鉄塔の街 武蔵小杉
 
   現在の武蔵小杉はタワーマンションが立ち並び「ムサコ」の呼称が普及する等、おしゃれな街に様変わりしています。
   しかし2000年代前半までは工場の街であり、工場や鉄道の電力を供給する中原変電所が武蔵小杉駅前に有った為に
   鉄塔の街でもありました。
   今回は鉄塔の街であった頃と新しい街へ変化する時の記録を紹介します。



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   武蔵小杉の駅前です。東急東横線の駅舎
   奥に中原変電所が有り鉄塔が集中していました。 左から住吉線1号、新丸子線1号、中原線1号(62号)、新丸子線2号
   駅前に野球場が有り夕暮れになると画像の通り、薄暗く人通りも少ない状態でした。
   武蔵小杉のランドマークであったマルエツの建物も現在はありません。ストリートビューで比較すると大きな変化がわかると思います。  


  

   こちらは新幹線から撮影した画像です
   タワーマンションが建つ前はお店も無く、工場跡地は自転車置き場でした。


  

   武蔵小杉駅の西口はすぐ横が中原変電所でした。
   撮影した時は中原線の号数が62番でした。


  

  綱島街道から撮影した中原線3号です。 JR南武線の線路上を門型鉄塔で川崎方面に南下していました。
  2号鉄塔は新しい鉄塔ですが以前は武蔵小杉を越えて多摩川変電所まで門型鉄塔が有りました。
  現在のストリートビュー

  
  
  新丸子線3号鉄塔です 奥に見えるのが2号鉄塔など武蔵小杉方面です。
  2006年の撮影でマンションの建設が始まっています。
  2〜3号の間にマンションの申し込みセンターが有り多くの人が訪れていました。
  現在のストリートビュー


  

  新丸子線は昔から品鶴線を跨いでいた為に30メートルを超える大きな鉄塔でした。


  

  住吉線1号です(左の鉄塔)
  元住吉方面へ送電していました。

  

  2号鉄塔です。 新しい鉄塔が建っていますが数年で除却されています。
  3号鉄塔以降の地下化に伴い引き下げ鉄塔が追加されました。
  現在のストリートビュー


  

  住吉線3号です。 東急東横線が高架工事中の時です。
  高架前は門型鉄塔が続いていました。 手前が3号鉄塔です。
  この場所も大きく変化しています。 ストリートビュー

  

  住吉線も大正15年です。

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  武蔵小杉は2007年に大きな変化を迎えます。
  タワーマンションが数多く建設され、工場/鉄塔の街から住宅の街へ変化していきました。
  武蔵小杉の象徴的な鉄塔も環境変化とともに役目を終えました。

  

  タワーマンションがほぼ完成した頃、新丸子線の除却工事が始まりました。
  新丸子線3号鉄塔です。

  

  中原線3号鉄塔は既に電線が引き抜かれています。
  この時4号鉄塔は解体済みでした。
  205系は南武線を引退しインドネシアで活躍しています。

  

  新丸子線4号と中原線5号です。
  N700系は2007年に登場しています。
  N700系と新丸子線/中原線を一緒に撮影できた期間は数か月しかありません。
  時代の経過とともにN700系の量産型も廃車が出始めています。


  

  新丸子線/中原線と500系
  500系は2010年にのぞみから引退し東京発着はなくなりました。

  

  世代交代にて鉄塔が引退する時、空中にきれいな幕が引かれました。
  そして鉄塔の街は記憶/記録に残る事となりました。
  世代交代してから10年以上が経過し、記憶より記録に頼る様になりました。

 

 



 




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