ブラジルの実験
2010年12月
中川村に行って来た。村長の曽我さんに頼まれてベーシックインカムの集会を手伝いに行ったのだ。BIの入門書を書いた同志社大学の山森先生とそのゼミ学生6人が、ブラジルで実験的にBIを実施しているNPOの二人を連れて来た。京都や東京での集会の前に中川村を視察しながら報告集会も開いた。私も運転手として中川村を見て回ることができて楽しかった。
ブラジルではなんとBIの実施が法律化しているのだ。ところが政府がなかなか実行しようとせず、条件付きの給付で誤魔化そうとしているらしい。怒ったNPOの人達が大統領を訴えようとしたが、弁護士に逃げられ訴訟は諦めた。そのかわり、自分たちで寄付を集めて少額なBIを小さな村で実験することにした。その様子を日本にも呼ばれて報告しにきたのだ。
28歳のブルナという女性とマルコスという33歳の男性の二人が来た。ずいぶん若い人が社会運動を担っている。しかもとてもよく勉強している。環境問題から取り組み始めたが、アマゾンの熱帯雨林を伐採する人達も生活と収入のためであり、伐採を止めろとは言えないという壁にぶつかった。そこからBI運動に関心を持つようになったようだ。
百人くらいの小さな村で一人1400円を毎月配る実験を始めたが、最初は27人しか受け取らなかった。突然他所から人が来てお金をくれると言っても、すぐには納得してくれなかったのだ。しかし、次第に実験の意義を理解してくるようになり今では70人以上が受け取っている。貧しい農村なので少額ではあるがかなり効果が上がっているようだ。寄付金は企業などから貰うが、その分税額が控除されるので企業にもNPOにも良い制度である。残念ながら日本ではまだ制度化されていない。
中川村は人口5000人の農村である。高齢化と過疎化も深刻になっているが、合併に反対して曽我村長が誕生した。都会から就農して自然農法を実施している人もいる。安曇野より平地は少なく、中央と南アルプスに挟まれている。山際の古い家を月1万円で借りているが、猿や鹿・猪などにやられてほとんど作物ができないので、役場近くに畑を借りているという。望岳荘という村営の温泉宿泊施設には蜂博物館が併設されている。スズメバチの巣を人工的に作って様々な形にする。世界一大きな巣もあった。もちろん食用にしたり焼酎に漬けて薬にしたりする。最近は日本蜜蜂の研究が盛んになっているという。山奥にはフランス人が陶芸やストーブを作って暮らしていた。辻々には地蔵や祠がアルプスを望みながら沢山残っている。天竜川の近くの古い民家で泊めてもらった。鴨米酒と鴨肉をお土産に持って行く。
日本でもBIを研究するゼミが出来た。学生は2年からゼミに入るから、かなり研究することができるだろう。ひょっとすると日本で最初に中川村でBIが実験的に導入されるかもしれない。小さな村だからこそ出来ることも沢山ある。時代は確実にしかもかなり速いテンポで変化している。大豆の収穫も終わり、少し余裕も出来てきたので、またBIの勉強会も始められるだろう。
呪いがウケた
2010年11月
お米の収量は過去最悪だった。無施肥無農薬圃場が反当り5俵、アイガモ農法田が3~4俵くらいだ。研修生らが5人でやった田んぼが一番良く7俵である。他の人の話を聞くとやはり少なかった。良くて7俵、平均5俵くらいではなかろうか。通常栽培では9~10俵。有機圃場の出来が良くなかったようだが、これは県内でも中信地区だけだという話も聞く。
理由はわからないが、猛暑の影響と中信地区は夏に雨が極端に少なかったためだろうか。雑草を根気よく取った所で7俵。アイガモが全滅したのでアイガモ田が一番少ない。苗間の餅米はアイガモでやったのと、間違えて肥料をやりすぎたためか10俵近くあった。暑さで有機物が早く分解してお米の養分にならなかったとも考えられる。米の収入はかなり減ったが、それをトマトが埋めてくれたという形になった。総収入はあまり変わらない。トマトをやめていたら大変な減益だった。やはり一つの作物に特化するのは危険だ。もう一つくらい柱があればもっと安定するのだが。
また、毎年米を植えている水はけの悪い圃場は特に出来が悪かった。これは毎年トラクターで代掻きをしているため、ネリネリ層と言われる硬い面ができるためと言われている。水も養分も浸透しないから稲の根ももちろん入り込めない。だから根は浅い表面にしか張れない。雑草と生藁の害の他に、このネリネリ層の害が大きいことも今年はよくわかった。実際、無施肥圃場が一番収量はよかったが、これは輪作でトマトや麦、大豆を作っているからだろう。トウモロコシが一番根は深くまで伸びるが、麦や大豆も結構深い。これがネリネリ層を破壊してくれる。一日に減る水の深さが大きかった。5センチくらいが良いとも聞く。稲連作の田は2~3日は水が減らない。雨水だけでほとんど減らない田もある。
しかし、全ての圃場を輪作でやることはできない。もともと、水捌けが悪く畑には適していないからだ。仕かたが無いのでネリネリ層を砕く鋤を買うことにした。これが単純な構造物の割に値段が高い。数年悩んでいたが今年の結果を見て購入を決めた。トラクターが小さいので付くかどうかやってみなければ判らない。ガチガチに硬くなっていると思うのでかなり機械には負担がかかると予想される。
三人の雇用研修生のおかげで今年はかなり体が楽になった。その内の一人が茨城に農地が見つかってそっちへ行くことになった。東京のご両親も手伝ってくれるらしい。こちらは残念であるが、やはり新規就農はそんなに簡単なものではない。実家が農家の自分でさえ、ある程度の収入になるまで20年近くかかっている。ましてや、非農家の人が就農するには様々な問題があるだろう。なんとか志を遂げて貰いたいものである。
送別会も開いた。と言っても、もっぱら私が飲みたいのとカラオケをやりたかったからだが。山崎ハコの「呪い」が大変受けた。最近の私の十八番である。「安曇野とおじさんを捨てて行っちゃうのね」という前置きも忘れなかった。暗くて怖い歌なのに何故かいつもとてもウケル歌なのだ。
山林・農地の回復
2010年10月
稲刈りが進まない。真夏日が続いた後は一転して寒い雨の日が多くなったからだ。先日まで扇風機を回していたのに、今はストーブを出している。極端な温度差に体もついていけない。人間も植物や動物も大変だ。
稲は夏場の高温で肥料を吸ったらしく、倒れる田が多い。前年のワラも分解され栄養になったのだろう。また、高温で過乾燥による胴割れが心配され、ギリギリまで水を入れる人が多かった。その上、急に雨が多くなり圃場はどろどろ・ぐちゃぐちゃである。代掻きした田にコンバインを入れているみたいである。特に大町方面はこの辺より雨が多かったようで苦労しているらしい。小型のコンバインでは倒れた水分の多い稲は詰まってしまう。我が家の機械もベルトが切れてしまった。農機具屋は大忙しだ。
まだ、刈っていない田が八枚もある。天気が続きそうもないので、まだ二~三週間は終わらないかもしれない。夏場の高温で刈り始めは一週間も早くなったのに、終わるのはいつもと同じくらいになってしまいそうだ。収量はだいたい平年並みか少し少なめである。周りの農家は倒れる稲が多いが、私の稲は無肥料でやっているのでピンピン立っている。刈りやすいが収量はあまり期待できない。味はどうだろうか?米どころの新潟では白濁米が多く、一等米は二割以下だそうだ。これは夏場の夜の気温が下がらないために品質が落ちるからだと言われている。幸い信州はまだそこまで熱帯夜はないので、一等米の割合は高いそうだ。
しかし、米価は全国的に大幅に下がっている。一俵2000円くらい下がるらしい。一反で二万円の減収である。これは政府の米農家所得保証の反当り一万五千円を上回る。結局、所得保障しても農家の収入は減る。一体誰が価格を決めているのだろう。大手チェーン店に価格を支配されているのだろうか。デフレを止めて、直売所や小売店に買いに行く人が増えてくれないと農家もやっていけない。
預かったカモは今のところ元気だ。最初から小さいカモは暑さのせいかほとんど死んだ。心配されたキツネの被害は何故か全くない。あと一ヶ月なんとか無事でいて欲しいものである。
二人目の里子さんが来春就農する。今から五反以上の農地を確保しておかないと間に合わない。とりあえず目途はついたが、何十年も人に貸してあった土地で地主も正確な場所がわからないという。耕作者に聞くしかない。こういう農地が増えている。山林は境界も所有者もわからなくなっているらしい。荒れ果てた山葵畑も近くにある。透き通った綺麗な水が豊かな流れを見せている。都会から来た里子さんはその水にいたく感激していた。山葵は無理でもクレソンくらいは整備をすればできるかもしれない。この冬は山葵畑や新しく借りる農地の水路整備や片付けという仕事が増えそうである。
世の中は中国との関係がキナ臭くなってきた。もう中国へなど行かず、企業も引き上げて、荒れ果てた故郷の山林・農地の回復や維持に力を合わせるべきではないか。
深層崩壊
2010年10月
盗難事件が続いた数日後、今度はアイガモがほぼ全滅した。70羽いたが二晩で10羽になってしまった。おそらくキツネだと思うがはっきりした証拠はない。どこから入って、どこから出たのかがわからない。キツネは用心深いので出る場所がないとなかなか入らない。最初は外傷がなかったので、隣のトマト畑の消毒が原因ではないかと思った。しかし、死体を集めていたら首のないものがあった。それから半分は死骸も持ち去られていた。さらに、隣の畑に羽が散乱していた。稲を踏み荒らした跡もかなりあったので、害獣が侵入したことは間違いない。猟犬や野犬も飛び込むが、殺すだけで持ち去ることはあまりない。持ち去ってどこかに隠すのはキツネである。この周辺のアイガモ農家も春先からかなりやられていた。小屋を作って夕方入れるようにしてやっと解決したという。こちらはもう稲も大きくなりカモの役割もほとんど終わったし、そこまでする必要も気力もない。
筑北村のアイガモ農家もかなりやられている。今年はアイガモ農家には受難の年になってしまった。預かるカモの池も不安である。自分のカモはほとんどいないので力も入らない。総数が減ったので餌の心配はあまりないが、キツネにやられる心配は大きくなった。しかも水をいくら入れても溜まらない。どこか底が抜けているのかもしれない。
米はカモがやられたり雑草が多く、あまり期待できそうもない。しかし、加工用トマトは豊作でしかもとても甘い。昨年は長雨で悲惨なトマトであったが、今年は久しぶりに良い出来だ。毎年、トマトも米も何故失敗したのか考えるのが当たり前のようになっているが、今年のトマトは何故うまく出来たのか考えている。珍しいことである。まあ、考えたところで自然界の摂理が人間に解明できるわけもないが・・・。
そんな訳で、毎日トマト取りで大忙しである。しかも、どうしようもなく暑い日が続いている。研修生も私もバテ気味である。あと一週間くらいが山である。今年からトラックで新潟の津南まで配送しているから、その疲労もかなりある。高速などほとんど使ったことがないので怖い。だいたい80~100kで車線変更など狂気としか思えない。高速が無料になったらこの狂気が日常になってしまうのではなかろうか。気候も狂ってきたが人間社会も相当狂っている。
いよいよドルの暴落も始まったかのようである。もういいかげん中央銀行マネーに振り回される世界とはお別れしたいものである。60年も前にケインズはバンコールという中立な決済通貨や国際決済銀行を考案した。黒字国はプラスに赤字国はマイナス鑑定で記録され、異常な黒字国はペナルティーとして黒字が目減りするシステムを採用する。赤字国の支援も世界の義務とされる。結局ドルを基軸通貨にする案に負けたが、そのドルの命運も最早時間の問題であろう。ところが未だにケインズのバンコール案を見直そうという意見がほとんど出てこない。おそらくドル暴落で世界経済が破綻しないと駄目だろう。中国のバブルも今年中にはじけるという噂もある。ここ数年で世界経済は深層崩壊するかもしれない。
第三世界化が進む
2010年7月
毎日、毎日、田んぼの草取りである。今年も除草で失敗した。悪い癖である。人に聞いた話をすぐに実行してしまうのだ。稲作りの課題で大きなものは、雑草対策と生ワラの処理であることは何回も書いてきた。雑草対策はアイガモ農法を取り入れることでかなり減ってきた。しかし、生ワラの処理はまだこれといった対策がない。輪作をやり始めたのは生ワラの対策としてである。田んぼにしかならない所はアイガモ農法でやっているが、やはり生ワラの害が少しある。また、輪作でも三年に一度田にするが、ワラの害はもちろんないが、雑草に関してはかなり出るし、麦や大豆や加工トマトもそう沢山作れないし販売ルートもない。できれば生ワラ対策をしっかりやって米の連作をしたい。そこで田植えの3週間くらい前から水を入れるとかなり生ワラの害が減るという話を聞いたのでやってみた。確かに生ワラの腐るいやな臭いが少なくなった。
が、その代わりに雑草が大量に発生してアイガモを入れても追いつかない。一体どうしたんだろう?たぶん水を早くから入れたので雑草の種が十分水を含んでいたため発芽が早まったんじゃなかろうか。それと、昨年と同じ傾向で5月中旬までに植えた人は稲の分ケツが進み成長が早い。5月末以降に植えた田は成長がかなり遅れているという普及所からの情報を貰った。稲が遅れるとその分雑草は出てくる。
生ワラの対策が逆に雑草を増やしてしまうというジレンマである。人から聞いた話も間違ってはいないかもしれないが、鵜呑みにすると大変な失敗になるという教訓である。代掻きも同様に人に聞いた話を実行してみたがトラクターの足跡が残って大失敗。こちらはすぐにやり直した。チェーン除草がいいという話も聞いてやってみたが、かなり草は浮くが後か後から発芽してくる。やり方がまずいのか、それとも効果はそんなにない方法なのかはわからない。
研修生には申し訳ないが、そんな訳で毎日田んぼの草取りをやってもらっている。まあ、一日一時間くらいが限界なのだが。
ところで私の周りで盗難が相次いでいる。まずは研修生が畑に車を止めて農作業をしていたところ、車からバッグごと盗まれた。翌日、こんどは姉が家の玄関にバッグを置いている十数分の内に財布を盗まれた。どちらも現金だけでなくカードや鍵や保険証・免許証などが入っていたので大変である。田舎の田んぼで車にキーを掛けて仕事をする人はめったにいない。しかも、かなり見通しがいい道路である。研修生の落ち込みも大変なものである。我が家で盗難があったのも初めてである。もともと我が家に盗むほどのものはない。スーパーができて人通りが多くなったことはあるが、物騒な世の中になったものである。窃盗団が都会から来て高速を使って逃げるという話も聞く。地元でも収入がなかったり減った人が出来心か困ったからなのか盗むという事件も増えている。経済大国といわれ、世界一の債権国で毎年世界から利子収入があるとも言われる国で貧困が広がっている。盗難や犯罪も増えるはずである。貧しいものが貧しいものから盗むという悲しい第三世界の話も他人事ではない。
三世紀も前の制度
2010年6月
アイガモも入れ終わって雨も降ってきたので少し休める時間ができた。といっても、様々な書類の作成があるのでとても休んだ気にならない。今年から農家の戸別所得保障制度も始まる。あいにく農協の総代もやっているので所得保障の書類集めも若干やらなければならない。米に対して反当り1万5千円が支給されるが、減反を消化していることが条件である。また自給用は支給の対象にならない。あくまで販売する農家に対してだけである。まだ政府も農業を産業の一つと考えていて、その土地の生活様式なのだという発想はない。それに様々な条件付の所得保障は煩雑で膨大な事務が必要である。今回の戸別所得保証も何回もの説明会やら書類作成があった。費用の大きな部分が事務に当てられているのではなかろうか。やはり社会システムはシンプルなものがいい。家が単位であることも気に入らないし、金額もあまり期待できるほどではない。
里親制度の方は大変助かっている。毎日手伝いがいるので田植えがいつもより早く終わった。田植え機もほとんど里子にやってもらった。私は代掻き専門である。今までよく一人でやっていたものである。鴨田を囲む網もボロボロになっていたので、毎年雛が外へ出て獣にやられていた。その網も直して貰ったので今年はまだ一羽も外へ出ていない。姉も穂高へ引っ越してきたので、父母の手伝いで野菜畑やら家事もやってくれて助かる。その他にも色々な人が毎日最低2~3人は尋ねてくるので、随分賑やかな日々である。
先日は菅総理が誕生した感想を聞きたいということで市民タイムスの取材まできた。十数年前にカレル・ウォルフレンと当時民主党の代表であった菅直人の対論集会を主催したからである。省庁の官僚や業界団体が国を支配し政治が機能していない構造を問題にした集会であった。この構造はまだ残っているが、今ではほとんどの人は問題点を知っているので私の関心も他に移っている。
特にBIや金融問題を学んでからは、国政や政党にはほとんど期待できないことがわかってきた。特に菅総理は財務大臣の時、専門用語がわからず度々質問に答えられなかった。経済政策にはあまり期待できそうもない。ましてや政府通貨でBIを実施するなどという発想は全くないのではなかろうか。
通貨や信用の発行が銀行に独占されたのはイギリスが始まりである。当時の英国では権力が多元的であった。議会や貴族層、教会などが国王を牽制していたので、国王も勝手に貨幣鋳造や徴税ができなかった。しかし、新大陸争奪戦から降りることもできず、新興勢力である銀行界に実質的な通貨発行権を与えてその下請け業者になったのではなかろうか。銀行に国債を引き受けさせる代わりに植民地争奪戦を勝ち抜き、その富を国民に分配することで納得させるという暴力的な経済成長路線が確立した。だから現在の政党政治や議会もこのイギリスの制度を引き継いで銀行マネーと徴税と経済成長を前提にしている。三世紀も前の政治制度はもはや機能していないのだ。
通貨主権のない国家
2010年5月
ようやく過ごしやすい気候になってきた。最近までファンヒーターを使っていたが、もう必要はないのではなかろうか。稲や野菜の苗もなんとか植えられそうな大きさになりつつある。トマトと稲の苗も以前のような大きな失敗がなくなって随分気が楽になったが、この時期の忙しさは好きではない。農作業で忙しいだけではない。体を使うのは慣れているのでそれほど苦にならない。しかし今年は莫大な書類作成に追われているのだ。一番苦手な分野である。
県の里親制度はリーマンショック以降、里子にほとんど手当てが出なくなっていた。以前は月に4万円の補助金が出たが、基金の運用利益が出なくなったので補助金もなくなった。ところが、政府の臨時雇用対策により一年限りではあるが雇用という形で里子や研修生に賃金が出ることになった。だめ元で申請したら一次審査は通った。そこで私が事業主となって3人の里子を雇用することになった。もちろん、雇用・労災保険の加入は最低限必要になる。事業主登録から雇用・労災保険加入やら莫大な書類が必要になってしまった。労基署やハローワークや県・農協に提出するものである。研修生には月々13万円出るから随分助かるのだろうが、こんなに書類が多く大変な作業になるとは思わなかった。こちらも労力を得られるという利点はあるが、自分が事業主になるなどとは考えてもみなかったので全く違う分野の経験と苦労である。
農作業だけでも忙しいのに苦手の書類作りは大変だ。事業主の苦労が少しわかったような気もする。書類が通るかどうかまだわかないが、とにかく提出するところまでは漕ぎ着けたいものだ。田植えの前になんとかやってしまいたいとは思っているのだが・・・
ベーシック・インカムがあれば、こんな煩雑な書類や制度はほとんど必要なくなるのではなかろうか。労災は必要かもしれないが、雇用保険は必要がなくなる可能性もある。BIの金額にもよるが、失業はあまり問題にならなくなるだろう。最低限の生活費が保証されれば、むしろ失業は未来に向けた創造的な生き方を模索する良い機会に変わるであろう。その点、今時農業をやってみたいという人はBIがなくても充分挑戦的な生き方を目指しているとも言える。
長い目で見れば、その通りだと思う。農業中心の社会に移行する可能性は非常に大きくなってきているのではなかろうか。ギリシャの財政破綻はEUを巻き込んでリーマンショック以上の恐慌を世界にもたらすかもしれない。アメリカの連銀ももはや打つ手がなくなってきて破綻するかもしれない。日本は幸い内需の割合も大きく外国に借金もなく良い中小企業も多いので、まだそれほど大きな影響はない。しかし、地域・世代間格差はこの国のアキレス腱になっている。それにしても、この世界の状況は国家と金融機関の対立という様相を呈してきている。国家主権というが実際は私企業である銀行がマネーや信用を支配しているのだから当然である。現在の国家には通貨という肝心要な制度がない。通貨主権のない国家に主権などあるはずがない。世界の政治経済の混迷の原因はここにあるのだ。
遠心分離機社会
2010年4月
寒いし雨が多い、ここ数年とは少し違う春である。農作業も忙しくなってきたが、天気が続かないので思うようには進まない。新しい里子さんが名古屋から来たので毎日の作業も新鮮だし、ずいぶん助かることも多い。ここ数年安曇野には随分若い就農者が増えた。時代が徐々に変わりつつあるようだ。
プールとジムはまだ時々通っている。かなり慣れてきたが、体重も体脂肪もあまり減っていない。ジムを教わった知人は60歳はかなり超えていると思うのだが、なんと体脂肪は7,4で引き締まった体である。驚きである。私は恥ずかしながら28から30もある。かなりショックであった。しかし、十年後の自分の体脂肪を7,4はちょっと無理かもしれないが20はなんとか切りたいものだという思いが沸いてきた。これからの農作業で体重は5キロくらいは減るだろうが、体脂肪も少しは減るのだろうか?
できる限りジムとプールにも行きたいものである。プールで昔の感覚が戻ってきたので調子に乗って、体育協会のバスケットにも参加してみた。もう20年くらいやっていないが、バスケがこんなにキツイスポーツだとは思わなかった。ジムやプールとは使う筋肉が全く違うようだ。アップだけでギブアップした。だいたい横や後ろに走ることなど普段はほとんどない。特に、ジャンプが全くできなくなっていた。ボードに手が届かないのである。これは体脂肪よりショックが大きかった。もともと、軟弱ではあるが体育会系の人間だったので、自分の体力・身体能力の見るも無残な低下ぶりは情けない。もう、昔の体に戻ることは無理だろうが、せめてボードに手が届くくらいのジャンプ力は取り戻したいものである。しかし、バスケのクラブには40代・50代は一人もいない。やはりこの歳でできるスポーツではないのかもしれない。こちらの方はいつまで続くかわからない。オッサンよぼよぼバスケチームはないのだろうか。
体脂肪とジャンプ力、どちらもかなり難しい課題ではあるが、具体的な目標にはなりそうである。農作業も忙しくなるが気分転換にもいいかもしれない。仕事とは違う目標があるのも精神上いいだろう。精神上といえば、心を病む人が増えているようだが、私の所にNPOからの依頼で週一度、心を病んだ人達が農作業体験に来ることになった。躁鬱症とか私もほとんど知らないがアスペルガーとか言う病もあるらしい。現代ほどストレスの大きい社会もない。心を病む人が大勢いても不思議はない。それに都会では無縁死が問題となっているらしい。家族や友人もほとんどいない人達が孤独の中で死んでいく。地域の繋がりも地方でさえ薄れているように感じる。近代社会はまるで遠心分離機のように人の繋がりを分断して個々バラバラにしているようだ。
幸い私のところは人が大勢きて賑やかな毎日になってきた。農業も機械化されて孤独な作業が増えてきたが、これも農業衰退の一つの要因かもしれない。遠心分離機のような現代社会の中で、人の繋がりはどうしたら築いてゆけるのだろうか。
ええじゃないか
2010年3月
やっと税金の申告が終わった。毎年、最終日に駆け込む。待ち時間は長いが申告自体は数分で終わってしまう。領収書の整理や計算に丸二日もかかったが、申告はあっという間である。自慢ではないが所得税は農業を始めてから一度も払ったことはない。しかしいつまでたっても申告する作業は嫌いである。もっとも、税の申告が好きで好きでたまらない、という人がいたら会ってみたいものである。
春の強風が吹き始めて、ハウスのビニールが破れた。その修理をしたくらいで、まだほとんど農作業はしていない。税の申告も終わったし、もう少しのんびりしたいのだ。後で大忙しになることは目に見えているのだが・・・。
週に一度か二度、ジムとプールに行っている。糖尿とメタボ、運動不足対策である。800円でジムもプールも使える。最初はかなりきつかったが次第に慣れてきた。プールには同じ目的できているらしい中高年の人が多いが、たまに若くてかわいい女性もくるので楽しみである。もう完全に中年すけべおやじである。水泳は昔取った何とかで、けっこう気持ちよく泳げる。若い頃習ったものは体が覚えているものである。十年以上泳いでいなかったが、数回行くうちにほぼ思い出したようだ。
ジムは初めての経験である。偶然知り合いがいてボランティアで教えているという。私も教わったが、10種類くらいの筋トレ機械があり、それを一回りしただけで一週間体中が痛かった。極めつけはランニングするベルトコンベアみたいな機械である。5分も歩くとへとへとになってしまった。とても走る気にはなれない。いかに冬の間歩くことがないか、思い知った。なにも金をかけてまでジムで歩かなくとも、田や畑の道で歩けばいいようなものだが、三日坊主なので続かない。週に一度か二度ならば、他の人もいるし室内で寒くないのでなんとかやっている。まあ、それも3月で終わるだろう。
ベーシック・インカムの集会はお蔭様で予想を上回る人が来てくれた。毎月の会議にも新しい人が参加してくれ楽しい。今月末には全国ネットワークもできるという。ネットでは、ますます議論が活発になっている。「ベーシック・インカムええじゃないか」というサイトもあり、江戸時代の全国に広がった「ええじゃないか」運動を目指しているようだが、実際地方でもぼちぼち学習会が開かれるようになってきたようだ。
一方、亀井静香金融大臣が「日銀の国債引き受け」を堂々と主張するようになった。これは日銀券の形はとるが実質的には政府通貨の発行である。税収がなく借金も莫大なので苦し紛れの発言かもしれないが、ほとんどあらゆる改革は苦し紛れに行われるものである。これでベーシック・インカムへの道が少し開けたようだ。もちろん、国民新党はミニ政党で力はないが、現職の金融大臣が発言したことの意味はこれからも重くなっていくだろう。これに比べて民主党や菅財務大臣は依然銀行マネーにとらわれている。大きくなりすぎた政党の宿命か。農作業も忙しくなる頃であるが、BIの動きも目を離せなくなりそうである。
物々交換もいいかもね
2010年2月
いよいよ2月20日、ベーシック・インカムを考える集いを行う。おそらく地方では始めての本格的なベーシック・インカム集会なのではなかろうか。東京や大阪、あるいはネット上ではかなり話題になってきているが、新聞紙上ではまだほとんど取り上げられることはない。そのせいもあるのか、報道関係に情報を流しても反応は鈍い。今時の新聞の感度の鈍さは今更言っても仕方がないかもしれない。雑務に追われて勉強する時間もないのか?
まあ、マスコミは日本においては闇権力の一つなので、あまり期待はしていない。なにしろ、報道の基本である、5W1Hがほとんど機能していない。たぶん、ほとんどの報道機関では5W1Hの教育をしているはずなのだが・・・。誰が(who)いつ(when)どこで(where)誰と(whom)何を(what)どう(how)決めたか。である。
地デジが始まるが、テレビの買い替え費用も大変だし、莫大な廃棄物をどうするのか・・・などは話し合われたのだろうか?
郵政民営化もそうだ。国鉄やNTTのようにいくつかの地域に分割されると思っていたら、業務別に分けられすべて東京本社である。これでは巨大な天下り先ができただけではないか。
20年近く関わってきた国営アルプスあづみの公園は、いまだにその決定過程は明らかにされていないし、建設内容もぎりぎりまで公開されなかった。
烏川渓谷緑地公園は市民会議で話し合われて運営するようになったが、指定管理者に任せられることになった。なぜ指定管理者なのか追及したがろくな検討もしていなかった。報道関係者も聴いていたが、その問題は紙面には載らなかった。
この国で民主主義が根付かないのは、ほとんどマスコミの責任と言っても過言ではないが、それを追求しない市民にも責任はある。記者クラブ制度で行政に抱き込まれている。あるいは報道機関ではなく情宣機関だと思っているのかもしれない。愚かな庶民を教育しようとでも思っているのだろうか。
とにかくマスコミはあまり期待できないので、口コミで宣伝するしかない。なるべく集会に参加してチラシを配っている。BIは人権という側面もあるが、本来経済構造の問題である。税収は減る、税を上げればまずます景気は悪くなる。アメリカでは地方銀行がどんどん潰れている。資金需要はなくなるし、融資の焦げ付きがあるから当然だ。預金だって銀行の帳簿上の数字に過ぎないから、皆が一斉に引き降ろせばたちまち銀行は倒産するだろう。二番底どころか底なしの景気悪化は時間の問題である。戦争かハイパーインフレしかないと言う人もいるが、政府通貨とBIで簡単に解決する問題なのだ。
マスコミも経済学会も政治家も勉強不足はなはだしい。もはや亡国の輩というしかあるまい。しかし、お金が紙くずになっても地方では物々交換という手はある。なるべく、そうなって欲しくはないので今は地道にBIの議論を広めていくしかないのではなかろうか。
人事ではないのだが
2010年1月
この冬は珍しく忙しい冬になりそうである。といっても農業で忙しくなるわけではない。2月20日にベーシック・インカムのパネルディスカッションを予定しているのである。また、農文協という出版社が創立70周年記念で「地域の再生」という20巻に及ぶシリーズ本を出すが、そこで共著という形で私も名前を挙げて貰っているからである。
共著は尊敬している関曠野さんから誘われた。私の思想や情報はほとんど関さんから教わったものばかりである。とても博識な思想史の在野研究者である。私に何が書けるのか全く自信はないし、迷いっぱなしである。軽い性格なので軽く受けてしまったところもある。今になって、これは大変な事を受けてしまったなあ・・・と、悩むことも度々である。
理論面は関さんが書いてくれるので、私は実践や経験をもとに書いて欲しいということくらいしか、まだ決まっていない。私の失敗ばかりの農業体験が少しでもこれから農業をやりたいという人の役に立つのであれば幸いである。対談を主にするという関さんの構想なので、それほど書くことにこだわる必要もないかもしれない。しかし、対談は書くよりもっと苦手なので困ってしまう。頭の回転は遅いし、しゃべり方もボソボソである。そうとう勉強しないと話ではついていけないのではないかと心配は増すばかりである。
とにかく冬の間にできるだけやっておかないと春からはそれこそ大忙しである。さらに4月からは農業の里子が二組増えそうなので頭が痛い。一度に三組の研修生を引き受けることになりそうなのだ。不況の影響もあるのかもしれないが、農業をやりたい人が増えているらしい。ところが、県の里親制度に登録している有機農家は中信地区では私だけなのだそうだ。それで一気にこの春から研修生が増えてしまいそうなのだ。今までの研修生は実践経験のある人だったので田畑を貸せてあげればほとんど自分で試行錯誤してやっていたが、今度は全く始めて挑戦する人もいる。最初から田畑を任せるというわけにはいかないかもしれない。まあ、手が増えればこちらも助かることも多い。農業は様々な仕事はあるが、そう複雑で難しいものではない。むしろ始めての人の方が出来が良かったりする。
とにかく、本の出版の方は冬の間に目途を立てたいとは思っているが、ぐうたらで切羽詰らないとなかなか動かない腰の重さは相変わらずである。まだ、正月気分も抜けない。
また、BIの公開討論会の方も日程とパネラーしか決まっていない。中川村の曽我村長さんと松本の生存を支える会の八木さんである。こちらも準備を進めなくてはならないが、できたばかりの会なので予算もスタッフも足りないというかほとんどない。困ったものである。せっかく曽我さんが来てくれるので活発な討論会にしたいと思っているが、準備にはかなり苦労しそうな気もする。そんな訳で選挙のとき以来の忙しい冬になるかもしれないが、腰も体重もまだまだ重い。さて、どうなることやら・・・。人事ではないのだが・・・
Author
ゆういちろう
50代でめでたく結婚。、これからも田畑と町を耕していきます。