日本の国会図書館の中に、「真理がわれらを自由にする」という言葉が掲げられていますが、ご存じでしょうか。国会図書館ホームページによると、聖書のヨハネ福音書からの引用と書かれてあります。当たり前なことですが、多様性が叫ばれている現代の日本で、私たちは憲法によって基本的人権が保障されています。何を考え、どこへ行って、何をするのも、基本的には自由です。
しかし、この掲げられている真理の言葉の前提には、「人が不自由である」という事実があります。人は何かに捕らわれて不自由であるのです。今の社会に不自由さや窮屈さを感じている人々がどれほど多いことでしょう。そんな私たちにイエスは語りかけられます、「真理はあなたがたに自由を得させる」と!イエスの言う「真理」とは何なのでしょうか?わたしたちは聖書に「真理」を知って自由を得た人たちを見出します。
「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(聖書ヨハネによる福音書14章6節)
わたしたちは罪から救ってくださるイエス様が必要です。イエスの言う真理とはそのことです。イエスを真の神の子、救い主だと信じることです。イエスを信じることを通して、わたしたちは罪を赦され、永遠の命へと、神さまのもとへと招かれているのです。キリストの真理と自由について、教会に来てくださり是非知っていただきたいと思います。
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「新5000円札の顔」津田梅子の人生
2024年、20年ぶりに新紙幣が発行されます。新たに5000円札の顔として描かれるのは、日本初の女子留学生としてアメリカに渡り、のちに女子教育の先駆者として活躍した津田梅子です。
1871(明治4)年、6才の梅子は、日本最初の女子留学生5人のうち最年少者として、岩倉使節団に随行して渡米しました。ワシントン近郊のジョージタウンに住む米国人夫妻に預けられ、教会の日曜学校に通っていた梅子は8才の時に信仰を告白し、バプテスマを受けました。留学を終え日本に戻ってきた梅子は、日本における女性の地位向上の必要を痛感し、自分で学校をつくる夢を持ちます。そして1900(明治33)年に女子英学塾(後の津田塾大学)を設立し、華族・平民の区別のない女子教育を始めたのです。女性も自分の意思で未来を選択し、自立していく力が必要と信じ、明治という大変革期を力強く駆け抜けた梅子の行動力の根底にあるのは、聖書に書かれている神の愛と信仰なのでした。
まもなく教会ではイエス・キリストの復活を記念するイースターをお祝いします。イエス・キリストは私たちを心から愛し、私たちの罪の身代わりとして十字架にかかって死なれました。そして墓に葬られ、三日目によみがえったのです。このことを信じて、イエス・キリストを救い主と受け入れる人には、永遠のいのちと神の子どもとされる平安と喜びがあたえられ、天国に入ることが出来るのです。津田梅子が持っていた神の愛と信仰について、教会に来てくださり是非知っていただきたいと思います。
「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」 (聖書ヨハネによる福音書3章16節)
そこに愛がある
主は遠くから彼に現れた。「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している。」(エレミヤ31章3節)
この聖書の言葉には神が「あなたを愛している」と書いてあります。私たちが暮らしている地球や宇宙は偶然に存在しているのではなく、神がこの天と地を造られました。そして、私たちは神の作品として、神が愛をこめて、一人一人を大切な唯一無二の存在としてデザインして造られました。
ところが私たちには神が見えません。だから神の存在を疑い、神なしで生きてしまうのです。目に見えない存在の神が私たちにどのように接して、どのように愛してくださるのか、さっぱり分からない人も多いと思います。
しかしこの聖書の言葉には「主は遠くから私に現れた」とあります。そんな目に見えない神がはるか彼方にいるような気がする神様が、私たちに現れたのです。それは、神でありながら人となってこの地上に来られた神の御子イエス・キリストのことです。キリストによる罪からの救いと永遠の命こそが最も価値あるものです。イエス・キリストを救い主と受け入れる人には、永遠のいのちと神の子どもとされる平安と喜びがあたえられ、天国に入ることが出来るのです。
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネ3章16節)
「麒麟がくる」明智光秀の娘、細川ガラシャの人生
2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公は明智光秀です。天下の武将織田信長に謀反を起こし、信長を殺害した事件は「本能寺の変」と呼ばれました。しかし、その13日後には豊臣秀吉に敗れ、光秀は死んでしまいます。この光秀には玉という娘がいて、細川忠興(ただおき)に嫁いでいました。「謀反人の娘となった彼女は、夫の忠興によって味土野(みどの)という丹後半島の辺境の町(現在の京丹後市)に幽閉させられたのでした。「本能寺の変」を境に、大変な苦難の中に落とされた彼女がキリスト教に触れるきっかけを作ったのは、キリシタン大名・高山右近でした。右近の語る教えに心ひかれた彼女は、幽閉生活中にキリシタンの侍女・清原マリアを通してイエス・キリストの教えを学びます。そして玉は密かにキリシタンとなり、ガラシャという洗礼名を受けました。ガラシャとは「神の恩寵」という意味です。聖書の教えの中でも、この「恩寵」という言葉は、とても大切な意味を持っています。人間の側からの修行によって悟りの境地に達するという教えとは異なり、あくまでも、神の恩寵によって人は救われる、というのがキリストの教えです。人の側に求められるのは、神がキリストを通して用意された救いの恩寵を、ただ、信じ受け取るということであり、信仰によって人は神に受け入れられるのです。
まもなく教会ではイエス・キリストの復活を記念するイースターをお祝いします。イエス・キリストは私たちを心から愛し、私たちの罪の身代わりとして十字架にかかって死なれました。そして墓に葬られ、三日目によみがえったのです。このことを信じて、イエス・キリストを救い主と受け入れる人には、永遠のいのちと神の子どもとされる平安と喜びがあたえられ、天国に入ることが出来るのです。細川ガラシャが人生の苦難の中で得た心からの安らぎを、教会に来てくださり是非知っていただきたいと思います。
「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」 (聖書ヨハネによる福音書3章16節)
賢者の贈り物
オー・ヘンリーが書いた「賢者の贈り物」というお話をご存じでしょうか。
・・・12月24日のクリスマス・イヴ。アメリカにヤングという若い夫婦がいた。夫の名はジム、妻の名はデラ。ふたりは、このクリスマス・イヴを、なんとか楽しく過ごしたいと思っていたが貧しく、何も買えずにいた。けれど妻のデラはすばらしいことを思いついた。夫のジムは祖父と父から受け継いだ金の懐中時計を大切にしていたので、妻のデラは美しくて長い髪の毛を売って、金の懐中時計に付ける「プラチナの鎖」を買い求めた。しかし、夫のジムは、大切な金の懐中時計を質に入れ、デラが欲しがっていた、彼女の長い髪にとてもよく似合う色の「べっ甲のくし」を買っていた。・・・
一見愚かな行き違いは、お互いの「思いやり」を受け取ることになりました。自分の一番大切にしていたものを犠牲にしてまで、愛する者を喜ばせようとした、その「思いやりの心」を互いに受け取ったのです。
聖書に出てくる博士たち「東方の賢者」は、馬小屋で生まれたばかりの幼な子イエスに、贈り物をささげるためにやってきました。クリスマス・プレゼントの習慣はここに始まったのです。人は、プレゼントされるとうれしいものです。そして最大のプレゼントそれはイエス・キリストです。神様は私達人間を愛して、神のひとり子を贈ってくださいました。このクリスマスの夜にそっと静まり、神に祈りをささげ、私たちを救ってくださる救い主イエス・キリストのことを心から讃美しませんか?あなたにも愛の贈り物がおとずれることを願っています。
「神はそのひとり子を賜わったほどにこの世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」(聖書ヨハネによる福音書3章16節)
日本で最初の女性医師、荻野吟子の生き方
この秋、日本で初めての女医となった、不屈の精神と大いなる愛に生きた荻野吟子の生涯を映画化した「一粒の麦」が上映されます。荻野は16歳のとき結婚しますが、夫からうつされた病気がもとで離婚。上京して婦人科治療をうけますが、そのとき治療にあたった医師がすべて男性という屈辱的な体験から、女医となって同じ羞恥に苦しむ女性たちを救いたいと決意し、女医を目指しました。荻野は医師になってから教会に通うようになり、後に同志社総長となる海老名弾正の導きでキリスト教の信仰を持ちました。
「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」(ヨハネによる福音書15章13節)
キリストの愛こそが最も価値あるものです。そして、これは荻野吟子の愛称聖句です。再婚した夫の死など逆境の中にあっても、不屈の精神と神の愛の言葉を胸に、社会の虐げられた人々のために生涯をささげたのです。
神は、私たちの逆境のなかでも再出発したいという祈りに必ず応えて下さいます。そして、神の愛の言葉とイエス・キリストは、あなたを素晴らしい神の作品に変えて下さいます。
意味のある人生
少し前までなら、有意義な人生と言えば一生懸命に勉強して良い高校、良い大学に入り、一流の企業に就職して、高い生涯年収を得ることでした。
ところが、リーマンショック以降、多くの一流企業は赤字となり倒産し、吸収合併が起こり、固定費削減のために早期退職や配置転換が行われ、従来の有意義な人生のレールは変貌してしまいました。そのような中で、多くの人は新たな有意義な人生について模索しているのではないでしょうか。
聖書の中に、イスラエルの王ソロモンが自分の体験をもとに書いた文書があります。ソロモンはイスラエルの隆盛を築き上げた偉大な王で、世界で他の誰もが持つことのできなかった知恵と権力と財産をひとりで得たのでした。しかし、そのソロモンがたどり着いた境地が、次の言葉でした。
「そこで、わたしはわが手のなしたすべての事、およびそれをなすに要した労苦を顧みたとき、見よ、皆、空であって、風を捕えるようなものであった。」(伝道の書2章11節)
彼はこの文書の最後に有意義な人生について、このように結論づけました
「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に。」(同12章1節)
天地万物を創造された造り主、神を信じ敬い、イエス・キリストから受けた愛によって人を愛することこそが最も価値あるものです。神は、私たちに新しい「意味ある人生」を必ず教えてくださいます。詳しく知りたい方は、ぜひこの度の特別プログラムにご自由にお出かけください。
西郷隆盛は聖書を教えた
NHK大河ドラマ「西郷どん」で再び注目を集めている西郷隆盛(南洲翁)が民衆に聖書を教えていたことが、生前の西郷を知る父を持つ地元住民の証言などから明らかになりました。また、鹿児島県の「西郷南洲顕彰館」には、西郷が読んでいた文語訳聖書が今も陳列されています。
西郷が晩年に座右の銘とした「敬天愛人」とは、「道というのはこの天地のおのずからなるものであり、人はこれにのっとって行うべきものであるから何よりもまず、天を敬うことを目的とすべきである。天は他人も自分も平等に愛したもうから、自分を愛する心をもって人を愛することが肝要である。」
(南洲翁遺訓より)という教えです。この「天」とは維新の武士たちが影響を受けた陽明学には無い言葉で、これは新約聖書にあるイエスの教えに出てくるものです。
「『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。」(マタイによる福音書5章43~45節)
天地万物を創造された神を信じ敬い、キリストから受けた愛によって人を愛することこそが最も価値あるものです。神は、私たちの「愛されたい」「救ってほしい」という心の叫びの祈りにも必ず応えて下さり、キリストによってあなたを必ず救ってくださいます。西郷どんが影響を受けた聖書について関心のある方、詳しく知りたい方は、ぜひこの度の特別プログラムにご自由にお出かけください。