さしのべられた腕 〜儚き夢〜 第二部ヌートの血祭り 11

 侵略以上の卑劣な仕打ちを罵る言葉も見つからない。
セリウスが見た、鎖に繋がれて何処かへ連れて行かれていた囚人達。
彼らの向かった先は命を賭けた祭りの会場だったのか。
そしてその殺戮の饗宴に、師弟関係を超えた家族のようなカールとレグスが参加したのか。
戦いの結果を思うだけで胸を掻き毟りたくなる様な衝動に駆られる。
彼の息は荒くなり、肩が上下に動いていた。
穏健な彼が初めて激情に身を委ね、他者に対して攻撃的になった瞬間だった。
「嘘だ、僕を騙すつもりか……っ」
「きゃあっ」
セリウスはネイラの腕をちぎれんばかりの力を込めて握りながら自分の方へ引き寄せ、無理やり立ち上がらせた。
 目の前の少女が殺し合いを強要するという邪悪の一部のように憎く感じられた。
そして敵に保護されて生き延び、介抱してくれた少女相手に責め立てることしか能が無い己も憎かった。
「貴方達は愛を知らないのですか! 僕達がどれほどの絆で結ばれていたかっ」
「ごめんなさい……! 私、私には他に何も出来ないの」
ネイラの背中が幹に当たり、はらはらと木の葉が数枚落ちる。
彼女の腕はセリウスによって圧迫され、手が紫に変色して痺れていた。
「娘を放してくれないかね。セリウス君」
かすれた低い声がセリウスの手の力を制御した。
 指の神経に彼の脳が下した指令とは別の信号が走り、意志に反してネイラの腕から手が離れた。
彼はその働きが声の主によるものだと解って振り返った。
浅黒い肌をした壮年の男が、身長よりも長い杖を芝生と床の境目に突き立てていた。
目つきは細く切れ長で、邪龍の紋章を縫い付けたつばの無い帽子を被っていた。
「いつまで先延ばしにするのだ、ネイラ。彼は元気じゃないか」
「お父様、あの……」
ネイラは気まずそうに父親を見上げた。
「まさか娘が拾ってきた怪我人が、異教徒だったとはな」
娘を見て笑う彼女の父親は褒めている様子でもない。
セリウスは紙を握り締めた。
 薄日が葉と葉の間から漏れ、穏やかな時の流れすら感じた庭園の空気は豹変していた。
小鳥の歌声、木々のざわめきの代わりに低く唸るような声の呪文が神殿内に響いていた。
薬草を栽培する農園ではなく、ここは邪神を崇拝する神殿なのだ。
 セリウスは身構え、庭園に足を踏み入れたクロードを見据えた。
「私はこの神殿を任されているクロード・プロ・ヴァス。お前はルドレストのセリウスだな」
寝ている間に記憶を覗かれたのか、それとも調査でもしたのか。
自分の名前をガランディウム神官の口から聞き、セリウスは唾を飲み込んだ。
相手の一声で自分の命はどうにでもなる。
クロードはセリウスにそう思わせるような存在感を持っていた。
人を殺すだけでは飽き足らない人間、いや悪魔なのだと、彼は己を奮い立たせた。
「神殿突入の際に失われたあれは何処にある?」
「何の話だ」
「お前の師を拷問したら誰かに奪われたと吐いた」
兵士の生ぬるい拷問を想像して、クロードは身震いした。
魔術師が捕虜を兵士の手に渡しさえしなければ、クロードが正確で確実な情報を吐かせていた筈だった。
「お前は一人で森を抜けようとしていたようだな、セリウス。お前があれを持って逃げ、何処かに隠したのか」
「あれって何なんだ、僕は知らない」
恐らく保護という名目で自分が捕らえられた理由を話しているのだろうが、話の内容が掴めなかった。
セリウスは苛立った。それよりも彼のほうから聞いてやりたいことが山ほどあるのだ。
 クロードは目を細め、セリウスに味あわせるようにゆっくり語った。
「義理立てなどしない方がよいぞ。お前の師は仲間を殺した。アヴァンの神官とやらが何処まで信念を通すかと思 ったが、実にあっけないものだったぞ」
「嘘だ」
セリウスは首を振った。
頭を働かせなければならないと思っても、拷問される師、対戦する師とレグスの姿がちらついて集中できない。
「嘘ではない。私は試合を見ていた。お前の師が放った一撃が、対戦相手の少年を吹き飛ばした。ただの殺し合い だった」
貴族たちの注目を集め、今大会で最も高い金額で競り合われた奴隷の試合は、つい先日のことだった。
クロードが奴隷を拷問する時よりも興奮するなど久しく無いことだった。
「嘘だっそんな戯言など信じるものか! カール様がそんな……う…っ」
セリウスは胸をおさえて蹲った。
 ネイラが駆け寄ってセリウスの背中を擦る。
クロードは杖を二人に向け、ため息交じりに言った。
「ネイラ、私は最低限拷問に耐え切れるほど回復させろと言ったのだ。これでは心の臓がもたぬぞ」
「申し訳ありません」
「もういい、下がれ。役立たずのお前でもこの程度の治療は出来ると解った」
ガランディウム神官である彼女を信じてはいなかったが、母のような優しい眼差しに癒されなかったわけではない 。
胸を刺すような痛みで息も満足に出来ず、視界に靄がかかっている状態でセリウスはネイラの涙を見た。
二人の視線が重なった時、セリウスはその涙の意味が解ったような気がした。
木漏れ日のように温かな彼女の憐憫の情は、まるで人肌の温もりだった。
 クロードは地べたに蹲って震えるセリウスを無表情で見下ろしながら言った。
「尋問室へ連れて行け」
柱の影で控えていた神官が歩み寄り、セリウスの腕を捕らえた。
「僕は信じない」
自らの重みが肩にかかって痛む。
(嘘だ、嘘ですよね、カール様! レグスを殺しただなんて……嘘だ!)
両腕を吊るされるように引っ張られ、セリウスは回廊へとひきずられていく。
セリウスが確かめることも出来ない戦闘の結果は、師への疑義をもたらした。
少年は罠に落ちたとも知らずに、師を信じようとして声にならない悲鳴を上げていた。
敵地でただ一人戦うにはこころもとない願いだった。
 クロードはセリウスが落とした紙を指差しただけで中に浮かせた。
「これから忙しくなるな」
杖で触れると紙が燃えて消える。ネイラにはその炎が刑の宣告のように思えた。
捕虜に情報を漏らした罪が軽いはずはない。
「あの魔術師は皇子に取り入り、かの神官は辺境貴族が買い取って手が出せぬ。こちらの手駒はあの少年のみ。さ て誰が先にあれを手に入れるのか……」
クロードは杖を床に打ち付けて音をたてながら回廊を歩いていく。
ネイラは満面喜悦の父の背後で声を押し殺して泣き崩れた。
尋問室と呼ばれている拷問部屋へ連れて行かれるセリウスを見ながら、ネイラは爪の中に入り込むほど強く、土を 握り締めていた。

 カーテンの隙間から漏れた朝日がちょうどカールの瞼の上に差し掛かる。
鳥のさえずりしか聞こえない、静かな朝だった。
 カールは湯浴みして髪を梳かすと、籠の中に入っていた服を手に取った。
用意された衣を見ると、力仕事用の奴隷として買われたのではないことが解った。
首まで覆われる衣装は白地に金色の刺繍が施され、何処と無くアヴァンの僧衣を彷彿とさせた。
少女から貰った首飾りを下げ、目立たないように胸元へしまい込む。
今ではその首飾りがお守りのように、アストラルと共に体内へ隠してしまいたいくらい大事なものになっていた。
 カールを迎えに来た買取主の使者は、上品な身なりをした初老の紳士だった。
白い髭が口元を覆う老人は腰が低く、奴隷として買われたカールに対して敬語を使った。
彼はにこやかな表情でカールに言った。
「旦那様は一足先に島へお戻りになられました。私が貴方をご案内する執事のアドヴィンです。足かせと手錠は島 に到着したら外します。首の制御装置を外すかどうかは旦那様がお決めになられることです」
「解りました。主に委ねます」
使者と一緒に入ってきた監守がカールを椅子に座るよう促した。
左肩の周りにある髪を無造作に握り、カールの耳を出す。監守の手には長い針と赤い耳飾りがあった。
「ああ、そう手荒くしないで下さい」
事を急かして説明もしない監守を制して、アドヴィンが言った。
「耳に飾りをつけるだけですので、痛みは一瞬で済みます」
アドヴィンの説明が終わらないうちに鋭い痛みが耳たぶに走った。
 耳から顎の方にかけてピリピリしたかと思うと、一瞬にして体中の毛細血管に呪が行き渡った。
(遠隔操作で発動できる即死の呪文か。ここから離れればなんとかなると思ったが……これほどの術をかける者が いるとはな)
呪は脅迫であり、彼の行動を制限するものだった。彼の命はたった今から術者の手に握られたのだ。
耳たぶが熱を帯び、赤い宝石が彼の肉に食い込んでいる。
その即死の呪文はカールの理解の範疇を越え、抗う気にもなれないほど強力だ。解除を試みるだけでも危険だった 。
 呪が施されたのを見て、二人の役人が部屋の中へ入ってきた。そして、アドヴィンが出した書類に筆記する。
カールも官吏達立会いの下で何枚かの書類に名前を記入せねばならなかった。
自分の身を全て買主に委ね、誠心誠意尽くす事によって帝都に貢献すること。
行動によってはその場で処刑される権限が買主に与えられていること、また術師から呪が発動されること。
買主からの解雇によって帝都の施設に戻る事が出来ること……。
カールの権利は何処にも主張されていない。あくまで帝国と貴族の間での事務手続きだった。
彼は役人に言われるがまま、手渡された紙に署名した。
「ではそろそろまいりましょうか」
アドヴィンがそう言うと、監守がカールに再び手枷足枷を着けた。
 鎖で繋がれた手足に、魔力封じの輪と死の耳飾り。
彼の体は支配されていたが、それでも彼の心は自由だった。心までは誓約に縛られることはないのだ。
その生き生きとした目を、アドヴィンは見逃さなかった。
 アドヴィンを先頭にカールが螺旋状の階段を下りて一階の回廊を歩いていると、中庭をはさんだ向こう側の通路に移動中の奴隷達がいた。
二戦目を勝ち抜いたエドレルが虚ろな目でカールを見ていた。
(エド……生きていたのか)
生きていることを喜ぶべきなのか否か、カールには解らなかった。
生きている限り人を殺し続け罪を重ねなければ、ここでは生きられないのだ。
彼らはこれから地下の待合室に向かい、狂騒の宴で戦う順番が来るのを待つ。
そして、再び仲間と殺し合わなければならない運命だった。
 妬み、嫉み、憎悪。
かさぶたと泥まみれの上半身と、純白の衣装。
虫がたかり、油でくっついた髪と陽光の祝福を受けたような黄金の髪。
ここを生きて出る者と、ここで朽ち果てる者。
対照的な両者はお互いを見つめたまま口を利かなかった。
(俺はきっと……必ず戻ってくる。何故だろう、そんな気がする)
カールは己に誓った。それは彼らの為では無く、自分の為でもあった。
(声が届かなくてもいい、誰も聞かなくてもいい。誰も信じないなら俺が自分を信じればいい)
孤独な戦いは今に始まったことではない。
儚い幻のような希望にすがらねば乗り越えられない、冷厳な現実の連続だった。
レグス、エドレル、まだ教えを請いたかった壮年の神官と老神官、サマルドゥーンの市民達が目を閉じても浮かん でくる。
カールはそれを振り切るように足早に階段を下り、眩い光に包まれるようにして闘技場の外へ出た。
 柔らかい空気の中に春の兆しがあり、貝殻のような小さな羽根をはためかせて飛ぶすみれ色の蝶が目に入る。
カールは手をかざして日差しを遮った。
奴隷達の魂をいつまでも吸い続けるこの建物を、生きて出られた奴隷は数少ない。
(レグス……皆、まだオレはそっちに行けそうにもない。まだ、まだだ……!)
背後に建つ巨大な闘技場を振り返ることなく、カールは桟橋に向かって歩き始めた。
 ファルカン・ウッディア歴978年5月、カールヴラット・クォーレルはヌートの血祭りにおいてわずか初戦で買い取られた。
彼がテュニジア島へ渡ったのはサマルドゥーン陥落から約二ヶ月後のことであった。

第二部 ヌートの血祭り 完

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