2006.5.11
GW '06・その2

4月30日(日)
前日の試合の疲れでとくに出かけた記憶ナシ。メシは買いに行ったかな。


5月1日(月)
仕事がGW進行でいっぱいいっぱいの夕方、「親父がまた入院した」という連絡が入った。
親父はおととし2月に二度目の脳梗塞で倒れてから、家には帰っていない。病院か老人保健施設に居続けている。
昨年5.16のコラム「GW」でも同じことを書いたな…。
入院した病院は10カ所目くらいだ。

連絡は母からだったのだが、夕方にもらった最初の連絡では「急なことはない」との話だった。
入院は今に始まったことではないため、オレはひとまずたまっている仕事を片づけることにした。
終電近くなったころ、二度目の連絡があり「ちょっとヤバい」という旨を聞く。
新松戸の病院に入ったということで、千代田線の最終我孫子行きで向かった。

席が9割方埋まっていた。空いていたのは赤いシートの優先席。
3人がけの両側に学生が爆睡状態で脚をひろげて座っていた。
優先席ということもあり普段だったら100%行かないところだが、親父が逝くかもしれない状況では立ってる気力がない。
学生を両側に押して無理に座る。
いくつか駅を進むと、目の前にステッキを持った初老のオッサンが立った。
これまた普段だったら100%譲るところ、
「ゴメン、きょうだけは許しておくれ…」
寝たフリをしてごまかす。目をつぶっても、最後まで睡眠状態に陥ることはなかった。
松戸で接続の快速が遅れたせいでかなり待たされ、到着予定だった1時をかなり回ったところで病院に着いた。

母と姉と合流。親父はひとまずの処置を終え、ICU内の個室にいた。
悪い中でもなんとか落ち着いたようで、声をかけると目も開けるし、言葉になってないが返事もした。
初めての入院なら朝まで居ようもんだが、我々家族はこの状況には慣れている。いい意味でも悪い意味でも。
そして覚悟もできているのだ。

この日は帰ることにし、タクシーで実家へ。
自家用車に乗り換えて、行徳のジョナサンに行った。3人とも夕食を摂っていなかった。
そこで病院からもらった病状の報告書を見せてもらったのだが、まぁ、病名がたくさん羅列されていて唖然とした。
新聞の死亡欄で死因として出るようなものもいくつもあったし。
話した結果、この休み中は、各自見舞いに行けるときにだけ行くということにした。
ICUという特性上、行っても30分もいられないのだ。
ジョナサンから3時すぎに住処へ帰宅。


5月2日(火)
深くは眠れないまま会社へ向かう時間になり、普通に出社。終業は23時すぎ。
母からの連絡で、親父は落ち着いていると聞く。


5月3日(水)

気疲れと寝不足で3日は体調が悪く、18時に見舞いに行く予定をキャンセルした。
腹が下りっぱなしで外出できなかったのだ。


5月4日(木)
住処でデーゲーム中継を観てから、夕方車で母と病院へ。
個室から大部屋(でもICU)に移った親父は顔つきが変わっていた。左目の周りに腫れがあって、顔がゆがんでいる。
数値的なものも悪くなっていた。
毎日ちょっとよくなったり悪くなったりが続く。

帰りに行徳の西友へ。
本屋で吉田戦車の『殴るぞ!』9巻、『フロマンガ』と、映画のコミック化単行本『転がれ!たま子』を、
食料品売り場で1年以上ぶりの米ほか食材をちょいちょい購入。

帰宅後、これからの時期に着るTシャツをケースから出してごっそり洗濯。
まぁまぁ、物干しはきれいなグラデーションになりましたよ。写真撮らなかったけど。

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