さしのべられた腕 〜儚き夢〜 第三部テュニジアの花 1

 呻き声の様な神官達の祈りが、暗い回廊に林立する柱の間を通り過ぎる。
広間の祭壇の前には3つの小さな棺と大きな棺が寄り添うように並べられ、天井の窓から注がれる陽光に照らされていた。
 灰色の衣に身を包んだカイゼフは棺の前に用意された椅子に座っていた。
参列者の顔も見ず、仮面を被ったかのような無表情で棺に目を落としたままだ。
 妾と3人の子供の為に新しく建てた離宮の落成式にカイゼフが遅れたのは幸運だった。
踊りを得意とする愛妾の為に作らせた大広間の柱が崩れ落ち、4人は下敷きとなったのだ。
煌びやかな宴が開かれる予定だった広間には陰鬱な黒い布が垂れ下がり、明かりも最低限にとどめられていた。
 建設責任者は拷問にかけられると地方の貴族に買収されてやったことを語り、無関係の大工達も尋問された。
己が支援する妾の子を皇太子に次いで皇位継承者にする為の陰謀はこのような事故を何度も起こさせ、過去にも幼子たちの命がいとも簡単に奪われている。今に始まったことではないのだ。
 陰謀に加担するような腹黒い女は、国を支配する王の母としては不相応だとカイゼフは常々思っていた。
彼の母も正妃でありながらその犠牲者であったという幼少時からの疑念が払拭されない限り、彼は女を愛することが出来ないだろう。
妾を何人も持つ彼が正妃を迎えない理由は女たちの内面の醜さにあった。
(女運に突き放された男も王者には不相応だな)
カイゼフの口元が歪んだ。
最愛の母を失った彼が唯一心を許せたカエナは、子が出来ない妾だった。
 カイゼフは一番小さな棺の中に横たわる我が子の姿を思い描いた。
小さな足の裏の面積で一生懸命体を支え、つたい歩きを始めた頃だった。
全ては硬い石に押しつぶされてひしゃげたのだ。
宮中で蠢く人の思惑に麻痺した彼にとって、首謀者の貴族と妾が死刑に処されようとされまいと、たいして気に留める事柄でもない。
悲哀と憎悪を素直に表す方法を、カイゼフは忘れていたのだ。
 葬儀の参列者はカイゼフの顔を伺いながら、死者の魂を諌める祈りをガランディウムに捧げる。
漆黒の外套と頭巾を被った死神のような神官たちの祈りが、香と混ざり合って広間に充満していた。
葬儀の参列者を広間へ誘導するカエナは、青い顔色をしたカイゼフを慰めようにも忙しくて出来ない。
仲の良かった妾が殺されたカエナは後宮の葬儀をとりしきり、使用人のごとく動くことで悲しみを振り払おうとしていた。
「これで皇太子の御子は残り5人」
背後から話しかけられ、カエナは肩を落とした。
 カエナは悲しみの席には訪れて欲しくない相手の方へ振り向きながら言った。
「オメガ、不謹慎ですよ」
「子が産めぬお前は狙われる心配も無い」
オメガは喉の奥で笑った。
黒衣だというのに、オメガが纏うと露骨な艶かしさが目立って葬儀には非礼な身なりだ。
「ええ、今回の事件があってから他の方は御子と共に何処かへお隠れになりましたわ。あらその花は」
オメガの手には桃色の花束が握られていた。
 献花として包装もされておらず、今しがた野から摘み取ったような不ぞろいの長さだった。
透き通った花びらは幾重にも重なり合うと夕暮れの薄紫色に見え、光に透かされれば柔らかな桃色だ。
オメガは棺を挟んでカイゼフの前に立ち、花を妾の棺の上に置いた。
「お前に死者を弔う心があったとはな」
カイゼフは棺の上に手向けられた花を見て言った。
 繊細なレースのような花びらは可憐であるが派手ではない。そして凛とした存在感は芯の強さを持ち合わせる。
ふと、カイゼフの脳裏にかすめた存在があったが、はっきりとは思い出せなかった。
「故郷のテュニジアに咲く花のようになりたいと、よく言っていた」
カイゼフは椅子から立ち上がり、その場を離れる前に冷たい木棺へ手を触れた。
「亡骸は故郷へ埋葬してやれ。その花に囲まれて眠るがいい」
硬い岩肌にも根付くという強い生命力を持つその花の名を、妾から聞きそびれたことをカイゼフは後悔していた。

 穏やかな海のおかげで、カールは船酔いせずに済んだ。
懐かしい海鳥の鳴き声と共にテュニジア島へ上陸したカールは、崖の下の波止場から岸壁に刻まれた階段を上った。
 五月晴れの澄んだ空の下に、花畑と作物の畑が交互に作られている長閑な村の風景が広がっていた。
戦争とは無縁の日常風景を見たカールは嫉妬すら覚えた。
海を挟んだ向こう側に見えるサマルドゥーンのセル・セアの森からは、未だ煙が燻っているのだ。
鎖に繋がれた両足をぎこちなく動かしながら、カールは生国を見つめた。
(帝国は交易の機能を保つ為にアラード港は破壊しないだろう。だが……)
カールはサマルドゥーンを見ながら目を細める。
彼が本殿から任されていた分殿、そして公共広場やセル・セアの森は跡形も無く焼き払われているかもしれなかった。
 執事と二人の船員はカールを間に挟んで歩いている。
カールは故郷に思いをはせたり島の風景を眺めたりしながらゆっくりと歩いていたが、誰も急かせて背中を小突くような者はいなかった。
潮風が吹きすさぶこの土地では葉物の野菜は育たない。だが芋畑の緑と桃色の花が作る大地の縞模様が豊かな暮らしを思わせた。
方々で桃色の塊が見てとれた。カールは島に咲くその小さな花をサマルドゥーンでは見たことが無かった。
 執事は舗装された道に出ると船員に礼を述べ、用意されていた馬車へカールと乗り込んだ。
馬車は畑と花畑の間を進んで、防風林のような小さい木立の間を通った。
白い石造りの門が現れると、その先に窓の数が多い三階建ての屋敷が見えた。
 車輪が石畳を走る、乾いた音が続いている。
アドヴィンは無駄口一つ聞かず、カールを監視している様子もなかった。
耳たぶに痛みが走って、カールは手をやった。
(この禍々しい飾りをどうにかしない限りは逃げられないな。ここからどうやって本殿まで行けばいいのか……)
海を隔ててしまったカストヴァール大陸へ戻る手段は船しかない。当面の問題としては耳に嵌められた呪いがある。
呪いが発動して体が吹き飛んだとして、体内のアストラルが再生してくれるとも限らない。
(耳たぶごと飾りを切除する方法も考えられなくは無いが……まずはこの環境に慣れるしかないか。様子を見よう)
気持ちを切り替えたカールは、馬車が玄関先に乗りつけられるまで庭の一角獣や鳳凰の形に刈り取られた植物を楽しむことにした。
 貴族の館にしては地味な佇まいで、調度品の控えめな装飾が上品だ。必要以上に財力を誇示する野卑な様子は見受けられない。
すれ違う使用人の躾も行き届いており、立ち止まってアドヴィンへ一礼した。
 開閉式の天窓からの採光で部屋の中が温かく、明るい。
どの場所にも不要な物は一切表に出ておらず、きちんと整頓されていた。
さりげない演出として、壁には男性の肖像画、部屋の隅と廊下には観葉植物と桃色の花が飾ってあった。
(成金貴族といった雰囲気は無いな)
落ちついた雰囲気を感じたカールは、館の主の趣味は悪くないと思った。
これから奴隷として仕えるには少しでも好感の持てる相手であって欲しかったのだ。 
 カールは二階まで吹き抜けになっている広間をアドヴィンに続いて進んだ。
突き当たりにある階段を上りきってから左の廊下を進み、正面の扉の前でアドヴィンは止まった。
「旦那様、アドヴィンです。例の者を連れてただ今戻りました」
「入りたまえ」
アドヴィンは扉を開け、カールが先に入るよう促した。
 入って直ぐに、緑の濃淡を付けて織られた衣を纏った中年の男性と目が合った。
金髪に緑の目はカールと同じ風貌だが、眉間に寄せた皺と真っ直ぐな視線が生真面目さと謹厳な人柄を現している。
革張りの椅子に座って机の上で手を組んでいる男性を前にしたカールの気は引き締まり、背筋が伸びた。
「書類は机の上に置きました。私は外に控えております」
アドヴィンは主に一礼すると、カールを残して部屋を去った。
 家具は年季が入った鈍い光沢や深みのある色合いで統一されており、窓と扉以外の壁は書棚で埋まっていた。
机は茶褐色で、椅子と同様に猫の足を模した脚だった。ここは書斎のようである。
「私はこのテュニジア領主、そしてお前を買ったシードレス・ヘレ・ディ・オールだ」
外見に相応しく、声は低くて厳かだ。
「私はカールヴラット・クォーレルと申します。私をあの牢獄から出してくださったことに感謝しております」
カールは親しみを込めて右手を胸に添え、頭を下げた。
「勘違いするな、お前は自由ではない。奴隷に変わりはないのだ」
爽やかな笑顔を示したカールに動じることもなく、シードレスは紙の束を彼の方へ差し出してから机の上に放った。
 カールは書類に目を通し、シードレスから羽ペンを受け取って名前を書いた。
「契約書で人は縛れぬと思うておるが、ヴレードの法は嫌がおうにも人を縛る」
「私には法律よりも確たる呪いがかかっております」
耳たぶが熱を帯びて疼き、思わず手がそこへいった。
呪いの存在を忘れさせないように、痛みは特定の周期でやってくるようだ。
「その魔道具を開発した魔術師が、呪の発動誘引をどう設定したのかは私の与り知らぬ事。逆らうような態度をとらぬことだ」
シードレスは肘をついて顎の下で両手を組みながらカールを睨んだ。
「承知しております」
耳の小さな紅玉が放つ、首輪や足枷よりもずっと重々しく締め上げられるような拘束感からそれが脅しではないことが解る。
(逆らうような態度、か。原理は魔力封じの首輪と同じか)
カールの口角がわずかに上がる。
呪を嵌めた奴隷を一人一人監視しているのではないのなら、特定の感情が流れた時の発動が考えられた。
主にとって、また国にとって脅威となりうる、奴隷が実力行使に出るような攻撃的な激情を察知した瞬間に呪が発動するのだ。
「足枷は外すが、魔力封じの首輪の有無は素行によって決める。さて、お前の仕事だが」
シードレスはカールに適した仕事を探すかのように、彼の上から下まで全身を見やった。
 カールはここへ連れてこられた目的をたった今知ったかのように目を丸くした。
(そうだった。参ったな、力仕事ならなんとかなりそうだが……厨房の仕事だったら無理だぞ)
カールは庭仕事、馬の世話、館の警備などの仕事を祈った。
彼は包丁を握った事など無い。
毎日やり続ければ慣れるだろうが、自分が調理師のように手際よく魚をさばいたり料理をする様など全く想像出来なかった。
「お父様っ」
扉を隔てた廊下で甲高い少女の声がして、カールは振り向いた。
 シードレスが深いため息をついた。
「お嬢様お待ちください」
困惑しているアドヴィンを無視し、彼女は扉を強く叩きながら声を張り上げた。
「私は反対です。入ってもよろしいですか、お話したいのです」
興奮気味の少女はシードレスが返事をする前に扉を開け放し、金色の髪を振り乱して部屋の中へ飛び込んできた。
意を決したように蒼い瞳を真っ直ぐシードレスに向け、机の上に両手を置いて彼女は訴えた。
「お父様酷すぎます、ヌートの血祭りに出た奴隷を……あっ」
視界の端に映ったカールの姿に驚いた少女は、目を大きく見開いて振り返った。
 陰惨を極めたコロッセウムで見た、晴天のごとく澄んだ蒼い瞳。
穢れなき瞳が自分を非難しているような畏れを感じ、カールの足が後退した。
「き……君は」
二人の瞳は互いを映しこんで動かない。
刺殺されたレグスの無残な最期がカールと少女の脳裏で思い起こされたのは、ほぼ同時のことだった。

BackNext

『さしのべられた腕 〜儚き夢〜』をご覧いただき、ありがとうございます。
当作品のキャラクター紹介やイメージイラストはTABERAH SHELAHのPictureをご覧下さいませ。
Since 2003.03.01 Copyright TABERAH SHELAH/RAYGAH All Rights Reserved.