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  35年の短い人生のうち
10年をヨーロッパの旅空に
過ごした
モーツァルトの音楽旅、

  彼はひと所に留まる人を
軽蔑するほどに、
旅は人を豊かにする
ものであると考えるよう
にもなりました

 

  その旅先風景を220年後の
スケッチ旅から
水彩画にしました

 

第15回個展
<季節の水彩画>を
8回に分けて展示します
 

Aug.
8

モーツアルトの旅先 7


 


ドナウ川の石橋

ブルグ広場像

サンスーシー宮殿

劇場前の広場

プラハの家

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Mozart作曲
 
Piano conc.21UK467 
MIDI by

   

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エッセイ 個展

 

17779 モーツァルトと母マリア・アンナは、西方への旅に出発しました。モーツァルトはザルツブルクに見切りをつけ、 新天地に活躍の場を求めたのですが、結果的にはどこの宮廷にも相手にされず、また、パリでは母を亡くすことになる悲劇への旅立ちでした。アウグスブルグ、マンハイムなどを経て17783パリに到着しましたが神童時代とは違って街は冷たく、苦境のモーツァルトに追い打ちをかけたのは7母マリア・アンナの突然の死でした。9パリを発ったモーツァルトがナンシー、ストラスブール、ミュンヘンを経てザルツブルグに帰着したのは17791でした。                         

178011から17813 依頼オペラ初演のためミュンヘンに滞在。

17816  大司教と喧嘩してザルツブルグに決別したモーツァルトの帝国の首都での新しい音楽人生が始まります。

17837から11 モーツァルトの帰郷は最後のザルツブルグ滞在になりました。

1787
1
から2 モーツァルト夫妻はボヘミアの首都プラハに行く。
178810 第2回目のプラハ訪問。                                                          

17894 北方を目指し、ウィーンを出発しました。プラハ、ドレスデン、ライプツィヒ、ポツダムなどでも期待したほど持てはやされず、ベルリンでも得るものが少なかった旅はプラハを経由し17896ウィーンに戻りました。

モーツァルト像

 

(60×30p)

 

左から

ザンクト・ギルゲン

ウイーン

ザルツブルグ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブルグ広場像

 

(ウイーン)

60×30p

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドナウ川の石橋

 

(レーゲンスブルグ)

8P

チェコに近いドナウ川に架かる古い橋の名は
ただ石橋だそうな、向こう岸にはドイツで一番古い
焼きソーセージ屋のテントが見える

焼く小屋は石造りだけれど客は
テント下の木製テーブルとベンチに座り
ソーセージの本数や飲み物などを注文する

籠のパンは自由に取り計算は
ボーイが最後にしてくれる
東ドイツの古く美しい町である

 

 

 

 

 

 

 

 

 

劇場前の広場

 

(ドレスデン)

8

エルベ川のほとり宮殿、教会
歌劇場の周りに配して広場がある

宮殿美術館の上階の窓辺からは
観光団体が広場のあちらこちらに

大戦の傷跡も修復されてきたらしい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サンスーシー宮殿

 

(ポツダム)

8P

モーツアルトがこの瀟洒な宮殿を
訪れたのも未来への希望を求めてだった
前庭にはブドウ棚を配した段々が連なる

ポツダムの名は先の大戦末の
我が国の記憶に重い
そのツェツィーリエンホーフ宮殿は
少し北にある

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブランデンブルグ門

 

(ベルリン)

8P

いつもながらベルリンの象徴だ
幾度となく訪れる戦争と平和を
見つめ続けた凱旋の門

モーツアルトに思わしい成果を
もたらすことはなかったようだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プラハの家

 

(ベルトラムカ)

8P

街中からすj腰外れに荘園はある
モーツアルトにとって居心地の良かった
プラハ、いつも滞在して名曲も残した

200有余年を経てどれほど
原旧を残しているかは未知だが
庭に小さな池、斜面には胸像があった

 

 

 

 

 

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