暑中スペシャル
第一章 ドクターと、トラワレのお姫様


 <僕はまだ、キミの采(さい)さえも握っていない。
  寂しいよ。
  だから許して欲しい。こんな生き方をしている僕を。>

          *
  
 白き綿雲が浮かぶ青き空、風が吹くそこは草原。
 その草原の中に、白亜の建物。いや、柱と回廊のみで天井も壁も
なく、空に陽光、彼方には続く緑の草原が見渡せるその自然の中の
ただ一角だけの人工的な空間。

 そこに横たえられたテーブル。いや、敷布だけがしかれた簡素な
ベッドであろうか。
 そしてそこに横たえられた少女ひとり。淡い銀色の短髪をもつそ
の少女は、あお向けで、じっと空をみつめていた。
 
 そしてその少女をじっとみつめている白衣の男ひとり。年は四十
くらいであろうか、痩せ型の彼の黒く細い瞳は、銀露のように輝い
て風に揺れている少女の前髪を、じっとじっとみつめていた。

 その少女の細いあごの線を、じっとじっとみつめていた。

 やさしく涼しく風が吹いている、そこは采の国(さいのくに)の
辺境地帯。

「さて、脱いでください」

「……いやです」

 少女の瞳はただじっと上を、空を流れる雲をみつめている。あた
かもそれによって雲に乗って消え去ってしまいたいと祈るがごとく、
願うがごとく。

 白衣の男がゆっくりと一歩、彼女が横たわっているテーブルに足
を踏み出した。そしてゆっくりと、彼女に語りかける。

「さぁ、脱ぐのです」

「……いやです」

 白衣の男が、少女にむけてすっと手を伸ばす。気配を感じた少女
はそのときになって視線を男のほうに向けた。そして左手で胸元を
おさえながら、左肩をよじって男に背を向けようとする。
 縛られた右手首がきりっと痛む。

 そう、少女の右手首はテーブル(あるいはベッドか)の角柱に縄
で縛りつけられているのだった。そのため右手だけ万歳をしている
ような格好であお向けに寝かされている。
 そして縛られているのは両の足首も同様、彼女の自由になるのは
胸元を押さえる左手だけ。

「君のためなのです、脱ぎなさい」

「……いやです。あっ、いやっ!」

 白衣の男は右手を少女に伸ばし、その掌をずずっと強引に少女の
腰のあたりから薄い上衣のなかにもぐり込ませた。押しとどめよう
とする少女。そのか弱く(といっても意外と力はあるようだが)抵
抗する左手の指の動きを無視して、男は掌を一直線に胸のあたりま
ですりあげ、少女の柔らかな肌を、そしてあたり一帯をまさぐりは
じめた。ひたすらに、ひたすらに。

「なぜっ、なぜっ、ああっ」

 逃れようとする少女の目に映っているのは、床に散らばった彼女
の東洋風の服と武具。あの転がっている銀装の小刀は左手の自由と
引き換えに取り上げられてしまった。
 白衣の男のわき腹、そこが紅に染まっているのがそのとき男が払っ
た代償。
 しかしすでにそのときには、彼女の右手と両足首の自由はなかっ
た……。気絶していた彼女が目を覚ましたのは、左手を拘束される
直前だったのだ。

 ひたすらに、ひたすらに男は少女のくびれた腰、腹筋のあたりか
ら胸元にかけて、ひたすらにひたすらに掌をすりすりと動かしてい
る。少女の肉の感触を確かめるように、何かを探しているように、
時々指をたてながら、念入りに、念入りに。
 そして……

「いやっっ、いやっっ、あ、あぐっ」

 唐突に、白衣の男が少女の右の胸をぎゅっと掴んだ。
 ……いや、胸ではない。
 右の胸のふくらみの麓、そこにあった親指大の立方体を、白衣の
男は掌に包み込んでいた。
 そして優しく、その立方体を柔らかな少女の肉体から引き離し、
彼女の襟元からゆっくりと取り出したのだった。

「あっ、なに、なに、ああぁっ……」

 立方体が己の身体から離れるときのふつっとした、気持ちいいよ
うな気持ちわるいような、そんな奇妙な感覚に一瞬、思わず声を高
めてしまった少女。しかしその白日のもとに晒された立方体を目に
すると、呆然と、その瞳は硬直してしまった。

(これがアタシの身体から……なに、なんなの!?)

「やはりな。傷つきかけている。生まれたばかりで無茶をするから」

 白衣の男は、その立方体を淡い陽光に照らして、裏も表もをじっ
くりと観察している。

(……なんだか、恥ずかしい。裸のアタシを見られているみたい)

 少女はその白衣の男を、さきほどまでの緊張と驚きで荒れた息を
ととのえながら、横たえられているテーブルに左頬をつけるように
首をかたむけて、ぼうっと眺めていた。
 白衣の男が手にしている、少女の身体から引き離されたその立方
体、それはまるで……

「これは君のサイ、サイコロです。そして命の采(さい)、君自身
なのですよ。ほら……」

 少女の目の前に、白衣の男が手のひらを差し出した。その上に優
しく大事に乗せられているのは……サイコロ。角がまるくなってい
て球形に近いけれど、その立方体はまさしくサイコロ。

(でもなぜ? なんだか生きてるみたい。脈を打ってるみたいだわ。
 トクン、トクンって)

 トクン、トクン、トクン……!

 少女の瞳が驚きに見開かれた。そのサイコロの鼓動は、まさしく
少女の心臓の鼓動であった!

(あ、あ、ぉぁああぁぁぁっ!)

 そんな彼女の叫び、狂乱、錯乱する反応を、あたかもこれまでな
んども何度も見てきたかのような、そんな穏やかな声で、白衣の男
は少女にこう告げたのだった。

「ようこそ、采の国(さいのくに)へ、お嬢さん」

(あ、あ、あぁぁぁあああ!)

「そう、これは君の生命(いのち)です。そして私は、あなたのよ
うに東洋から来た方々からは、ドクターと呼ばれています」

(い、いのち、いのちぃぃ、アタシの……)

 草原に風が吹いている。少女のひきつったような叫びをのせて、
静かに果てしない彼方へ向かって、風が吹いている。
 
「振ってもよいですか、君のサイコロを」

(いや、だめ、いや、だめなの、いやぁぁ……)

 ふふっ、とドクターは彼女に微笑んだ。

「そう、それでよいのです。君のサイコロを振るのは、君が大事だ
と想う人のためだけです。覚えておいてください」

 白き綿雲が浮かぶ青き空、風が吹くそこは草原。
 少女の淡い銀髪が、風にのってゆらりゆらり。

 その優しく涼しい風を受けて、少女のサイコロがトクン、トクン
と、その暖かな生命を脈打たせていた。ゆっくりと、ゆったりと。