暑中スペシャル
第九章 ぽってりと暗転の詩
<詩なら書けると思ったら、大間違い
ラブレター 詩(うた)のつもりが 暗号文
ノストラダムスも思わず昇天>
(みゃーん)
サイさん、西院由紀子(サイ・ユキコ)さん、
キミの唇のハシから、汁がしたたっているよ
その汁は、したり汁なのかい
怒りと悲しみと恐れと、そして恋心が混じった
辛くて苦くて酸っぱくて、そして甘い
キムチ味をした、したり汁なのかい
(みゃーん)
それは違いますよ、ハルオ君、
よく御覧なさい。彼女の顎は動いていません
咀嚼活動の形跡および物的証拠がないのですよ、ハルオ君
このことから導き出される結論は…、
ふっはっは、ハルオ君
したり汁の正体は、お嬢様を飲み込んだときの、よだれ男爵様ですよ
(みゃーん)
失礼なことをおっしゃるわね、ドクター先生、
アタシのこの小さな口元から、光り流れしたたり落ちるせせらぎは、
男爵様ではございません
それはアタシの可愛い舌の上、ちょこんと座ったお嬢さまが、
夢にまでみた帰郷を果たしたその感激に、つつつと流したお涙なのです
ご覧なさいなアタシのこのしたり顔、これが何より証拠です
(みゃーん)
サイさん、サイさん、西院由紀子さん、
大きな大きなその顔が、さらにさらに大きくなって、そのしたり顔が
溶けているよ、溶けているよ、
表面がどろっとゲル液になって、どろりどろりとチャウチャウ犬のように
したたっているよ、頬から。滝のように、なだれのように、肉汁が…
あ…あ・あ・あ…ぁ 今のキミは、ゾン・ビビンバ
(みゃーん)
それも違いますよ、ハルオ君、
チャウチャウは溶け犬ではありません。あれは頬肉が垂れているだけです
この世はすべて物理法則に従い、星の定めに操られているのです
そこから推理を巡らせると、サイさん、ずばりあなたが犯人、ホシです。
舌先でお嬢さまを転がして、胃壁でお嬢さまを包み込み、融合・合体・精神合一
だから、ハルオ君は、韓国料理が好きなのですね。
(みゃーん)
さすがですわね、ドクター先生、ごぼごぼ
ハルオ君が好きな料理とワタシの秘密、それを同時に見破るなんて、ごぼごぼ
そうよワタシの正体は、ごぼごぼ
ああっ、溶けながら喋るのって難しいのよねー、ごぼごぼ
はやく溶けちゃいなさいよっ、アタシ!
そしてその真の姿を現すのよ、あの日あの時あの草原で、アナタに心を奪われた
(みゃっ?)
「この私(アタシ)の姿を」
少女はすくっと立って、その淡い銀髪をゆらりゆらりと風になびかせ
「キミは…あの夢の中の女の子…」
サイさんという名の大きな顔が溶けたその後に、美しい少女の小さな頭が
繭から生まれた蝶のように、儚く長い銀髪をさらっと流して
「お嬢様…君がお嬢様だったのですね」
呆然と立ちつくす白衣の男。あの日、異国の少女を草枕に縛りつけ強引に
少女の心を奪った、その人物とは思えぬほどの狼狽ぶりをみせ、
呆然と立ちつくす、ハルオと白衣の男ドクター先生。
溶け落ちた仮の容貌の肉汁がまだしたたり落ちている、顔から首に流れて
全身にその女学生姿であったセーラー服までどろどろに、
それでも儚く美しい姿ですくっと立つ少女が、
ぷるん、
と身を震わせると、
「ああっ…」
「おおっ…」
少女の身体が輝きにつつまれ、その美しい肢体の輪郭が光となって、踊っ
ているかのように舞い浮かんだ。
「ああっ…」
「おおっ…」
そして光の中から少女はふわりと舞い降りて、
その身に粘着していた肉汁を清らかな雫としてぷるんと空気に散らすと、
ストンと柔らかな地面にその可憐な踝をつけ、
その燃える瞳が白衣の男を刺し貫くかのように見つめるのでした。
なぜかその手には東洋の短刀
それはあの日、白衣の男に取り上げられた護り刀。
その姿にもはやサイさんの痕跡はなく、
髪も、顔も、首も、肢体も、すべての仮の装いは溶けて消え去り、
かつて草原で出会った少女が、ハルオの目の前にいま、立っている…
「あの…服も溶けちゃってるみたいですけど…」
ハルオの遠慮がちなその声に、
ドクター先生を貫いていた少女の視線が、ふっと己の胸元をよぎった
「……………い、いやーん!」
(みゃーん)
なぁ、アズンバ。ちよっと間抜けな、我が級友よ。
聞いてくれっ! 俺は、彼女を遂につかまえた
夢にまで見た、いや夢で初めて出会ったあの娘(こ)をさっ!
俺の心は嬉しさで泣いているぜ、男泣きだい
ネコ耳の女の子推定身長17cmも鳴いてるぜ
……なぜだ、アズンバ。
(みゃっ?)