基金をつくれなかったのである。
ふるさと銀河線の場合も、醵出しているお金は北見市が他の自治体(池田、本別、足寄、陸別、置戸、訓子府の6町)よりもはるかに多い。社長も代々北見市長がつとめている。しかし、北見は終点なので、それほど切迫感がないのではないか。
もうひとつ銀河線にとって不利なのは、沿線に観光資源がまったくといっていいほどないことである。富良野線のラベンダーとか、釧網線の釧路湿原・川湯温泉にあたるものがない。沿線風景も、道内の鉄路のなかでは、かなりつまらない部類に入る。観光客を呼んで乗降者数を増やすのはかなりきびしい。
道内はどこもクルマ社会になってしまい、銀河線を利用するのも高校生と、通院の老人が大半を占めている。高齢者のことを考えると、鉄道よりもバスのほうがやさしい交通機関ではないか。幸い、道路が猛吹雪で寸断されるようなことのあまりない地帯である。鉄道がなくなるのはさびしいが、バス転換するさいには、本数と停留所数を思い切って増やすなど、利便性を向上させてほしいと思う。
11月26日(水)
25、26日と、通し勤務。けっこうくたびれる。
あーとだいありーの執筆がなかなかすすまないけど、3日連続でさぼるわけにもいかんので、とりあえずアップ。
11月24日(月)
23日は夜勤だったので、起きたのは昼過ぎ。そして25日は夕刊なので朝早い。勤務ダイヤ上では3日のうち2日やすんだことになるのだが、あまり「連休だ−」という実感のないままおわってしまった。
11月23日(日)
世間は3連休なのに、23日だけ仕事。やれやれ。
11月22日(土)
21日のつづき。
朝、家を出たとき
「あ、これ、東京の冬の雨の日だ」
と思った。
札幌の基準でいくと、空気が生暖かくて、湿っている。曇り空は、雪雲のようにまったく陰翳のない薄い灰色ではなく、ところどころに灰色の濃淡がある。
東京で学生時代をおくっていたころ、分譲住宅のちらしまきをあちこちでやった。駅前などでくばることもあれば、郊外の住宅地のポストに1軒ずつ投げ入れていくこともあった。
21日のような天気で脳裡にあらわれてきたのは、町田や相模原での断片的な記憶である。
札幌では北電本社の前でくらいしかお目にかかれなくなった敷石舗装の歩道がずっとつづいていた。
谷の向こうに巨大な飛行機の工場が丸い屋根を見せていた。
裁判所や検察庁のある官庁街でもないのに司法書士や行政書士の事務所ばかりが入居している古びた家があった。
あのへんや八王子などで、筆者ははじめて「郊外」というものを知った。
さいきんの評論家などのいう「郊外」とは若干ニュアンスがちがって、住宅地がずっとつづいているのでもなければ農地・山林でもない、産廃置き場や竹林や中古車販売店やロードサイドショップなどが無秩序につづいている一帯のことである。
すくなくとも筆者が東京に行く前の、80年代前半の札幌には、そういう「郊外」はなく、住宅地と農地・山林の境ははっきりしていたような気がする。
当時は、厚別町山本は見渡す限りの水田だったし、東米里や新琴似町、篠路町拓北、屯田の番地地区は畑が多かった。
いま、それらの地区は、八王子や相模原の郊外のようになっている。
「さっぽろタウン情報」が休刊することになったそうだ。
ことしは「イエローページ」も休刊しており、これで「ステージガイド」をふくめた老舗タウン誌がこの数年で一気に姿を消したことになる。
「じゃらん北海道発」「北海道ウォーカー」といった本州資本の情報誌や、さいきん急速に増えている「サンロクマル」といったフリーペーパーに押されてしまったのだろう。
札幌のタウン誌は「ステージガイド」という誌名からもわかるように、もともとはカルチャー情報誌の性格がつよかったように思う。短命に終わった「DIGGER」「びる」も、前者は本格的な評論と文化活動への肩入れ、後者は月2回刊という特徴はあったものの、基本的な性格はかわらない。ようするに「ぴあ」や「シティロード」がモデルなのである。
後発の「イエローページ」は、それに対抗して、店のオープン情報を中軸に据えるという戦略をとった。「poroco」は、若い女性にターゲットを絞り、「イエローページ」の敷いた路線を徹底しているような感じだ。
ところが、「じゃらん」は、温泉など各地方の旅の情報が多い。これは「ぴあ」がタウン誌だと思っている人には信じられない構成だろうが、東京に比べて周囲に自然の多く残されている札幌圏では、人々がそれらの観光地にドライブなどに行って休日を過ごす割合が、たぶん首都圏より高いにちがいない。道内観光地を支えているのは、かなりの部分、札幌などの道内人だという調査もある。都会のなかの情報だけより、周辺の旅の情報に需要があるのだ。
ところで、カルチャー情報の需要はなくなってしまったんだろうか。
筆者が思うに、タウン誌が買われなくなった大きな原因は、シネコンである。
むかしは、映画好きが、上映時間や期間をたしかめるためにタウン誌を買った。
ところが、シネコンは、どの映画を何日まで上映するかは、客の入りに応じて弾力的にきめるし、上映時間だって当日新聞を見るまでわからないのである。
ほんとの映画好きは、シアターキノと蠍座のリーフレットさえあれば済むようになってしまった。
しかし、近年の札幌では、演劇シーンやクラブ、音楽のインディーズといった分野は一定の盛り上がりを見せている。美術の情報にも需要はあると思うし、地方出版社だってあたらしい動きがある。それらの情報を、タウン誌はきちんとフォローしていなかったというのが、筆者のいつわらざる印象である。
かつてタウン誌が載せていたカルチャー情報は、ウェブサイトとフリーペーパーが担うようになってきている。
ことし、フリーペーパーでは、ジャズのライブの情報を載せた「ヴィレッジヴォイス」、ギャラリーの日程をのせた「ART VOICE」が創刊された。
後者は、創刊されたばかりで、札幌市内の各ギャラリーなどに置いてあるはずである。
「公募展」が「公爵展」に、「キヤノンサロン」が「キャノンサロン」に、「可窯」が「阿寒」に、「ぴえれっと」が「ぴえねっと」になっているし、芸術の森美術館と札幌時計台ギャラリーと札幌彫刻美術館が載っていないのは致命的だ(ついでにいうと、エルエテギャラリースペースも札幌市資料館も欠落している)。まあ、あたたかい目で見てあげたい(誤字は人のこと言えないし)
当別と石狩と芸術の森美術館に行ってきたが、またあしたにでも。
Free Space PRAHA(中央区南15西17)のシャンヒ・ソン展、24日までです。CAIともども、お見逃しなく。ことしの札幌アーティスト・イン・レジデンスの作品は、身内だからいうのではなく、おもしろいと思う。
11月21日(金)
テレビや新聞を見て
「あれ、鈴木その子は死んだはずでは」
と思った人は筆者だけではないはずだ。
いや、筆者だけか。
マイケル・ジャクソンも、いまやアダムスファミリーの一員みたいな外見である。
例によって、あーとだいありーの更新がおくれます。
11月20日(木)
さいきんのパターン。
仕事から帰ってくる⇒
さあ、がんばって更新するぞ、とパソコンを起動させる⇒
まずメールをチェックする⇒
あちこちのサイトをわたりあるき、必要があれば掲示板に書き込みする⇒
サイトのスケジュール表を更新する⇒
つかれをいやすために飲んでいたビールの酔いがまわってくる⇒
「あーとだいありー」を書き終わらないうちに寝てしまう…
というわけで、ずいぶん間隔があいてしまって、もうしわけありません。
19日の北海道新聞夕刊1面を見て、びっくり。
ついに「大原邸」(中央区南6西20)のとりこわしがはじまったんですね。
ギャラリーミヤシタ(南5西20)のすぐちかくにあるので、なじみの深い建物でした。
りっぱな洋館で、ずいぶん大きい玄関だと思ったら勝手口でびっくりしたのですが、それにしても、こんな貴重な歴史的建築を維持できないとは。。。
むなしいなあ。ざんねんだなあ。
11月17日(月)
17日昼にあーとだいありーが更新できなくて、すいません。
きょうはすごく「日記」っぽい話。
15日の夜。北海道映像の新世代の最終上映とシンポジウムの間に35分ほど空きができた。
そのとき、ふと思い出したのが、画家の輪島進一さんが
「東急ハンズの上にあるニューヨークカフェのパンはうまいぞ」
と話していたこと。
いい機会だと思って行ってみたら、名前はカフェでも、夜はお酒の店になっていた。
でも、店の人はいやな顔ひとつ見せず、本来は昼のメニューであるサンドウィッチのセットをつくって出してくれた。
たしかにうまい。小腹がすいたときにちょうどいい。野菜スティックなどもついている。こんど、夜飲みに来ようと思った。
ギャラリー山の手(西区山の手7の6)の帰路、琴似十字街にある「くすみ書房」に行ってきた。
文房具も売っている、どこにでもありそうな小さな本屋さんだが、ここがいま話題になっているのは
「なぜだ! 売れない文庫フェア」
をやって、売れ行き下位の新潮文庫と、ちくま文庫をならべていることだ。
中小の書店には、新刊と、売れ行き上位の文庫しかまわってこない。しかし、売れ行き1000位以下の文庫にも良書はいっぱいある。配本されない→売れない→品切れ・絶版、という悪循環をなくそう、という、まことに書店主の心意気をかんじさせる企画なのだ。
まあ、「武者小路実篤詩集」とか「桜の実の熟するとき」(島崎藤村)なんかは分かる気がするし、たとえ売れ行きが悪くとも在庫に残している新潮社はりっぱだと思ったが(いや、ほんと、雑誌社としてはどーしょーもない存在だが、文藝出版社としてはたいしたもんだと思う)、大江健三郎や渡辺淳一といったあたりがあったのは、意外だった。
筆者は持っているから買わなかったけど、このサイトの読者には、赤瀬川原平「櫻画報大全」はおすすめです。
筆者は、ちくま学芸文庫のバタイユを買った。
フェアはことしいっぱい。
11月16日(日)
15日は、仕事は休み。
終日EDiTにこもって、北海道映像の新世代をぶっつづけで4プログラム見たあと、シンポジウムも傍聴。
16日も北海道映像の新世代のあと、Free Space PRAHA(中央区南15西17)でおこなわれた、シャンヒ・ソンさんのギャラリートークに出席。
シャンヒさんは英語がぺらぺらで、笑顔がとてもさわやかな女性でした。
展覧会も、シンプルながらなかなか考えさせられるもの。
詳細は追って。
マリヤクラフトギャラリーに寄って、宝賀寿子さんの版画を見てから仕事。
あーとだいありーは、17日昼に再度更新します。
11月14日(金)
とりあえず4時間半寝て、午前5時起床、7時50分に外出、夕刊社会面。
午後2時過ぎまで仕事。苫小牧にまた、こんどは別のクマが出て、ハンターをどついたとか。
会社で弁当を食ってから、地下鉄で北18条へ。コダックギャラリー。北天堂書店。何も買わない。
ふたたび地下鉄で、さっぽろ下車。大同ギャラリー。
地下鉄ですすきのへ。アートスペース201、マクロギャラリー、FITS/CORE。
西11丁目へ。コンチネンタルギャラリー、札幌市資料館。
市電で、イベントスペースEDit。道内在住・出身の若手の映像を一堂にあつめた3日間のイベント「北海道映像の新世代」の初日。
なんと、ほとんど満席だ。主催者側の興奮が、こちらにもつたわってくる。
筆者はフリーパス前売り券を買ったが、入り口で、チェキでポラロイド写真を撮ってチケットに貼り付けるという、ユニークなしくみ。
りっぱなパンフレットをもらった。これに載っている伊藤隆介さんの文章がまたよい。この20年の札幌の自主映画状況をこのようにふりかえることができるのは、この人を措いていない。
筆者は80年代初頭のメゾパンとか4プラホールでの自主上映会を思い出したけど、今晩、会場にこもる熱気は、当時をうわまわっているような気さえした。
11月13日(木)
とにかく、書くべきテキストがたまっていて、こまっています。道立近代美術館の英遠・球子展も今週でおわりだし。
11月12日(水)
小生の家は、モツキサップ川がつくる細い谷のすぐそばの、がけの上にたっている。
家のすぐ下をモツキサップ川がながれている。
家を出るときはみぞれだったが、急な坂をおりて、谷の底に着くと、みぞれは雨になっていた。
高低差10メートルでも、みぞれはとけるのだなと感心した。
あーとだいありーはあす更新します。
11月11日(火)
会社で、旭川B面の刷りをひろってきた。
「チャンネル43」というコーナーに、おびただしい展覧会の日程が紹介されている。
その大半は、このサイトでも、北海道新聞の文化面でもまったく触れられることなく、はじまっておわっていく展覧会である。
デザインギャラリーでは「道北教職員文化展」。
NHKギャラリーでは「写団四季写真展」。
ギャラリー千絵莉では「昇美会グループ絵画展」。
ギャラリーフォーカスでは「樋口清己写真展」。
きりがないからやめるけど、旭川など上川管内だけで33の展覧会がリストアップされているのだ。
旭川は、札幌に次ぐ道内第2の都会だから、ほかの地方よりも展覧会は多いだろうが、他の都市でもいくつかの展覧会はひらかれているにちがいない。
こういう情報を一堂にあつめることができたらすばらしいと思うのだが。
11月10日(月)
本屋を長時間ぶらついた。
どうも筆者は、本を読んでいる時間よりも本屋にいる時間のほうが長いような気がする。
こづかいをそこそこ持って本屋を徘徊するのは至福のひとときだが、そういうことはめったになく、だいたいは買いたい本もがまんして帰ってくることになる。
というわけで、「アート本情報」のページに、大量のあたらしいデータを追加した。
本の表紙の画像をたくさん入れたため、このページはすでに300キロバイトを超えていて、ISDN以下の環境の人にはとてつもなく重たくなっているが、ご容赦ください。
11月9日(日)
8日はカレーを食いすぎて寝てしまった。
未明に札幌で初雪が降ったらしい。
ちなみに、1カ月前に画像を紹介した紫陽花だが、なんとまだ咲いている。
コスモスは枯れてしまった(ちかくの家の庭ではまだすこし咲いているが)。
ナナカマドもすっかり赤い実だけになっている。
9日は総選挙。
筆者は10日の夕刊にあたっているので、めずらしく家でテレビの開票速報を見ている。
8日はシンポジウム「21世紀はデモクラシーの世紀か」、9日は「北海道浅井学園大学北方圏学術情報センター美術研究プロジェクト中間報告会」に出かけた。報告はいずれまた。
11月7日(金)
で、ゴスロリである。
例の、河内長野の殺人。
どうもうまく考えがまとまらんので、断章っぽく書いてみる。
月曜の夜。
自慢話ではありません。(「自慢話ではないが」とはじまる話はたいてい自慢話である、と嘉門達雄は歌っているが、それはそれとして)
デスクに「ゴスロリって知ってる」と聞かれ
「ゴシックロリータの略で、黒と白を基調にした奇抜なファッションですよね。ほら、ヴィジュアル系ロックのコンサート会場なんかにいっぱいいるじゃないですか」
と答えた。初老で知っててもなんの自慢にもならん。
が、職場の社員はだれも知らない。
というわけで、この日制作した朝刊から、北海道新聞には、用語の豆解説の横に「虫眼鏡マーク」をつけることにしたのだが、そのマークの第1号は
「ゴスロリ」
になった(16版のみ)。
なお、おなじ職場にいるアルバイトの学生はみんな知ってました。
女のゴスロリは、ときどきいる。
でも、モンダイは、このカップルの男のほうも「ゴスロリ」だったことである。
いや、そりゃ何を着ようと自由だけどさ。でも、男がスカートはいてりゃ、やっぱびっくりするぞ。
筆者は見たことありません。
でも、5日の北海道新聞3面に載った共同通信配信と思われる記事には、男のゴスロリの談話も出ていたから、大阪とかには、いるのかもしれない。
ヴィジュアル系ロックじたいは、べつに殺人をひきおこすようなものではないと思う。
ロックが殺人事件の背景になったことは、これが初めてではない。
シャロン・テート事件で、殺人犯が、ビートルズの「ヘルター・スケルター」にそそのかされたと供述したのは有名な話だし、1985年にロサンジェルスで起きた「ナイトストーカー」事件で、14件の殺人事件をひきおこした(うち1件は不起訴)青年はAC/DCの熱狂的なファンだった。もっとも、AC/DCやブラックサバスといった、サタニスム(悪魔主義)のイメージがあるへヴィメタルを聴いた者が全員犯罪者になるともとうてい思えない。
もうひとつ、筆者がとまどってしまうのは、ヴィジュアル系ロックが、1990年代半ばの興隆をすぎて、いまやマイナージャンル化していることだ。
90年代、「ロッキングオン・ジャパン」あたりの雑誌からはバカにされていたが、その王座的な位置にあったX(末期に「X JAPAN」と改名)が解散した後も、人気バンドがたくさんあった。
いまやどうだ。グレイとラルク・アン・シエルは、もうヴィジュアル系というカテゴリーにとどまらないバンドになった。
ルナシーと黒夢は解散した。
客席の「ゴスロリ率」の高さという点ではかなりのものであった、北海道出身のグニュウ・ツールも解散した。
マリス・ミゼルは、ボーカルのGacktが脱退して、その後1枚アルバムを出したけど、いまはどうなっているんだろう。
ほかにも、Die in Criesとかピエロとかペニシリンとかが思いうかぶけど、近況は筆者は知らない。(追記。ラクリマクリスティはがんばっているようです)
そーだ、シャズナっていうのもこのジャンルかな(爆笑)。もちろん解散してます。
「ヴィジュアル系ロック」でくくられるバンドはいまもあるけれど、ジャンルとして最盛期を過ぎたのは否定できないだろう。
2003年現在、もっとも人気のある「ヴィジュアル系」アーティストは、たぶん「氷川きよし」であろう。
だいたい、ヴィジュアル系ロックというのが、音による分類ではなくて、たんなる見た目によるジャンルだというのが、他のロックファンからいちばん軽蔑されていた点だった。
でもさー、彼らの遠い祖先といえなくもない「グラムロック」だって
「男が化粧してるロックバンド」
という以外に共通項はないような気もするけどね。
もちろん会社にも「ゴスロリ」を知ってるのがいて、
「ヤナイさん、男のゴスロリもいますよ。バウハウスの解散後にメンバーが作ったバンド、なんでしたっけ、あれなんかもそうじゃないですか」。
今思うと、ラブ・アンド・ロケッツのことを指しているのか、あるいは、バウハウスの主要メンバーだったピーター・マーフィーがユニットを組んだミック・カーンがもといたバンドである「JAPAN」のことをいっているのか、よくわかんないんだけど。
「バウハウス」は80年代初頭の英国で活躍したニューウェイブバンドで、おそらく「耽美」がキーワードなんだろうけど、筆者はどこがいいのかよくわからない。
今回逮捕された高1の女の子が、好きなアーティストに、Die in Cries(記憶ちがいだったらゴメン)のほか、T.M.Revolutionを挙げている。これもよくわからん。ちがうだろおまえ、とツッコミたくなる。
おなじような感性の女の子がいたら、たぶん35年前には江戸川乱歩とかを読んでたような気がする。
それにしても、大学1年と高校1年だろ。
ふつー、大学1年のほうがいろんなことを知ってて、趣味とかもそっちに合ってくんじゃないのか。なさけねー男だな。どーして、高1の小娘のアホ空想話を止められないのだ。
と、なんだかとりとめのないところで、きょうの話はいったんおわり。
11月6日(木)
北海道新聞によると、シンポジウム「21世紀はデモクラシーの世紀かT−ポスト戦後日本とデモクラシー」が8日午後2時から札幌コンベンションセンターでひらかれるそうだ。出席するのが酒井直樹・米コーネル大教授、浅田彰京大助教授、杉田敦法大教授らで、コーディネーターが山口二郎北大教授という豪華メンバーなので、奥岡さんにはもうしわけないですが、たぶんこっちのほうに行くと思う。
11月5日(水)
4日は帰りがおそくなったので、更新をさぼってしまった。
大阪府河内長野市で今月1日、大学1年生と女子高生が、両親を殺害して二人だけで暮らしその後心中することを計画、大学生が母を殺して父と弟にけがを負わせたという事件が起きた。
この件についての考察はあす以降に。
11月3日(月)
札幌の最高気温22.4度。11月としては史上1位の記録だそうだ。
11月2日(日)
JRタワーにのぼったり、焼肉を食べに行ったり、いそがしい休み。
道立近代美術館(中央区北1西17)に「北の巨匠 岩橋英遠・片岡球子展」も見に行った。
英遠の代表作「道産子追憶之巻」がないので愕然としたら、じつは「これくしょん・ぎゃらりぃ」のほうに陳列されているということでありました。
11月1日(土)
めずらしく土日連休。
しかし初日は、前日までの疲れをとるのが精いっぱい。
世間では3連休で、道立の各美術館は3、4日も開館するなど、いろいろな催しがあるようだが、ほとんど顔を出せそうにない。