初夢スペシャル
第五章 バナナより大好きー!


 ツォンナ河岸、熱帯雨林の晴れ渡る空、降り注いだ天地を包むほ
どの豪水、浮かぶサル耳さま、その明橙色のセミロングの髪が揺れ
る可愛い肩、流されていく、彼女の背中を見ている俺、カツラギ。

 彼女が行ってしまった。
 (お兄ぃちゃ〜ん)

 彼女が行ってしまった。
 (うっきうきー! お兄いちゃん大好きー!)

 彼女が行ってしまった。
 (うっきうきー! バナナより大好きー!)

「ふっ、俺をバナナと比べるなよ」
 (だってだって、ツォンナのバナナ美味しいよぉ)
「こらこら、バナナに乗ったらだめだよ」
 (でもでもねー、セガヤったらバナナ波乗りも上手なんだもん) 
「バナナ波乗り?」
 (うきっ、こうやってね。波がきたらすーって……)

 ああっ、聖なるツォンナの流れが波濤となり、彼女を遠くへと連
れ去ってしまう……バナナに乗ったサル耳さまセガヤ、俺の愛しい
妹よ、メイメイさまよぉ……行かないでくれ!

 ……でもね、彼女は行ってしまった。バナナに乗って。
  ……ツォンナの大地の果てに向かって
   ……ツォンナ、ツォンナ、ツォンナぁぁぁ!

「ツォンナ、バナナぁぁぁぁぁあああああっ!」

 いや、待ちたまえ。
 行かないでくれ、君たちまで。
 これは夢なんだ。そうだろ、そもそも夢なんだ。

 空から、人が降ってきた。ぶつかった。
 そして、俺は気絶した。
 ほら、やっぱり夢じゃないか。俺は気を失っているんだ。

 ……ならば、目を覚ませばよい。

 目を覚ませ、カツラギ! 目を覚ますんだ、カツラギ!
 そうだ、瞼を少し持ちあげるだけでいいんだ。
 ゆっくりでいい、焦るなよ。
 光が少しずつ差し込んできた。怖くはないよ。
 外の世界が少しずつ見えてきた。うん、怖くないよ。
 青い空、木々の枝の重なり、緑の葉。淡い色の花々。
 とおく、どこまでも、優しい風がいざなってくれる、
 そうだ、ひろいひろい、広い大空に旅立とう、カツラギ。

「気がついたかい」

 桃色のツォンナ桜の狂い咲きが眩しい。
 木々の間から漏れる光に包まれて、
 俺の顔をのぞきこんでいる兵士がいた。

 目が合った。俺は大地にひざまずいた兵士の腕の中で、静かに呼
吸をしていた。生まれたての子供のように。

「心配させるなって」
 
 それが俺、カツラギと空から降った兵士との出会いだった。 

 そして、俺たちは語り合った。
 大樹の根元で、ずっと、日が暮れるまで。
 兵士の話は、人々の生活を知らぬ聖家の俺にとって、驚きに満ち
たものだった。俺が知らない風物に話がおよぶごとに、彼は版画の
ように緻密な絵を見事に地面に描いてみせてくれた。

(これが下界か。これが俺のメイメイ様が護っている人々の暮らし
なのか)

 俺は嬉しかった。
 そして兵士と俺は歌った、兵士が教えてくれた『海の鳥』という
軍歌を、高らかに。

 ♪水平線の向こうに征くぞー、(ツォンナー!)
  何があっても征くぞー (ツォンナー!)

 ……肩を寄せ合いながら。頬を寄せ合いながら。
 ずっと小さなメイメイさまと暮らしていた俺。ナナシ司令とはい
つも電声線ごしで言葉を交わすだけだった俺。 
 同じ背丈で語り合えるなんて。普通に肩を並べて歌うと頬が触れ
合うなんて。自然に息遣いが聞こえるなんて!
 ……悪くないな、こういうのも。
 俺は嬉しかったのだよ、とにかく。

 ふと、兵士が俺の瞳をみつめた。

「そういう君は、何をして生活しているの?」
「俺は……隠者。隠者カツラギ」
「愚か!」(ハッ!)

 兵士は驚きの表情で、傍らの樹木を拳でバシッと叩いた。
 ぎぎぎと擦れるような音を発して、幹が倒れた。

「……いや、世を捨てているわけではない」
「ふーん。じゃ、彼女はいるの?」
「ん、サル耳さま……いや、可愛い妹がふたり」
「愚か!」(ハッ!)

 兵士はまた驚きの表情で、地面の水溜りをバシッと叩いた。
 瞬時に弾かれた水が霧となって虹になった。

「……いや、ちゃんと愛しているぞ」
「妹じゃ結婚できんじゃない」
「……結婚、なんだそれは?」
「なんだって……なんだ?!」(ハッ!)

 兵士は天地驚呆の表情で……腰を抜かした。

「女だよ、お・ん・な。いるんだろ?」
「……妹さまか? うむ、可愛いぞ」
「いやそれは違う。好きな女と住むことだよ?」
「……やはり妹さまだな? 好きだし一緒にお住まいしてるぞ」
「愚か……ではこれでどうだ!」

 兵士は懐からひとつの指輪をとりだした。綺麗だ。
「どうだ、これで理解しただろ?」
「……うむ、これは伝承として聞いたことがある」
「伝承だって? どんな」
「……その指輪、すべすべしているな」
「ん。高価なものだから」
「……伝承に曰く、『ひとつの指輪はすべてをすべすべ……』」
「饅頭ガニじゃないっ!」(ハッ!)

 兵士は興奮のあまり薙ぎ払うように拳を振るった。俺が寄りかかっ
ていた大木がぐわっと折れ、熱帯雨林を走るシナイ河の支流を跨ぐよ
うにドサリと横たわった。
 それが天然の橋となった。

「……興奮するとよくない。俺も妹さまによく叱られる」
「誰が興奮させてるんだよ。すべすべだって?」
「……いや、それは言葉の綾だ。指輪をどうすべきかは知っているぞ」
「なんだ。驚かせるなよ。そう、その指輪を好きな……」
「……捨てにいくのだろ」
「ちっがーうのでーす!」

 そして俺は、人々の結婚という風習を学んだ。
 そうか、これも伝承で聞いたことがある。結婚者(けっこんもの)
という部族がいることを。いや、職業だったか。

 兵士はまだ結婚者ではないらしい。が腰に剣あり、胸に指輪あり。
いつでも覚悟はできているそうだ。戦士の鏡だ。
 しかし、戦場で水砲によって一部隊ごと巻き上げられ、そして俺
の頭上に降ってきたというのが事の顛末、ということだ。

 指輪を嵌める、そして空色の青い風が吹いて、幸せになる。
 これが人間の生活なのだ、と兵士は語ってくれた。

 結婚者(けっこんもの)か。

「お互い、はやく人間になりたいものだな」
 星明りの下で、俺たちは語り明かした。

 翌朝、別れの時がきた。

 俺たちは固く握手をし、抱擁し、お互いの友情を確認した。
 熱き瞬間、しかしいまは永遠と思えよ。
 頬が触れ合い、腰の剣と糧食のツォンナバナナが触れ合う。
 短き人の生命の中で、互いの心が交わったこと、忘れない。 
 胸の鼓動、吐息、熱い命の証(あかし)。
 心が震え、肩が震えた。滂沱のほとばしり、しばし。

「カツラギ、おまえもいつか、この一つ橋を渡って来いよ」

 ……そう言葉を残して、
 兵士は天然の橋を渡って、彼の世界へと帰っていった。

 俺はずっと、兵士の去り行く姿、腰に揺れる剣とバナナ、そして
その右肩にちょこんと座ってバナナを食べている明橙色の髪の女の
子を眺めていた。
 ……ん?

 「ツォンナ、バナナーーーーーーぁぁぁぁあああああっつ!」
 
     ※

 兵士は不思議な経験を思い起こしつつ、鼻歌を歌いながら、彼の
戦場を目指していた。

 ♪水平線の向こうに征くぞー、(うききー!)
  何があっても征くぞー (うききー!)

 ……うききー、だって?

 上、下、左? 誰もいない。
 まさか、右……右肩に小さな小さな、サル耳の女の子が座って、
バナナを食み食みしているではないか!

 (おいちかったよ、お兄ちゃん)

 ポイっ、とバナナを皮を投げ捨てて、奇妙な女の子は兵士の首に
両腕と尻尾で抱きついてきた。
 ……尻尾?!

 (くんくん。お兄ちゃん、ちょっとくちゃーい)

 「ツォンナ、バナナーーーーーーぁぁぁぁあああああっつ!」