ゆういちろうのページ 2000年

新発売・自然発芽米

2000年12月

もう12月になると言うのに、ようやく稲刈りが終わったところだ。まだ、ハゼに掛かったままだが、今日あたり雪が降るかもしれない。昨年と同様ジャガイモもまだ、かなり畑にある。こちらも何時掘り終わるのか、今のところ見当がつかない。

一応、すべて選挙のせいにしているが、康夫ちゃんが頑張って政治を面白くしていてくれるので、話題をそちらに持っていけるので助かる。稲刈りを遅らせてまで選挙を一生懸命やった甲斐があったね…というところで落ち着いてくれる。

実のところ、今年の稲も雑草の方が多くて、草をかき分けながらの稲刈りなので時間がかかる。小麦やエンドウの種蒔きや玉ねぎの定植も、時期があるので優先しなければならない。収穫と機械などの片付けはどうしても後回しになってしまうのだ。

それにもまして、やっかいなのが自分の性格である。一言で言ってしまえば、恐ろしく・極端に・どうしようもなく「ずくなし」なのである。「明日できる事は今日するな!」という妙なモットーを持っている。だから、ぎりぎりにならなければ、何事もやる気にならないのである。こんな性格だから、彼女もできるはずがない。こまめに電話をするとか、手紙を書くというのが大の苦手なのだ。ずくがないと彼女もできないのである。

「昔は、全部手作業だったので、稲を刈っている間によく雪が降ってきたそうだから、一度雪が降るまでやってみるのもいい経験になるだろう。それなら、まだそんなにあわてなくいてもいいかなあ。」「安曇野では、この時期になるとリンゴ泥棒が横行するそうだ。雨の日の夜にごっそりと盗んで行くという。ただでさえ、猿にやられたり、販売不振や価格低迷が続いているのに大変だなあ。しかし、何故僕の田んぼには泥棒や猿さえ稲を盗みに来てくれないのかなあ。無農薬で安心して食べられるのになあ。」そんな事を思いながら、のんびりとやっているのである。

しかし、あまりのんきにやっていても天気が続かないのは心配だ。雨ばかり降っていると、いくらハゼに掛けておいても発芽する畏れがある。小麦などは梅雨時で刈り取りが遅れると、よく立ったままで発芽したり、ハゼに掛かったまま発芽することがある。発芽した小麦は身がやせたり味が落ちたりする。

米はそれほどではないが、やはり、あまり雨が続き気温が高いと発芽する。倒れた稲の穂が、水溜まりの中で発芽しているのを、今までさんざん見てきた。ただでさえ、少ない収量の米が、発芽によって台無しになる事もありうる。いくら呑気でずくなしの私でも、せっかく苦労して刈り取った稲が無駄になるのは残念である。

こんな話を仲間内でしていたら、寺井さんが、「最近は発芽玄米というのが健康にいいと言って高く売れてるから大丈夫だよ。」と、人事だと思って、気楽な事を言ってくれた。

確かに、玄米は発芽させる事によって消化も良くなり栄養価も高くなるそうだ。しかし、私のはハゼに掛かったままの籾である。果たして食べる事ができるだろうか? それとも、無農薬・無化学肥料・ハゼ掛け自然乾燥・正真正銘自然発芽米として高値で飛ぶように売れるのだろうか?芽が出るまで、もう少し田んぼに置いておく事にしよう。

したたかな長野県をはぐくむ会

2000年11月

選挙の余韻がまだ残っている。祝勝会も先日までやっていた。老若男女、職業も様々な人達と飲むのは結構楽しかった。思えば9月初めに「田中康夫安曇野応援団」を結成してから2ヶ月しか経っていないのに、ずいぶん長かったような気もする。ミニ集会の準備、チラシ配り、応援弁士、開票立会人。今まで選挙運動などほとんどやった事がないので新鮮だったが、反面終わってからの虚脱感も大きい。

選挙のやり方も、今までの組織頼みのやり方ではなく、自由な個人のネットワークという事で、強制や拝み倒しもない。これからの選挙のあり方を根本的に変えてしまうかもしれない。

知事になってからも、休む間もなく精力的に動いているが、どこからあんなパワーが出てくるのだろうか?全く知れば知るほど不思議な男である。最近は彼のおかげで、毎日、新聞とテレビを見るのが楽しくて仕方がない。

さて、「田中康夫安曇野応援団」も一応役割を終えて打ち上げも終わったわけだが、若干、カンパのお金が残っているので、名前を変えて続ける事になりそうだ。田中康夫が気に入らなくなったら、リコール運動を始める時の資金にしよう…とか、安曇野の高速道路反対のために知事を呼ぶ時に使おうとか話し合っている。名前は個人的には「矜持(きょうじ)と諦観(ていかん)を併せ持つ会」などは面白いと思っている。「したたかな長野県をはぐくむ会」というのもいい。何故か「しなやかな…」ではない。これは、中心で頑張ってきたkさん夫妻に送りたいと思っている言葉である。というのは、投票日当日、私は開票立会人をやるために午後8時から穂高町町民会館に行っていたのだが、2日ほど前にk氏から電話があり頼まれたからである。「家は店があるので立会人ができないし、他にやってくれそうな人が思い付かないので、ここは是非団長自ら断腸の思いでしょうが、お願いします。」と。ここまで言われれば、今まで団長らしき事はほとんどやらずに、k夫妻に任せっきりできたので、断るわけにはいかない。本当はテレビの開票速報でも見ながら祝い酒を飲みたいと思っていたのだが。ところが、開票が終わって家に帰り、早速テレビの祝勝会を見ていたら、なんと祝杯をあげている田中康夫の真後ろにk夫妻がビールを片手に掲げて満面の笑みを浮かべているではないか。なんと「したたかな」夫婦なのだ。あきれるよりも感心してしまった。そこで、「したたかな長野県をはぐくむ会」の会長は是非k夫妻にやって貰おう。

祝い酒にしたいものだ

2000年10月

いよいよ、パソコンでおやおや伝言板を送る事になった。いつもなら、慣れているワープロで書いて、汚い題字と署名をして松本まで持っていくのだが、稲刈りと選挙で疲れてしまったので、今回はパソコンで送ることにした。 しかし、これがまた、なかなか思うようにいかない。ワープロよりパソコンの方が機能は多いが若干複雑で慣れるのに時間がかかりそうだ。 実は、すでにもう1回、さんざん苦労して文章をおやおやに送ったばかりなのだ。ところが、話題が選挙の事で立候補者の名前もしっかり書いてしまった。もしその文章が、公示後に不特定な人々の目に触れると選挙違反の可能性がある事を思い出したのだ。公示されると、自由に文章も書けないし、名前を言ってよろしくとも本当は言ってはいけないらしい。全く変な法律があるもんだ。こんな事なら、最初から、パソコンではなくワープロで書いて、自分で持っていった方がよほど楽であった。

パソコンは私の場合、主にメールのやり取りやインターネットで情報収集するのに使っていて、ワープロとしてはほとんど使っていない。ワープロも使い慣れるのに、ずいぶん時間がかかった。最初は苦労して書いた文章を間違えて全部消してしまったりした。それでも、自分の汚い字を見てうんざりするよりはワープロの方がまだましだった。何しろ、私の悪筆ときたら、自分で書いたものが数日後には自分でも読めないほどである。そんな時の自己嫌悪と落ち込みも激しいので、ワープロが打てるようになったのは私にとっては画期的なことなのだ。自分の考えていることをやっと人に文章で安心して伝えられるようになった。 ところで、高校の同期生が選挙に立候補してくれたおかげで、高校時代の友人・知人と合う機会が増えた。この十数年、高校時代の友人とはほとんど会っていなかった。みんなそれなりに出世していて、気が引けるという面もあったが、あまりいい思い出もなかった。例の悪筆でラブレターを書いたことや、付き合ったが別れた女の子のことやらを思い出してしまうからである。と言っても、高校の3年間はほとんどバスケットボールばかりやっていたので、大した思い出はない。思い出すのはほろ苦くはずかしいものばかりなのは何故だろうか。 今年は卒業25周年で2000年という事もあり、記念事業や文集を作る計画があった。年初から、お誘いの便りが度々あったが、寄付をするお金もないし、文集もそんな訳で書く気になれなかった。しかし、突然の選挙のため、同期・同窓生の協力がどうして欲しくなったので、文集だけは投稿することにした。 選挙には間に合わないが、せめて編集委員の目には入るだろうという思いからである。そして、選挙後には同期生の大きな集まりがある。選挙の結果はどうであれ、出席しない訳にはいかない。できれば、皆で、美味しいお酒を苦い思い出をつまみにして飲みたいものである。

Author

ふじさわ ゆういちろう
50代でめでたく結婚。、これからも田畑と町を耕していきます。