街に着いたのは、すっかり日も落ちてからだった。
オレンジ色の暖かい灯りに、リュシイはほっと息を吐く。野宿は慣れているが、目の前にあたたかいベッドがあるならそこで眠りたい。
市門の閉門時間ぎりぎり。何とか間に合って、背後で頑丈な扉が軋みながら閉じる。
濃い藍色に包まれた街道に比べて、街の大通りは華やかだ。
大通りと言っても、荷馬車がやっとすれ違える程度の道幅は、片側三車線のある主都などに比べたら裏道のようなものだ。それでもここラケル市は街道沿いの宿場町で、峠を越える旅人は必ず立ち寄るせいか、地方にしては街の規模は大きい。日没後でも活気がある。
背伸びして辺りを見回して、通りの反対側に宿屋の看板を見つける。
宿屋の一階は食堂や酒場も兼ねているから泊まるにも情報収集するにも困らない。問題は、時間的にも空いているかどうかだ。それでなくても山岳地帯は日暮れが早い。宿を取るならもっと明るいうちだ。
馬車や人を避けて通りを横断する。
看板には『羊と干し草亭』とある。扉を押し開けるとさまざまな熱気――人のざわめき、料理や酒精の匂い――がぐっと押し寄せてきた。
「いらっしゃいませ! ――あら? キミ一人?」
入ってきた客にウェイトレスらしき娘は振り返ったが、それが16歳くらいの少年だったので訝しそうに首を傾げた。
「うん。宿と、何か食べたいんだけど、いいかな。金はあるよ。――はい」
リュシイは愛想よく笑いながら尋ねる。好奇心を持たれるのはいつものことだ。帯剣していても玩具を持っているとしか認識されない。子供だからという理由で、食事はともかく宿が取れなかったりするので所持金を示すのも忘れない。
案の定、リュシイが投げた一枚の銅貨を受け取った娘は安堵したように微笑む。
「一人旅なの? 部屋は個室が空いてるけど、空席はカウンターしかないわ。テーブルだったら相席。どっちがいい?」
店内をざっと見回す。いかにも田舎の居酒屋といった雰囲気で、腕っぷしに少なからず自信のありそうな男達がひしめいている。ここでカウンターを選べば、あっという間に弾き出されるだろう。一夜の宿でも溶け込めるなら溶け込んでおくに限る。
「じゃ、お喋りしたいし、相席で」
「そ? ……レクターさぁん、この子一緒に良いかしら?!」
にっこり笑って尋ねる。
どのテーブルをと迷うことなく、娘は店のほぼ中央のテーブルにたむろする男達のうちの一人に声をかけた。レクターと呼ばれた男は農夫のようだが、日焼けしていかにも力自慢といった風体だ。娘が名指しするからには常連客のリーダー格でもあるのだろう。
「かまわねぇぜ。エディトの頼みならな!」
「ありがと!」
エディトと呼ばれた娘はにこやかに返事する。看板娘の笑顔効果は絶大らしい。
「……エディト?」
思わず振り返る。
「なぁに?」
「あ、うん。知り合いと同じ名前だなと思って。旧い神様の名前だよね」
「そうよ。うちの親父ってフライパン握ってるしか能がないのかと思いきや、意外と博識なのよね。キミ、食事は何が良い?」
「本日のおすすめか、料理人自慢のメニューを」
「解ったわ! すぐ持ってくるわね!」
注文を取って厨房へ消えるエディトを見送って、リュシイは示された席に移動する。
成長途中の華奢な体つき。剣を扱うだけあって、細っこいが歩む足取りはしっかりしている。暖炉の炎のような色をした赤毛。青い双眸。いっぱしに帯剣している。通りすがるテーブルに座る男達が遠慮なしに視線を寄越してくる。
「こんばんは。お邪魔しまーす」
リュシイはにっこり笑って持ち前の人懐こさを発揮する。
「おう、坊主。一人旅だって? どっから来た? まあ呑めや」
「えっと、南……ウマトだよ。あ、ありがとう。俺、弱いんだけどな。お手柔らかにお願いします」
ウマトは街道を南下した、穀倉地帯の端に位置する。ラケルよりもやや大きいくらいの規模の街で、街道の分岐地点だ。集められた穀物は分かれた街道の先へそれぞれ運ばれる。
「ほう。そりゃずいぶん遠くから来たな。ちっこいのに。この街に知り合いでもいんのか? 家は?」
素焼きのコップになみなみ注がれた蒸留酒を舐めるように呑む少年を、男達はニヤニヤ笑いながら見物する。子供に薦めるには強すぎる酒だと承知の上。苛めではなく彼ら流の挨拶だ。
「知り合いはいないし、家もないよ。ずっと旅暮らし」
言い返せば旅以外の暮らしを知らない。
「そりゃ豪気だなぁ」
「うーん、豪気かどうかは解らない。昔からだから。親が放浪グセのある人でさ。散々連れ回されて、癖になっちゃった」
「癖か! そいつぁいいや!」
男どもはリュシイ相手に喋り続ける。今年のウマトは豊作だっただの、この近辺へ来る前は何処に寄ったかだの、砂漠の少数民族の内紛の結末は知っているかだの、北の大国の王女の噂を聞いたことはあるかだの。
「族長同士の話し合いで、休戦中の筈だよ。キャラバンのオアシスで聞いた話だけど。えっと、上の姫君の絵姿なら見たことある」
「すっげぇ別嬪さんだそうじゃねぇか」
「おいおい、マイヤーよお。仮にもお姫様相手に別嬪さんは無礼ってもんだろうがあっはっは」
「何でぇ、気取りやがって」
酒瓶を傾けるレクターにコップを差しだそうとして――いい加減、ヤバイかもしれない――、リュシイは、ふと窓を振り返った。
外。騒がしい気。いくつも。
「どうした坊主?」
レクターが背後を振り返ったままのリュシイを訝しそうに見る。
「何か、あったみたいだよ」
「え?」
レクターが聞き返そうとしたとき、一人の男が酒場に駆け込んできた。
「――モンスターだ!」
叫ばれたその言葉に、酒場にいた全員が立ち上がる。
「何処だ?!」
「ワルトの、納屋……っ」
「それで?!」
厨房からエディトが水を満たしたコップを持ってくる。
それを一気に飲み干して、男は続けた。
「ワルトは逃げて、無事だ。代わりに牛が、やられた」
どうやら牛のおかげで人間は食われることを免れたらしい。
「またかよ……」
相席していた男の一人が吐き捨てるように呟く。
「また? またって? 最近多いの?」
「ああ。ここ一ヶ月足らずだが、多いな。最初は……山に近いところだが、放牧してた羊があらかた殺られたんだったかな。羊飼いは無事だったが。4日前は死人が出た。湖で漁をしていて舟ごとひっくり返されたらしい。食い千切られた痕のある腕が、一本、上がったきりだ」
モンスターに殺されるケースは珍しくない。森に入ってもモンスターの巣へは不用意に近づかないこと。辺境に住む者達の常識だ。それに、たいてい人里と巣とは離れているから、滅多に大事には至らない。
「近くに棲みつかれた?」
これだけ頻繁に出るとなると。
「そうなんだろうな……自警団が見回ってるがまるで効果はねえ」
「ワルトさんの納屋って……」
尋ねようとした矢先、酒場にいた男達が足音も荒々しく酒場から出て行く。どうやら現場に向かう気らしい。些かふらつきながらリュシイも後に続く。
ワルトの納屋は町外れにあった。
周囲には耕地が広がり、その向こうの林が夜の闇に沈んでラケル山麓まで続いている。
畑の中央でわだかまる闇は、牛の死骸だろうか。
風下の木陰から様子を窺う。オーガー。手前に一匹。畑の向こう側に二匹。納屋の裏側にも二匹いるようだ。
集まってきた街の人達の中に、4人ほど剣や弓を持つ者がいる。自警団だろう。伝わってくる気から――申し訳ないが――技量はそれほどでもないと悟る。彼らだけでオーガー五匹を相手にするのはいささか荷が重いだろう。下手をすると出なくていい怪我人が出る。
音を立てないようにして自警団に近づく。メンバーの中にはレクターもいた。その隣へ。気配に振り返った彼に耳打ちする。
「手伝う。目の前の引きつけるから、そのうちに畑の二匹を。納屋裏は挟み撃ちで」
レクターの目がリュシイを射る。一呼吸おいてレクターは点頭した。
「――よし。行くぞ」
「ありがと」
短く礼を言って、リュシイは場所を移動する。なるべく皆から離れる。耕された畑は走りにくい。納屋前の農道へ。月明かりは乏しいから気づかれない。
木立から飛び出す。オーガーに肉迫する。
一匹が殺られれば残りは退散する筈だ。そして逃がすのは一匹で良い。
剣を鞘走らせる。
両手持ちのロングソードだ。
オーガーが振り返る。丸い目が驚愕に見開かれる。
駆け抜けざまに左脇腹を切り裂く。
腸がはみ出ながらもオーガーは腕を大きく振りかぶった。反撃のその腕を剣で弾き返す。前面の防御が空隙になったところに、左肩から右腹へ袈裟懸けに斬り下げた。内臓と青緑色の血を撒き散らしながら倒れる。
咆哮が聞こえる。
ようやく残りが襲撃に気がついたようだ。視界の隅で、レクター達も奮戦している。
疾る。
先に納屋の陰から出てきたオーガー。遅い。充分にスピードと体重を乗せた剣が心臓を一突きする。切っ先が背へ抜けた。肉が収縮する前に胸板に蹴りを入れて引っこ抜く。しぶく血が頬を濡らす。さらに胴を蹴りつけて突き飛ばし、他の者より先に納屋裏へ回り込む。
最後の一匹を探す――いた。逃げようとしている。
小石を拾い、その背へ投げつける。
誰も見ていないのを良い事に力いっぱい投擲された石は、肩甲骨の下辺りにめり込む。
だがオーガーは山へ向かって一目散に駆けていった。
リュシイはその後ろ姿をちょっと眺め、息を吐いた。
死んだオーガー二匹はその場で直ちに火がかけられた。
焼くしかない。普通に斬った。魔法剣士や神官戦士の持つ、魔法を帯びた武器なら形も残さずに滅することもできるのだが。
荒らされた畑を、炎が赤々と照らし出している。
戻ってきたリュシイに、レクターは剣の血糊を拭く為にぼろ布を渡してくれた。安堵した表情。囮役を任せたかたちに、心配だったのだろう。
受け取って、笑顔を返すのが礼の代わり。
エディトが駆け寄ってきた。両腕に小さな桶と酒壷とコップを抱えている。壷から桶に注がれたのは酒ではなく湯だった。布を浸して絞り、リュシイの顔を子供にするように拭いてくれる。ちょっと恥ずかしかったが断るのも申し訳ないような気がしてされるがままだ。 <
「キミ、強いのねぇ」
「……散々しごかれたから」
泣いても喚いても、吐いても止めてもらえなかった。
「そんなに酷い訓練だったの?」
「うーん、他を知らないから何とも言えないけど……そうだなぁ、鍛える為には手段を選ばない奴だったなぁ。あ、そいつだよ、名前、同じなの。エディト」
「まあ。強かったのね、そのひと」
「すげー強かった。誰にも負けなかった。ジジイになってもだぜ。まいるよ」
「……じじい?」
彼女の目が丸くなる。
「えっと、男の人なの? 『エディト』って女神様よ?」
「そうだよ。愛称でも何でもなく本名だってんだから笑っちまうよな」
通称はエディだったが、戦神の名に相応しい強さだった。
「ありがとう、エディト。――じゃ、ちょっと行ってくる」
「行くって、何処へ?」 <
「手負いで一匹逃がしてあるから。急がないと」
逃げることに精いっぱいで、痛みなど感じている余裕などないだろう。巣穴に辿り着いて一息ついた辺りで猛烈に苦しみ出す筈だ。手が付けられないほど暴れられたり、余計な仲間を呼ばれても厄介だ。
「本気なの?!」
「もちろん」
「でも今お風呂沸かしてるし、服も替えなきゃ。穢れの血のついた服を着っぱなしでいる気? それに、キミが強いのは解ったけどオーガーだけじゃないのよ。他にもっとずっと怖いのがいるんだから!」
エディトの訴えに、リュシイは眉をひそめる。様子が穏やかじゃない。
「怖い? どんな?」
「誰も姿を見たことはないけど。でもいるのよ。足跡があったらしいの。人間の何倍も大きいのが」
「足跡を? 何処で?」
「麓の辺り。でも山菜とか木の実とか豊富に採れるから山へ入らないわけにはいかないの。でも奥へは絶対に入っちゃ駄目」
「ふうん……」
奥も何も、麓で足跡を見たのなら、『そいつ』は人里にまで降りてきていることになる。そんなに接近していたのに、足跡を発見しただけですんだのは幸運だったろう。
「ラケル山はね、聖なる山って言われてるの。神様がお住みになっていらっしゃるって言い伝えがあるのよ。水も食べ物も豊富で、酷い日照りもなくて、雨が続いても堤が決壊しないのは神様の御加護があるからだって。――でも魔物が巣食ったのじゃ、もう神様はいらっしゃらないのかもしれないわね……」
確かにラケルの街は小規模なわりに豊かなようだ。完全に自給自足とはいっていないようだが、街道を歩いていて、農作物の収穫などで悪い噂は聞かなかった。代わりに、モンスターが出るという噂も聞かなかった。出はじめて間もなく、まだ駐留軍や教会に届け出ていないのか。
「神様が、本当にいらっしゃるのかどうか、俺には解らない。解るのは、今見かけたモンスターを屠ったってことだけだ。逃がしたオーガーの後を追っかけて、ちゃんと巣を叩かないと。奴等、また来るよ。そしたらまた死人が出るかもしれない。エディトの大切な人が死んじゃうかもしれない。そんなの嫌だろ? 腕は御覧になった通りさ。大丈夫」
「でも……」
エディトは俯いて、エプロンを握り締める。
「俺、慣れてるから。ハンターではないけどね。あ、だから報酬は要らないよ。手伝っただけだし、貰ったらギルドに睨まれちゃう」
「――何言ってやがる。この街の連中はそんなケチじゃねぇぜ」
>「レクターさん?」
自警団の男達と、酒場で同じテーブルにいた面々も揃っていた。
「坊主を雇おう。無報酬ってんじゃ申し訳ねぇ、それ相応の礼はするぜ」
「一人で二匹も片づけてるしな。坊主の腕は確認済みだ」
「そうだ、文句ねぇだろ、なぁみんな?!」
「頼むぜ!」
「加勢が要るなら言ってくれよ!」
口々に叫ぶ男達に、リュシイはにやりと笑う。
「大勢で行けば目立つ。独りで大丈夫だよ。山の何処に巣があるかも解らないし、よけいに刺激しかねないでしょ。モンスターの倒しかたは心得てるから」
「でも夜なのよ?! 何も見えないじゃない」
藍色の夜空に掛かる月は細くて、灯り代わりにするには頼りなかった。
「俺、夜目は人一倍利くんだ。心配しないで」
リュシイは立ち上がり、剣の柄を軽く叩いてエディトに笑って見せる。だが彼女は不安そうな表情を崩さない。泣きそうな、こわばった面持ちでリュシイを見上げる。
「服も平気。まだ戦いの途中で、終わってないもの。そうだ、エディト、美味しい御飯用意して待っててくれないかな。――駄目?」
「……うちは、美味しいお料理を出すのが仕事よ?」
エディトがようやく笑みをこぼす。
手を振って、リュシイは駆け出した。
行く先には、真っ黒に塗りつぶされたかのような山々。
どのくらい奥へ分け入っただろうか。
闇の向こうに、何かが――ごく近くにいることに気づく。
知らない気配。熊や狼などではない。もっとも、モンスターが棲息しているのでは、普通の獣も寄り付かなくなるだろう。かと言って、モンスターの気配とも違う。
巧妙に気配を消しているようだが完全に消えようとはしていない。
リュシイを誘い出そうとしているのかもしれない。もし、見かけたという足跡の持ち主だとしたら、それなりに知能の高いモンスターだ。魔力も強い可能性もある。リュシイの感覚を誤魔化せるなら、こいつが親玉だろうか。
こんな時間に、こんな山深い場所。山道はすでに途切れ、獣道を見つけるのすら困難だ。地面は下草に覆われ、蔓植物や背の高い植物が生え放題で視界も悪い。誘われてやるにしろ、ここでは不利だ。
横へ逸れる。迂回して前面へ出てやろう。少しでも有利に。
そう思って、スピードを上げようとして。
気配が――消えた? いや――違う。
速い。
追いつけない。しかも――こう言うのは変かもしれないが――動き方というか、逃げ方が上手い。
それと、何かが引っ掛かる。解らない。言葉にできない。
「――?!」
潜り込んだ草むらから出ようとして、リュシイは動きを止める。
気配が。
今度は本当に途絶えた。
慌てて周囲を窺う。いない。まるで森の闇に同化してしまったかのように。溶け込んで、見つけられない。
「何処、に……」
用心に剣を抜き、草むらから這い出る。
「動かないで下さい」
片膝を突いたリュシイの上から、声が降ってきた。まだ若い男の声。
弾かれたように顔を上げる。目の前に、痩せぎすの長身の青年。ここまで接近されているのに全然気づかなかった。片手に弓を携えているが、矢をつがえてはいない。すぐに襲う気はないらしく殺気はないが隙もなかった。
「どうやら僕を追いかけているようですけれど、何か御用ですか?」
穏やかに問い掛けてくる。警戒心も感じられない。こちらは抜刀しているというのに。
「用も、何も……」
言いかけて、リュシイは思わず息をのんだ。
知らず、柄を握る手に力がこもる。
引っ掛かっていた、もやもやしたもの。言い表せられない、本能的なもの。
この青年は。
「リンドヴルム! やっと見つけた!」
「はい?」
「ずっと捜してたんだ。でも、やっと見つけた仲間が極悪非道な奴でガッカリだけどな!」
「――は?」
「街を襲ってどうなるってんだよ! やめろよな!」
「……何のことですか? 街って?」
「ラケルだよ!」
「この麓にある? いいえ、僕はあの街の人達と接することはありませんよ?」
「嘘っ……え……何で?」
捲し立てていたリュシイは、ぽかんとして青年を見つめる。
「近隣の街とは関わらないようにしてますから。正体を隠すわけではありませんけれど、バレたら厄介なことになる方が多いですし」
「……――親玉は、あんたじゃ、ない?」
そう。彼はリンドブルムだ。
俯いてひとりごちるリュシイに、青年は訝しそうに首を傾げる。
「親玉?」
「えと、あの、あ、モンスター、この森にモンスターが出るだろ? そんで街まで降りてきてる。俺、ちょうど今夜あの街に着いて、あ、ずっと旅してんだ。で、ほっとけなくて、退治しに、来たんだけど……」
しどろもどろになって弁解する。早とちりだ。失態。恥ずかしさに頬が熱くなる。>
龍族が人間を虐めて得することなど何もない。そんなこと解りきっている筈なのに、どうして口走ってしまったのだろう。
落ち着いてみれば、身に纏う雰囲気はリュシイと一緒なのに。
「ああ、それで。僕も何で敵意を持って追われるのか解らなくて。僕はモンスターを操ったりしませんよ。ましてや人間を襲ったりなどしません」
淡い月明かりの下で、青年は微笑む。優しい眼差し。許すとか許さないとか、そんな問題以前に、間違われたことさえ気にしてなどいないと言わんばかりの。
剣を鞘におさめて立ち上がって、謝る。
「本当に、ごめん。ちゃんと確かめもしないで悪かった。許してほしい。俺、同族に会うの、貴方が初めてなんだ。だから、仲間の匂いとか、よく知らなくて……」
「そうだったんですか。お互いに怪我がなくて何よりですよ」
ずっと捜していた仲間。エディは生粋の人間だったのだから、剣の扱いや気配の消し方は教えられても、仲間の見分け方まで教えられなかったのは当然だ。
初めて見る、同族――翼持つ龍族の中の王≪リンドヴルム≫は、リュシイより目線はやや高い。金褐色の瞳。背中まで伸ばした白金の髪を首の後ろでひとつに束ねている。
「俺、リュシイ。本名はドルレシークって言うんだけど。貴方は?」
「アルウィンと申します。はじめまして、リュシイ。実は僕もモンスターを追っているところです」
「そうなの? じゃあさ、知ってるかな? モンスターの巣。出始めたのって一ヶ月くらいだって街で聞いたんだけど」
「そうですね。魔族の穴が開いたのはそれくらいです」
「魔族の?!」
魔族の穴はいつ何処に開くか解らない。開けた魔族を倒せば穴は自然にふさがるが、人里近くに開いてしまったのが不運だったか。さいわい現場にはリュシイがいた。そして山中にはもう一人リンドブルムが。
「以前からモンスターは徘徊してましたけどね。魔族に操られたモンスターの姿が目立ちはじめたのはここ10日くらいでしょうか。時々狩ってるんですけど、なかなか減りませんね。頭をやらないと駄目でしょう」
「穴の場所の見当はついてるのか?」
「ええ、だいたい――あの、岩が突き出た辺りです。モンスターの巣はもうちょっと手前だと思います。何とか引きずり出したいんですが下手な誘いには乗ってこないでしょう」
アルウィンは穏やかな雰囲気からは驚くほど鋭いまなざしで山の奥の方を見やる。リュシイも、魔族やモンスターの気配を探ってみる。
「あの辺て、行きやすい?」
「沢からなら……今から行くんですか?」
リュシイは剣を鞘に納めながら頷いた。
「うん。手負いのオーガーを逃がしてあるんだ。追わないと」
「貴方だったんですか。傷の負わせ方がうまいなって思ってたんです。それなら貴方が先行してオーガーを追って下さい」
「オーガーだけじゃなくて、魔族もやっつけちまわなきゃ」
ここなら人目を気にしなくてもいい。
「そうですね。それなら先に行っていてください。用意する物がありますから後から追います。」
「うん。あ、そだ、合図はどうする? 何か決めておかないと合流できないかもしれない」
あいにく発光弾も照明弾も持ち合わせがない。狼煙玉はあるが夜では使えない。
「必要ありませんよ」
「え、何で?」
「何でって……」
聞き返したリュシイよりも、聞き返されたアルウィンのほうがもっと心外そうだ。 <
「龍気をたどれるでしょう? 個々に違うのですから、間違えようがありません。離れていても解ります。でもなるべく抑えていてください。気づかれたら逃げられてしまうでしょうから」
「そうか。これが――これ、龍気って言うんだ。……初めて知った……」
「大丈夫ですか?」
いささか不安そうに尋ねるアルウィンに、リュシイはにっこり笑う。
「へーきへーき。じゃ、あとで」
「気をつけて。相手はおそらく上位魔族です」
それを聞いて、リュシイはちょっと顔をしかめた。
「――。解った」
駆ける。
全く知らない土地だが、感覚をめいっぱい広げて、よく知った土地と変わりない。
少し進むと、教えられたとおり、沢。その手前で右へ折れると小さな滝。左は崖だ。
下流は問題外。オーガーは巣に戻ろうとしているのだから。迷わず左に曲がる。切り立った崖はごつごつしていて滑らかでもない。ちょっとしたロッククライミングの心得があれば登攀できるだろう。もっとも、こんなところで手間取ってもいられないから、走ってきた勢いのままに崖上まで一気に跳躍した。モンスターの気配はどこにもない。
上は岩だらけだった。崖下に豊かな緑の森が広がっているとは思えないほど荒涼としている。
乾いた白っぽい岩の隙間から潅木がまばらに生えている。地面は苔に覆われていて土の部分は見えない。踏みしめるとじわりと水が滲んだ。少し離れた辺りから川のせせらぎが聞こえる。岩の間を縫うように流れているのだろう。
最近つけられたような足跡は見当たらない。岩にも地面にも。背後が崖では寄り付くような獣はいないだろう。モンスターも、好き好んであの崖を行き来しようとは思わないに違いない。手負いのなら、なおさら森を迂回しただろう。
軽快に岩から岩へ跳んでいく。
じきに逃げたオーガーのものと思われる跡を見つけた。下の森から続いている林の傍。岩肌にいくつか落ちた血痕。触れてみるとまだ乾ききっていない。肉眼で見透かせるずっと奥まで――人間の肉眼では到底不可能な距離だ――点々と続いている。
オーガーの逃走経路は、岩が転がっているのは同じだが他より比較的歩きやすいところが選ばれていた。追うのも楽だが、いくら獣ですら滅多に入り込まないくらい山深いとは言え、こうもあからさまに痕跡があるとは。よっぽど切羽詰まっているのだろう。
手負いにしたのは他ならぬリュシイなのだから文句は言えないが、他のモンスターに襲われるかもしれないという事に頭が回らないようでは困る。巣まで案内してもらいたいのに、途中でくたばられては意味がない。それとも、使役するモノに喚ばれて、己をかまっていられないのか。
指を傍らの岩に擦りつけて汚れを拭う。無頓着のようだがリンドヴルムなら穢れることもない。