さしのべられた腕 〜神々の黄昏〜 第一部 5

 スクルドは夜勤に備える為の昼寝を終えて、事務所の外で閑暇を持て余していた。昼寝といっても、夕刻はもうとうに過ぎて月が昇り始めた頃である。
(そろそろ帰ってくる頃だろうな)
彼は木に寄りかかって大通りの方を眺め、好意を寄せている少女が現れるのを待った。
酒場から離れたこの神殿の前までは、騒がしい酔っぱらいの声も届かない。辺りは枝頭を揺らす風の音と虫の鳴き声がかまびすしい。
月は風に流される雲に見え隠れしていたが、にわかに掻き曇るとその姿を現さなくなった。スクルドの背後にそびえる神殿は闇夜に白く浮かび上がり、回廊の柱の隙間から蝋燭の明かりが漏れている。そのぼんやりとした蝋燭の明かりに神の像が照らし出されて、小規模な造りながらも神殿は荘重な雰囲気を醸し出していた。
 スクルドは神殿の外壁の周りを歩く同僚の姿に気付いて手を振った。神殿警備担当の団員は片手を一度あげると、槍を肩にかけて闇へと消えて行く。
テオフィロから聞いた話では、ラミィは神殿警備の担当を放棄してトゥーラへ巡回に行ったという。
彼女の勝手な行動は今回が初めてではない。だが誰かが尻拭いをする事になっても今まで文句を言った者はいなかった。
それだけ団員はラミィの実力と判断を認めているのだった。
中にはソロンのように嫉視する若者もいるが、スクルドはラミィに対する見方が違った。
(異国の娘がこの町を必死に守ろうとしてるんだからな…誰も文句言えねぇよなぁ…)
 異国の娘。
ラミィがサウィーンに拾われた事はこの町の住人なら誰しも知っている過去である。それに加え、スクルドはラミィの素性を探り得る事実をサウィーンから聞いた事があった。
スクルドがソリヴァーサ国軍を脱退して両親の故郷であるこの町に戻った時、初めてラミィと出会った。彼女を知らない頃はさすがのスクルドもよく頭に血が上ったものだった。彼はラミィに注意する事を避けて保護者であるサウィーンの所に押しかけた事がさえあったのだ。神官と神をうとんずるラミィの態度にまだ免疫がついていない時の話である。
(まさかヴレードにいた時ガランディウムの信者だったとか……ねぇよなぁ)
スクルドは頬についた上掛けの皺の後を指でこすりながら考えを否定した。
アヴァンクーザー神を憎む理由はそれで解決するが、尋ねる勇気さえ彼には無い。
『あの子は私に拾われるまでの話をしないのです……だから何も解りません』
推測する為に、スクルドはサウィーンの言葉を回想していた。
『……ラミィは神とその追随者達を憎んでいます。その憎しみは尋常ではありません。それにあの徹底した危機管理……恐らく神の恵みの無い隣国、ヴレード帝国に生まれたのでしょう』
その国の名を思い出す度に、スクルドは背筋が凍る。
 邪神ガランディウムを国教とするヴレード帝国は確実に力を付けつつある国であった。
十九年前に北部にある自治都市サマルドゥーンを陥落させ、北の分殿のアヴァンクーザー神官を奴隷にした敵国である。スクルドが防衛部隊にいた時には、次はソリヴァーサに違いないという噂が何かと出回っていたのだ。
アヴァンクーザー神を崇拝する国の中でも、聖王国と称されるソリヴァーサに生まれついたスクルドにとってヴレードは恐るべき国であった。だからこそラミィがどんな生活をし、どんな環境で幼年時代を過ごしたかなど想像もつかなかった。
 ラミィの言葉の端々にうかがえる、過去の影はいつまでも彼女に寄り添って拭い去られないのだ。彼女は酷く孤独で、何かに神経を尖らせているようにしかスクルドには思えなかった。
ラミィがヴレード出身と知って以来、スクルドは模範試合で彼女に負ける度に彼女の痛みを感じるようになっていた。
ラミィの振る剣は、強くなければ生き抜けなかった過去を物語っていた。このアストラルに守られたソリヴァーサで、ラミィは一生このままなのかと思うと、スクルドはやりきれないのだ。
彼女が酔った時よく口にするように、それは「不公平」であった。
その上、時が経てばラミィは神の恩恵に慣れるかもしれないという望みも消え失せ、今や最悪の事態である。
(この状況があいつにとって良いのか悪いのか、もう解んねぇよ)
スクルドはラミィにもうここは安全だと何度言い聞かせたかった事か解らない。だが彼女をどうしたら安心させられるのか解らなくなり、スクルドは銀髪をくしゃくしゃにした。
 彼が視線を空から大通りの方へ移すと、緊張した面持ちで事務所へ駆けて来るラミィの姿があった。
「あの調子じゃ、今夜も何の進展ナシかな」
スクルドはそう言って苦笑した。


「よぅラミィ、話はテオフィロから聞いた。妹が迷惑かけたな」
事務所の門をくぐった所で愛想のいい笑顔を見せるスクルドに気付いたラミィだったが、立ち止まらずに彼の横を通り過ぎながら言った。
「そうね、あんたが頼りないから私に相談したとでも思えば?」
スクルドは慌てて彼女の横に並んで歩き、話を続ける。
「はは……そうなんだよな。クレアも年頃だから言いにくい悩みもあるんじゃないかってさ。でも俺も兄として……」
「もう、うるさい! 今それどころじゃないのよっ!!」
見当違いをしたまま話を続けるスクルドに付き合う気が全く無いラミィは右腕を振り払った。
「ぐぅっ……!」
予想だにしなかったラミィの一撃はスクルドのみぞおちに命中する。スクルドは胸部を押さえて屈み込んだ。
狙ったつもりが無かったラミィもさすがに目をまるくしたが、詫びの言葉もかけないまま事務所の扉を開けた。
 険しい表情で中に入って来たラミィに、戸口に立っていたテオフィロが声をかける。
「どうした」
ラミィは彼の頬の痣をちらりと見てから視線をテオフィロの目に合わせて言った。
「トゥーラ山中に魔物が出た。この町の誰かが殺されてる」
「何だって……?」
腕の力が抜け、テオフィロは組んでいた両腕を下ろした。
スクルドは屈んで痛みに耐えていたが二人の会話を聞いて立ち上がった。
「また魔族かよ?!」
驚きのあまり裏返った声を出したスクルドだったが、ラミィは何の反応を示さずに話を続ける。
「子供もいたって事はだいぶ前から住み着いてると思う。このままじゃみんな餌に」
「……サウィーン様のお考えはさっぱり読めないが、大人しく神殿の言いなりになるわけにはもういかないな」
テオフィロは戸外へ出た。
「私はサウィーン様に伝えに行く。ラミィは団長に報告を」
ラミィが頷くと、テオフィロは神殿の方へ歩いて行った。
 神の像の前で祈りを捧げてから参道を歩くテオフィロの様子を見ながら、スクルドが言う。
「今夜は仮眠取れそうもないぐらい忙しくなりそうだなぁ」
「あんたさっきたっぷり寝たんでしょ!」
胸部をさすり続けるスクルドを残してラミィも事務所の中に入って行った。


 ラミィの報告を受ると、団長は数人の偵察隊を派遣し全ての団員を招集した。
「何かの見間違いなんじゃないのか?」
「酔っぱらって何かと見間違えた、とかなぁ。結界の中に魔族が入れるわけないだろうがっ」
そう茶化しながら会議室に入っていく中年の団員達。若年の団員は顔をほころばせ、退屈な毎日と違った展開に好奇心を隠せないようであった。
 奥の扉が閉められて対策会議が始まると、まごつく団員たちの声が漏れて聞こえた。
それを会議室の前で聞き届けてから、ラミィは出勤表の上にかけられている倉庫の鍵を取って事務所を出る。そして門を出ずに、裏手にある武器庫へと足を運んだ。
鍵を開け、暗い土蔵の入り口を開くと埃が立った。
倉庫のすぐ裏手は山である。雨が降った後でも誰も換気しないせいか、中はじめじめとして鼻の奥にツンとするカビの臭いが届いた。
ラミィはくしゃみを二、三回続けてしてから壁にある紙燭に火を灯した。
四隅の壁にある紙燭に全て火をつけ終わると、蜘蛛の巣があちこちに張り巡らされている事に気づく。彼女は剣を抜いて蜘蛛の糸を払った。
 今まで模範試合でしか使用したことのない防具の中には虫の卵や死骸だらけで、剣や槍は刃こぼれしたまま壁に掛けられている。錆び付いて腐食した剣も立てかけられてあった。
「いくら使う用事が無いって言ったって……」
ラミィは呆れかえって最後の一言が出せなかった。深いため息をついてから適当に防具と武器を選び、板張りの小さな荷台に乗せた。
彼女が人数分の装備品を事務所へ運ぶには、倉庫を七往復しなければならなかった。荷台を倉庫の奥に押しやり、最後に残った剣をラミィが持って出ると、全身汗をかいて髪が頬に張り付いていた。
鍵をかけて事務所に戻ると、丁度会議が終わった所であった。
 部屋の真ん中に山積みとなった装備品の中からそれぞれ体格に合った鎧を一人一人に手渡しながら、ラミィは団員達の顔色を伺っていた。
彼らは気を紛らわせるつもりで物珍しそうに鎧を眺めているが、皆無口で顔に色が無い。
(相当ショックなようね)
普段は気さくで明るい団員達も、浅はかでは無い。魔獣の出現は神の結界が破られた事を示唆している事に少なからず気づいているのである。だがラミィは彼らの落胆と動揺にほだされたりはしない。尚更魔物を知っている自分がしっかりするべきだと思うだけであった。
 最後の一人に配り終わると、ラミィは上着を脱いで女性用の比較的軽い鎧を装着し始めた。青い、肩当ての付いている鎧である。胸の部分は丸く打ち出してあったが、少々きつかった。だが、周りにいる団員達の手際が悪いのを見て、彼らに着付けてやっているうちに、支度を終えるのが最後になっていた。唯一手慣れた手つきだったのは国軍兵士であったスクルドくらいであった。
それから団員達は着慣れない重い鎧を身に着けて歩きにくそうに待機室へ入っていった。
(あれじゃ体力がすぐ無くなるかもね)
 他の団員とお揃いの外套を羽織って鎧と同じ色合いの手袋をはめてから、ラミィは入り口の壁に貼ってあるソル・ハダト周辺の地図に近寄った。
(……侵入経路を把握するにはまだ情報が少ない……)
彼女が確認した魔族はトゥーラとネスのみである。出現位置を確認しているうちに、トゥーラで死んでいた魔族が人型であった事を思い出してラミィは腕を組んだ。
(そういえば魔人の死体もぐちゃぐちゃになってた……神殿騎士があんな斬り方する?)
ラミィには純白の典雅な鎧を身に着けているアヴァンクーザーの騎士が、気位を重んじる騎士道に背くような殺し方をするとは思えなかった。
(相打ちなんかじゃ……)
 その時ドスンという音と共に扉が開き、崩れるようにソロンがなだれ込んできた。足を怪我したのか、床を張って中に入ろうとしている。
「ソロン! 他の偵察隊員は?!」
「ネスを捜索していたらあっという間に皆やられた……!」
ラミィは屈み、息の荒いソロンの背中に腕を回した。
傷は無いがねっとりとした感触があった。相当の血を浴びたようだった。
「クレアが……クレアが……っ!」
ソロンは大粒の涙を流しながら搾り出すように嘆いた。
「……クレアはネスに行くって……まさか……」
ラミィは独り言のようにつぶやく。だがそのささやきを見逃さなかった者がいた。
ラミィはハッとなり、口を閉じるがすでに遅く、クレアの兄は外へ飛び出して行った。
「スクルド駄目!」
(夜は奴らの力が増すのに……!)
「トゥーラでやられたのは家具屋のペルロだった……おぉ……神よ……!何故結界の中に魔人が!」
嗚咽混じりの声にしばし事務所内が静まり返った。次々と出る犠牲者を知って団長ですら指示を出す事を忘れていた。
「ちょっと待って、私が遭遇したのは魔獣よ」
「違う! 俺が見たのは人型の魔人だ! トゥーラで発見されたのに似た……!」
土が付いて煤けたソロンの顔は恐怖に歪んでいた。
(やはり別の魔人が……! 一体何人魔族が入り込んでるのよ!?)
全身、鳥肌が立つ。
久方振りに心の奥底から沸き上がってくる恐れに、ラミィは戦慄を覚えた。
「うちの部隊はテオフィロの帰りを待って。私はスクルドを連れ戻すから!」
ラミィはその場に立ち尽して返事も出来ない団員達を残して街へ飛び出していった。


 ネスでの挨拶回りを終えて帰宅したことをサウィーンに伝える為に、セイランは叔母の書斎へと向かった。
セイランが扉を叩きかけた時である。中からテオフィロが眉をつり上げ凛とした顔を一段とひきしめて出てきた。彼はセイランに短く一礼した後、廊下を走って行った。
「セイラン? ……良かった。無事に帰ったのですね」
何事かとテオフィロを目で追っていたセイランに、部屋の中からサウィーンが尋ねる。
「あ、はい。今戻りました」
 セイランは手を洗らおうと、部屋の左隅にある水盤へと歩いた。
(……なんて言えば……)
彼は背の高い柄の付いた、丸い台座の上に置かれた水盤の中に手を入れながらラミィの伝言をどう切り出すか考えていた。彼女の言葉そのままを伝えるには過激だからだ。
サウィーンは椅子に座り、聖典アヴェル・ロードを黙読している。机の上には聖典の判読書が置いてあった。
台座に掛けられている布で手を拭き、暫時のためらいの後でセイランは彼女に言った。
「実はラミィさんに会ったのですが……」
「その事なら知ってます。今テオフィロが知らせに来ました」
サウィーンは本を閉じて立ち上がった。
「私はこれから本殿に指示を仰ぎます。帰ったばかりで疲れているでしょうが、お前も来なさい」
聖典を机の上に置いて、サウィーンは歩き出した。
「はい」
 セイランは入り口の脇に立って扉を開けた。
サウィーンは廊下に続く絨毯に視線を落としていると、セイランの僧衣の汚れた裾が目に入った。
「……セイラン、どこか怪我でも?」
「えっ」
セイランは衣の裾をたくし上げた。
細かい赤い斑点と、乾いた茶色い染みが足元と裾にこびりついている。
「私は怪我などしていませんが……何でしょうこの染み……」


 ラミィは自分が先走った行動に出た事にいささか驚いていた。
彼女はソロンからクレアの居場所を聞かなかった上に、照明も持たずに抜き身の剣を手に握ったまま草深いネスの山中を駆け抜けているのだ。
(光苔もう無いし……これじゃ暗すぎる)
雲は厚くなるばかりで月は辺りを照らす灯火にはならない。
歩き慣れた土地で道に迷う事は無いが、魔人が何処に潜んでいるやも知れぬ危険があった。
彼女は辺りを見渡す為に立ち止まった。
 威圧するように彼女を取り囲んで視界を阻む木立にラミィは舌打ちして目を閉じ、南から吹く生ぬるい風を一気に吸い込んだ。
(あっち……!)
ラミィはかすかな血の匂いを嗅いで再び駆け出した。
その先は少し拓けた場所になっており、草はまばらになって巌が所々突き出している。
草の上に敷かれた麻の敷物の上に、クレアが持っていた籠が転がっていた。幾つかの果物と木筒の水筒。それらには血痕があった。
そして、スクルドが敷物の上に座って何かを抱えていた。
「スクルド……」
 ラミィの声に体を少々動かしたスクルドの腕から何かが転がり落ちる。
若木のようにしなやかな、細い腕。
熟した果実のように断面から瑞々しく血がしたたっているのを見て、ラミィは短く息を吸った。
スクルドは血溜まりの中にいて、変わり果てた姿となってしまった妹の遺体を胸に抱いているのだった。
まずい、とラミィは思った。
深い愛情が根底にあったとしても、冷静さを欠いた行動としか思えなかった。散らばった彼女の遺体をかき集めている時にスクルドの繊細な心はどうにかなってしまったのではないかとさえラミィは疑った。否、平常心でいられる方がおかしい。
「いつまでもそんな所にクレアを置いてちゃ可哀想でしょ。町へ運ぼう、スクルド」
ラミィはゆっくりとスクルドに近づき、なだめるように言った。
「……逃げろ、ラミィ」
「え?」
スクルドはある一点を見る為に頭を傾けたまま凝然としていた。ラミィもその視線の先を追う。
柱のようにそそり立つ岩の上に、黒い影が立っていた。
「貴様あぁぁっ!」
 スクルドは立ち上がり、抜刀した。
一つ、また一つとクレアを形成していた部位がスクルドの腕からこぼれ落ちた。
「スクルド!」
完全に我を忘れ、スクルドは誰に立ち向かっているのかさえ気付いていなかった。
雲が薄くなり、月光が邪悪な存在を朧気に照らした。
その者の、獣の鬣のような髪が動く。
大柄な体躯に瘤のように隆起した肩の肉が目立ち、顔には二つの細長い穴しか空いていない仮面を付けていた。
足下に幅広の曲刀を刺して柄を握るその者は、二人の頭上から低い声で言った。
「セイラン様をお連れしろ」
脅迫じみた有無を言わせぬ口調である。
(な……! 今何て言った?!)
ラミィが男の尋ねた言葉に気を取られたその一瞬のうちに、スクルドは岩山目がけて走り出した。
「殺してやる……っ!」
「あっ……ばかっ!」
抜剣を反対の手に握り直し、すかさずラミィもスクルドに続く。
二人の行動に苛立ちを露わにし、仮面の男は剣を岩から抜き取って切っ先を二人に向けた。
 刀身は青白い光に包まれていた。そして、誇示するように彼はそれを大きく振り下ろす。
生じたのは、風の刃であった。
その波動は耳の奥の鼓膜を震わせ、苛烈な轟音を生じさせながら草を薙ぎ倒して二人目がけて飛来する。
ラミィは前方を走るスクルドの腰に飛びかかってわざと倒れ込んだ。そして岩陰に身を隠す。
目標を失った風の刃が彼らの背後にあった木を千々に切り裂く間、二人は瞬きすらせずに見届けていた。
その凶刃は二人を震駭させ、切り刻まれたクレアと神殿騎士の惨死体がラミィの脳裏に浮かんだ。
「頭冷やせ!」
ラミィはスクルドに視線を移すや否や、頬を平手打ちした。
「解ってる……!解ってるけどあいつはクレアを……!」
涙ながらに、スクルドは訴えた。
 未知なる魔族の力を前に、悔しさや怒りの感情は何の意味も持たない。憎しみと義侠心だけでは仇を打てる可能性など無いに等しいのだ。それでも、彼を動かす怒りは納まらない。
ラミィは拳を握ってうつむくスクルドの肩を引き寄せて一度抱きしめた。
兄想いの、優しい少女であった。自分の妹のように可愛がっていた。スクルドと二人きりの質素な生活を送っていただけで、殺されなければならない罪など何一つ犯してはいない。
罪があるとすれば、それは神にあるとラミィは思った。
アストラルの結界さえ無ければ、と。
(いつかこうなる事は解ってた……。皆、無防備過ぎたのよ……!)
ラミィの胸臆を苦しめるのは、見せしめのように殺されたクレアとの思い出であった。
絶望に打ちひしがれるスクルドを放し、ラミィは悲壮な気分を振り払って立ち上がった。
「私があいつを引き寄せている間に逃げなよ」
「何言ってんだよ! 俺が……」
スクルドが涙を拭って顔を上げた時には、そこにラミィの姿は無かった。
「おっおいラミィ!」
 仮面の男はラミィの姿を見つけて中空に足を踏み出した。そしてゆっくりと中に浮いたまま下降する。
「俺の名はザスクカッツ。セイラン様をここへお連れしろ」
ラミィはザスクカッツが降りた地点を目指して走った。
(あいつ……セイランに何の用事だってのよ)
「用事があるなら自分で行けば? アストラルのある神殿に入ったらあんたは死ぬだろうけどね!」
ラミィは沸き上がる驚悸を感じながら、硬くなった足を無理矢理動かして間合いを詰めた。魔の痺れる様な邪気で体が思うように動かないのだ。
ザスクカッツは両手で剣を握った。
刃から湯気が立ち上るのを見て、二撃目を察知したラミィは下半身に力を込めて防御の姿勢をとった。
「生きた土の塊を切り裂け、風の刃よ!」
ザスクカッツは剣を何回も振るった。
(……剣で防ぐか避けるか……!)
攻撃を終えた後のザスクカッツの緩んだ体勢に切り込むつもりでいたが、まずは襲いかかってくる攻撃をどうにかしなければならなかった。
……一撃目よりも、多くの波動が飛んできている。
ラミィは自分の直感を信じた。
目の前に襲いかかる真空の刃に、ラミィは微動だにしなかった。
だが、目に見えぬ風がラミィの目前に迫った時、突然それが影で遮られる。
スクルドの体重がラミィに重なって二人は後ろへつんのめった。
赤い雨がパラパラと降り、煌めく銀の髪が散った。
「スクルド!?」
返事の代わりに彼の口から出たのは、絶叫。
苦痛に耐えきれず叫んだ声がネスに響き渡る。ラミィが今まで聞いたことも無いスクルドの声であった。
そして、ラミィは風の勢いに押され吹き飛んだ。

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