異文化とどのように付き合うか

 異文化に対する反応は2種類ある。

@ 排除 A 消費

 たぶんどの民族も―私がモンゴル人と台湾人と接した感じでは―自らの文化が排除・否定される事も、「消費」される事も望んでいない。

 それは「台湾好き」を自認する私に対して時折投げかけられる警鐘から、そしてモンゴル朋友が「モンゴル愛好家」に感じた不快感から十分理解できる。また、自分がガイディングをした時、軽い失望感を覚えた経験からも導き出せる結論ではないかと思う。

 今、台湾ではHA日族が増えている。日本式ラーメンを食べ、日本のドラマやアニメを視聴し、日本のテレビゲームに熱中する。私の台湾朋友(20代男性)達は日本のAVにお世話になっているみたい。AV女優の名前など非常に詳しい。

 私が台湾にはまった当初、私は自らの有する日本的な部分が海外に於いて受け入れられる事に驚き、感激した。「台湾人は大陸の人と違う」「台湾人とは共通の話題があり、コミュニケーションが取りやすい」「アジアの中で台湾と日本はもっと相互理解をすすめるべき」と思った。そしてそのような私の発言は時には「政治的・思想的にヤバイ人」と見られることもあった。

 そのような中、98年9月、台湾朋友(20代前半、男女各2人)、99年9月(20代後半、男性2名)のガイディングをした。私より若い世代は日本のサブカルチャーを享受して育った。ゲーム「信長の野望」にはまり、戦国時代の武将の小説を読破している彼ら。戦国時代のお城や武将、戦いのこと等、社会化教師の資格をもつ私ですら知らない事を沢山知っている。日本の何処へ行きたい?と聞いたら「信濃!」と答えるのだ。今、台湾で入手できない日本のものなんて全く無いのでは、と感じてしまうほどだ。そのような状況の下、せっかく彼らを連れて日本に行くのだから、私の使命は彼らに台湾では触れる事ができない、日本人の精神的なものに触れて欲しい、理解を深めて欲しいと思った。
 99年にガイディングした男性は、日本語を一生懸命勉強し、留学を希望していた。留学する前にまず日本の現状を見ておきたいという。軍隊時代の仲間と一緒にきた。

 しかし、実際には私はちょっとした挫折感を感じる事になる。中華文明のもと育った人達に日本の歴史や伝統の良さを理解してもらうのはなかなかキビシイかも、と思ってしまった。私が京都や鎌倉のお寺を紹介しても彼らはあまり感激しない。「中国にはもっと古いものがある。日本の文化は中国の模倣にすぎない。」の一言で終わり。そしてある知人は「日本の○○が便利だから、××が進んでいるから、それを吸収したいだけ。古いものには興味なし。」と私に言った。これは台湾人だけでなく、大陸から来た漢族も同じことを言う。せっかく中国語を勉強してガイドの資格をとっても意味ないなぁ、とため息をついてしまう。

 ある時私は知人を案内してある観光地に行った。彼は浴衣を買いたいという。私は、彼がサテン地でド派手な柄の浴衣を買おうとしているのを見て驚き、近くの呉服屋に連れて行った。そして、いくつか見せて「日本人は普通このような色柄の浴衣を買います。」と紹介した。結局彼は、「地味すぎる」と言って私の提案を受け入れてくれなかった。私は、日本人が絶対に着用しない奇妙な浴衣を買っている彼を見て何とも言えない気持ちになった。

 私がガイドとして伝えたい日本の文化と彼らが欲しているモノの間には大きなずれがあると感じた。もちろん、今後、ガイドを職業とするなら、相手が欲するものを察知し、提供する必要がある。プロだから。でも、何て言うのかな、日本のものを愛好してくれて嬉しいし、買ってくれてありがとう・・・とは思うのだけど、一方で彼らがただ表面的なものをひたすら消費しているだけに見えてしまうのだ。現在の台湾の若者は日本のものに取り囲まれて過ごしている。しかし、彼らがどんなにHA日族になっても、、彼らは日本の文化を消費するだけかも知れない、彼らの精神的なよりどころは「中華文明」なのだ・・・と感じてしまうのだ。

 「中華文明」が自分の拠り所になっている―これは、台湾独立を主張する友人も同じ。「『中国』は外国です!」と激しく言い切る台湾朋友(30代女性)も、彼女自身が「中華文明大好き」なのを自覚している。台湾がもっと新しい文化の発信地として力を発揮しない限り、今後、独立派の立場はますます厳しくなると思う。別の台湾朋友(30代男性)によると、仏教を中心とする各宗教の発展は、台湾が誇れる「文化」であるとであると説明してくれた。なるほどと思う。

 話が少しずれたので元に戻す。もちろん、日本に文化や精神的なものにも触れたい、理解したいと興味を示してくれる友達もたくさんいる。私が先に取り上げたのは私が知り合った中でも極端な例だ。最近の若い子達の中には本気で「日本人になりたい」と考え、大陸にいってもわざと日本語で話したりする人もいるらしい(知人の妹)。私はまだそういった熱狂的なHA日族に出会ったことが無いので、超若い世代の感覚は分からない。でも、台湾人の中には日本に全く興味が無い人もたくさんいるはずで、私と接触しようとする人は、それなりに日本に関心がある人だ。それでもやっぱり「中華文明パワー」全開・・・・「恐るべし中華文明」と思わざるを得ない。

 誤解をされると困るのだが、私は、日本の文化を「消費」してくれる人たちを拒むつもりも蔑視するつもりも無い。日本に興味をもってくれている外国人と話すのはとても楽しい(だからガイド資格を取得したのだ)。自分の文化が拒否されたり排除されたりする恐ろしさを考えたら、比べ物にならないほど幸せな状態だと思う。ただ、知人たちの言動を通して「異文化を理解する」ことの難しさ、奥深さを感じる。彼らの問題というよりも、自分に課せられた課題だと思う。

 これは、私が以前勤務していた研究所で中国老師に「厳しいことを言うようだが、あなたがどんなに台湾を好きでも、台湾の社会のことを本当に理解したとは言えない。」と言われたことと同じだろう。当時、私は先生の言葉の意味がわからなかった。日本にいても、毎日台湾の新聞を読み、中国語の本だけを読む私。日本の社会の動向には全くといってよいほど無関心だったけど、私もやっぱり台湾の文化を「消費」しているだけなのかもしれない。・・・今はよく分かるような気がする。

 自分の文化を消費の対象として見られていると自覚した時、感じる不快感はどの民族でも同じだと思う。

<モンゴル朋友が感じた不快感>

 私のモンゴル朋友には、内モンゴルに留学経験のある友人がいる。仮にSとしよう。Sはモンゴルを愛し、モンゴル人に感謝している、そしてその感謝の気持ちを表すために儲けを考えずに現在の仕事をしているという。Sはモンゴル朋友が来日した時、部屋を提供すると申し出た。しかし条件付だった。@ モンゴル人に住所・電話番号を教えてはいけない A モンゴル人と交流してはいけない…結局私の友人はSの申し出を断る。

 また、ある時、Sと「モンゴル好き日本人」が友人をホームパーティーに招いてくれた。ある参加者はモンゴル人を使って仕事をしているのだが、私の友人に向かって「モンゴル人は感謝の気持ちが無い」と言ったそうだ。

 このような経験を重ねる中で、モンゴル朋友は日本人がいう「モンゴルが好き」「モンゴルに感謝している」と言う言葉に嘘っぽさを感じ取るようになる。結局モンゴル人を使って金儲けしてるのだから、だったらはっきりと利益を得るために付き合ってるって言われたほうがマシだ・・・と友人は話してくれた。

 友人はこういった自称モンゴル好きに自分たちの文化を切り売りされるのを看過できない。儲けは無くとも自分たちの文化は自分たちで伝えたい、守っていきたいと思うようになり、行動を開始する。自分たちの文化の一部―それも商品化するためにデフォルメされたもの―を外国人によって食い物にされている事に対してNOを突きつけたのではないか。これは、私が知人をガイディングしたときに感じた不満と同じような感覚なのではないか。

 ひるがえって、私がこれから台湾を研究の対象とする、或いは中国語のガイドとして、中国・台湾を「飯のタネ」する事の意味を考える必要があるだろう。彼らは私が私が台湾人或いはモンゴル人の代弁者たる事を求めているわけではない。むしろ私が書く事で読者の固定観念を強化してしまう恐れだってあるのだ。または当該地域の文化の商品化を促進する事になりかねないのだ。

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