黒金のまろうど 2

 少年はレヴィ族のハーディーと名乗ったきり、運ばれた食事を全て平らげるまで他に話をしなかった。
相当空腹だったと見え、死にかけていた様子も垣間見えないほど食欲は旺盛だった。
 首まで覆われる白い毛織の服を借りて着たが、色素の薄い一族の人間に比べて少年は髪も肌も濃くて似合わない。
目鼻が大きく顔立ちもはっきりとしているせいか、彼の内面もそう見てとれた。
 長とその右腕、巫女と少年は絨毯の上に並べられた食事を前にして円座を組んでいる。
一通り食べ終わって酒に手を出そうとしたハーディーの手の甲を、レティシアは叩いた。
「ちょっと、さっきの犯罪って何よ。そんな口をきく前にお礼くらい言いなさいよね」
「あ、ゴメンナサイ。助けてくれてありがとう」
ハーディーは名残惜しそうに骨付き肉を口に咥えたまま言った。
彼の礼儀を欠いた発言と行儀の悪さにレティシアは胸焼けがした。
まれ人を供応する村のしきたりさえなければ、外に放り出してやりたいくらいだった。
 ファルカは自分の皿にある肉を小刀で骨からそぎ落とし、レティシアに切り分けている。
口元は綻んで、生意気で威勢のいい少年との食事を楽しんでいた。
ハーディーは掌をファルカの目にかざして、上下に振った。焦点の定まらない、開いた瞳孔が気になったのだ。
「見えてますよ」
ファルカが言うと、ハーディーは手を引っ込めた。
「皆と同じようには見えませんが、精霊の加護により特に不都合は無いのです」
「へー、精霊の力が盲目の補助か。便利だな」
関心無さそうに言いながら、ハーディーは飲み物をすすった。
(失礼な奴! 兄さんだって苦労していないわけじゃないのにっ)
レティシアはハーディーを睨みつけるが、彼は気付いていない。
長の隣に座る口ひげを生やした側近はレティシアの態度に苦笑した。
「それにしてもここは寒いね。雪ってやつ、初めて見た。オレの住んでいる所は温かいから」
「我々の先祖もここを初めて訪れた時にはそう思ったことでしょう。ヌートの祝福を得た指導者は山の頂を染める 白銀に魅せられ、自らを白銀の一族と呼ぶことにしたと聞いています」
ハーディーはファルカの話を聞きながら適当に相槌を打ち、皿を片付ける豊満な体つきをした給仕の娘を目で追う 。
娘はハーディーの視線に気付くと、顔を赤く染めながら長に濁り酒を注いだ。
 部屋を仕切る布の向こう側では、書記がハーディーの会話を書きとめている。
口ひげの側近に帯刀したまま食事に参加するように頼んだのはレティシアだった。
(まったく、兄さんはお人よしなんだから。危ない奴だったらどうするのよ)
妹の目線に気付いたファルカが野菜を摂るようにうながす。レティシアは食欲が無かったが、箸で芋を刺して口へ 運んだ。
「レヴィ族とはこの大陸の反対側に住む部族ですね。旅の仲間は他にいないのですか」
中年の側近は炉の中で焼いている芋を菜箸で突付きながら、何気なく言った。
彼はハーディーの素性を遠まわしに穿鑿していた。
「うん、オレ一人で遭難した」
「一人で雪原を行くのは心細かったでしょうに。何処に向かっていたのですか、そこまで我々が案内しますよ」
(そうよ、早く何処かへ行っちゃって。こっちは祭りの前で忙しいのよ)
レティシアの思惑を見透かしたように、ハーディーは口元をにやつかせて思わせぶりな流し目を彼女に送った。
「そりゃ親切にどうも。でも少し滞在させてもらいたいな。めでたいことでもあるみたいだし」
手から箸が滑り落ち、レティシアは慌てて拾った。
 兄が甘える妹を宥めていた時か、それとも妹が兄の首に腕を絡ませた時なのか。
いつからハーディーに見られていたのか解らない。
「聞き耳立てるなんて、そっちこそ犯罪じゃないの」
レティシアの顔は真っ赤になり、口角が引きつって下がった。
巫女として大人しく座っているのには、もう限界だった。
 愛する者への想いを誰に聞かれようと、恥じることではないと思っているファルカは涼しい顔をしている。
だがレティシアは素直になれるわずかな二人きりの時間を無関係の者に覗かれ、踏みにじられたような気分だった 。
「犯罪って、ああさっきの話ね。オレの国じゃ血が濃すぎる婚姻は犯罪で、兄妹なんてもっての他だからそう言っ たんだよ」
「私の家系はヌートの力を残す為に代々親族で婚姻を結ぶのです。私達の両親も兄妹でした。犯罪ではありません よ」
レティシアを引き寄せてファルカは言った。自分の花嫁としてハーディーに紹介しようと思ったのだ。
「近親婚を繰り返した結果が、その目ってわけか」
少年の一言で天幕の中が凍りつき、レティシアの腰に回したファルカの腕がかすかに震えた。
暖かい料理から立ち上る湯気すらその凍て付いた気配を察して制止しているようにも見える。
(何、どうしたの)
家臣は言葉を捜して眼球の動きが落ち着かない。
レティシアは訝しげに真顔の兄を伺ったが、光を失った目の中に心を探るのは難しかった。
兄の真意はいつも紫の垂れ絹の向う側に隠されているのだ。
「ハーディー、あちらで休みながら君の国のことを聞かせてもらえませんか」
「いいですよ」
ハーディーは木の実を口に放り込んだ。
 ファルカが杯を持って立ち上がると、ハーディーもそれに続いた。
「兄さん、そろそろ貢物が着く頃よ。ヴォルフ族の人も夕方には来るし」
レティシアは付き合う暇は無いと言いたいのをこらえた。客人を丁重に遇するのが礼儀でも、村を挙げての祭りが 控えているのだ。
しかし露骨に兄を引き止めてハーディーと張り合っているように思われるのも嫌だった。
「ではレティシア、代わりに頼みます」
「えーっ」
二人が奥の寝所へ行き、横になって杯をかわす姿が垂れ絹の影に映った。
 穏やかな清流に投げ込まれた石は流れを乱れさせ、やがては澱んで塞き止めるのではないか。
レティシアは遭難して村に入り込んできた少年が心掛かりだった。
その不安が巫女としての勘であれば、危惧するべきことである。
彼女は上着を羽織ると足早に天幕を出た。
 体格のいい、四角い顔をした天幕の門衛がレティシアに声をかけた。
「巫女様、ふくれてますね」
「怒ってないよ。長が忙しい時は私が皆に指示を出すのが勤めだし」
厚顔無恥なハーディーが兄と一緒に居ると思うだけで胸裏は穏やかではないが、レティシアは笑窪を作って笑った 。
「今年のヌートは特別です。レティシア様が十七を迎え、やっとお二人が結ばれる日が来たのですから皆楽しみに してますよ」
「ありがとう」
レティシアの眉は八の字に下がり、観念したかのような侘しい笑顔を見せた。
 皆が待ちわびている結婚だと何度も繰り返し聞いてきた。
レティシアとファルカに期待することによって、二人の未来に一族の行く末を重ねているのだ。
『もう待てない、今年の冬の祭りで君を私の妻にしたい』
春の祭りの後で、兄はレティシアにそう言った。
同年代の者が次々と伴侶を得ていく祭りが、兄の目にどう映っていたのか知らなかったレティシアはただ驚くだけ だった。
彼女に定められていた長の妻という肩書きが現実味を帯びたのはその時であった。
(私、不安なのよ……兄さん)
兄と妹はすでに家族であり、夫婦となっても変わらず家族である。
二人の間に出来た後継者を産み育てることが、新たに加わるレティシアの勤めと言えるだろう。
彼女自身も幼い頃からこの時を待っていた筈だった。
だがこの時を本当に待っていたのか解らなくなるほど、レティシアは重責と情愛に押し潰されそうになっていた。

 夕方の見回りを終えたレティシアは、ヴォルフ族からの参加者を迎える為に村の門へ向かった。
薄紫色に染まった夕暮れの空はファルカの目の色彩で、星が幾つか見え始めていた。
日は落ちたが松明はいたるところで燃えており、外にいても苦になる寒さは感じなかった。
 半日かけてやってきたヴォルフ族の男女はレティシアに挨拶をし、族長から預かってきた品を見せた。
三台の荷車には、長と巫女の婚礼祝いが山積みだった。彼女は丁寧に礼を言い、客人用の天幕に案内した。
(今年はヴレード族からの参加が少ないみたい。人数合わせ大丈夫かな)
祭りは三日後に迫った。遠い村からの参加者が次々に到着し、すでに祭りのような騒がしさを見せていた。
 当日に花嫁が立ち並ぶ舞台も完成して、広場を囲む木彫りの彫像も何本か立っている。
篝火は祭りが終わるまで絶やさないことになっており、一晩中火の番をしなければならない男の顔はすでに煤けて いた。
レティシアは額に浮んだ汗を拭いながらファルカの天幕を見た。まだハーディーと話しこんでいるようだ。
「巫女様、参加者の名簿が出来ました」
「ありがとう」
長の天幕の中から出てきた家臣から羊皮紙を受け取ると、レティシアは額に張り付いた前髪を払った。
厚着しているわけでもないのに、今日はやたらと汗が出る。長時間湯に浸かったようにのぼせていた。
 レティシアが松明の灯りの下で荷台の荷物を調べていると、晴れ着を完成させた友人が彼女の方へ歩いて来た。
「手伝うわよレティシア」
サリタはレティシアから羊皮紙を取り、ヴォルフ族からの貢物を書き留める役目をかってでた。
他の少女も手伝うつもりで来たのだが、品物を目にしてからは祭りで売りに出される細工物の予約以外に余念が無 かった。
 広場では母親の煮物がふるまわれ、力仕事を終えた者と客人が我先にと群がっていた。
母親の手料理と言うものは、どの部族にも共通して心と体を温めるものなのだ。
特に決まった相手がいない娘は、荷物を調べながらも魅力的な異性を探して目が動いていた。
ヴォルフ族の男は狩猟者らしい野性味に溢れ、白銀一族の男には優男が多いが親しみやすさがある。
それだけではなく、近隣に住む少数民族の男達の風変わりな外見も気になる。
そして、同性に対しては静かな火花を散らすのだ。
男達も異性が視界に入ってしまうのだろう、レティシアと周りに居る娘を一瞥しては食事を摂る手を動かす。
前夜祭と当日に向けて、彼らはお互いを品定めしていた。
「やあね、ちゃんと彼がいるのに物色しちゃって」
ヴレード族の荷台にあった木の実や種を手で掬いながら、レティシアが言った。
「あら楽しいわよ、目の保養」
娘達は悪びれた様子も無くレティシアを笑殺した。
 やや酸味のある臭いがする荷物は牧畜や狩を生業とするヴォルフ族からの贈り物だ。
レティシアはその臭いを好きになれなかったが、乾燥させた肉や天幕用に縫い合わせた毛皮は滅多に狩をしない白 銀族にはありがたい品だった。
「ねぇレティ、あの男の子って花嫁探しの旅だったんですってね。親が他の種族の女を連れて来いってうるさいら しいわよ」
サリタはそう言いながら、細工物や宝石が詰まっていた袋の口を紐で何重にも縛った。
「えぇっ何それ、誰から聞いたの」
「さっきファルカ様が話しているのを聞いちゃった。是非君にも参加してもらいたいって。女の子達は皆騒いでる わよ」
サリタにそう言われ、レティシアは急いで参加者の名簿を見る。
表の一番最後に、ハーディーの名前があった。
「もう、信じられないっ。安易よ、兄さんらしくない」
レティシアは牙の装飾品が入った袋の口を思いきり閉めた。
 点検していない荷台はあと一台だ。
レティシアがため息をつきながら巻いてある絨毯を広げていると、そばかすの少女が手を伸ばして手伝った。
「あの子可愛いわよね、十五歳で一人旅だなんて頼もしいし。あの日焼け具合はしろがねの御子ならぬ、くろがね の御子って感じ」
「まさか狙ってるの? やめなよ、もっと包容力のある大人の男にしなよ。あいつはまだ子供でしょ」
レティシアは荷台の上で絨毯を転がし、再び巻く。八つ当たりのように叩くと、糸くずと埃が宙に舞った。
「はいはい、ファルカ様みたいな人にしな、って言いたいんでしょ。あんな方が他にいるわけないじゃないの。い いわよねーレティは」
娘達は普段にも増して饒舌だ。ファルカの話題を出されてはレティシアに勝ち目は無い。
「もうっ、私はああいう偉そうで品が無くてがさつな男の子が嫌いなだけ」
「彼がファルカ様に気に入られてるから嫉妬してるんでしょ」
二人の結びつきがどの恋人同士よりも強いと信じているからこその冗談だ。
だがレティシアは駄弁を弄する気分ではなかった。
 胃袋が押し上げられるような吐き気を感じ、汗をかくほど動いていないのに服がじっとりとした肌に張り付いている。
「やあねぇ、嫉妬するなんておかしいわよ。誰もあんた達の間に入りたいとも思わないってば」
二人の間に誰かが介入出来る様な隙間すら無い。娘達は腹を抱えて笑い崩れた。
ハーディーが自分の生活に入り込んできた異物であることは確かだが、感情そのままに本音を言える身分ではない 。
そんなことない、とレティシアは口に出して言っているつもりだったが、何故か声は出なかった。
 舞台の背後に聳え立つ岩山が回転している。連なる山々は一つに繋がって、円を描いていた。
(何、何なのこれ)
心臓の鼓動は早く、口の中が乾いている。手足が冷たくなるにつれて、レティシアの顔は真っ青になっていた。
「やめなよ。いよいよだからちょっと不安なだけよね。……レティシアどうしたの」
友人の口元は動いているに、耳鳴りがして何も聞こえない。
サリタが振り向くと、レティシアはこめかみを押さえていた。
目の前が白んだ途端、彼女は荷台の上に昏倒した。


BackNext

Since 2003.03.01 Copyright TABERAH SHELAH/RAYGAH All Rights Reserved.