4月5日
定刻1:30DELTAが出発。今回のツアーは総勢20人。機内は結構混んでいる。酒類が5$も取られるのは心外だ。ワインだけ頼む。
15時アトランタ。乗り換えは思ったよりスムーズ。しかし機内でデジカメ紛失。機内ではズーと仕事をしていてその際、急いで、広げた資料など仕舞ったからだ・・・不吉な予感。パナマシティに21時着。
入国に5$必要。これがビザらしい。
4月6日
やはり、早朝からトラブル。移動のバスが故障で4時間遅れ。ペノノメでお昼。ここも金環帯に入っているが、我々はもっと奥に行く。
夕方、ダビーに到着。パナマで3番目に大きな町らしく、思ったより賑やか。ホテルも中心街。「プエルトデルソロ(太陽の港)」とは縁起がいい? 暗くなったので、下見は明日になる。
4月7日
観測地に行く前に、ボケテ観光。ここはコーヒーの名産地で避暑地でもある。リゾート開発が始まっているとか。農園でコーヒーをいただく。
観測地の下見をすると、バナナプランテーションの中のサッカー場が運良く金環帯の真下だった。
N8°21′11″ W82°48′17″
あいにく自分のGPSが調子悪く、竹松さんが持っていて、助かった。プエルトアルムエジェはバナナプランテーションの町。でも今は廃れているようだ。ホテルはモーテルっぽい「ココスプレース」。設備は悪いが飯はまあまあ。夜晴れ間から南十字も見えている。
4月8日
結構晴れている。金環は午後なので、午前中近くの海へ。ここはバナナの積出港だった。今は廃線となった桟橋が哀れ。日差しが強くて暑い。
金環も期待が持てそう。観測地で準備。近所の子供らが湧いてきた。まあ、断りなしにやっているわけだから、われわれは隅っこで観測準備。
ところが、金環が始まるころになると、どこからか怪しい雲が・・・なんと第一接触には雨まで降ってきた。雷もなっている。バスで待機。なんとか止み、晴れ間も見え出したが、太陽は厚い雲の中。なんせ太陽が見えないから、セティングもできない。金環皆既が始まるころ、雲を通して大きな影が迫ってきた。さすが今回の金環は皆既に近いため、本影錘もみえるのか!しかしわずか8秒で日食は終わった。なにも見えない。周りは明るいところもあるが、ここは雲の中だった。結局その後も太陽の姿は望めなかった。
4月9日
いい天気。午前中はいいのに、午後はスコールというのが中米の季節なのか。ダビーの空港で、ここらで観測した人のGに会う。なんとか見えたという。ペノノメも見えたらしい。うむむ、運が悪かった。
パナマシテイへ戻るといい天気が続いている。やはり、南のほうが確率は高かったのである。
午後、パナマ運河へ。フローレンス閘門は、思っていた以上に観光地化されている。はじめてみた運河は意外に狭い。あのタンカーもここを通るけど、こんなに狭いのか。ひっきりなしに通過する船を見ていると、時間もあっという間に過ぎる。
その後ビエホ遺跡や旧市街地へ。植民地時代の面影が残り、味わいがある。しかし、ここはスラム街に近く、夜は危険らしい。でもすぐソバに、大使館や大統領館もあるからすごい。
4月10日
オプションでガツン湖めぐりに行く。ここはパナマ運河をせき止めてできた湖。ジャングルが水没し、小島状態になっている。その間からでかいタンカーが現れる様は異様だ。湖の最高地点まで行く。運河はかなり高低があり、そのため閘門式になっている。
運河は99年までアメリカのものだったから、自然はそのままになっている。だから珍しい動物の宝庫になっている。サルやワニ、鳥など結構目の前にくる。ナマケモノもいたが動かないからわりにくい。夜、久しぶりにうまいシーフードを食べた。ホテルの食事は不味い。
4月11日
アトランタで一泊。午後から時間があったので、Mミッチエルの生家に行く。マルタに乗ったが、さすが南部、黒人ばかりだ。ミッドタウンの駅近くで食事。バドうまい。
05年4月パナマ金環皆既日食
パナマシテイ
プエルトアルムエジェの日食観測地
ガツン湖はタンカーが目の前に
運河のフローレンス閘門