暑中スペシャル
第六章 バザール、心の色


 <キミは箱入り娘だから、心の中まで四角六面。
  ころころ転がり、くるくる回り、変わる変わるよ、心の色が、 
  どうしてそんなに、可愛いの? 教えてください、女神さま>

 ここはバザール。休日の自由市場、フリーマケット。

 暑い空、慈しみに満ちた人々が、好奇の目を光らせて俺のまえを
通りかかり、そしビクリとして二秒静止し、三秒目には目を逸らし
て逃げるように足早に去ってしまう。
 
 トクン、トクン、トクン。

 雑多な使い古した衣装や玩具、ぬいぐるみ。
 珍しいのか、それともただ古びているだけなのかわからない仏像
や絵画、そして談笑、走り回る子供たち。
 いろいろな商品を並べたててのんびりと陽気に客との会話を楽し
んでいる売り手の人々。そんな中に混じって座る俺の茣蓙(ござ)、
その前におかれているものは……
  
 トクン、トクン、トクン。

 脈打つ親指大の立方体、それは、肉色の立方体。
 生きている、息づいている、それは生身の「采(さい)」。
 采の国(さいのくに)の人の魂であった。

 そして、俺はいま、ある目的のため、その「采」、俺の彼女を…
晒している。このバザールで、人々の前に、裸のままで…

「な、なんだこれ。肉みたいのが、ピクピク動いてやがる」
 酔っ払いの男は、俺の「采」を澱んだ酔眼でねとっと見ながら、
そう言って大笑いした。
 ここは南国のバザール。近くでは色鮮やかなトロピカルカクテル
だの、穀物の発酵酒だの、リキュール類も果物や辛い炒め飯と一緒
に売られている。だから半そで半ズボンのラフな格好で、そして昼
から出来上がってしまっているこのような人たちも、俺の前を何人
も通っていった。
「まるでナマコだね、こりゃ。兄ちゃん、これ海でとれたのか?」
 その声が聞こえているのだろうか、「采」の色が少しずつ赤く、
紅に染まっていく。
 『怒り』の赤へと、その小さな肉体が染まっていく。
「あ、あの、あまり近づいて見ないでください。おじさんの息がか
かって、彼女が怒っ…」
「お、こいつ赤くなってきたぞ。酔ってるのと違うか」
「い、いえ」
「兄ちゃん、これいくらだ?」
「え…?」
「売り物なんだろ、この赤くてピクピクしてるのは?」
「いや、その…」
「食えるのか?」
「…は?」
「いや、踊り食いしたら美味そうじゃねぇか」
 酔っ払いはそう言ってまた大笑いした。その大きな口からのぞく
歯は、幾本か欠けてはいるが丈夫そうで、俺はふとその歯が俺の「采」
に突き立てられる光景を想像してしまい、南国の炎天の下で身震い
をした。そして「采」を見た。
 ……震えている。トクントクンとした脈動だけではなく、

 トクン、トクン、プルプル、プルプル。

と震えていた。そして色が、だんだんと赤から薄くなって、肉色か
ら黄疸のような悪い色になって、そして今は鮮やかな…黄色に染まっ
てしまった!
 黄色く変色してしまった「采」を眺めて驚く俺。それは無礼な酔
漢にとっても同じだったようだ。
「なんだなんだ、なんか不味そうな色に変わっちまったぞ。兄ちゃ
ん、どうなってるんだ、これは?」
 そのとき、俺たちのところに白い服をまとった細身の人物が現れ
た。
「おやおや、なんということでしょうか」
「ん? な、なんだテメェは?!」
「お嬢様が怖がっておいでですよ。ちょっとこちらへ来ていただけ
ますか?」
 学校の理科の実験室で見るような白衣を着たその男は、陽光にメ
ガネを光らせ、冷たい眼で酔っ払いを見るとその腕を無造作に掴み、
ウラの椰子の木の陰へと彼を引っ張っていこうとした。
「な、何するんだテメェ?!」
「あちらの方にも同じものがありますよ。たぶんもっと大きなもの
が。ご覧になりませんか」
「そ、そんなもの…」
「なんなら召し上がっていただいても構わないのですよ。こちらの
はちょっと、色がこうなってしまいましたから」
「ん、んーん。そだなぁ、じゃあちーっと行ってみるか」
 その白衣の男は、そう、あのドクター先生。俺の高校で夢授業の
担当先生で、そして授業中に窓から飛び出して、俺をこの海辺の街
に連れてきた男である。
 ドクター先生と酔っ払いはこうして俺の座る茣蓙の前からむこう
のほうへと去って行った。
 そしてまた、照りつける太陽の下で、俺と「采」のお嬢様はふた
りきりとなった。そのお嬢様はまだ、蒲公英のように黄色くなった
小さな身体を、

 プルプル、プルプル、トクン、トクン。

と震わせていた。
「…怖かったんだね」
 俺はお嬢様に語りかけて、その六角形の身体の一つの面を指でそっ
と撫でてやった。
「そうか。黄色は『恐れ』の色なんだね」
 またひとつ、お嬢様の心を読むことができた。俺はふふふ、と少し
笑って、お嬢様をじっと見つめた。
「俺はまたてっきり、黄色はカレーライスの色かと思ったよ。ねぇ君、
カレーライスは好き?」
 すると六角形の物体はピクッと震えて、そして黄色から淡い赤色に
身体の色をプルンと変えた。
「はははっ、ごめんごめん。怒ったのかい、お嬢様」
 俺は優しく笑いながら、人差し指でお嬢様の淡く赤くなった上面を
つんつんと突いてみた。

 つんつん。

 ツンツン、ツンツン。

「あ、なーにコレ? なんかネチョーってしてるわね。指に粘液みた
いのが付いちゃったわよ」
 俺の指の横から、もう一つの細くて綺麗な、ピンクに塗った付け爪
をつけた指が、六角形の肉のような塊であるお嬢様をツンツンとつつ
いてきた。
「あ、あのぉ…」
「ねぇお兄さん、なんなのよコレ。なんだか温ったかいじゃん」
 薄い色をしたスカート姿の若い女の娘−たぶん学生だろうか−が俺
の隣にしゃがみこんで、口元を緩めながら好奇心満点の表情でお嬢様
をツンツンしているのだ。
「ねっ、コレ生きてるの?」
「え、えぇまぁ、そうですね」
「キショー! 気色わるー!」
 なんなんだよ、一体…。
「ね、ね、コレ、コレなんなの?」

 ツンツン、ツンツン、ツンツン……。

「あ、あの、あまり尖ってる爪で突かれたら傷ついてしまいますか
ら」
「エエーっ、だってさー」
「それにこれは女の子ですから、もっと優しく扱って……」
「エエーっ! コレ、コレ、性別あるの? 女の子?」
「はい、お嬢様ですよ」
「なんでなんで? だってこんな、なんか気持ち悪いじゃん!」

 トクン、トクン、ピク……、トク、トク、トク……。

「あ」
「あーっ!」

 俺の隣ではしゃいでいた娘と俺は、同時に驚きの声をあげていた。
茣蓙の上の六角形の物体、お嬢様の鼓動が一瞬とぎれたかと思うと、
その色がすーっと蒼くなっていったのだ。人が貧血になる瞬間を眺
めているかのように。いや、そんなものじゃない。六角形のお嬢様
は文字通り、
「青くなっちゃった」
 しゃがんでいた娘は驚きで後ろに尻餅をついたような格好で、わ
たふたしている。
「ど、どうしてなのよ! 何コレ?」
「それは…」

「それは悲しんでおられるからです」

「あ…」
 俺たちの横に、白衣の男が立っていた。俺たちをメガネの奥の細
い眼で冷ややかに見下ろしながら。
 そう、ドクター先生が戻ってきたのだ。あの酔っ払いの姿はどこ
にも見えない。その代わりに先生は右手に何かを握っていた。
「とても悲しんでおられるのです」
 そう言って、ドクター先生は地面にひざまずき、六角形の震える
肉をもつお嬢様を愛しい眼差しでじっと眺めたのだった。
「な、なによ。キショー、気色わるー!」
 はしゃいでいた娘はあからさまに顔をしかめながら、スカートが
皺になっているのにも汚れているのにも気づかないで、慌てて立ち
あがると、逃げるように俺の茣蓙を離れて行った。
「そんな青くてピクピクしてるサイコロが女の子なんて、気色わる
いのよっ!」
 娘はそう叫ぶと、急ぎ足で俺たちの元を去って行った。

(気色わるい……きしょくわるい……女の子なのに)

 トク、トク、ト、ト、トク、トク。

 お嬢様の色が、だんだんと濃い青色になっていく。いや、実際に
色は変わっていないのかもしれない。だけど俺にはわかる。俺の目
には彼女の表面に浮き出ている「采の眼」が読めるのだから。

 一から、二、そして三、四。

 くるくるとその目の数は『悲しみ』の深さを増していっている。

 五、そしてついに六。

 ト、ト、ト。

「ああっ、お嬢様、なんということ! そのお悲しみの深さは…」
 そう叫んで天を仰ぎながら、ドクター先生は俺のほうをチラと見
た。俺はコクンと肯いた。
「おおっ、マックスなのですねっ! 六なのですねっ!」
 ドクター先生がさらに嘆き悲しんだ。その様子は休日のバザール
の人目を集めないわけはなく、親子連れ、カップル、散策する老婦
人たちが俺たちのほうをじっと眺めている。
 しかしドクター先生はそんなことは気にもとめていない様子で、
右手に掴んでいた物体を大きく天に差し上げた。
「そのお悲しみをお慰めするために、ここに奉げものをいたしましょ
うぞ!」
 ドクター先生のその右手の掌には、人の拳くらいの大きさの……

 ドクン、ブルン、ドクン、ブルン。

 ……六角形の物体が載っていた!

「く、臭いっ!」
 なんだこの匂いはっ! 南国の熱気に晒されたそれは、ねっとり
した表面から、なんだか肉が腐ったような、それに、それに

「なんだこの悪臭はっ!」
「パパー、なんだかくちゃーい」
「これは、魚が腐ったようなのと…」
「酒の匂いだ!」

 そう、酒臭いのだ。

「くくく、アナタの魂は臭いそうですよ、無礼な酔っ払いのあなた
らしい匂いじゃないですか」

 ……無礼な酔っ払い?
 ……あの、あの、ドクター先生に連れられていった?

 ブルン、ドクン、ブルン、ドクン。

 ドクター先生の掌の上のその肉の振るえが、なんだかこう告げて
いるように俺には聞こえた。

(な、なんだテメェは?! 何する気だ、アーン?!)

「ふふっ」
 白衣のドクター先生が、南国の日差しの下で冷たく笑った。
「お嬢様、ご覧ください。あなたに無礼な仕打ちをしたこの男を……」

 ドクター先生は、ついっとその物体を持った右手をさらに高く天
に上げると、次の瞬間、

 べしっ。

 ぐちゅ。

 ……それを地面に叩きつけて、無造作に右足で踏み潰したのだっ
   た。

「あ…」
「パパー…?」
「見ちゃだめ、行きましょう」

 集まっていた群衆が、さーっと退いていった。

 お嬢様が『黄』色くなっていた。