茎ノ峰峠(道智道)
   一ツ沢林道
   林道 暖日山線

   林道専用道 トヤ道

平成28年7月現在

平成28年7月現在 茎ノ峰峠 通行可能!

茎ノ峰峠未計測部分走破 1.0kmでした

一ツ沢林道の最深部状況 37 加筆

-は茎ノ峰峠(道智道)(@〜I)
-は一ツ沢林道(I〜Q・34〜36)
-は林道 暖日山
(23〜30)
-は林道専用道 トヤ道
線(31〜33)

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 茎ノ峰峠とはかつて、大日寺中興の祖である僧 道智上人が、置賜地方との出羽三山参拝の便を図るため黒鴨から朝日連峰の山中を縫い、大井沢へと通じる参拝道を開削した。応永二年頃(1395)に開削されたと言われており、上人の名にちなんで、「道智道」と呼ばれる。「六十里街道」の一部とも言われる古の道。道智道の開削により、大日寺は置賜および、南東北・関東地方から三山詣でへと向かう行者の玄関口となり、大いに栄えることとなった。江戸時代には湯殿山別当四寺の一つとなり日本七大霊場の一つにまで数えられた。大日寺を発って出羽三山へと向かう行者の列は、当時「湯殿まで笠の波打つ大井沢」と詠まれるほどだった。伽藍は6軒7坊を数え、大井沢には26坊もの宿坊があったと言われる。一ツ沢林道にも萱野という集落が存在した。

 しかし長く続いた繁栄は、明治元年の神仏分離令が公布されたことにより急速に廃れることとなる。神仏習合の形態であった大日寺は寺号を廃し、神社となった。そして、本尊や寺宝を大日寺に縁のある諸寺院や個人に引き取られて散逸した。さらに、追い打ちをかけるかのごとく、明治36年(1904年)の失火災により絢爛な伽藍は仁王門、山王堂、鐘楼を残して全て焼失、ついには再建されなかった。

 道智道の起点に当たる黒鴨の曹洞宗巌龍山蔵院には、湯殿山派の僧であった光明海上人の即身仏が安置されている。図中Dの地点には、光明上人が入定した墳墓が残されている。

 現在の道智道は線形に無理がない場所は、当時の面影を残していると推察される。また、線形が自動車の通行に適さない地区においては、道路傾斜が少なくなるような大幅改築が施された模様。付近の住民の方に聞き込みを実施した結果、昭和の初期までは茎ノ峰峠を通って湯殿山へ参詣していたとの事。

 600年の歴史を持つ巡礼の道は、ひっそりと人々の記憶から忘れられつつある。

 林道 暖日山線は比較的新しい路線のようで、国土地理院の地形図では行政界の付近が繋がっていない。実際は黒鴨地区へ林道が開通しており、快適に走行可能。整備されたロングダートで景観もよく、ツーリング向きのルート。

 二つの林道は一本の林道で結ばれている。(ここでは便宜上「連絡路」と呼ぶ)複数の分岐を持つが、そのほとんどは行き止まりである。自然に没した箇所もあり、地形図とは若干線形が変わっている。始めて進入する場合は、地形図に頼り切らないとよいだろう。

 二つの林道を基軸に、林道伏辺山線林道黒鴨線に抜ければ、一日中林道に浸れる。非常に有意義で、存在価値の高い林道群。

 



この林道とつながる道は・・・

山形県 県道289号線

林道 黒鴨線


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行き止まり 行き止まり 林道 黒鴨線 林道 伏辺山線 巌龍山蔵院。 未舗装開始 分岐1 文政時代の石碑 光明上人墳墓跡 石碑のある分岐 頭殿山へ ブナ峠歩道の分岐 廃道部分 一ツ沢林道とのアクセス部 一ツ沢林道 分岐@ 一ツ沢林道 分岐2 一ツ沢林道 登山道へ 一ツ沢林道 旧道道筋残る 道智みち 旧道ルート? 一ツ沢林道 萱野の集落 分岐 一ツ沢林道 起点 連絡路 分岐@ 連絡路 分岐A 連絡路 分岐B 連絡路 分岐C 林道 暖日山線@ 林道 暖日山線 分校跡 林道 暖日山線 栃窪集落 林道 暖日山線 快走区間 林道 暖日山線 分岐B 林道 暖日山線 起点 林道 暖日山線 私有地分岐 林道 暖日山線 終点 トヤ道線への分岐 林道終了地点 県道からのアクセス 崩落修復個所