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怠ける権利を確立しよう

2006年12月

今年も残りわずかとなった。主な農作業が終わって気が抜けてしまったせいもあり、のんびりやっている。暮は大忙しの人が多いなかで申し訳ないが2月ごろまでは、こんな調子でのんびりしたいものである。お金がなくとも貧乏暇なしで一年中忙しいのは勘弁してもらいたい。根っからの「ものぐさ太郎」なのである。安曇が「ものぐさ太郎」伝説の発祥地であると知ったのは「大菩薩峠」を読んでからである。おそらく江戸時代以前から安曇地方で伝承されてきたと思われる。なぜ安曇でこんな物語ができたのかはわからないが、私のような「ずくなし」にはとてもいい伝説だと思う。朝寝・朝酒・朝湯が大好きで・・・という歌もあったが、これもあこがれの生活である。酒は酒米の現物支給でたくさんあるし、風呂も直したので充分実現可能な生活であるが、いまのところ朝寝だけは毎日実行している。8時ごろからぼそぼそと起きだして動きだすのは10時ごろからである。日が短いので3時頃にはもう家に上がってしまう。

時代塾というネットで市民改憲の議論をしているが、新しい基本法には「怠ける権利」を入れようという意見が活発に行われた。大賛成である。人間働きすぎはよくないのである。ワーキングプアが話題になっているが、いくら働いても国が棄民政策を取り続ける限り状況はよくならないのではなかろうか。

大町の及川さんは一応大工を名乗っているがほとんど働かないので有名である。ところが、東チモールに行って村の男達が全く働かないのを見て呆れて帰ってきた。上には上がいるものである。一日中ぼーとしているという。少し工夫すれば石器時代のような生活も改善できるだろうに・・・と。なにしろカマドも石を組み立てただけなのだそうだ。そのかわり女達が働き者だという。

しかし、及川さんが私のような怠け者とはとても思えない。情報公開の請求では県で一・二を争うくらいやっているし、四人の子供を育て上げ、最近はご両親の世話で忙しい。どうも「働く」という言葉の中身・意味を考えなおす必要がありそうである。「稼ぐ」という言葉もあるが、これは明らかにお金に換算されるものである。しかし、実際世の中はお金に換算されない無償の奉仕で成り立っている。子育てや介護は典型的な例だが、最近では農林業も仲間に入ってきた。これらに共通するのは命の世話をするという点ではなかろうか。「世話をする」ということが実は現代社会では見捨てられてきたが社会の存続には決定的に重要なものだと思う。今風に言えばケアーの論理であるが、これが社会の基本となればかなり住みよいものになると思う。働くという言葉はそもそも「傍(はた)が楽になるように」という意味からきているという話を聞いたことがあるが、これは「世話をする」ということに似ている気がする。

私も今年は稲とトマトと鴨の世話をよくしたと思う。お金にはあまりならなかったし、みんなおいしくいただいてしまったけど、「けっこうよくやったぞ」と自分を褒めてあげたい。あとはゆっくり怠けさせていただきたいものである。

今年の作柄

2006年11月

蕎麦の収穫が終わり、後は大豆を収穫すれば今年の主な仕事が済む。今年も色々あったがなんとか農作業も一段落しそうである。アイガモは三日間かかって、見学者も含め延べ五十人前後が参加して七十羽くらい一気に解体した。冷蔵庫は鴨肉で一杯になった。素人でも鴨の毛をむしってくれるだけでありがたい。それが一番時間と手間が掛かる作業だからだ。自分の鴨を持ち込む農家が数軒、農作業体験の一環として来た若者達は二十人を超えていただろう。ウーファーのアメリカ女性・香港女性もきて国際色も豊かである。ウーファーとは世界の有機農家を巡って手伝いながら旅行をしている人達のことである。登録したホスト農家は食事と宿を提供する。一日6時間くらいは手伝って貰える。日曜日はお休みで観光もできる。なにより家庭でできる国際交流がおもしろそうである。アメリカ人女性はべジタリアンだが嫌がらずに手伝ってくれた。香港女性は故郷の市場では生きた鴨も売っているので全く平気である。三郷のリンゴ農家の松村君が数年前からwoofのホストに登録している。一年中世界あるいは全国から若者を受け入れている。農業に関心のある若者はけっこういるものだ。受け入れるシステムさえできれば意外と若者の就農は進むのかもしれない。日本の若い女性も大勢来たが、こちらはおっかなびっくり・・・という感じである。日本人は魚をおろすのはあまり抵抗はないが、家畜は苦手のようだ。これも食文化の違いと言ってしまえば簡単である。でも、昔は日本の農家も鶏はどこでも飼っていたし、自分で解体もやっていた。私も子供の頃父がお祭りに鶏の解体をやってくれたのをよく覚えている。その味も大変美味しかった。なにしろめったに肉など食べられない時代だった。今は肉も手頃な価格でいつでも簡単に手に入るが、逆に農家が自分で解体するということはほとんどなくなったのは矛盾していると思う。肉食が身近になったのなら解体や屠殺ももっと身近になって当たり前だと思うのだが・・・。

その鴨肉を使って安曇野アイガモ会で収穫祭をやった。胸ロースのたたきと鴨汁、モツ煮込みである。お酒は飲み放題である。いよいよ年末年始に向かって飲み会モードに入ってきたという感じである。飲み会が続いて風邪をひいてしまったが、かなり流行っているみたいである。今の内に直して万全な体調で望みたいものである。

米の収量は七月の長雨と低温のため、かなり減った。アイガモ田も六俵半くらいだった。収量は減って農協出荷の米の値段もかなり落ちているので収入もかなり減る見込みである。その上トマトも半作である。踏んだり蹴ったりという状況だ。茶碗一杯40~50円という値段はそう高いものとは思えないのだが、米の消費も落ちているというのはどういうことなのだろうか。他に食べるものが沢山あるからなのか、所得格差がかなり広がっているということなのか。私の田の場合、5キロの米を買って貰うと約四坪の水田の景観と環境が守られ、そこに住む様々な昆虫など生き物も守られる。このままでは農家が生産を続けるのが難しくなってしまいそうだ。

出費は重なる

2006年10月

稲刈りがほぼ終わった。今年も近所で一番遅い収穫になった。これは頼まれた稲刈りが増えているのに、未だに昔のままの設備や機械で稲刈りをしていたためである。稲刈りだけで3町歩を超えていると思う。これを袋取りのコンバインと30年は使っている籾すり機でやっていた。乾燥機は二年ほど前に火が点かなくなったので中古品に替えた。今年はついにコンバインを袋取りからグレンタンク式に替えた。これも中古品であるが、人手と体力が続きそうもないのと、まだこれから面積が増えることもありそうだから思い切って替えた。軽自動車に載せて籾を運ぶコンテナも買わなくてはいけないので、総額300万円の出費である。幸い本家の叔父が半額出してくれたので、残りは7年のローンで払う予定である。ところが籾すり機が古いせいもあるが、グレンタンクのコンバインで刈った籾は乾燥機が空くまで次のものを入れることができない。稲刈りは早くできるが、結局は一日置きにしか刈り取りができない。午前中に籾すりが終われば午後刈り取りができるが、なかなか籾すりが終わらない。籾摺り機まで今年替えることはできないと思い、一・二年、今の機械で我慢しようと言っていた矢先に、籾摺り機のシャフトがポッキリと折れてしまった。部品を替えることも考えたがどうせ数年したら替えることになるので、いっそ中古でいいから能率のいいものに替えた方がいいと判断した。駄目になるときは次々と一斉に壊れるものだなあ・・・と思った。出費は重なるものである。

実は家の風呂もほとんど入れなくなって一年近くなるがついに前面改修した。7月にはやはり30年近く使った太陽光温水器を中古に替えた。風呂も40年使った釜を壊して新しい浴槽に替え、これも中古のボイラーを付けて貰った。天気の良い日は太陽光、悪い日はウッドボイラーに繋げることができるので灯油は追い焚きに使うくらいである。冬場で焚き物がない時は温泉公社から温泉が安く手に入るし。稲刈りの時期に毎日家の風呂に入れるのは嬉しい。体中埃まみれになって気持ち悪くてしかたないからだ。電気の容量もボイラーに足りないので増やすことにした。今まではなんと15Aだったので、コタツと電気釜などが重なるとすぐブレーカーが跳んでしまう。古い家なので配線自体を替える必要がある。電柱から家までの配線を太いものに換えて最低の30Aにしてもらった。家の中の配線も一階と二階と外回りを別々にしてもらい、外回りはコンセントをいくつか付けてもらった。これで冬場の不凍栓などで電気の需要が多い時にもなんとかなるだろう。かなり快適な暮らしになったがこちらも100万円を超える出費になりそうである。こちらもやはり私が出せる金額はたいした額ではない。親がかりである。いつまでたっても情けない話ではあるが仕方ない。これ以上不慮の出費が重なることがないことを祈るばかりである。

家の稲刈りは籾すりを除き終わったが、まだ仲間の稲刈りをやってあげることになっているので、当分忙しい日々が続きそうである。

見えない方針

2006年9月

今年はなんとか病気にならずに夏を越えられそうだ。毎年夏には春から溜まった疲れで体調を崩すが、昨年の経験から注意をしていたせいか今のところ大丈夫である。熱帯夜が続き眠れない日もようやく終わって朝晩はかなり冷え込んできた。

トマトは7月の長雨のせいで茎が枯れ収量は激減した。おかげでいつもは暮まで続く片付け作業もほとんど終わった。田んぼの稗取り作業も順調に進んでいる。後は稲刈りを待つばかりである。鴨も田んぼから揚げて池に放してある。朝晩餌をやりながら様子を見に行く。こちらも今のところ元気であるが、一羽逃げて近くの用水路にいる。野鴨と一緒に泳いでいるが、水量が減るまでは捕まえることはできない。潜水が得意なので足の間からでも逃げてしまう。近所の人が餌をやっているらしく、人が来ると近づいてくる。「投網で捕まえられるかも」と、教えてくれる人もいるが、水が減ればなんとかなるだろう・・・と、そのままにしている。どちらにしても後一ヶ月である。今年は10月中には解体する予定だからだ。鳥インフルエンザの影響で県も神経質になっていて、春先に講習会も開かれた。流行するのは秋から冬なので、その前に解体しておいた方が無難である。預かった鴨や頼まれているものも合わせると百羽前後になりそうである。プロがいるとは言え、絞めと羽むしりまでは人手がかなりいるので、一週間くらいはかかるのではなかろうか。お酒の試飲会と合わせて鴨料理の試食もやりたいと企画している。大町で合鴨農法をやっている人達は業者に頼んで解体して貰うようだ。ホテルなどから注文を受けているので、許可を持った業者を通す必要があるからだ。こちらはほとんど4~5軒で分けてしまうし、不特定の人に売るわけでもないので、自分達でやれば充分である。

ところで村井新県政の姿はやはり見えてこない。ガラス張りの知事室がなくなったからだけではなさそうである。もともと反田中というだけの選挙であったから、まともな政策論争もなかった。市町村が主役といっても、市町村でも選挙ではまともな政策論争はないので市町村長が主役と言うことと同じである。職員には知事ではなく県民に目を向けて仕事をするようにという支持らしい。これは正しいが、肝心の知事が県民に目を向けているのかどうかがこれから問題になってくる。実際、凍結されていた松本糸魚川間の高規格道路計画が周辺市町村長の組織する団体の要請で再浮上してきている。石油の値上がりが予想される時代に今更高速道路網でもないはずなのに。村井陣営では「村井はあくまで、次の県政への繋ぎ」と言っていた。本人も「私のこの期に関してのみ退職金を貰わない条例」を作ると言っているから次期はないようだ。どうせなら退職金という制度自体を県内で廃止する条例を論議した方が、退職金で企業や官庁に縛られることもなくなるだろう。とにかく、田中知事の残した数々の遺産を評価・検証して次期に繋げる議論を少しずつ始める必要がある。誰が出てくれるのかは最後に決めればいい。しっかりと政策論争ができる県や市町村にしたいものである。

改革者とは

2006年8月

田中康夫が負けた。残念である。もう一期やって欲しかった。今回私はほとんど動けなかった。田んぼは草だらけだし、昨年の病気から気も弱くなって無理はできなくなっている。それに高校のクラスメートの名前まで候補者として挙がっていたし、まさか、談合政治の象徴のような自民党候補に県民が投票するはずがないという甘い見通しもあった。

田中県政の6年間は一体なんだったのだろうか。おそらく、これから様々な方面からの検証が始まるのだろう。私が思うに彼はごく当たり前のことをやったのだ。特権階級や既得権益を許していたら民主政治は成り立たない。だから談合や根回しを廃止した。連合になかば独占されていた労働委員会の人選も変えた。記者クラブの廃止もそうだし、既得権益化した同和予算や各種補助金・交付金も廃止した。もちろん、これには財政が破綻寸前ということもある。将来の世代につけを残さないということも本来ならばごく当たり前のことである。当たり前のことを当たり前にできないところにこの国の政治の深刻さがある。談合などは市場価格の何割か増した落札で、その上乗せ部分が議員や政治家の懐へ資金として流れる仕組みだという。だから、県会議員は「人の米櫃へ手を突っ込みやがって!」と正直にというか、あつかましくも言ったものである。公金へ手を突っ込んだのは誰なのか。公共事業は政治家にとってなくてはならないうま味のあるものだった。談合を郵便入札に変えられただけでも頭に来るのに、不要不急のものから大胆に減らされたから怒りが収まらなかったのだろう。農林業の不振で農山村が公共事業に頼らざる得ない状況もわかるが、これは人の弱みに付け込んでいるとしか言えない。森林は純国産エネルギー源となりうるから、これからはエネルギー産業という有力な公共事業になるはずなのに、そういう発想は期待する方が間違っているのだろうか。田中康夫にはそういう発想が確かにあった。ペレットストーブに力を入れていたのはその証拠である。

こうした改革を彼はいとも簡単にやってのけた。私が仮に知事になったとしても絶対にできないと思う。全国にも改革派の知事はいるが、ここまで徹底して公開・公平・公然という「公」の論理で貫いた人はいない。また、改革といっても問題は先にも書いたように誰のための改革か・・・によって正反対のものになる。特権階級や既得権益を持った者のためか、何の権力もない貧しい者のためか。改革の名に値するのは、もちろん後者の何の特権も持たない貧しき者・弱き者たちのためにやるものだろう。この原則から言えば、改革を唱えていた小泉が実は何もしていないことがわかる。田中は託幼老所など地域の身近な福祉を充実させた。性格や口の悪さを指摘する人もいるが、一体人のいい政治家に何ができるのだろうか。政治家の場合、人柄と実行力は反比例するというのが私の持論である。政治家に人柄を期待すべきではない。あくまで真の改革者としての実行力である。世界にはベネズエラのウーゴ・チャベスのようなもっと過激な反米改革者がいる。

持つべきものは同級生

2006年7月

中学の同級会があった。実は私が幹事だったのだが、20年間一度も開かなかった。飲み会は大好きだが、幹事が苦手というか嫌いなのだ。連絡を取ったり、会場を手配したりするのが苦手である。今回はどこからか声が上がったらしく、そういう事は他の人がほとんどやってくれたので、私は数人に電話をするだけで良かった。適材適所というのは確かにあると思う。二十名を超える参加者で盛況であった。もう五十歳になる。それぞれ、それなりに貫禄もついてきたように見える。自分もそうだが男はだいたい太っている。白髪まじりは私だけではない。思い出すのに少し時間が必要な人もいたが、飲んでいる内にはっきり思い出してくる。思い出してしまえば、ぜんぜん変わらないなあ・・・と感じた。まあ、私もそう思われただろうからお互い様である。幸いまだ亡くなった人はいない。交通事故で瀕死の重傷を負った人はいたようだが、奇跡的に助かったという。子供が重度の障害を持って生まれたという女性もいた。障害者自立支援法の成立で施設の運営が厳しくなり困っているという話である。完全介護が必要なので、子供より一日でも長生きしたいと言っていた。あまり暗い話ぶりではない。むしろとても明るい話し方だった。何故だろうか。

男性は地元か県内がほとんどであるが、女性は結婚して県外から駆けつけてくれた人も何人かいたようである。一人一人詳しく話しを聞けば、それぞれに色んな経験をしてきたんだろうなあ・・・と思う。

幹事は首になったのでずいぶん気が楽になった。こんなだらしない幹事でも選挙の時はけっこう助けてもらった。出だしが遅くて怒られたが同級生とは本当に有難いものである。同級会は毎年やろう・・・ということにもなったので、飲兵衛の楽しみが一つ増えた。合鴨農法のお酒を持参したが、こちらは評判が良かった。無農薬のトマトジュースも持っていって、焼酎と割って飲んだが、これもまたなかなか評判がいい。ウォッカと割ればブラッディマリーで女殺しの酒と言われているくらい口当たりがいい。今更同級生を口説くつもりは更々ないが、酒が進めば話しも進むというものである。

最後はやはりカラオケである。二次会もカラオケ。「うまい」と誉めてもらったから、やはり持つべきものは同級生であると思った。同級生だからおせじばかりではないだろうから、授業料を払って修行を積んだ甲斐もあったのかもしれない。

知事選の話も出たが、前回ほどには盛り上がっていないらしく話もあまり続かなかった。それにしても「今更なんで」という人が出てしまった。権力のない知事を目指す・・・とか訳のわからないことをおっしゃっている。分権ならわかるが権力を持たない知事などありえないし、それなら最初から知事など置かなければいいではないか。良くも悪くも公開された権力と従来の非公式の闇権力を振るう時代に戻るのか・・・という選択になりそうである。某候補は未だ何のために作ったのかわからない国営公園を安曇野に持ってきた張本人である。まあ、同級会には合わない話題かもしれない。

農村の現実

2006年6月

毎日カモになったように田んぼに入って草取りをしている。結局今年は草を味方にはできなかった。この時期、6月いっぱいで水田雑草との勝負は決まる。負ければ昨年のように悲惨な状況になる。収量もかなり減るのを覚悟しなければならない。だから毎日草取りのことで頭が一杯で他の事は考えられなくなってしまう。当然話題も草取り一色になるわけで、読者には大変申し訳ないとは思っているが仕方がない。無農薬圃場も一町歩を超えるともはや限界である。そのうち5反はアイガモなので、こちらはなんとかなっている。やはりアイガモにかなうものはないのだろうか。

液体マルチは期待したほどの効果は見られなかった。投入した2~3日間は全面真っ黒になるが、その後濁りは減り上の方から透明になっていく。水を入れる度に原液を追加しなければならないことがわかった。

水が深いところはあまり草はないが、なにしろ苗が貧弱なので深水があまりできない。また、コビエにはほとんど効かないように思う。これも数年使って試してみなければ使い方もわからないだろう。

蓮華草を鋤きこんだところは初期の草は抑えられたが、田んぼが沸いてきて稲もなくなるところが多かった。ガスがぶくぶくと出てきて表面がぶよぶよになり、その上に稲が浮いた状態である。これでは苗も根付くことができない。一週間ほど干したらガスは減ったが今度は草が全面に出てきてしまった。蓮華を刈る時期、水を入れる時期、代を掻く時期などかなりタイミングがむずかしいことがわかった。蓮華と不耕起で成功している人もいるので、これも今後の課題である。それにしても全面に発生した草を見るとぞくっとする。

おかげで動力除草機が大活躍である。大竹製作所というところで開発した三連式除草機である。昔の手押し除草機を三つ繋げエンジンを付けたような感じである。単純な構造で軽いのがいい。早め早めに使うのがいい。草が大きくなってからでは効果も少ない。稲の痛みも予想したよりも少ない。しかし問題もある。条間はきれいに除草してくれるが、浮いた雑草が稲の株間に寄ってきて根付いてしまうことである。縦に見るときれいだが、横から株間を見ると稲と稗の区別がつかないほどである。そこで、最後は自分がカモになって手で株間の草取りをしているという訳である。しかし、それも手と肩が痛くて仕方がないので、昨年の二の舞にならぬよう、一枚の田んぼは除草剤を使うことにした。昨年の教訓から体にあまり無理をかけられない。農協に出荷している米ぬか米も除草剤一回なので、こちらはとても楽でほとんど手間が掛からない。なんとも除草剤の威力はすごいものである。

この周辺の農家はほとんど八十・七十代であるから、農協の米ぬか米は現実的である。減化学肥料・減農薬といってもほとんど除草剤一回で済むし、収量も味もまずまずである。三年もやればほとんど草も出なくなるので無農薬にも圃場によっては移行可能である。最近生協などでは無農薬のお米しか買わないところも出てきたようだが、農村の現実を知っているのだろうか。

草を味方に

2006年5月

今年も稲の苗作りに失敗してしまった。例年より寒かったので苗がなかなか大きくならない。毎年苗が小さいと言われているので、危険だとわかっていてもぎりぎりまでビニールを掛けておく。一見するとなんともないのだが、ビニールを取ってから数日経つと枯れてくる苗がある。蒸れ苗である。稲の苗は小さい内は寒さにはけっこう強いが暑さには弱い。だいたい一週間でビニールを剥がすが、大きくしたいと思い伸ばし伸ばしにすると必ず蒸れてしまう。わかっていながら毎年失敗してしまう。ビニールをとってからはなかなか大きくならないからだ。省力化のためにトンネルを止めてベタ掛けにしてからはますます伸びない。雑草を抑えるにはなるべく大きな苗を作って深水にしたいが、その大きな苗がなかなかできないのだ。今年から一部トンネルに戻した。そこだけは早々とビニールを剥がしたので蒸れてはいないが、やはり今年の寒さのせいかあまり伸びてはいない。後は田植えの時期を遅らせるしかない。といっても周りはほとんど連休後には植え終わっているので、我が家だけあまり遅くというわけにもいかない。私は一向に構わないのだが、周囲がうるさいので仕方なしにやってしまう。有機肥料のせいかと思い、これも一部化学肥料でやってみたが結果は同じである。苗作りの難しさは何年経っても変わらない。

一方、昨年の失敗からカモの雛もなるべく大きくして離したいと思い、早く着くように注文した。すでに到着しているので、6月まで2週間以上飼えばかなり大きくなるだろう。が、これもけっこう難しい。狭い小屋で長く飼うと運動不足などを心配する必要がある。今年はカモの田は酒米5反一枚にする予定である。労力が掛かりすぎるからである。残りの田は蓮華やエンバクなどの緑肥と堆肥やこぬかを撒き、さらに液体マルチという活性炭から作った墨汁のようなものを田植え後一週間から10日置きに3回撒く予定である。農業試験場の結果では、この液体マルチとコヌカや油粕との組み合わせでほぼ除草剤と同じ除草効果があることがわかっている。反当り12000円掛かるがうまくいけばカモよりは手間はずっと省ける。緑肥は昔、蓮華稲作が行われていた頃の話では抑草効果もかなりあったらしい。念のため動力除草機も購入する予定である。結局、除草はいくつかの方法を組み合わせて試すしかなさそうである。さてどうなるだろうか。楽しみと心配が半々というところである。

トマトも定植が終わってほっとしている。こちらは年々手抜きが進んでいる。収量は少ないことはわかっているので、その分省力化して面積を少し増やすことでカバーしようと考えている。マルチは光分解する植物性のものに替え、畝間も緑肥や雑草にまかせてしまおうと思っている。トラクターで鋤きこんでしまえば後片付けがとても楽になることがわかったからだ。らい麦の間にトマトが隠れるように植えてある。果たして草を味方にできるであろうか。今後の有機農業の大きな課題でもある。

実害はあったのか

2006年4月

種まきの肝心な時にギックリ腰をやってしまった。粒状にしたコヌカ袋30kを運んでいた時である。じわじわと痛みが増し、ついに歩けなくなり丸三日寝込んでしまった。農作業も大幅に遅れてしまった。整骨院に毎日行っているが、それでも痛みが取れなかったので、近所の医者で痛み止めの注射を打ってもらい、座薬でなんとか痛みを抑えている。もうだいぶ良くなったがあまり無理はできない。13日から始まる米の種まきまでには直さなくてはならない。昨年の帯状疱疹といい、だいぶ体が弱ってきているようだ。もう年なのかなあ。
ところでこの夏には知事選がある。たぶん田中康夫も出てくれると思うが、まだわからない。相変わらず県議会とマスコミに叩かれているが、田中知事は県民に何か大きな損失・実害を与えたのであろうか。大きな損失といえばなんと言っても前吉村県政である。オリンピックを始め公共事業のばら撒きで1兆円を超える莫大な借金を作って環境も破壊した。この後始末は容易ではない。誰がやろうとこの借金を返すことは無理である。大きく増やさないだけでも大変なことである。

田中知事になって私は大変良かった。まず、異議のある公共事業が見直されたため、市民運動は楽になったし、意見も言いやすくなった。その分農業に力を入れることもできた。10年前には普及所の主催で御用学者の講演会があり、「農薬は塩や砂糖より安全だ」と言っていた。呆れてしまったが、それが当時の県の農政の実態だった。昨年、大北地域の普及所で勉強会があったが、なんと農家に対する直接所得保障の話であった。福岡県では環境直接支払いが実施されているが、その仕掛け人である宇根豊さんを講師に招いての勉強会である。田んぼの生き物調査によって生物多様性が認められれば、それに見合った所得が保障されるというものである。県内ですぐ実施されるというわけではないが、まず大きな一歩を踏み出した。それから、普及所が発行している月刊誌にも変化が見られる。波田の自然農法研究センターの研究員が書いた記事が毎回載るようになった。これには本当に驚いた。以前にも書いたが新規就農者を支援する里親制度もできた。少しずつではあるが安曇野にも若い人が就農している。つまり私の知る限りでは田中知事になってから確実に県政は良くなっているのだ。マスコミや県議会が垂れ流す情報に流されずに、まず自分にとって田中県政がどうであったかを考えて欲しいものである。

もちろん、知事とて生身の人間であるから様々な欠点はあるだろう。しかし、政治はやはり結果責任である。どう結果を出したか・・・で判断するべきだ。有権者が知事をいくらでも替えることができる玉と考えているようでは政治は変わらない。欠点も含めて生身の人間であることを十分考えた上で判断しなければ、誰もやり手がいなくなってしまうだろう。それにしても、この国の知識人とジャーナリズムはほとんど機能していない。メディアリテラシーとかいうものを市民がやるべきなのだろう。

再生可能なエネルギー

2006年3月

いよいよ春らしくなってきた。今年は一体どんな天気になるのだろうか。近年は天候のみだれが作物の生育に大きく影響するようになってきたので、毎年天気を心配するところから始まる。心配してもどうしようもないとはわかってはいるのだが。
そういえば、安曇のりんご農家も毎年、りんごが作りにくくなっていると言う。年々秋の気温の下がり方がおかしくなっているらしい。朝晩の冷え込みが少なくなってきて、りんごへの蜜の入りが悪くなる。秋もかなり遅くなってから急に冷え込むのでりんごが割れて値が下がってしまう。「もう十年くらいで林檎は作れなくなるかも」とまで言う人もいる。

「暖かくて林檎がだめなら、ミカンに切り替えたら?」「ミカンなら日本でも有機栽培が可能になってきているよ」、と冗談半分に答えたこともある。自然相手の仕事をしていると環境の変化には敏感になる。

しかし、人事ではない。米もトマトも毎年気候の変化に大きく左右されるようになってきている。特にトマトは酸性雨の影響らしいが収量は少しずつ減ってきているように感じる。何か他の作物の導入も検討する時期にきているのかもしれない。

グローバル・ディミングというのが話題になっている。地球の温暖化は確実に進んでいるのだが、大気中の粉塵も増えているため、太陽光の地球へ入る量は減っていて、それほど急激な気温の上昇はない。この現象をグローバル・ディミングというらしい。本来ならもっと温暖化が進んでいてもおかしくない炭素排出量なのに、それほど気温が上がっていないので研究者の間でも謎だった。が、大気中の粉塵が太陽光を遮っているということがわかってきて、ようやく謎が解けてきた。太陽光が減ると植物の光合成も減るので収量も少なくなる。とにかく、自然は複雑で様々な要因で成り立っている。温暖化もそう単純なものではなさそうである。しかし、世界では化石燃料の燃焼によって、63億トンの炭素を排出している。そのうち、森林や土壌が14億トンを吸収し、海洋が17億トンを吸収している。つまり、毎年、差し引き32億トンの炭素が大気中に蓄積しており、温暖化の大きな原因となっていることは間違いない。中国やインドの工業化がこのまま進むと100億トンの排出量になるのにそう時間はかからないだろう。

スウェーデンでは2020年までに石油の使用をゼロにしてすべて再生可能なエネルギーにするという計画を発表した。デンマークはすでにエネルギー自給を達成している。イギリスやフランス・ドイツも大幅な化石燃料による炭素排出量の削減目標を立てた。

残るはアメリカと日本である。日本も一応NEDOという組織を作ってエネルギー転換を図っているが通産官僚の天下り先で、大規模な施設を作っては失敗しているようだ。再生可能なエネルギーは広く薄く分散しているので、大規模な施設は返って効率が悪い。徹底した分権によって家や地域での自給を高めることでしか広がらないし採算もとれない。やはり日本という国は地方からしか変えられない。癖は強いが田中康夫のような首長に協力してゆくしかないと思う。

公か私か

2006年2月

なかなか暖かくならない年である。雪も消えたかと思ったらまた降る。しかし、春の準備が全くできていないので、あまり早く春が来ても困る。やらなければならないことがけっこう溜まっている。作付け計画もそろそろ作る時期にきている。昨年はアイガモ農法の面積を増やしたため過労とストレスで帯状疱疹に罹ってしまったので、今年は動力除草機を購入したいと思っているが、なかなかいい機械が見つからない。色々な除草機が開発されているが、まだ発展途上のようで一長一短ある。

また後援会の総会を開かなくてはならない。これは年に一回やることになっているのだが、もう三年もやっていない。事務が苦手で県の選管へ毎年出す会計報告だけでもやっと・・・という感じなのだ。さらには昨年パソコンが壊れた時にバックアップに失敗して後援会名簿を紛失してしまった。パソコンもあまり得意ではないので、こういうこともよくある。半分くらいは最初から手で打ち直さなくてはならない。なんとも気が滅入る作業である。今後の方針も出さなくてはならないが、これもやっかいな問題である。だいたい気が小さいし政治のような目立つことは嫌いな性格なのだが、義務感・使命感のようなものだけはけっこう持っているからやっかいなのだ。義務感や使命感は大切だと思うが、それだけではあまり楽しくはない。楽しくなければあまり続けていくこともできない。

村でも町でもどんなところでも一種の共同体の側面を持っている。この共同体を維持していくには誰もがなんらかの義務を担っていかなければならない。例えば今の農村は兼業農家が外から稼いだお金をつぎ込んで維持しているのが現状だ。市場原理から言えばもはや農業は成り立たないのだから、これは村を維持するという義務感でなんとかやっているとしか思えない。意識してやっているかどうかはわからない。昔からの慣習でやっているだけかもしれないが、農村の景観を守っているのは、やはりそういう昔ながらの村と家の義務を果たしている人々なのだ。

これと対照的に政財官などの特権階級の輩は市場原理や権利などは主張するが、義務はほとんど果たしていないのではなかろうか。義務を果たそうと思えば、まず今の農山村の崩壊寸前の状況をなんとかしようと考えるはずである。

江戸末期の熊本に横井小楠という儒学者がいた。彼は公か私かという視点で幕末の政治を考えた人で、坂本竜馬や勝海舟などに多大な影響を与えた人だ。その視点から幕府や各藩の政治を批判しアジアとの交易によって庶民の生活を向上させるのが公の役割だと説いた。福井ではそれが一部実施された。明治初期に暗殺されていなければ、明治維新に生命を吹き込んだ人かもしれない。その後の明治政府は海舟も指摘しているように、私的に横領されてしまった。保身と私腹を肥やすことに固執する上層部という構図は現在まで続いているのではなかろうか。「官か民か」ではなく、「公か私か」という視点で国を作り直す必要がある。

風呂はどうしようか

2006年1月

あまりの寒さに家に閉じこもっている。まあ、毎年正月は寝ているのであるが。幸い雪はこの辺だけは少ない。新潟や飯山付近の大雪は大変である。これも異常気象の一つだろうか。我が家の風呂もこの寒さでついに使えなくなってしまった。水道管が二箇所で破裂した。すでにタイル張りの風呂場はタイルの隙間から水漏れがしていたし、20年間使ったウッドボイラーも老朽化が激しかったので、水道管は元栓を止めておくだけにした。直しても風呂は使えそうもなかったからである。今年は本格的に風呂場を修理しなくてはならないだろう。

ウッドボイラーは風呂と台所と床暖房に使っていて気に入っていたが、床暖房には大量の焚き物が必要で毎日火を起こす労力も大変であった。石油文明からの脱却にはいいが、高齢化が進む我が家でも労力面で続けるのが難しくなってきていた。さてどうしたらいいだろうか。業者の選定がまず必要であるがなかなか思いつかない。

風呂は太陽光温水機を取り付ければなんとかなりそうだ。後は台所と床暖房である。台所も湯沸し機でやれば簡単である。床暖房はこの際諦めるというのが一番安上がりではあるが、将来の石油値上がりを考えるとあまり気は進まない。風呂場の全面改修をするかどうかも、まだ決めてはいない。母は台所の床も腐ってきているから台所も一緒にやりたいというが、これは大規模なリホームになる。排水まで手を入れなくてはならなくだろう。予算面からもかなり難しいし、意見もなかなかまとまらない。ウッドボイラーを生かすには、湯沸し機に繋げるという方法もある。これだとボイラーの温度が低い時には自動的に湯沸しできるので労力面と省エネではかなり期待できる。湯沸し機はガスか灯油か、はたまた電気でやるのか・・・。問題は山ほどある。電気も我が家は15Aしかないのですぐにブレーカーがとんでしまう。配線自体が50年近く経っている古いものなので、これ以上容量を増やすことはできない。だとすれば灯油かガスということになる。台所は薪ストーブにしよう・・・などという意見も出るので収拾がつかなくなる。

太陽光温水機と湯沸し機の導入で今年はなんとかやって、全面改修はまたじっくり考えてから・・・というのが予算面からも妥当に思える。

ドライブインの跡地にできるスーパー問題もなんとか解決した。旧穂高町の町づくり条例に基づく意見書を出したところ、開発委員会で継続審議となった。その二日後にスーパーから4m60cm西側へ寄るという案が出てきた。いくら頼んでも変更しなかったのに、継続審議になった途端に変更案が出てくるとは・・・。あまりに馬鹿にしていると思ったが、道路と合わせて8m以上離れるのでこれ以上の要求は難しいと判断して同意書に判を押すことにした。その代わり地物コーナーには優先的に出荷できるという条件である。それにしてもリオ宣言やISOにもある、開発計画・設計段階からの住民参加を義務付ける条例が新市にも欲しいものである。

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ゆういちろう
50代でめでたく結婚。、これからも田畑と町を耕していきます。