聖夜スペシャル
第二章 プサン 10年前の街


 目覚めると、そこは大韓民国でした。

 ホテルの朝食のテーブルに並ぶ、赤い白菜、赤いキュウリ、赤い
汁もの、赤い魚……。赤くないのは銀色のステンレスの小さな器に
盛られている白米だけでした。
 ……ぜんぶ、キムチなのですね、サクラコさん。

 (そうよ。ぜんぶ、キムチなのよ、ユキちゃん)

 赤と白の比が9:1の食卓、それは口にすると辛:非辛の比率も
9:1であったわけで、朝からなぜこんなに血流を激しくさせそう
な食事をしなくてはならないのだろうと思いつつ、そのキューカラ
(9辛)をわずかなご飯でどう打ち消そうかと悩む僕なのでした。

 そこは大韓民国なのでした。

 昨日、僕は生まれて初めて、空をとぶ飛行機に乗りました。飛行
機だから空をとぶのは当たり前なのですが、でもやっぱり、日本と
いう重力の底に生まれ育った僕にとっては「空をとぶ」という部分
を強調したいわけで、落ちたら痛そうですね。
 あぁ、隣で仲間が手を組んで祈ってますよ。僕も祈ってますよ、
離陸のときってそうでしょう。

 ……仲間?

 お、思い出してきた。僕はいま、大学の…ゼミ旅行で…。
 赤い赤いお膳から顔をあげて食卓を見渡してみる。見知った顔の
ゼミ仲間たち、そして教授。総勢約10名が並んで食事をとってい
る。現地ガイドの女性1名のほかはすべてが男だった。
 あぁ、辛い。旨いけど辛い。
 辛いのでご飯をたべます。でもステンレスのお椀を持ち上げて食
べてはいけません、ってガイドさんが教えてくれました。それは、
この国では下品な食べ方とされているようです。日本だと逆に、お
椀を持ち上げないで口を近づけるのは「犬食い」だから駄目ってい
いますけどね。
 ……だからご飯をかっ込めないよ、サクラコさん。

 (そうね。お椀を持ち上げちゃだめなのよ、ユキちゃん)

 うん、犬食いは勘弁だよね。

 でも大韓民国の料理のすべてがすべて真っ赤という訳ではないの
です。昨夜の焼き肉は、とても美味しかった。レタスに焼肉を巻い
て食べる料理。名前は忘れました。僕は料理の名前を覚えることが、
とても苦手なのです。母の料理がどれもまんべんなく上手だったか
らかもしれません。出たものを食っていれば間違いがなかったので
す。だから、特に好きなメニューを覚える必要もなく、また自分で
料理をすることもなかったので、食に関しては無関心になっていっ
たのでしょうか。
 
 そんな無関心な僕でも、大韓民国の朝食には度肝を抜かれた。

 それは、僕がその後に体験する海外「辛さで泣く紀行」のはじま
りでした。もちろん当時はそんなことは思いもしませんでしたけど。

 ちなみに、その日の昼食はビビンバだかなんだか(やっぱり料理
の名前を覚えるのは苦手です)、そんな石臼にはいった混ぜご飯と
チゲ(お好み焼きらしい)でした。ビビンバは辛くなかったのです
けど、旨いかどうかというと普通でした。僕は混ぜご飯や加薬ご飯
はあまり好きじゃないようです。
 ……ね、サクラコさん?

 (そんなこと、知らないよぉ、ユキちゃん)

 ……ぐすっ。ちょっと冷たいよ、サクラコさん。

 それは2月のことでした。大韓民国(もうそろそろ、韓国と書き
ましょうか)の冬はとても寒く、寒く、寒かったのです。サムソン。
 その寒い街中を、歩行者や大八車をひっぱった労働者風の人たち
が、せわしそうにすごい早足でとおりすぎていきます。これが俗に
いう「キムチ食ってるから…」な人々なのかと驚き恐れつつ、僕は
そんな人たちとぶつからないように注意して歩いていたのですが、
ガイドさんが旧正月前だからと教えてくれました。あぁ、というこ
とはこれが韓国の「師走」なのですね。キムチ食ってるからではな
いのですね…たぶん。 

 僕はちょっと韓国語(ハングル)を勉強してきました。といって
も、NHKの「アンニョンハシムニカ ハングル講座」を2週間ほ
ど聞いただけなのですけど。たった2週間なので、ハングルの読み
方と発音の仕方で終ってしまってます。3週間目に単語を覚える段
階になって、そのあまりにも日本と異なる単語に眩暈がして、もう
頭がストップして勉強を放棄してしまいました。覚えられたのは
「ビビンバ」の「バ」が「飯(パップだったか?)」ということだ
けです。「飯」が「バ」ですよ。これなら中国語の「ファン(チャー
ハンのハン=ファンですね)」のほうがまだ日本語に痕跡が残って
て覚え易いですよ、ね?

 という屁たれた僕だったのですけど、街でみた看板でひとつだけ
分かったのがありました。黄色い看板に赤いハングル1文字です。
同じような看板をいくつか見たので読んでみたら「ヤク」でした。
ヤク…そう「薬」だよ、薬局だよっ。
 これは嬉しかったです。

 (偉いね、ユキちゃんは)

 ……うん、僕がんばるよ、サクラコさん。

 軍人墓地と歴史館に行きました。日韓の近代の歴史について特に
なんにも感じることもなく、これは朝鮮戦争がメインだからまぁい
いかと無知なのかなんなのか、単純に旅行気分で気楽に散策。
 歴史館で興味深かったのは古代朝鮮のパネル展示だったか、ハン
グルと英語表記の併記だったのですが「新羅」のところ「シンラ」っ
て書かれていました。あら、「シラギ」じゃないのですね。学校で
習う「シラギ」って変な読み方だからてっきり現地語の読みだとば
かり思っていました。

 そうそう、日韓の歴史といえば、そこでの展示はどちらかといえ
ば旧日本軍よりも豊臣秀吉の侵攻についてが多かったように感じま
した。だから「李舜臣」は英雄として扱われていました。古今の英
雄にはどの軍であるかを問わず僕も敬意を表するべきでしょう。
 …で、みやげ物屋の人に「イ・スンシン」と話してみたけど通じ
ませんでした。ちょっと哀しかった。ハングル発音は難しいです。

 みやげ物屋といえば、歴史館に併設されている物産コーナーには
日本語を学んでいる女学生の方が(たぶん)バイトで働いていまし
た。日本からの観光客にちゃんと対応してるのだなと感心する前に、
僕はまた度肝を抜かれましたよ、サクラコさん。
 その女学生の方たちが、あの、その、天女のように美しかったの
です。これは何を基準にバイトを選考しているのだと言わんばかり
なのです。いや、それだけで特になにがあったわけでもなく、あと
はそのバイトの天女さまに応対してもらうために買い物の量がちょっ
と増えただけなのですけど。
 サクラコさん、韓国の女性って、美人とそうでない方との格差が
大きすぎます。その中間がないみたいです。グラフにすると、(中
央の平均値がもっとも多い)山のような形ではなくて、凹型の美人
山とそれ以外の山ができそうな気がします。

 (そうなの。それで、なにか良いことがあったの、ユキちゃん?)
 
 ……いえ、何もないです。冷たいよ、サクラコさん。

 あとは、そうですね。「韓国の散髪屋って下の毛も剃ってくれる
らしい」とゼミの仲間が聞きつけて、それでそのゼミ仲間が「散髪
屋に行ってくれ」と女性ガイドさんに言って困らせてたり、そんな
とこが笑い話でしょうか。この点はいまでも疑問なのですけど、当
時はインターネットが無かったので「噂話」の裏づけをとる手段が
なかったため「純粋に噂話」として楽しむことができました。良い
時代だったのかもしれません。
 ちょっといまからでも、韓国に行って確かめてみたい気もします。

 (そうなの。それで散髪屋に行ってみるの、ユキちゃん?)

 ……いえ、そんな度胸ないですよ、サクラコさん。

 それが僕のいけないところかもしれません。やっと分かってきま
したよ、サクラコさん。
 でもね、下の毛を剃ってくれるかどうかって話はともかくとして、
外国で「散髪屋に行くこと」と「一般の乗り合いバスに乗ること」
のふたつは、けっこう度胸がいることなんですよ。

 これはゼミの卒業旅行でした。楽しかった学生の日々に終わりを
告げる旅行。人生の半分、いや大半は終わったのかもしれない、と
そんなことを考えながら乗った帰路のジェット機。軍用輸送機も並
んでいたプサンの金海国際空港からの離陸は伊丹空港の比ではなく
怖かったです。離陸直後に機体をぐぐっと傾けて急旋回して、これ
はビビリました。

 そのころの韓国・プサンは、10年前の日本のようで、冬景色も
あいまって灰色のような薄汚れて暗く、人々は黙々と歩いている、
そんな感じでした。今はどうでしょうか。
 もう一度いってみたい気もします。
 もう一度いったら、たぶん、また、あのみやげ物屋に行くのでしょ
うね。あの美人と会ったことを確かめるために。
 だって、僕は、たぶんこのときから――学生でなくなって働いて、
社会に流され始めたときから――本当に大切なもの…時間の流れを
忘れてしまっているのですから。
 それを自覚するために、思い出して、日記のように、語り合って
いるのです。
 キミと。
 ……ね、サクラコさん。