暑中スペシャル
第八章 ひたすら暗転


 <我思う、故に我あーり!
  我萌える、故にネコ耳さまあーり!
  でしゅでしゅー。>

(みゃーん)

 物語がピンチになったらしい。そして現れた…ネコ耳の少女が。

 少女…それは10歳以上15歳未満のロウティーンの女の子とい
う意味ではなく、ましてやそれ以下の年齢のお子ちゃまという意味
でもさらさらなく、文字通り…背丈も体重もすべてが少ない、つま
り、小さな女の子だった。
 この物語の主人公らしいハルオは、灼熱の南国のバザールで炎天
下に茣蓙を敷いて店をひらきつつ、その少女しかもネコ耳付きがちょ
こんと正座をしている光景をポカンと見上げて眺めつつ、なぜそん
な小さな女の子を見上げてるのかといえばハルオが座っているのは
地べたの茣蓙でありそのネコ耳少女が正座しているのはハルオの横
にでんと据えられた学習机の上であるからであって、その学習机の
持ち主然として椅子に座ってニタリと笑っている顔の大きな少女…
こちらのほうは正真正銘の少女であるが高校生なのでハイティーン
だ…である西院(サイ)由紀子さんが眺めているのはハルオではな
くてその横に突っ立ってワナワナと震えている白衣を着たハルオた
ちのクラスの先生、通称ドクター先生なのであった。

「サイ君…君はなぜ…ここに…そしてその君の手元の…その、机の
上の女の子は…」
 これはドクター先生のセリフ。普段は冷静沈着怜悧そしてちょっ
とこの頃少し変よな夢授業科の先生なのだが、とつぜん学習机ごと
沸いて出てきた受け持ちの女生徒サイさんとミニサイズのネコ耳少
女を目の当たりにして、ちょっといやかなり動揺気味。

「…人形?」
 これはハルオのセリフ。まだポカンとしている。

「フフフ、人形ですって? 人形ですって」
 サイさんはまたフフフと笑った。こんな笑い方をできる子だなん
て知らなかったただの顔の大きな女の子だと思っていた、と思って
いながらハルオがまたポカンとしていると、

(みゃーん)
 またネコ耳の女の子推定身長17cmが鳴いた。
(みゃーん。ね、このお兄ちゃん誰ぇ〜?)
 いや、喋った。

「ど、どうしろというのだ、この私に?!」
 これまたドクター先生のセリフ。ハルオは思った。そのセリフは
俺が言いたかったと。

「フフフ…どう、気に入ってくださったかしら?」
 サイさんがドクター先生をじっと見つめている。その瞳には炎の
ようなものが宿っているようであったが、それは愛ではなくたぶん
憎悪のほうなのだろうまるで推理ドラマで探偵に犯罪を看破された
犯人役の俳優の演技のような、とてもわかり易い…あぁそれは憎し
みの光だ…と思ったのは相変わらずポカンとしているハルオ。

「な、なにを…」
 これドクター先生。背景の擬音は『ワナワナ』。

「みゃーん」
 サイさんが顔が大きなわりには可愛い声で鳴きまねをしながら、
瞳でちらっと、手元の机の上で正座をしながらもじもじしている
ネコ耳少女を指し示した。

(みゃーん)
「フフフ」
(みゃーん)
「フフフ」
(みゃーん)

「ああ…あああ…あああああ」
 小さな身体のネコ耳少女と顔の大きなサイさんの音波波状攻撃を
受けて、口をアガアガと開いて突っ立っているドクター先生。その
先生にさらにフフフと冷笑を浴びせながら、サイさんはつと机から
立ち上がり、つつつとハルオの座る地べたの茣蓙へと歩むと、その
茣蓙の上に鎮座してなぜか忘れ去られていたネコ耳少女よりも不思
議な存在…そう、あの生きている六角形…を無造作にその大きな顔
のわりに華奢で細くて白くて繊細な指で掴んだ。

「あああ…あお…あお…お、お嬢さま…お嬢さま…駄目です」
 ドクター先生が硬直したように突っ立ったまま、首だけギリギリ
と15度ほど回転させてハルオの茣蓙を視界におさめた。もはやド
クター先生というよりカラクリ人形先生のようである。

 そうだ、今こそ謎が解ける! この肉色の鼓動する物体は何であっ
たのか。ドクター先生はなぜその物体を『お嬢さま』と呼んでいる
のか。そしてなぜハルオはなぜその『お嬢さま』を愛しいと感じた
のか。ハルオはなぜここに居るのか。人類はどこから来て、ネコ耳
少女はどこへ行くのか。
 …そんなことを脳の裏側で考えながらも、ハルオはまだポカンと
していた。ポカンとサイさんの指先を眺めていた。

 顔が大きいにも関わらずたおやかなその指は、優しく六角形のぷ
るぷると鼓動する六角形の物体をつまみ上げた。

 …あぁ、お嬢さまは怯えているに違いない。さぞかし『黄色く』
なって恐れているだろう。いや、気丈なお嬢さまだから『赤く』怒っ
ているだろうか。もしかして『青く』悲しんでいるかも。
 そんなことをポカンとしているハルオは脳の裏の裏側で感じなが
らそのサイさんの顔が大きいにも関わらず白魚のような指先につま
まれている六角形のお嬢さまの色を目で追った。
 追って呆然とした。
 …ただの肌色だった。
 肉色といえば肉色。肌色といえば肌色。
 あぁ英語で肌色って有るのかな無いだろうなと思って調べたら
flesh color だって。だからやっぱり肌色というより肉色だなあ。
なんてことがなぜか走馬灯のようにハルオの頭の中を駆け巡った。
 …いや別にハルオは死にかけてはいないが。

 恐れも怒りも悲しみもなく、ただお嬢さまは顔の大きな人の細い
指につままれて、ゆっくりと持ち上げられていく。おいたわしや、
しかしなんと気高いのだろう、その肉色の脈打つ六角形は!
 …と思ったのはポカンとしているハルオとカラクリ人形化してい
る白衣のドクター先生だけで、その他のバザールに来ている客や売
り手たちはみんながみんな、遠巻きに眺めながら気持ち悪がってい
るのであった。さっき誰かがお巡りさんを呼びに行ったような気も
する。
(警察沙汰は嫌だなぁ)
 そう感じながらもハルオはポカンとしたままであった。ネジが切
れたのではないか。しっかりしろハルオ! と励ましてくれる友人
もここには居ないので皆さん応援してあげてください。

「フフフ」
 そうこう言ってるうちにも、サイさんの顔が大きいのに以下同文
な指は六角形の『お嬢さん』をつまんだままゆっくりとリフトアッ
プしていく。
 そして彼女は、顔が大きいのに以下同文な口をパックリと大きく
開けた。
「フュフュフュ」
 …口を開けたままフフフと笑おうとしたらしいです。

「ああ…あああ…あああああ」
 何かを感じたのか、硬直しているドクター先生があがあが言いな
がら手足をまっすぐに伸ばしたまま、まるでC3POな感じでサイ
さんに歩み寄ろうとギクシャクと慌てている。

「フュフュ…あーーーん」
 サイさんの開いた口に、その指がゆっくりと近づいている。その
親指と人差し指でつままれた六角形の『お嬢さま』は、少しゆらゆ
らと揺れながら、まるでクレーンゲームの景品のようだ。
 1cm、1cmと景品投入口のようなサイさんの口へと接近して
いる。

 サイさんの目がニヤリと笑った。
 …口では笑えないので目で笑ったらしいです。

「あああああ…」
 ドクター先生の声にならない悲鳴。

 お嬢さまが、お嬢さまがピンチだ! ポカンとしている場合じゃ
ないぞ、ハルオ! 動けハルオ! 今だハルオ! 

「う…うぉぉぉぉおおおおお」
 叫んだ。ハルオは叫んだ。茣蓙の上で叫んだ!

 そして立ち上がった。スクッと立ち上がった! やるじゃないか
ハルオ! 男じゃないかハルオ!

 さぁ、お嬢さまを救え!

「ぱくっ」

 ……スクッと立ったハルオの目の前で、サイさんの指から六角形
の脈打つ物体が彼女の開けられた口にポトンと落ちて、
 ……ポトンと落ちた物体を舌にのせた口はパクンと閉じた。
 パックン。

 『お嬢さま』がパックンされちゃった。えへへ。

「うーん、グラッチェ。フュフュフュ」
 …口にモノを含んだまま笑おうとしたらいしいです。

 スクッと立ち上がったハルオの脳の裏側の裏側の反対側で、歌の
お姉さんの声がふわふわと漂っていた。

(♪たーべちゃった、たべちゃった)

 おちまい。