2005.6.26
ラーメン・その1

ラーメン。
カレーライスと並び、外来品ながら日本の国民食とも言える食い物だ。
これまでとりたててラーメン店について調べたりすることがなかったのだが、
大勝軒のドキュメントを観たことから、ちょいと興味が沸いてきた。


【大勝軒のドキュメント】
前回のコラム(ずいぶん前だ…)に書いたが、東池袋の行列ラーメン屋「大勝軒」のオヤジ(山岸一雄さん)を扱ったTVドキュメントを5月8日に観た。
内容を書こう。

 「ヒザが悪くなった」という大勝軒のオヤジを数年前からカメラで取材していた。
 奥さんに先立たれ、一人暮らしをしているオヤジ。太りやすい体質のためにヒザに負担がかかるようになっていた。
 いつしか厨房に立てなくなり、それとともに肥満がさらに進行していき、マトモに歩くこともできなくなった。
 ある日の取材中、膨れきった顔をしたオヤジはインタビューでしゃべっている間にそのまま眠り込んでしまう。
 ヒザだけでなく、カラダ全体が弱っていた。その3日後倒れ、入院。

 これまでオヤジがすべての仕込みをやっていた大勝軒、「弟子」たちが常時何人も店で手伝っているが、
 その多くは基本の3ヵ月で「修行」を終えて各自「大勝軒」の名のもとに好き勝手に店を出す。
 オヤジは人がよく、「大勝軒の名前使いたかったらどーぞ」という考え方。もはやのれん分けでもなんでもない。
 本家東池袋大勝軒のスタイルを踏襲する者から、同じなのは店の名だけという者まで、全国には無数の「大勝軒」が散らばっているんだそうだ。
 なにせオヤジが常に仕込みをしている状態だから、ほんとに東池袋のスタイルを再現するならそれを見て憶えるだけではムリなはず。
 3ヵ月で修行を終える者たちのほとんどが、「大勝軒」の名前ほしさだけなのだ。
 弟子たちは近所の昭和中期のボロアパートと月給5万円を与えられる。
 店は昼の数時間だけ、仕込みもほとんどやらないとなれば、そんな月給でもしようがない。

 そんな中、東池袋には3ヵ月どころか何年も「修行」を続けている栗山君という青年がいる。
 栗山君はそのキャリアを活かしてオヤジに代わって仕込みを担当。なんとかオヤジの味を出そうと努力していた。
 しかし、オヤジが厨房から姿を消して以降、2時間待ちも当たり前の行列はすっかり消えてしまった。
 栗山君の仕込んだラーメンはオヤジのものには近づけてない。客も正直だ。
 
 オヤジはヒザの関節を金属に交換する手術を受け、リハビリとダイエット食で、厨房への復帰を目指して頑張っていた。
 栗山君も行動に出る。
 数ある弟子の「大勝軒」の中でも、いちばんオヤジの味に近いと言われるのが所沢の大勝軒。
 恥を忍んで、本家本元から所沢へ勉強に出掛ける。

 所沢店をきりもりしているのは、栗山君よりすこし年上ながら、弱冠20代の青年。
 彼も3ヵ月組だが、通常が大盛りで柔らかめの麺にはじまり、仕込みの道具、手順、寸胴の銘柄、
 頭と首にタオルを巻くスタイルまで、何から何までオヤジを踏襲している。
 そして、味もそっくり…いや、バッチリ。試食した栗山君は自分の仕込みの味との差に愕然とする。

 許可を得て数日「張り込み」をした上で、東池袋に戻った栗山君。
 味は少し改善され、一時期よりは客が戻り始めた。

 しばらくして、オヤジ退院の知らせ。
 体は20kg減量、ヒザも経過がよく、一時の車いすから杖を経て二足歩行まで復帰できたのだ。
 院長に「こんど、お店に来てください」、そう言い残して病院を去った。
 さっそく厨房に戻ることになった。
 復帰当日、どこから聞きつけたのか、久々の大行列が開店前にできていた。
 栗山君をはじめ、弟子たちはオヤジの仕込み姿を食い入るように見つめる。
 待ちに待った常連客も、倒れる前と変わらぬ味の再現に喜んだ。

 ところが、開店から20分、オヤジは店の奥に引っ込んでしまう。
 「指が痛くてザルを持てない」という言葉を残し、この日厨房に戻ることはなかった。

 翌日、オヤジは店に来ない。
 その次も、そのまた次の日も。

 まったく連絡もなく、それっきりオヤジが厨房に立つことはなかった。
 月日が経ったのち栗山君と記者が自宅を訪ね、普通に生活するオヤジに出会う。
 そこで「引退宣言」が出た。

 結末はあっけなかった。
 院長が伺うスキもまったく与えずに。


「かんたんに」内容を書くつもりだったが、すんごい長くなっちまった(笑み)
要は、オヤジは死なずとも、東池袋大勝軒の味は死んでしまった、ということだ。
栗山君がいくらがんばったところで、お手本がいなくなったいま、再現することはできない。

前々からサンシャイン60の近くの住宅地にある「大勝軒」は行列ができる名店だ、というのは知っていた。
でもオレはラーメンマニアではないので、わざわざ食べに行こうとも思っていなかったのだが…
あのドキュメントをみてから、大勝軒のラーメン…もちろんオヤジの作ったやつを食べたくてしょうがなくなった。
しかしいま行ったところでその味は体験できないわけで。
大勝軒はラーメンもさることながら「もりそば」がメインメニュー。わかりやすく言えばつけ麺だ。
店のテントにも「特製もりそば」の文字が入っている。
メニューのなかには「あつもり」というのがある。
あつもり… なんだろう? でもすんごくうまそうなこのひらがなの字ヅラ!

これを観たあとのある日、地元のセブンイレブンで大勝軒のカップラーメンを発見。
あのオヤジの顔写真入りだ。

しょうゆベースの深みのあるスープに、薬味とチャーシュー、メンマ、のり、なるとという具。
当然、店の味がそのまんまこれに再現されているわけがないんだが、これはこれでウマかった。
未だこのオヤジの顔がコンビニに並んでるんだけど… いつまで顔出すのかな?

機会があったら所沢の大勝軒には行ってみたい。


【葫・じゃんとん】
地元・妙典駅から東京側のとなり駅2つ(行徳・南行徳駅)の間の市川浦安バイパス沿いはラーメン店が多い。
あの骨マークの「がんこラーメン」もある。
一時に比べると、勢いだけの店は淘汰されてきているようで「もうちょっと店あったよなぁ」という感じもする。
5月1日の浅草でのナイター草野球後は、地元のメンツだけで帰宅がてら行徳へラーメンを喰いに行った。
スケの情報によると、ラーメン街道とも呼ばれたバイパスとは東西線を挟んで反対側の住宅地の中に、
すんごくうまいラーメン屋があるんだという。
22時を回っていた。そのラーメン屋はマンションの一階にあるのだが、周りはホントの住宅街で、
評価が高いラーメン屋がありそうな雰囲気ではない。
店は稼働しているが、外の看板の灯りが落ちていた。聞くと「麺がなくなったのでオーダーストップ」なんだそうな。
よく「スープ切れ次第閉店」というのは聞くが、麺がないとはこれまた…。
こだわりの麺は日持ちしないタイプで一日の在庫が少ないのかな?
あとで調べると「葫」という店であることが判明。見慣れない漢字。
「にんにく」である。その名のとおりにんにくの効いたスープが美味いらしく、
ラーメン評価サイトではこの近辺ではダントツベタ褒めのところもあった。

結局この日はラーメン街道のとんこつの店に入った。
替え玉を頼むとき「麺柔らかめ」と頼んだのに、一緒に頼んだアゴの硬め替え玉がオレの丼にぶち込まれた。
なんだよ、オレは柔らかめのほうがラーメンらしくて好きなのに…


別の日。
肌寒い夜。なんとか終電で帰宅する。
ばかばかしいが、家からチャリで南行徳駅エリアまで戻り、ラーメン街道の店のひとつである「じゃんとん」に入る。
狭い店舗スペース。道路との仕切はなく、オープンカフェ状態だ。
席が埋まりつつあり、入口の脇のまさに道に面した席に座る。
席にはメニューがあり、選ぶんだけどなかなか店員が来ない。
声をかけると「こちらでおねがいしまーす」と、厨房の脇のレジまで来いとのこと。
早く言ってくれ。腹減っとんねん。
このじゃんとんで面白いところは、お冷やだけでなく、コーヒーとキ●チもセルフなのだ。
オレはキ●チは一生食すことがないので余計だが、コーヒーはとりあえず取る。
使い回しができる取っ手はオレの会社のと同じで、たぶんダイオーズのコーヒーだろう。
スープはしょうゆだみそだ塩だといろいろあった。
えーと、塩だったかな… 喰ったのは。それとチャーシュー丼… だよな。
ちょいちょい待たされたとこで、ラーメンが先に出てくる。
ラーメンはカウンターまで取りに来いという。落としちゃう客とかいないんだろうか。
ま、店は狭いのでどの席までも数歩なんだけど。
「チャーシュー丼はお持ちします」とのこと。
汁モノのラーメンは取りに来させて、ごはんモノは持ってきてくれる、配膳システムがよくわからん店だ。

ラーメンは旨かった、はず…。メニューから味からはっきり憶えていないじゃんか…
なにしろこれを書いているのが6月の25日。食べたのはひと月前くらいだったろうか。
いや、マズい、という印象はなかったので、まぁ旨かったはずだ。
しかしラーメンのあとのコーヒーはまったく噛み合わないシロモノだったことは鮮明に憶えている(笑み)

じゃんとんからの帰り道、往路は裏道からだったため通らなかった「どさん子娘」の前を通る。
「どさんこ」という店はあちこちにあるが、「どさん子」だったり「どさん娘」だったり。
ここはその両方が混じった名前。
混んでいた。
ラーメン評価サイトによると、どうもこのラーメン街道ではいちばんの行列店らしい。
まわりの新興店とは違う、年期の入った店構え。
人が詰まっている店は、そうとう喰いたくないと入っていく気になれない。
んが、それでもウマいんだろうな。いつか喰ってみたいとは思っている。

そういえば、実家の地元・原木中山駅のメトロセンター(高架下商店街)には「どさん子ウエスタン」が
1980年代初頭のメトロセンター開業以来がんばっていた。
こちらもしょうゆ・みそ・塩・とんこつとなんでもアリのスープに
焼きそば、カレー、定食とラーメン以外も充実。
さらにはアイスクリームも31のようにしゃくってコーンにに乗せる式で売ってたりしてた。
ここは行くたんびに気に入ったメニューが消えて(HITOFUDEGAKI CLUB・コラム2001年4月12日「メニュー」参照)
こまったもんだったが、だいぶ長続きしていた。
それが昨年・みそラーメン専門の別の店に変身していてびっくりした。
メニューどころか店そのものが消えてしまったのだ。

駅から県道を行徳方面へちょっと進むと、「えぞふじ」という店がある。これも北海道だなぁ。
こっちはもっと古いし、今も健在。車を路駐できない狭い県道のカーブに面した店。
地元民の支えがないとやっていけない店なのだが、なんとか頑張っているようだ。
ちいさい頃父に連れてってもらった記憶がうっすらあるが、味はさっぱり憶えていない。
何喰ったかも知らないしね。
ここもいつか行ってみようと思いつつ数年が過ぎている店のひとつだ。


【八蔵】
世田谷通りの店。
5月21日、埼玉・秋が瀬公園でのiFsの試合の帰りに車で寄った店だ。
え!? 秋が瀬から市川に帰るのになんで世田谷通り? かというと、
試合後武蔵浦和駅近くのガストでいつもながらのまったりトークを丈さん、ひらのさん、まっつんの4人でしていた。
まっつんが調布の自宅へ一旦帰ってからバレーボールの練習に行かないといけない、ということになった。
武蔵浦和駅へ出る道もよく知らないが、新大宮バイパスが近いはずなのでそっちなら道がわかる…
で、予定もとくになかったのでまっつんを調布まで送ることになった。
新大宮から笹目通り〜環八と通って甲州街道で調布へ。
ここまで来たのでひらのさんも自宅まで送ることにする。
思えば試合は午前中で、武蔵浦和駅に9時集合だった。
んが、多摩川を渡るために選んださいしょのルートが大渋滞。引き返して稲城大橋ルートに変更。
東京ドームの巨人-Fsの交流戦ナイターが始まり、ラジオで聞きながらひらの邸を目指す。

ひらの邸に着いたのは8時前くらいだったかな?
寄っていけば?と誘われるも、じつは翌日Spの試合で朝7時妙典駅集合なのですぐ帰ることにした。
小田急の駅の脇に東秀(ラーメン・その2で登場)があるなー、なんて思いながら津久井道を走ってたころ、
リリーフで出場して打順が回ってきたガンちゃんがプロ初打席初ホームランを打った!
み、観たかった(笑み) ひらの邸に上がってれば…

とかなんとか思ってるうち、腹が減ってきた。
そうだ、こういうときこそ、ウマそうなラーメン屋があったら飛び込むか、
ということでキョロキョロしながら走るも、なかなかない。それどころか、路駐スペースがない。
世田谷通りに入り、ラーメン店が妙に増えてきた。
そして、「魚だし」と大きく書かれた店を左側に発見。路駐スペースもあり、ここで喰うことにした。
いままで魚系のラーメンは喰ったことがなかったので、一度試してはみたかった。
一時期DHAが話題になって、「まぐろラーメン」ってのがよくテレビに出てたっけ。

店の名は「八蔵(はちぞう)」だ。
まだ開店して月日が浅いようだが、魚だしにはこだわりがあるような雰囲気の店。
それ系のいい香りが店に充満している。
コの字のカウンター席のみの店には中高年の夫婦の客が一組いるだけだった。

頼んだのはワンタン入りのラーメンだったかな? つけ麺もあった。
店のテレビではいろんな人(雑学のハットかぶった人とか)を呼んで授業をやる日テレの番組をやっていて、
魚の栄養の話をしていた。わざわざ厨房から出てきた店主がまじまじとその説明を聞いていたのが印象的。

ラーメンはまさに魚だしのスープ。ウマい、ウマいが…
これ麺だけ変えたらもうラーメンじゃなくそばだぞ。
その麺も硬めでコシの強い麺。ほんと、ラーメンっぽくないラーメンだった。
スープは飲み干しがラクなあっさりしたもので、当然飲み干した。
具が少な目で、ちょっと飽きちゃう感じがあった。

帰ってからネットで調べると、以前は「ふくろう」という店があったんだそうな。
その名前、ラーメン・その3に出てくる店と被ってるが…
もしそうだったら、すごい偶然だ。

(ラーメンのはなしはその2へつづく)

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