さしのべられた腕 〜神々の黄昏〜 第一部 6

 二人の剣は空中に放り出され、後方の土に突き刺さった。
「きゃっ……っ!」
ラミィは背後にあった岩に背中を叩き付けられていた。
風圧と衝撃で岩が砕け、砂埃が立つ。
「……スクルド、スクルド!」
背中の痛みに耐えながら岩の中に半分埋もれた体を起こし、ラミィはスクルドに呼びかけながら屈んだ。
そして、うつ伏せに倒れたまま動かないスクルドを両腕で支えて起こす。
剣で幾つかの風を切って致命傷となる攻撃を回避したものの、スクルドの体中に切り傷が出来てパックリと肉が割れている。鉄の鎧の裂け目からどくどくと脈打ちながら血が溢れ出していた。
「ラミィ……怪我は……」
薄目を開け、震えるようにスクルドは唇を動かした。
「しゃべるな!私は大丈夫だから!」
ラミィはスクルドをそっと寝かせ、彼の額当てを解いて一番出血が多い太ももの付け根にきつく巻きつけて縛った。
「これが人間か」
 ザスクカッツは仮面に空いた二つの穴から目を光らせる。その言い様は落胆を示していた。
(この弱き者共があのお方を狂わせたというのか……!)
それは嫉妬の眼差しであった。
自己犠牲的な精神と、脆い体。
魔族にとっては恐れるに足りないものであっても、彼には人間の性質そのものが脅威であった。
「……一太刀でも浴びせないと気が済まないわね」
瞬きをし、必死に目を開けていようとするスクルドを見ているだけで、ラミィの心の奥底から怒りが込上げてくる。
ラミィはザスクカッツを睨みながら剣を拾った。
もはや恐れに体が硬直する事は無かった。怒りのみの感情が彼女を突き動かすのだ。
「ダメだ……かないっこねぇ……逃げろ……」
金髪が背中を覆うラミィの後姿を見て、スクルドはうわごとのようにつぶやいた。
(逃げてくれ……!)
自分の力不足を呪うと共に、ラミィだけでもどうにか逃げ切って欲しいと彼は切に祈る。
……アヴァンクーザーという名の正義と平和の神に。
ザスクカッツは手負いの仲間の前に立ち、未だ戦意を消失しない少女を見て言った。
「俺の攻撃を受けて無傷だとは……女、お前何者だ」
「すぐに、解るわよ」
ラミィがそう言った時、鎧がこすれる金属音が辺りに響いた。
 月の光が少ない上空から見れば黒い影の塊となったネス山中に、一つ、また一つと草葉の間から松明の明かりが現れた。
「ラミィ!」
木が立ち並ぶ方向から先頭をきって現れたのはテオフィロであった。彼が隊長を務める十五人ばかりの部隊がようやく到着したのである。
「散開しろ!」
テオフィロは魔人を見るなり後方の団員に向かって叫び、彼自身はラミィとスクルドの方へ走って行った。だが団員達の足運びは鈍い。中には震えおののいて悲鳴を上げ、後ずさりして転ぶ者までいた。
ザスクカッツを目の当たりにした時に平和な日常は過去の産物となり、団員たちは悟ったのである。
部隊、いや、町の全滅を。
葉のざわめく音に、団員達の遠吠えのような嘆きが重なった。
「神よ! アヴァンクーザー神よ……!」
「どうか我々をお救いください!」
「何故魔族が! 私達をお見捨てになったのですか?!神よ!」
空を仰ぎ、彼らは口々にそう祈るだけでその場から動けるものは誰一人としていなかった。
「出血が止まらない。スクルドを運んで皆逃げて!」
 スクルドを肩に担ぐテオフィロに、ラミィはせわしく言った。
「こざかしい人間共め! 素直にセイラン様をお連れすればよいものを」
嘲笑混じりの声でそう言いながら、ザスクカッツは両手を広げて地を蹴り、人の身長二倍はある高さの岩山の上に乗った。その人離れした跳力が団員達をさらなる恐怖へ叩き落す。
ザスクカッツは彼らを見下ろしながら片手で空気を圧縮し、密度の濃い球体にした。
「……っ! 皆逃げて!」
殺気を感じたラミィが叫んだが、すでにザスクカッツはその球体に火を灯して剣で打ち払っていた。
背後に押し迫る高熱を感じながら、ラミィはテオフィロとスクルドを庇う様に抱きついた。
炎に包まれた球体が地に衝突すると、膜が破裂して中の空気が一気に放出され閃光と共に爆発した。
 火炎が空気の流れに乗ってネス全体を飲み込んだ、その時である。
ザスクカッツは自らが放った炎の中を突き抜ける、一筋の紅色の光彩に気づいた。 「……何ぃっ?!」
炎を突き破り、それは天地を結ぶ光の道となって曇天へと突き立つ。雲を弾ける様に散らせ、光は空全体を覆って夜空を真昼のように明るくした。
「この力……まさかアストラルか?!」
ザスクカッツは腕をかざしたが、聖なる光から身を守る事が出来ずに岩から落下した。


 サウィーンが聖堂への扉の取っ手に手をかけようとした時であった。
「叔母上あれは?!」
外を眺めていたセイランが叫んだ直後、回廊の柱の間から凄まじい一閃が差し込んで、二人は目を瞑った。
「これは……?!」
サウィーンは手で光を遮りながら、目を細めて外を見た。
「……アストラルの光……」
サウィーンのつぶやきに、セイランは耳を疑った。
中心にはアストラルと同じ光輝を放つ赤い柱が立ち、その周りから強い光と風が何度も流れてきていた。
その神々しさは神の降臨すら髣髴とさせる。
光が弱まると、サウィーンは扉を開け放った。
ソル・ハダトのアストラルは呼応しているのか、淡い光で聖堂の中を照り映えさせていた。
「一つの場所に二つのアストラルがある筈は……そんなはずは……」
神の力を分散させる為に、アストラルは一つの場所に留まる事を許されない。
それが本殿の上位指導者達の決定であった。
だが、現実にアストラルはもう一つあるのだ。
この田舎のソル・ハダトに。
(まさか……あの人の……?!)
彼女は満面に喜悦の色を浮かべ、目を大きく見開く。
穏やかな流れに変わった風で髪が唇の中に入っても、彼女はそれを取ろうともせずに銀色の扉に寄りかかった。
 常時冷静なサウィーンの、ただならぬ表情にセイランは言った。
「……僕、見て来ます」
「い、いけませんセイラン!」
サウィーンの静止も聞かずに、セイランは沈鬱な表情で回廊を走り出した。
紙燭の火は消えていたが、アストラルの発光で神殿内部は明るい。
(この眩暈……トゥーラの時と同じ…)
セイランは真偽を確かめたい一心で走っていた。
ネスの上空を染める、神聖なアストラルの光が彼を苦しめていたのである。今まで彼を救ってきた筈の力が、何故今頃になって自分を責め苛むように苦痛を与えるのかセイランには解らなかった。
(何故だ……何故今日は何度も意識が……)
胸を過る不快感は意識を朦朧とさせ、視界が何重にもだぶって見えていた。
(神よ、どうか記憶が途切れる前に着かせてください……!)


「綺麗だ……」
 スクルドは心地良い光に包まれながら、彼女を見ていた。
激しくも清麗たる緋色の光。
その中で、朝焼けが川の流れに反照しているかのように煌めく黄金の髪が美しい。
ラミィの蒼い海原を思わせる深い瞳に紅い光が映っている。彼女は刃先を下に向け、悠揚迫らぬ物腰で立っていた。
(俺が守る必要は無かったのか……)
彼は安堵のため息をついた。
スクルドの青白くなった顔は光を浴びて一層白く見えている。
(お前がそんな凄いお守りを持ってるなんて……思わなかったよ)
だが、たとえ知っていたとしても自分は同じ事をしただろうと思ってスクルドは力の無い笑みを浮かべた。
 彼女が今まで背負ってきた、重荷。
ラミィを苦しめてきた過去を、死を目前にしてようやくスクルドは知ったのだった。
悔やまれるのは、彼女に寄り添ってそれを背負った苦しみを分かち合え無いという事実。
彼にその時間はもはや無いのだ。スクルドは痛恨に耐えない。
そう、彼は己が死にゆく者だと解っていた。
 全身を光に包んだまま、ラミィは屈んでスクルドの頬に手で触れた。
「話しておけば良かった」
悲憤の涙がこぼれる。
「そうすれば私を庇おうなんて、こんな事には……!」
「……そんなことは……ない」
スクルドはラミィの手に自らの手を添えた。
そして、彼の唇が何かを囁いたがラミィに彼の最後の言葉は聞き取れなかった。
「な、なに……?」
ラミィが問いかけている間に、スクルドはゆっくりとその瞳を閉じていく。
(スクルド……!)
スクルドの死を確信したラミィは彼の胸元の外套をきつく握り締めて臥せった。
胸を押しつぶす鉛を飲み込んだように息をする事が出来ず、小刻みに肩が震える。
だが彼女の感情の高ぶりと反比例して、アストラルの光は次第に消えていった。
 光が薄れて次第に露になっていくあたりの様子を、テオフィロはよろよろと立ち上がりながら見渡していた。
「一撃で……これか!」
辺りは焦げ、草木一本無事なものは無い。炭となった木に燻る火から煙が立ち上っていた。
彼の部下達は黒い人形の塊となって転がっていた。被さる鎧は溶けている。
(俺はラミィの近くにいたから助かったのか?)
生焼けの肉の悪臭に耐え切れず、テオフィロは顔をしかめて口元を外套の裾で隠した。
「ふ……そうか。お前がセイラン様の歯車を狂わせるという筋書きか」
 白煙の中でザスクカッツが剣を支えにして片膝を立てた。
肩の筋肉が上下に動き、荒い息をしながらゆらりと立ち上がる。
慨嘆する暇もなく、ラミィは剣を下に構えた。
ラミィの体内から出現したアストラルの結界と火の粉が舞う中で、無言のまま佇む。意趣返しを目論む敵意の眼差しで。
「……面白い! お前の中のアストラルがどれほど魔に通用するか見せてみろ」
喉の奥を鳴らして、ザスクカッツは低く笑った。
(アストラルを欲しがってるヴレード帝国に売り渡すのも良いかもれぬな)
ザスクカッツは剣を両手に握り、腕を伸ばして正面に構えた。
「テオフィロ、町に戻って皆を避難させて」
 真っ直ぐザスクカッツを見据えたまま、テオフィロにラミィは言った。
「いや、俺は援護を……」
そう言いかけて、テオフィロは言葉を飲み、己に問う。
自分に何が出来るのかと。
アストラルの力を持つラミィにとって、テオフィロは足手まといでしかないのだ。
テオフィロは共に戦いたい意志を押し殺して、もう誰の死を見たくないラミィの心情を汲み取った。
「……死ぬな」
テオフィロは語調を強めて短くそう言うと、冷たくなったスクルドを抱えて走り出した。
後ろ髪を惹かれる思いを胸に、未だ熱を帯びている大地を踏みしめながら。
(助けてくれなんて祈っちゃいないわよ。余計な手出ししないで!)
 ラミィは己の内に隠されたアストラルを通して、神に呼びかける。
もはや手段を選んでいる余裕はラミィには無い。
だがそれでもラミィはアヴァンクーザーに依存する事を拒んでいた。
その呼び掛けに反して、再び淡い光が彼女の皮膚から滲み出る。その光は腕を伝って刀身へと集まった。
紅き剣を握り締め、彼女はザスクカッツに突進する。
「来い!」
ザスクカッツは挑発し、ラミィに向かって走り出した。
ラミィは己の中に隠された物を厭う気持ちも憎しみも全て捨て、神の力を持った剣で目の前の敵に最初の一撃を放った。

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