日記

11月25日
 久しぶりに何の予定も無い日が続く。たまっていた家事をする。香を焚く。お経を聴く。高級烏龍茶を飲む(お香のせいでせっかくの烏龍茶の香りが分からない。失敗)。書類・写真の整理もしよう。読まなくちゃいけない本、翻訳しなくちゃいけない文章・・・。一日外出しなかったけれど、結構忙しかった。

11月23日

 常に感じるプレッシャー。なぜ日本人は中国をあるイメージに閉じ込めたがるのかな。 以下の友達から聞いた話が、どういう風に受け止められるのだろうか。私は友達から聞いた話を中国語で書いた。日本語で書くか、中国語で書くか迷った。たぶん私が英語で文章を書ければそんなに迷うことなく英語で書いたのかもしれない。何かを表現したいと感じた時の言語選択について、非常に興味がある。

華人
 以前聴過華人包括漢族滿族藏族回族和蒙族.我問兩個蒙古朋友,他們認不認為自己是華人?他們説他們不認為自己是華人.他們猜所有的蒙古人不認為自己是華人.

中秋節
 我知道中國人過中秋節,那天吃月餅.聽説中國人很重視家族,圓圓的月亮和月餅是團聚的象徴.最近蒙古朋友教我中秋節的起縁.漢族計劃起義,反抗蒙古人,通知其它人時,把通知信放在月餅裡面.還有,我不知道台灣有沒有這種習慣,過中秋節的時候,除了吃月餅之外,還要吃西瓜.那個西瓜上先要畫臉,然後用刀子kan3它.這西瓜表示?蒙古人的頭曾經看過漢族在西瓜上畫臉就kan3它.他説現在年輕一代的漢族不太知道中秋節的起?,蒙古人也會跟漢族一樣過中秋,但所有的蒙古人心理很清楚中秋節的原來的意義.

蒙古人來了
 在台灣哄小孩的時候用甚麼樣的台詞?蒙古朋友告訴我,大陸的漢族哄小孩時會跟小孩説[蒙古人要來了].

打架
 .朋友説内蒙古的治安跟其他地區比起來還算好.可是聽他們的話之後,我覺得内蒙古的治安並不好.他現在看新聞節目,看到阿富汗的情形覺得很恐怖,他們都擁有武器.可是回想起來,他小時候的内蒙古也一樣的,家裏的大人都有自己的槍,跟漢族發生糾紛的時候,這種民兵過來解決糾紛.警察不會過來的.他家也有一把槍,是日本製造的.

 朋友説十年前的内蒙古對年輕人來説比較沒有發展的空間,如果年輕人要成為名人的話,要打架.他們的打架不是一對一,就是幾十個人對幾十個人他們都拿刀子或棍子,打得很至Q,連大學生也會參加打架.我朋友講義氣,如果他朋友被欺負了就跟欺負他朋友的人打架.我問ling4外一個朋友打架的原因;他説沒有甚麼原因,有時候在餐廳他覺得那個人看不過眼,就開始打架了.我跟他説我在日本從來沒有看過白天有人突然開始打架當然有聽過日本也有這種人,但是我的生活圈子裡從來沒有這種人.

宿舍
我朋友上初中之後到大學畢業一直住在學校的宿舍.内蒙古的冬天非常冷,氣温下降到零下三十幾度.但學校的宿舍沒有暖氣!還有,學生們有時候沒錢,一天只能吃一餐.同學的家長把速食麺寄給他了,只有一個速食麺,四五個同學一起吃.那時候他們很艱苦,常常吃不飽.



11月21日
 今「達摩の経」を聴いている。お経だが、とても聴きやすい。私のCDはサンスクリット語版。美しい。以前台湾で台湾語の観音経CDを聞いた。それもとても美しかった。日本では葬式や法事の時にしかお経を聞かないから、お経を聞くとなんだか沈んだ気持ちになるが、台湾では仏教や民間信仰が生活の中に溶け込んでいる感じがする。だから台湾のお経は親しみやすいのかもしれない。
 最近、モンゴル朋友からもらった、モンゴル流行歌手のテープがお気に入り。外モンゴルの人気歌手のテープだそうだ。中国ポップスと全然違う。モンゴル語そのもののもつ美しさなのか、それとも、ヨーロッパの影響を受けているからなのか、とてもかっこいい。非常に残念なのは何言っているのかさっぱり分からない事。うーん、モンゴル語勉強したい。

11月18日
 人と話す時の話題選びって難しい。自分の得意とする話題を相手が全く理解不能だと感じた時、戸惑う。以前は、誰に対しても自分の体験や考えを理解してもらおうと言葉を尽くした。最近、相手が分からない事は言わない。

11月12日
 何だか分からないけど、今月ものすごく慌しい。毎日違う場所に違う人と一緒にいる私が、堅実な暮らしをしている友人たちには理解不能らしい。久しぶりに連絡をとると友人から色々質問される。みんなは私を羨ましがる。私は私で浪人である事にプレッシャーを感じているのだけど・・・。浪人って、いろいろな可能性が見えてきて、わくわくするし、刺激的な毎日を過ごせるけれど、自分が腰を落ち着けてじっくり、全力を出し切れるちゃんとした場所が無いので、混乱するし、やっぱりあんまり良い状態じゃないと思う。私の同世代の友人はみな「堅実な」生活を築いている。みんなは自分の生き方をきちんと定められるのに、私は一人でこんがらがっている・・・と思うと、本当に居た堪れなくなる。今日、浪人生活脱出につながるかもしれない「合格通知」を受け取った。教員時代と同じように、自分が全力を尽くせる場所が欲しい。自分の居場所を新たに獲得する事がこれほど困難だとは、退職した時には思いもよらなかった。ガイド資格もとったし、一応努力してるけどな。これは、私が女だからなのかな?でも仕事をやめた女性がみんな「居た堪れない」訳じゃないでしょう・・・。

11月1日
 先日、友人たちとカラオケに行った。日本でカラオケに行くなんて本当に久しぶりだった。友人が歌った日本語の歌を聴いて、不覚にも涙が出てしまった。自分でもびっくりした。もちろん友達も驚いた。中国語の勉強を始めてから、「日本語の歌を聴くのは時間の無駄」と思い、中国語の歌を無理して聴いてきた。日本にいても中国語のテレビ番組を視聴し、中国語の音楽を聴く、e-mailは中国語で。読む本も中国語の本。中国語の環境を整える事に力を入れてきた。感激や喜び・新発見は中国語の世界にしかないと思っていた。日本語で話している時は、大体つまらない。
 「色々無理しているんだねぇ〜」と友人たちは呆れていた。



10月31日

 この一ヶ月は自分が「女性である」ことを改めて強く意識した。改めて・・・ではなく、性別についてこんなに色々考えたのは生まれて初めてだろう。女性であるために受けるプレッシャー、現状を打開できないもどかしさ、自立していない事に対する苛立ち、子どもを生み・育てたいという「本能」が自分にも備わっていたことに対する驚きと戸惑い・・・今まで自分が女性である事を無視・抑圧してきた。この数年間は、自分の好きな分野で、教員時代と同じように社会人として認められる仕事をしなければと言う事ばかり考えていた。
 最近、ふとしたきっかけで自分は「女なんだ」と自覚した。その時、涙が止まらなかった。自分の「女」の部分を自分が認めてあげなくちゃいけない、受け止めなくちゃいけないと思った。そうじゃないと苦しいし、惨めになる一方だ。私は浪人で、客観的には、主体的に生きられるような状況ではないけれど、それでも、自分が後悔しないように一日一日を大切に生活すれば、きっと道は開けると信じている。

 「女は『奥さん』って呼ばれるのが嬉しいんでしょ?違うの?」「女は結婚して名字が変わるの嬉しいんでしょ?え?違うの?」と非常に驚かれた。友人(男性・わりと若い)の周囲には今まで私のような変わり者はいなかったそうだ。・・・私も5年前まで彼と同じ感覚だったけど。彼を責めるつもりは無い。彼は今までそういう話を聞いたことが無かっただけで、聞く耳をもっている。私はきちんと向き合ってもらえるだけでかなり救われている。日本人・外国人を問わず、自分の身近な女性ときちんと向き合える男性はとても少ないと思う。私のことを「可愛い」「綺麗」「聡明」と賞賛する男性も油断できないと分かった。相手の女性を全く尊重していなくてもこういう言葉がすらすら出てくる男性はたっくさんいるから。こういう男性と話していると「女なんて適当に褒めとけば言う事聞く」という気持ちがありありと伝わってきて、悲しくなる。この種の男性は国籍を問わない。私が友人(女性)に愚痴ったら、「その種の男性を近づけてしまうあなたが悪い」と叱られた。そうかもしれない。

 私はちゃんと勉強した事が無いので、性別の問題についても、台湾・中国についても、自分の感覚だけで書いている。分析の枠組みを身に付けなくちゃ、と思う。でもやっぱり「♪跟著感覚走〜♪」と大きな声で歌ってしまう。

 そうこうしているうちに中国語の勉強はすっかりおざなりになってしまった。11月はもう少し真面目に勉強しよう。



10月24日

 夜になると咳が止まらない。もう2週間くらい。変だな。

 昨晩非常に恐ろしい夢を見た。自分が夢の中で言った言葉、相手の言葉、中国語だったけどはっきり覚えている。普通、台湾朋友が夢に出てきても、自分が何語を話していたかまで覚えていない。目覚めたあと、暫く眠れなかった。でも、夢に出てきた二人に電話したら、元気だったので安心した。台湾でも、怖い夢は逆に良い知らせと考えるらしい。

 今、新しい事を始めたいな、と思っている。ある人に話したら、一つの事業を始めるなら最低五年以上腰をすえて取り組まなければだめと言われた。浪人の私が、そんなことできるのだろうか。中国語だって始めて4年。5年間何かを続けた経験が無い私。自分が今後、どのような生活をしたいのか、よく考えなくちゃいけない時が来ている。

10月18日
 表現したい時は、強い憤りや悲しみ、不満が根底にある・・・かな。満ち足りている時は、「書きたい!」「伝えたい」と思わない。他人の寂しさや憤り、悲しみに触れた時も、「表現したい」「伝えたい」と思う。もっと、喜びに触発されて表現できればいいのにな。

 私は、自分が教員だった時、自分の傲慢さに気がつかなかった。教員だと、海外に行った時に得をする。台湾では「私は教員です。小学校を参観できますか?」と言って、ぶらりと小学校へ行き、子どもたちと交流することが出来た。また、上海では「私は教員です。子どもたちに見せたいので、写真を撮らせてください。」と言うと、現地の教師も子どもも協力してくれた。「教員」という職業は世界中にあるので、(たとえその地位は低くても)簡単に受け入れてもらえる。そういうことを繰り返しているうちに、「子どものため」「「教育のため」という大義名分があれば、相手が協力するのは当たり前・・・という感覚が身についてしまった。私は、自分が教員を辞めてから自らが患っていた「職業病」に気づいた。だから、この職業病患者に出会うと、苛立ちを禁じえない。教員は、相手に無償の協力を求める前に、相手の置かれている立場を思いやって欲しい。たぶん、「子どものため」に無償で協力している人々の中には、社会的・経済的に不安定な人がかなりいるのだ。もちろん、子どもは、学校と家庭・地域が一体となって育てていかなければならない。でもね、つい元の同業者を厳しく見てしまう。

 『「金銭的な支援」はお互いの顔が見えないし、「施す者」と「施される者」という上下関係が出来るようで、イヤラシク感じる。』『資金援助は抵抗あるが、物資の支援だったら喜んで協力する。』『子どもに会ってお話したり、文通したり、交流するなら意味がある。』・・・中国の教育支援活動に携わってから、何度も聞いた。そして、以前の私も同じような事を考え、葛藤した。・・・結局現地の視察を通して、自分の携わっている事業に納得が行ったので、今はとてもすっきりしている。中国の最貧困地区と付き合うためには、資金援助もコミュニケーションツールの一つだと思うようになった。台北や上海のように「私は教員だから交流させてください」と言う訳にはいかないのだ。これを支援者の皆さんにご理解いただくのは、時間がかかる。支援者の方々が持つ疑問に答え、納得して頂き、かつ現地の子どもたちにとって意味のある事業を展開しなければならない。

10月15日
 風邪が悪化し、ちっとも勉強が進まない。9月の十分の一くらいしか勉強していない。まずいな。浪人なのに勉強すらしないなんて。

 最近、友人から職場の女性に対する愚痴を聞いた。友人曰く「今の若い女性は、すぐに群れる。グループから浮き上がるのを恐れ、自分だけが頑張って褒められるなんて考えられない。そんなことしたら仲間はずれになるから。噂話が大好き、すぐに「あの人嫌い」という。・・・とにかく女は横並び意識が強くて、成長しない。」・・・というものだ。また、別の友人曰く、「自分の周囲の女性は、国際情勢にちっとも関心が無い。私がアメリカの報復攻撃について議論しようとしても、そんなことより食べる事、子どもの事で精一杯、と言われてしまう。それでもめげずに、女性たちに働きかけている。」
 私は「女の癖に・・・」「女は・・・して当然」と言われるのが大嫌い。そういう人とは絶対に付き合わない。だから、私の友人たちは、そのような発言をしない人ばかり。それでも、彼らは周囲の女性に苛立ちを感じると言う。彼らの話を聞きながら思った。本当に、本当に女性は彼らが言うように「お馬鹿」なのだろうか?私の周囲の女性は、向上心のある人が多いけどな。自らのアイデンティティーを確立するために、無意識のうちに女性を「無知、視野が狭い」存在と言うイメージにとじこめたくなるのかも。自らを少数者と位置付けなければアイデンティティーを保てないから・・・。

10月14日
 今週末は良いお天気。 勉強しなくちゃ。でも、出かけなくちゃ。今日は、日本語より中国語で文章が書きたい。

10月11日
 まだ若い(方)なのに、こんなに気ままに暮らしていていいのかな、と思う事がある。何も生み出さない生活。誰の生活にも役立たない。ひたすら浪費し続ける生活。仕事している時より消耗しないから、自分が浪費している事に無自覚になってしまう。

 2度目の進級後、初めての授業。とっても楽しかった!いきなり講師からコメントももらう。授業がとても楽しかった、と言ったら事務の方に驚かれた。一般的にレベルアップすると「難しい」「自信をなくした」という反応が多いそうだ。しかし、私が今勉強しているのは中学一年生レベルの英語だ。このレベルで「自信なくした」などと言ってられません。

 英語は中国語に比べてプレッシャーが全く無い。中国語の時のように「教師や同学にナメられたくない」と気負う必要が無いからかな。英語だと大学生や中2の子と一緒に勉強してもへっちゃら。楽しく勉強できる。中国語じゃあ考えられません。「長期留学者(特に大陸)には負けたくない」「中国語学科卒の人には負けたくない」なんて言う気持ちがあるから。やっぱり言葉は楽しく勉強しなくちゃ。
・・・ただいくらなんでも今のレベルは早く脱出したいです(英語も中国語も)。

 某大学中国語学科で中国語劇を行うという。チラシをみてびっくり。中国語で『眠りの森の美女』を上演するそうだ。何で『西遊記』など中国のお話じゃないのぉ〜。4年間一生懸命中国語を勉強して、ぺらぺらになった結果がDisneyなんて悲しくないかな。私も台湾に留学して、帰国後もせっせと語学学校に通って通訳ガイドの資格を取得した。資格取得後、夢中で読んでいるのは『星の王子様』や『ハリー・ポッター』中国語版だ!これは英語以外の言語を選択した者の運命なのかな。

10月10日

 今日は腹痛で寝込んだ。何も出来ず、しょんぼりだ。でも、英語は進級できた。テストは8割しか出来なかったらしい。やっぱり真面目に勉強していないからだ。

10月9日
 一日中、本当に一日中パソコンに向かっている。中国語で伝えたい事、表現したい事があるから。本当は手書じゃないと全く試験勉強にならない。意味無いのだ。 

10月8日
 今日、英会話スクールで進級試験を受けた。結果は明後日の午後5時に出るそうだ。7割できれば進級できるそうだが、結果をみないと分からない。簡単だったけど合格基準点があるならもっとちゃんと見直しすれば良かった!出国前はかなり「英語モード」になっていた頭が、一週間の中国視察ですっかり「中国語モード」になってしまい、そして、帰国後一週間で完全に「日本語モード」へ「退歩」していたので、まさか進級試験受けて良し!と言われるとは思っていなかった。

 英語学習の苦痛な点は、発音が良く分からない所。はっきり発音しなくても、先生が厳しくないので、そのまま時間が過ぎてしまう。中国語学習では考えられないことだ。何はともあれ、早く今のレベルを脱却したい。

10月6日
 久しぶりに台湾のニュースを見た!PTV中天のニュースは、選挙一色といっても過言ではない。中国時報の社説で「今回は盛り上がっていない」読んだばかりだったので、思い切りのけぞった。やっぱり盛り上がっています。前回の台北市長選の時は、日本にいてテレビに釘付けだった。阿扁、馬英九、王健宣の公開討論会がとても面白かったのを覚えている。台湾朋友から聞く「造勢活動」はめちゃめちゃ面白そうだ。台湾に帰りたい!現場の雰囲気を知りたい。

10月5日
 今日は、先日の訪中団の会計報告を作成した。ガイド、通訳、会計報告。全てボランティア、です。今回は実費の負担は無かったけど。最近、あるHPで「ボランティア通訳」の是非が問われている。BBSでは、ボランティア通訳のレベルの低さ、勉強不足に対する無自覚、相手を練習台にしようとする身勝手さ、世間の通訳に対する認識の低さなどが問題になっている。どれももっともな意見で、私も大いにうなづきつつ読んでいる。しかし、実際には、なかなか「報酬を下さい」と言えない場面もある。だって、他の人は事務能力や交渉能力、人集め、募金・・・と、私が出来ない仕事を無償でやっているから。本当はみんな訪中団に参加したいのに、言葉の壁のために諦めている。そんな中、私は中国へ。・・・私がやっている事は、通訳業界に悪影響を与えているかな?

 ただ、ちょっと変だなぁと思うのは、そういう「認識の低い」留学経験者や通訳志望者をカモにして成り立っているのが通訳養成スクールなのだということ。来週から通学する本科はどうか分からないけど、「カモ」がいなかったら語学関係の仕事はもっと減ってしまうのではないか・・・。通訳養成スクールの授業内容は、各クラスの担当講師にお任せ、という印象を受ける。入門科から準備科、基礎科・・・と進級していっても、通訳者になるためのきちんとしたステップが用意されているわけではない。まぁ、受講生はほとんどが社会人で、自力でレベルアップできる筈の人ばかりだから、それでも構わないのでしょうが。2年前、下のクラスに在籍していた時、「あ〜私たちってカモなのね」と感じていた。通訳養成スクールは取り敢えずたくさん人を集めておいて、その中からごくわずかな使えそうな人を選抜する機能を持っている。講師には、クラス全体の(語学力や通訳と言う仕事に対する認識を)レベルアップを図るつもりはなさそう。それは勿論講師の責任ではないけど、学校教育とは大きく違う。小中学校の担任なら、クラス全体のレベルアップを図るためにできる限りの手段を講じるだろう。通訳者を志す者の語学水準の低さや認識の低さを問題にするなら、語学力(或いは通訳力)を確実にアップできるようなきちんとしたカリキュラムと、クラスの雰囲気がもっとアカデミックになるように、講師が受講生に働きかけなければいけないと思う。通訳スクールの下のクラスって、はっきり言って、ただ自己満足のために通学すると言う感じ。もちろん、講師はとても優秀な通訳者ばかりだし、尊敬できる。授業中のあの緊張感もなかなか好き。友達も出来る。でも、やっぱり、中国語学者を取り巻く状況は問題が沢山あると思う。中国語学習はイデオロギーの影響をモロに受けるし。これらの問題の原因を学習者のみに見出すのはどうかと思う。

 こんなにスクールに対する不満を書いたのに、またいそいそと通学するなんて!でも、通訳養成スクールの本科は、私の最後の希望の星なのです。ここで一生懸命勉強し、一流の講師と優秀な同学と切磋琢磨することにより、新しい境地が開けるかもしれないと思うのです。

 私は、フリーは向いていないなと思う。ついつい相手の「言い値」で仕事を引き受けてしまう。1時間5000円で中国語を教える事もあるけど、今回のようにボランティアもする。今も翻訳しなくちゃいけない資料を抱えている。これもボランティア。ボランティアでも嫌じゃないのは、通訳・翻訳する内容が興味深いのと、中国側も日本側も「お役に立ちたい」と思わせる魅力的な方々だから・・・かな。「面白い仕事」はお金にならない。中国のカウンターパートナーはみんな公務員でお給料をもらって仕事している。お給料はそんなに高くない(30代後半で800元)と言っていたけど、今回私たちと一緒に行動したスタッフは、中国貧困地区の教育事業に誠意を持って取り組んでいる。私も、別にたっくさんお金が欲しいわけではない。でも、自分の活動費と学費くらいは稼がなくちゃかな・・・と思っている。

 今日は、まとまりのない文を沢山書いた。後で整理する。明日からは心を入れ替えて真面目に中国語の勉強します。

10月4日
 久しぶりに英会話スクールに行った。ちょっと間が空くとぜ〜んぜん英語が出てこない。勉強してないのだから仕方ないけど、我ながらレベルの低さに情けなくなる。

 狂牛病のニュースに注目している。狂牛病関連のニュース(中国語版)を探さなくちゃ。

 旅行記を書いている。中国語圏で見聞した事は、中国語で書きたくなる。

10月3日
 やっと出願完了。どっと疲れが出た。大陸へ一週間行くより疲れる。たった1000字の文章が書けないのは、普段論理的に物事を考えたり、日本語でちゃんとした文章を書いていないからだと思う。八寶茶を飲んで一息入れて、これからどんな勉強をしようか考える。

 やらなくちゃいけないこと;@今夏台湾で購入した本を読む―特に背伸びをして購入した現代思想モノ― A前から頼まれている某プロジェクト建議書の翻訳 B訪中団の会計報告 C英語学校へ行く D中国時報社説音読 

 明日は事務所に行ってボランティアかな。発送に備えて、名簿の整理をしなくちゃ。

10月2日
 産みの苦しみ?たった1000文字の文章が上手くかけなくて苦しい。早く終わらせて、ハルピン、西安見聞記を書きたい!

9月30日
 私の行動、考え方はかなり常識からかけ離れているらしい。・・・でも、「常識」なんて時と場所が変われば全く違うものになるのだから、あんまりとらわれても仕方が無いと思う。ただ、何処にいても人の役に立ったり喜んでもらえる仕事がしたいなと思う。それだけ。

9月29日
 ハルピン、西安、北京の視察を終えて昨日帰国した。今回は出会った方々に非常に恵まれていたので楽しくお仕事できました!大陸にもちょっと慣れてきた。お国は違っても、サービス精神のある人はどこにでもいるものだ。時間が出来たら見聞記を書くつもり。

 通訳スクールから試験結果の通知が来た。本科に特待生として合格した。本当に驚いた。今景気が悪いから学生を集めるために合格基準が緩くなっているのかなぁ。心配だ。本科はここしばらく開講していなかったと聞いている。他の人は進級してきた人なのかな。今日学校に問い合わせた所、今日現在、受講生は私を含めて7人だそうだ。たぶん10人は超えないと思うと話してくれた。これなら授業料払っても良い。ただし予習・復習がめちゃめちゃ大変だろう。3時間集中するのはかなりきつい。でも授業を終えた後の爽快感が大好きだから頑張ってみようと思う。

 どんな優秀な同学が集まってくるのか、楽しみ!

9月17日
 2時間英語の授業。最初はカナダ人講師との授業。彼の弟はニューヨークで眼科医をしている。今、ニューヨーカーの目に刺さったガラス片を取り除いているそうだ。彼や2時間目の授業の講師は冷静で、テロリストとその他の人々をきちんと分けて考えている。こんな当たり前のことでも、感激する。

 前にも書いたかもしれないけど、私は中国語学校に通っていて時々不愉快な思いをした。(1)平気で始業時間に遅れてくる、なんてのは序の口。しかも絶対に謝らない。(2)少数者への配慮が欠如している。例:シンガポールみたいな小さな国は国じゃないと言う。例その2:その教師の故郷(大連)には障害者はいなかったと言う。加えて、日本に障害者が多いのは食品に含まれている化学物質のせいだと言う。 (3)日本語教育を受けたために中国語が上手に話せない年配者を叱ってやったと平気な顔をして話す。(4)東南アジア人や原住民に対する差別意識を隠そうともせず、彼らを批判する。・・・もちろん、出会った先生の中には心から尊敬できる方も多数いた。また、私の友人たちはみんな超まともだ。彼らを心から尊敬している。語学学校では、講師が生活している社会の一般的な価値観を知ることが出来る。それはそれで、貴重な経験であると思っていた。

 今、私が通っている英語学校は日本中にチェーン展開をしているありふれた学校。あんなにたくさん学校があるのだから、教師だってごくフツーの人だと思っていた(ちなみに私が台湾・日本で通った語学学校は、それぞれの地域で一番良い学校のはず)。フツーの人でも、どの講師も受講生に対する態度がきちんとしている。できの悪い私にだって絶対失礼な態度をとらない。

9月16日
 手紙を書く。発送。机には向かっているけど勉強じゃない。

 中国語も学校へ行った方が良いのかな。通訳スクールは、本科以外は通っても仕方が無い。本科以外は絶対に仕事に結びつかないし、本科に入れないような実力では、中国語力そのものに問題ありってことだから。昨日の出来では本科には合格しそうも無いのであの学校は×。と言って通訳ガイド試験対策専門の学校へ戻っても仕方が無い。早く自分の勉強のペースをつかまなくちゃ。なかなかぴったりの学校って無いな。

9月15日
 今日は通訳スクールの復学試験を受験した。当然だが、1年半以上全く通訳訓練をしていなかったので、最悪の出来だった。本当に最悪だった。家で中検2級の過去問に取り組んだ時はまずまずの出来で安心していたのに。これからディクテーションやシャドーイングも自宅学習に取り入れる。深く反省し、どっと疲れた一日でした。早く寝て、明日から頑張る。 

9月14日
 数日ぶりにパソコンに向かう。11日夜、10時のNHKニュースで、ビルに旅客機が激突した瞬間を見たとき、自分の目が信じられなかった。心が痛む。英会話学校には当然ながらアメリカ人講師もいる。きっと辛い思いをしているに違いない。私の拙い英語では、きっと講師にうまく気持ちが伝えられない。もどかしい。

 と同時に、第二次世界大戦後、中東の人がどんなに辛い思いをしてきたのかを知らない自分に気付いた。あのような事件を起こすまで彼らを追い詰めてしまった歴史的な経緯を理解しなくてはいけないと思う。アラビア語の習得は困難なので、少なくとももっと英語を勉強し、関連記事を読めるようになりたい。

 Yahoo台湾を2日ぶりにチェックしたらテロ関連の記事がかなりアップされていた。全てwordにコピーしてファイリングしようと思ったけどあまりにも多いので、「背景報道」だけにした。まだ記事をファイルしただけで読んでいない。台湾メディアが中東情勢・中東とアメリカの関係をどのように捉えているか整理するつもりだ。

 マレーシアのメディアがどんな報道をしているかも気になる。まだ、マレーシアの中国語新聞をチェックしていない。

 今年1月誠品書店光復南路店で購入したサイードの『郷関何処』、いつか読もうと本棚の片隅に置きっぱなしだった。少々難しくても今こそサイードを読まなくてはと思う。今年になって日本語版も出版されたらしいので、どうしてもだめなら切り替えるつもり。『東方主義』よりはずっと簡単と言ううわさを聞いたので、まずは中国語で挑戦。

9月11日
 貧乏暇なし?浪人生活の割には忙しい。今日は一日中パソコンとにらめっこだった。ずーっと単純作業をしていたので、思考力が低下している。夜は勉強しなくちゃ。

9月10日
 昨日はモンゴル朋友に焼肉をご馳走になった。色々お話して面白かった。お金儲け以外の話題で盛り上がれる彼は、私にとっては非常に貴重な「中国」朋友。彼や彼の奥さん、彼の友達は儲け抜きで色々頑張っている。彼らと話しているとほっとする。

 昨日の朝、急に中国出張が決まった。今回はハルピンの幼稚園、731資料館、西安の老人ホーム等を訪問する。今回の訪問地は初めての場所ばかりで、何の予備知識も無い。先月、河北省興隆県の抗日戦争資料館へ行き、「無人区」に関する説明を聞いた時、知識不足で上手く通訳できず、とても悔しい思いをした。今回は『満州事変 戦争と外交と』「七三一部隊』を読んで備えるつもり。普段からハッピー・エンドの本以外は読まないようにしている私にとってはなかなかしんどい作業だが、こればかりは仕方が無い。やるぞ!

今日、英会話スクールで授業終了後に「もうすぐ進級できる」と言われた。英語は週に2回4時間、スクールで勉強するのみなのに、2度目の進級ができそう。英語だと自分の言いたい事が全然言えなくてすごくストレスが溜まる。毎回授業が終わるとスターバックスへ駆け込み、一服しないと落ち着かない。こんな私でも進級させてくれるなんて、何て慈悲深い学校だ!と感激した。講師は穏やかな人ばかり。残念なのは私は英語圏のことをな〜んにも知らない事。せめてヨーロッパのサッカーとアメリカの大リーグの事くらい知っていれば、講師と楽しくお話できるかも。

 むしろ中国語の勉強の方がずっと辛い。@ 要求水準が高い A 面白い文章を見つけるのが大変 ・・・だからかな?

 南方朔『語言是我(イ門)的居所 Dwelling in Language』を読んでいる。『Harry Potter』とはまた違った面白さがある。台湾で良く見聞きする「烏龍」の解説が載っていた。前後の文脈からこの言葉の意味する所は分かっていた。でもなぜ「烏龍」なのか、ずっと不思議に思っていた。烏龍茶?それとも烏龍麺(うどん)?・・・この本を読んでそのどちらでもない事が判明。反満清の洪門は自らを「真龍」とし、紅を自らを象徴する色とした。一方混乱した統治を行う満清を「烏龍」とし、黒を彼らの象徴とした。「烏龍」は荒唐無稽・無能の象徴となった。こういった言葉は官話にはもちろん現れない。マスメディアの発達により、民衆の隠語が広く使われるようになったのだ。・・・他にも「自首」「辣妹」などなど、台湾で良く見聞きする言葉の解説が載っている。良く見聞きするし、何となく意味も分かるけどうまく日本語に訳せなかったり、自分で使いこなせない言葉がまだまだ沢山ある。南方朔の文章は以前から『亜洲週刊』で読んだ事があったけど、この本はなかなか勉強になる。今度台湾に行ったら彼の他の作品も購入するつもり。

9月8日
 最近、背伸びをしてJapan Timesをキヨスクで購入し、電車で「眺める」。英字新聞を眺めていると、改めて英語を勉強している人が羨ましくなる。ジャパンタイムズのような中国語新聞がキヨスクで買えるようになれば良いな、と思う。

 共同通信のニュース中文版が読めるサイトを改めて眺めた。2年前のガイド試験受験時は、台湾のサイトから日本に関するニュースを集めて勉強した。便利になったな、と思う。台湾メディアの日本に関する報道は少なくないが、データが結構好い加減で、後で日本の新聞とつき合わせてびっくりする事がある。共同通信なら、そういったことは無いだろうから安心して読める。残念なのは、他の日本で発行されている中国語新聞と同様、繁体字版の中国語に誤りがあること。9月7日の社会面だけでも「於」→「于」、「術」→「朮」、「並」→「并」、「後」→「后」、「徴」→「征」、「準」→「准」、「採」→「采」、「裡」→「里」、「劃」→「hua4(簡体字)」、「製」→「制」となっている!みんな同じソフトを使っているのかな。繁体字の文章の中にこれらの漢字が入ると、意味がおかしくなる。結局、今のところ、どれを読んでもイライラする。
 英語を学んでいる人もこういった「イライラ」を体験するのかな。

9月7日
 しばらく日記を書いていなかった。日本語で考え、作文する時間がもったいないから。今また『ハリーポッター』に夢中。一度読み出すと時が経つのを忘れてしまう。高校時代なら英語で読めた筈なのに・・・と思いつつ中文版を読んでいる。今年の前半は忙しくて数ヶ月間完全に中国語とは無縁の生活を送ってしまった。今は一文字でも多く中国語に触れたい気持ちで一杯。以前は「何のために中国語を勉強するのか」を自問し続け苦しかったけど、今は中文書を読むことに没頭できるだけで本当に幸せ。

 15日に通訳養成スクールの復学テストを受験する事にした。受験料がタダだから。テストは恐らく「お仕事で使う」中国語ばかりだろう。以前いたクラスに戻りたくなければしっかり勉強しなくてはいけない。

 一連の試験が終了するまで、しばらくHPの更新はお休みするつもり。しっかり勉強します。

8月31日

 昨晩、英語のレッスンを受けた。言いたいことは沢山あるのに、表現できないのは苦しい。英語だけで会話する部屋に入ったものの、いたたまれず30分程で逃げ出し、スターバックスへ行った。ガイドの新人研修の時も感じたけれど、英語を話す人のレベルは高い。同学の流暢な英語を聞きながら、「もっと真剣に中国語を勉強しなくては」と反省しきりだった。
 

8月30日
 8月はほとんどを海外でぶらぶらして過ごした。これからちゃんと進路が決まるまでは大人しく家で勉強する。試験ではパソコンを使えないので、漢字書き取り練習をしなくてはならない。時間ができたので、これを機に繁体字をマスターしたいと思っている。私が日常的に読むのは繁体字だし、何よりも繁体字は理屈ぬきで美しい。しかし、日本で行われる中国語の試験で繁体字を使う事は危険。完璧に繁体字をマスターして初めて使用できる。

 今の私は、繁体字、簡体字、日本漢字がごちゃごちゃになっている。でも、どうやら私だけではないみたい。某大学院の入試問題も、中途半端な繁体字で書かれた文章を使用していた。出典は書かれていなかったけど、恐らく日本で発行された出版物から引用したのだろう(少なくとも台湾や香港ではない)。日本の「後」は、簡体字では「后」、繁体字では「後」の筈だけど、日本で発行されている繁体字の中国語新聞は「后」を使用している。一目見れば繁体字を知らない人が製作していると分かる。後で友人に聞いたところ、簡体字を繁体字にボタン一つで変換できるソフトを用いている関係だそうだ。日本で原稿を作成し、入力は中国へFAXして現地で簡体字を用いて入力する。入力されたものをメールで送ってもらい印刷する時には繁体字に変換して印刷する。日本で発行されている新聞は、ある意味では教材として利用しずらい。明らかな誤りのある新聞は、読んでいてストレスが溜まるから。簡体字を採用している『時報』がむしろ安心して読める。・・・まぁ、ネイティブがこだわらないのだったら、私がこだわっても仕方が無いけど。

 楽楽チャイナのニュースの字幕はもっとすごい。3種類の漢字が混在している。一体どういう入力ソフトを使えば3種類の漢字を同時に使えるのか、非常に興味深い。

 北京で、北京と蘭州出身の人と遊んだ時に「言葉は簡単なほうが良い。台湾の文字や言い回しはまどろっこしくていらいらする。大体今でも繁体字を使ってるなんて、30年遅れている!私の同僚に敢えて繁体字を使う人がいる。私たちは彼の繁体字で書いた文章を見たら破り捨てている。」と言われた。中国語は短い言葉で表現できる方がカッコ良いことは私も承知している。8日間いるうちに、最初は素っ気無く聞こえた知人たちの会話も、慣れてくればへっちゃらだと分かった。しかし「へっちゃら」と「大好き」の間にはまだ距離がある。この距離を縮めるための努力を、今後していかなければならない。

8月28日
 帰国した。色々書きたいことがあるけど、今日は疲れているのでまた明日。

8月25日
 北京に着いたのが20日夜。今回は自費の旅行だけど、台北と違って勝手も知らないし、「あ〜外国へ来たなぁ」と感じた。22日は市内の少年宮で東アジア児童芸術祭を参観した。23日は河北省易県で奨学金の授与式に参加。夏休みにも拘らずたくさんの子どもが集まってくれた。5年生のクラスで折り紙の授業をしたのは最高に楽しかった。子どもと一緒に何かをするのはとても楽しい。儀式を見に来ていた人が団の一人に「あの子は何年生なの?」と訊いたそうだ。若く見えて嬉しいけど物にはやっぱり限度がある。24日は河北省興隆県で図書館と抗日戦争紀念館を参観した。日本軍によってどのように無人区がつくられたのかが写真や絵等によって解説されていた。24日は心身ともにきつい一日だった。今日25日は承徳観光。皇帝の避暑山荘とラマ教の寺院を参観した。河北省を車で走っていると、なぜ戦前の日本人はこんなに広大な土地―しかも既に人々が生活している―を自分の物にできると思ったのか、ますます理解できなくなった。バスに乗っている間中、畑や行き交う人々、家畜を見ながらなぜだろう・・・と考えていた。

8月19日
 実はもう20日。昨日、素敵な英文老師に出会った。英語がさっぱりな私と彼女は初対面にも拘らず4時間半、中国語で話した。彼女の言語環境は非常に多彩(中国語は彼女にとって4番目の言語)。その分、色々大変な思いもしている。彼女は私の台湾朋友が感じている「尋根」の「寂しさ」を理解する事ができるばかりでなく、その「寂しさ」や「漂浮的感覚」を乗り越えている。自分を幸せにする方法を知っている人だなと感心した。

 私は台湾に「帰って」中国語で話すとハッピー。いろいろな事を吸収できる。新しい友達もできる。でも、日本で中国語を話す時は、ハッピーじゃない場合が多い。不愉快な事例は沢山あるけど、もうすぐ出国なので、今は時間が無いから後で整理して書く。日本にいて、中国語で話して不愉快な出来事にぶつかる度に、ますます台湾での生活が懐かしくなってしまう。今思えば、帰国後自分で自分の首をしめていた。

 今日は書きたいことが山ほどあるけど時間が無いので、また後で。一番いいたい事は、日本でこんなに楽しく、安心して中国語で話せたことは今までほとんど無かったということ。先月知り合ったモンゴル朋友も「安全感」があった。その時も驚いた。でも、今回はもっと驚いたし、嬉しかった。

8月18日

 訪中準備。大したことをしていないのに落ち着かない。じっくり勉強したい。でもまずは目の前の仕事をきちんと片付けなくちゃ。



8月17日
 教員を辞めてからずっと焦っていた。自分のお給料の額が自分の価値を示しているようで焦った。新しい仕事は教員時代のお給料の三分の一。自分の価値が三分の一になったような気がして落ち込んだ。ガイドの免許を取得してからは自分で仕事を探さなくても翻訳やガイドの仕事が入るようになり嬉しかったが、「せっかく資格をとったのだから時給の高い仕事をしなくちゃ」と考えていた。最近はちょっと違う。「語学力」とは「検定試験の結果」や「通訳スクールの所属クラス」や「中国語を使う事によって稼いだお金」だけで測れるものではないと思うようになった。勿論、各人の努力によって結果が出るわけだから、テストで高得点を取ったり、お給料の高い仕事をしている人には心から敬意を払う。私も努力の結果、それらを手に入れる事ができれば嬉しい。ただ、今は「点数のため」に中国語を勉強したいと思えないだけ。文章が書けたり、楽しく中文書が読めたり、関心のある問題について友達と議論できれば幸せ。・・・だから中国語が生活言語である台北へ行くとほっとするのかな。

 「お給料の額=自分の価値」と考えていた私は「無職」になることを非常に恐れていた。今、ついに無職。でも、不思議と惨めさは無い。もっと勉強しなくちゃという焦りはあるけど。


 台湾朋友小美が発行している電子報が届いた。私は彼女の文章が大好き。会話している時はあまり感じないけど、文章を書くと力の差が歴然とする。私も早く彼女のような文章が書けるようになりたいと思う。




8月16日
 今日は訪中の準備と千羽鶴折り。仕事しながら一日中、簡単な英会話のCDを聴く。9月から英会話スクールに通うけど、それまでに少しは予習しなくては。聴いてみると思ったより苦痛ではなかった。本当は台湾語のテープを聴きたいけどちょっと我慢。CDを聴き、新竹の台湾朋友に頂いた茶王を味わいながら、療養中の台湾朋友に出す手紙の内容を考えている。

 台湾にいる時は全身が触覚になる。日々新しい知識を吸収し、自分が進化する気がする。どんな事にも敏感だから、ちょっとしたことでも喜んだり悲しんだり。感激屋さんに変身。帰国時はなぜか毎回涙が止まらなくなる。他地域へ行っても泣いたりはしない。帰国するとあっという間に何も感じない鈍感な生物にもどる。自分でも驚くほど他者に無関心な自分がいる。台湾のお寺にいる時よりももっと「出家」状態に近い(?)。日本にいると一日中誰とも目を合わせなくても、きちんと向き合って会話しなくてもそれなりに過ごせてしまう。私の日本での生活はとても快適。でも、できれば台湾にいる時のように、中国語で話している時のように、日本でも「全身が触覚」な状態を作り出せればもっと楽しいな、と思う。

8月15號 
 整天為台灣朋友折鶴。

8月14日
 台湾朋友が癌の手術をし、これから化学療法を受けるので、他の台湾朋友2人と千羽鶴を折り始めた。一人300羽以上折るのはなかなか時間がかかる。もうすぐ大陸へ出発だけど、出かける前にある程度まとまった数を作って贈りたいと思っている。あと、どこか有名な神社またはお寺に行ってお守りも買わなくちゃ。

 今回の訪中団でも例によって私が一番年下。今までと違うのは日程が短い事と団の人数が多い事。台湾モードから大陸モードへ早く切り替えなくちゃ・・・と思いつつ台湾語歌謡曲を聴いている。

8月13日
 昨日夜中に帰国。出国する時は、「結構忙しいのに2週間も日本を離れるのはちょっとまずいかなぁ。」と思っていた。でも、今回は収穫大。台湾にいるとなぜか仏教、キリスト教、天理教、民間信仰など、様々な宗教に触れる機会がある。私は、幼稚園はカトリック、合格祈願は神社へ、法事はお寺で・・・という典型的な(?)日本人。日本にいる時は宗教ってとっても遠い存在だけど、台湾にいるとなぜか身近に感じる。排他的な感じが無い・・・というのか。北京や上海に行くと、(女馬)祖廟もないし、法師も見かけない。何だか味気なく感じてしまうのだ。今回、私を泊めてくれた台湾朋友は敬虔な仏教徒。彼と仏教の基本的な概念について話をしてとっても面白かった。彼は仏教思想をもとに様々な事象を分析できる。排他的ではないところ、何事も肯定的に捉える姿勢に感銘を受けた。彼と話をしていて、台湾の仏教を中心とする宗教文化の発展は注目に値すると強く感じた。

今回、私を泊めてくれたもう一人の台湾朋友がePaperで電子報を発行し始めた。私もこの頁をやめて電子報に切り替えようかな、と思う。ホームページビルダーは、私の使用しているIMEでは直接中国語が入力できないので、つい日本語で書いてしまう。これではいけない、ちっとも中国語の勉強にならない。早く電子報の名前や主題を考えなくちゃ…と思う一方で、私は中国語と日本語、どちらで表現するべきなのか、はたと考えてしまう。中国語で表現する事と英語で文を書く事、これはまた別の意味を持つのだろう。英語で発信している人はどんな意図を持っているのだろう。

8月9日
 昨日は友人の教え子の出家の儀式に参加した。場所は新竹の法源寺。両親等にお別れのご挨拶をする場面はぐっときた。

 今晩は昨日親しくなった法師に誘われて法会に参加した。大勢の人と一緒にお経を読むのは保育園以来。法源寺は「國語」でお経を読むので何とかついて行ける。日本ではお葬式の時しかお経を聞かないせいかもしれないが、私は台湾語のお経の方がずっと好き。留学時にホームステイしていた家のお父さんは、台湾語でお経を読む。毎朝私を語学学校に送ってくれる時、台湾語の観世音経のCDを聴いていた。理屈ぬきで美しい。日本のお経よりもずっと音楽的なのだ。ちなみに、かのお父さんは、一言も「國語」を使わず全て台湾語で新聞を読めるそうだ。台湾語に誇りを持っているお父さんがかっこいいと思う。いつか録音しなくちゃ。

 留学していた時に、友人に誘われて友人の祖母の家で開かれる天理教の集会に参加したことがある。普通の台湾人の家に立派な神棚があるのにびっくりした。



8月7日
 今日から新竹。ここである程度書き上げねば。今日、教育資料館で『教育資料刊25−道徳教育』を購入した。教員時代は道徳教育に興味津々で、研究会に参加したり、雑誌に投稿していた。本もかなり集めたけど、辞めた時に全部人に譲ってしまったような気がする。社会科の論文を見ていて、台湾では道徳と公民が非常に近い関係にあることが分かりびっくり。各教科の関係が国によって変わるのだと言う事を改めて認識した(ちょっとお粗末かな)。道徳の授業は、細心の注意を払い「巧妙に」展開しないといけないので、やりがいがあった。台湾朋友から聞く道徳授業はそういった「巧妙さ」からかけ離れている感じがするけど、いずれも10年以上前のことなので、最新の研究動向をチェックするのは楽しいと思う。

 昨晩、マンゴーとミルクがたっぷりのったかき氷を食べながら、「好班」と「放牛班」の台湾朋友(20代男女)から話を聞いた。これは「台湾見聞録」に書くつもり。日本と全く違う。本当に違う。

 今日、聯考の結果が新聞で報道されていたけど、最近の入試改革に対する意見を友人(30代女性)から聞いた。これも「台湾見聞録」に。

8月5日
 新井一二三の本を見つけた。日本人が中国語で文章を書くと、やっぱり日本に関することを書く羽目になえるのかな。私は台湾に関することを研究したい・・・となると日本語で書く方が意味があるのかな。でも、私も新井さんのように中国語で文章が書けるようになりたい。

8月3日 
 台湾に来てもう5日目。今回はまだ全然友達に連絡していない。読まなければならない本・論文が沢山あるから時間が経つのがものすごく早い。歴史教育に関する論文を探して先行研究の整理をするつもりだった。一冊かなりの力作を見つけたけど、コピー禁止なので大変。昨日はパソコンを持ち込んで一日中書き写した。教育目標や両岸の歴史教科書の記述を比較した論文を読むと、社会科教育(歴史教育)は国家が国民に求めるものを反映しているものだと、改めて感じる。義務教育現場の教師たちは、国家が要求している人材を作り出す急先鋒なのだ・・・私は、自分の役割が「子どもを日本社会に適応できるようある一定の型にはめる事」であると、教員時代も感じていたけど、でも、自分が教えている内容についてそれほど懐疑的・批判的ではなかった。教育現場って「子どものため」とか奇麗事が溢れかえっている。表面的な議論ばかり・・・とひねくれた見方をしてしまう。

7月30日
 異文化とどのように向き合えばよいのか、最近考えた事を飛行機の中で書き殴って見た。もう少しきちんとまとめたい。日本人に日本語で話してもなかなか分かってもらえない事を、拙い中国語で話しても台湾朋友が理解し、共感してくれるのはなぜ?

7月28日 
 忙しい。出発の準備、到着後の勉強が進んでおらずちょっぴり焦る。4000字の小論文を書くための史料探しに行くのだが、今後の日程を考えると台北滞在中に書き上げなければならないかも。

 「学校」って発展途上の人が集まる場所だな、と思う。色々な意味で。「面白い」と感じたり「物足りない」といらだったり。仕事をしている時は心から「学校で思い切り学びたい」と願い、学校へ行くと何だか物足りない。自分の居場所はどっちなのかな。この歳になってまだ彷徨っている。自分が全力をかけて打ち込めるものが欲しい。

7月27日
 仕事をやめて1ヶ月。受験勉強に専念するつもりで、アルバイトもしていなかったが、今日、かねてからチャレンジしてみたかった仕事の話が舞い込んだ。待遇も悪くない。もし雇ってもらえるなら挑戦してみたい。明日、履歴書を持って出かける。人の役に立つ仕事または自分のベストが尽くせる仕事がしたい。

 今日も英会話スクールへ行った。先生の話していることは聞き取れる。しかし、答えようとすると中国語しか出てこない。早く自分の表現したい事が英語で言えるようになりたい。背伸びしてハリー・ポッターVの原書を買ったが失敗。やっぱり台湾で中文版を買う。

7月26日 
 今日は一日パソコンに向かう。中訳書を購入する時の複雑な気持ちについて書いた。かなり時間をかけた割には大した文章じゃない。でも、まとまった中文を読めるようになってからずっと感じていたことをメモしておきたかった。もっと直接得点アップにつながる作業をしなければ、と思う。でも、中国語学習を通して感じた事は今書き留めておかないと、と思う。研究テーマや研究視座を定めるのに役に立てば、と甘い事を考えている。・・・でも、もうそろそろ好い加減にしないと、出国前に済まさなければならない仕事が山積み。今回はパソコン持参で出国予定なので、台北でも日記が書ける。
 村上春樹『パン屋再襲撃』(中文版)は本当に面白い!早く全部読みたい。

7月25日 
 23日に某英会話スクールで2レッスン受講。一つ上のレベルに進級できた。今までアルファベットを見るのも嫌だったのに、先生と楽しくお話して進級できちゃうなんて面白い!台湾で中国語を勉強し始めた時は、上手く話せないと露骨に嫌な顔をする先生方に鍛えられたので、覚悟して授業に臨んだのに。英語で話すとこんなにスカッとした気持ちになるなんて思ってもみなかった。もうすぐ台湾に出発だけど、台湾でも英語のプライベートレッスンを受けようと思う。

7月23日 
 昨日からあんまりにもたくさんの出来事があり、一言では言い表せない。すっごく感激。モンゴルにはまりそうな予感。モンゴル語の教科書も購入。また「迷走」が始まってしまった(?)
 ある地域の文化に興味をもち、自分も何かしたい・・・と考える人は多い。これについて留学生からグサっと来る一言―外国史や外国の文化を研究しようとする者は肝に銘じていなければならない大切な事―を聞いた。もっと頭の中を整理して、別項目で書くつもり。

7月21日 今日もボランティア、明日もボランティア。出国日が近づいているのでだんだん慌しくなってきた。

7月20日 
 英語の勉強。焦るばかりでちっとも進まないので、某英会話スクールのレベルチェックを受けた。勿論、ちっともできないけど、オーストラリア人の講師と話すのは楽しかった(正確には「話を聞くのが」。私は話そうとすると中国語しか出てこない)。私の興味の対象は中国語圏なので、英語圏の人と話しても楽しくないかもと思っていたけど、「通じる喜び」は英語も中国語も同じだった。4年前、中国語を始めた時と同じように一から始めるのはエネルギーとお金が要るけど、止むを得ない・・・かな。

 今日、久しぶりに本棚にあった『最後のダライ・ラマ』を手にとった。序に「台湾人のチベット感」とある。最近モンゴルに興味を持った事もあり、台湾人のモンゴルやチベットに対する見方を知りたくなった。私の台湾朋友が地理・歴史で習った中華民国の版図にはチベットは勿論、外モンゴルだって入っている。今、台湾では『認識台湾』と言う教科書が登場し、「本土化」が進んでいる。同じように自らの近代史を学ぶ事が無いであろう、チベットや内モンゴルの人々の事をどう思っているだろうか。・・・また受験勉強をせずダライ・ラマの本を読んでしまいそう。 

7月19日 
 参加させて頂いたゼミで30年代の中国語を読んだ。訳文こそ作成しなかったが、久しぶりにじっくりひとつの文章と向き合った。自分の足りない所が良く分かり、反省。訳を検討するにも、文章の内容について議論するにも、原文としっかり向き合わなければだめ。提出された日本語訳だけを見ていると訳文にとらわれ、原文からどんどん遠ざかってしまう。史料を読むのに歴史的背景など知識は必要。でも、原文から飛躍した解釈をするのは、原文を読み込まず、知識に頼りすぎているため。語学力アップを軽視したり、原文を粗略に扱ってはいけない。そもそも原文を重視し、原史料を使って研究するためにわざわざ時間をとって「史料読み」をしているのだから。

 語学力が全てではない事は、留学したり、語学スクールに通って身にしみてわかっているつもり。語学の勉強をしていると「私は一体中国語をマスターする事で何を理解しようとしているのか?」ということを考えてしまう。でも、外国史を専攻する場合、せめて対象国の言葉を「読んでみよう」と思えるくらいの語学力はあった方が良いな、と思う。

 あれこれ書いたが、いつも自分の好きな本を読み散らかすだけで、中文とじっくり向き合っていなかったので、とても勉強になった。秋に新しい史料を読むのが楽しみ。

7月18日 
 「凶悍」は『現代漢語辞典』では「十分可怕」だった。でも、「十分」だけじゃ一体どんな「可怕」なのか分からない。同学に「どんな『可怕』な人を想像しているの?」と問われて、「残忍な人」と答えたら間違えていた。「体つきや目つきが強そうな人のことを『凶悍』と言い、体は強そうではないのに残忍なことをする人は『凶悍』ではない」そうだ。こういうことを指摘してくれる友人が身近にいるととてもありがたい。

 語彙を増やすため、手っ取り早く翻訳をするために辞書を使うけど、辞書を引いただけでは具体的なイメージがつかめない言葉、間違ったイメージを抱いてしまう言葉が、私にはまだたくさんある。通訳になるためには、大量の語彙を、中国語と日本語をセットにして覚え、すばやく変換する訓練が必要。通訳訓練も楽しいけど、今の私はもっと中国語を勉強する必要があるみたい。久しぶりに中検にでも挑戦しようかな。あ、その前に英語か・・・。
 
 内モンゴル出身のモンゴル族の方々と出会い、ふと考えた。彼らは「華人」なのかしら?以前雲南省の少数民族の方と日本で出会ったとき、私は彼のことをあまり深く考えず「在日華人」と認識した。だって彼らは中国の国籍を有し、普通話を話していたから・・・。でも、今回、「モンゴル語の世界」を目の当たりにして、彼らは「在日華人社会」の一員なのか、「華人」なのか分からなかった。今度みんなに聞いてみようと思う。

 以前、帰国者(中国残留孤児)の方々が在日華人ではない(少なくとも在日華人向けメディアの間では)かも、ということに気付いた時、びっくりした。「華人」は、必ずしも漢族だけではない(と思う)し、かといって中国語を話しても、必ずしも「華人」であるわけではない。もちろん国籍なんか関係ない。きちんと調べれば答えが見つかるでしょう。また、最近あまり目を通していないけど、在日華人向け新聞を丁寧に読んでゆけば答えが見つかるかもしれない。

「受験生」であるにもかかわらず、司馬遼太郎『街道を行く5-モンゴル紀行』にはまる。以前、台湾ものにはまり、あれこれ読んだけど一番面白かったのが司馬の『台湾紀行』だったから、今回もモンゴルの入門書として司馬の作品を選んだ。

7月17日 内モンゴルと外モンゴルの相撲を見た!内モンゴルと外モンゴルの相撲の違いが良く分かって興味深かった。内モンゴルのこと、モンゴル族のことなどもっともっと勉強したい。

7月15日 パソコンのし過ぎで肩がとても痛い。参加のお許しを頂いたゼミでは民国期の史料を読んでいる。清末の史料に比べればカンタンだと思っていたが甘かった!たった5頁しかないのに、調べなければならない言葉が山ほどある。『大漢和辞典』と格闘しなくても済むだけマシかも。単語集を作って同学と「分享」できると良いなと思っている。…本当はもっと自分の試験勉強を優先しないとまずいのですが。

7月14日 『國語辞典』は使える!この辞典を使って単語集を作ってみようと思う。

7月13日 読まなくちゃいけない論文をたくさん発見!嬉しいが焦る。国立教育資料館は使える。

7月12日 中国における少数民族の教育について興味を持つ。今まで、台湾の『認識台湾』については大いに興味があったけど。中国の少数民族の母語による教育とか、歴史教育がどうなっているのかもっと知りたくなった。

7月11日 忙しい。一月に購入した『亜洲教育系列 大陸教育』『亜洲教育系列 香港教育』を読まなくてはと思いつつ。

7月8號 我原來看青526的作品,我看他的作品就發現比較年輕的台灣的作家受到村上春樹的影響。我想看他的作品不如先看村上的作品。<PC home 1月號>推薦<遇見100%的女孩>。我昨天在書店找到那本書,但是沒有買。反正快要去台灣了,在那裡買中文版比較便宜。

7月7號 七夕 今天是日本的七夕。雖然日本七夕跟台灣的農暦七夕不一樣,但是今晩在街上我看到了許多男女朋友在一起。我也曾經談過戀愛(應該(口巴)。。。)。

7月6日 我去年3月去北京出差時,買了一個小小的電子辭典。它有滿多功能,比如説中英辭典,英中辭典,月歴,計算機,提醒(約會提醒,紀念日提醒等),資料(旅遊指南,營養美食,法律知識等)。本來我很想要買<中中>辭典,但是不管北京或台灣都找不到,於是只好買它。我把它買回來之後,放在抽ti裡沒有用過它。最近我終於開始學英文,我想到用它學英文和中文。我開始使用它就發現同時學両種語言很有趣。

7月5號 對我來講,學英文是個蠻痛苦的事。我從昨天起開始學英文,我先把句子念好幾次,然後把它寫下來,練習併字。我要花一段時間才會背誦。我把那些英文句子翻成中文,就發現原來那些英文句子只有這me0簡單的内容。曾經學過好幾年的英文,卻把它全部還給老師。我覺得很diu1臉。。。我更加努力學英文才對。。。

7月4號 我今天買了《DUO select ,下定決心從今天起學英文。真希望半年之後,會用英文寫日記。



7月2日  我今天才知道用Homepage Builder也可以寫中文。我現在用的IME是微軟新注音輸入法,用這輸入法先在Outlook信封上寫中文,之後把文件copy在自己的網頁上面就好。我一直想要用中文弄自己的網頁,終於知道該怎麼弄,我就很高興。以後我可以介紹我喜歡的文章。。。


6月30日 日記のページももっと見栄えの良い物にしたいと思っています。カレンダーをクリックするとその日の日記にジャンプできるような・・・でもまだ作り方が良く分かりません。書きたいことは沢山あるのに、時間ばかりが過ぎてゆきます。こんなことしている間に少しでも中文書を読んだ方が良いかなとも思いますが…。
 張曼娟『時光詞場』を読み終えたので、青526号『単身地球人』を読み始めました。この作家は村上春樹を意識しています。今後若い世代の作家の作品を理解するためには、村上春樹を読んでおく必要がありそうです。水瓶鯨魚や青526号の作品の登場人物や描き出す風景は、私が知っている「台湾」とかなり違っていて、ちょっぴり戸惑いながら読んでいます。でも、多くの同世代の台湾人に受けているなら、やっぱり読んでおかなくちゃ、です。


6月28日 日記のページを作りました。


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