初夢スペシャル
第八章 うききっ、ぱしゃぱしゃ、くちゅん!


「くちゅん。うきゅー? くちゅん、くちゅん」
 俺の肩にちょこんと乗った小さな妹女神(メイメイ)様、その可
愛らしい明橙色の髪がくちゅん、くちゅん、と揺れている。
 彼女の肩で揺れている。
 その揺れに合わせて、小さな彼女のぷよぷよしたお尻が俺の肩で
揺れている。
 くちゅん、くちゅんと揺れている。
「うきゅ、くちゅん。お兄ちゃ〜ん、セガちゃんったらね……」
 俺の右肩にちょこんと座っているサル耳さま、セガヤちゃんがく
りくりした瞳をうるうるさせて、俺の顔をみつめている。
「どうしたのっ、セ・ガ・ちゃん?」
 俺はいつものとおりその瞳にメロってしまいながら、彼女のお尻
をつんつんしたのだけど、サル耳さまはちょっとお怒りになられた
みたい。ぷーって頬を膨らませながら、こう仰ったのさ。
「セガちゃんったらね、お風邪をひいちゃったみたい、くちゅん」
 頬がいつもよりもちょっと赤くなって、そしていつもよりもちょっ
と元気がないサル耳さま。ああっ、こういうのも良いなぁ。
(愛でるべし、愛でるべし)
 ツォンナの平和のためメイメイ様を慈しみ続けることが天命であ
る俺、すなわち聖家カツラギに伝わる萌え真言を心の中で呟きなが
らも、ちょっと心配になって人差し指を小さなサル耳さまのおでこ
にちょこんと当ててみた。
 サル耳さまは、いつものウキウキ顔じゃなくて、今日はちょっと
神妙な顔をしておられる。ああっ、こういうのも良いなぁ。
(愛でるべし、愛でるべし)
 …うん、ちょっと熱いかも。
 ひゅーーーーーーーっ。
 そのとき、一陣の冷たい風が森の中をさっと駆け抜けた。
「くちゅん、うきっ。くちゅん。うきゅ〜、お兄ちゃ〜ん」
 俺はふと、空を見上げた。
 暗く曇った空が、遮るものなくはっきりと見えた。淡い太陽の光
が木々の枝をとおして差し込んできている。それはもはや夏にみた
ような木漏れ日ではなかった。
 ああ、いつ緑の葉は落ちてしまったのだろうか?
 サル耳さまと萌え過ごしたあの青春、夏の日々。それは永遠のも
のだと思っていたのに。いつのまにか、あのサル耳さまの笑顔とバ
ナナを照らしてくれた太陽は、もうすっかり弱く儚く、足元にはそ
う、緑に輝いていた木の葉がまるで萌え尽きたかのようにカサカサ
と、落ちていた。
 …堕ちていた。
 俺はじっと、その落ち葉が積もった森の地面を眺めていた。サル
耳さまも「?」という瞳で俺の視線の先をみつめている。その瞳は
熱でうるんでいる今でも、くりくりして好奇心に溢れていた。
「うきっ? お兄ちゃ〜ん、あれなーに?」
 サル耳さまが小さな指でさしたのは、木の落ち葉の間からにょっ
きりと頭をだしている菌類だった。
「あれかい? セガちゃん、あれはキノコっていうんだよー」
「キノコぉ?」
 サル耳さまは小首を右10度に傾けて「うきっ?」という眼をし
ながら人差し指を小さなお口にちょっとあてて、
「それっておいしいのー?」
 とお尋ねになられた。
「うーん、どうかなぁ……」
 俺はちょっと考えた。そのキノコをじっと見ながら、真剣に考え
を巡らせた。色は薄茶色、毒彩色の斑点などは無い。傘は丸くて、
変に割れたりはしていない。
 うむむ、よし! いやいや、もっと考えろ、カツラギよ。これは
サル耳さまにとって一大事かもしれないぞ。
 千年つづいた聖家カツラギには、このようなさまざまな妹女神、
メイメイ様からの質問に対する想定問答が用意されているのだ。
 サル耳さまに失礼がないように…。
 サル耳さまを傷つけないように…。
 あっ、そうだ! 
 ……そして俺は肝心なことを思い出したのだ。
「キノコはね、食べたらだめなんだよ〜ん、セガちゃん」
 ……危なかった。まさに危機一髪だった。
「うきーゅ? どうしてなの、お兄ちゃん?」
 サル耳さまは、ちょっとご不満のご様子みたい。
「だってね、キノコが大好きになっちゃったらね……」
 ……そして、俺はカツラギ家につたわる伝承を語った。
 むかしむかし、ある大陸のある村にキノコが大好きな人たちがい
たこと。彼らはしかし運命に流されて4人で平和だった村を出ていっ
て恐ろしい魔王と戦わなくてはならなくなったことを。 
 サル耳さまに、そんな運命を辿らせるわけにはいかない!
「うきっ? むつかしくて、セガちゃんわからないよー、くちゅん」
 ……そうだな、彼女はそんな恐ろしい世間のことは知らなくてい
い。俺がお護りして差し上げるから。
 ひゅーーーーーーーっ。
 ふたたび、冷たい風が俺とサル耳さまの頬を撫でて吹き過ぎていっ
た。もう秋なのか。いや、冬なのか。
 俺は何か、大事なことを忘れていたような気がした。
 ……なぜ俺は秋の森を彷徨っているのか?
 ……なぜ俺は左肩に寂しさを感じているのか。
「くちゅん」
 サル耳さまの小さな可愛いくしゃみが、そんな俺の迷妄を吹き飛
ばしてくれた。
「そうだ、温泉にいこう!」
 俺は力強く断言した。

「……それで、ここでのんびりと湯につかっていると、そういうわ
けですな?」
 ちゃぷーん。
 ここはツォンナ奥の秘湯。露天の森の中で、俺は岩べりに肘をつ
いた格好で熱い湯につかって、じっと向こうの茂みのほうを眺めて
いた。
 ちゃぷーん。
 (うききっ、ぱしゃぱしゃ、うきっ!)
 茂みと湯煙の向こうからは、サル耳さまのはしゃぎながらお湯で
遊んでいるお声が響いてくる。
 ああっ、ここはお風呂なり。
 ああっ、声だけ聞こえるサル耳さま、御身はいま、おはだかなり。
 ああっ、こういうのも良いなぁ。
(愛でるべし、愛でるべし)
「そして愛でし後は、萌えか、死か、いずくんぞ知らんや…ですな」
 その声の奥でキラリと光る眼鏡。
 ……そう、俺のとなりで湯につかっているのは、眼鏡の男だった。
 聖家に伝わるこの秘湯、妹女神さまをお連れして、かつその女神
さまとのとの交感度がアップしていなければ開かれないはずのその
扉。なぜ、そこに眼鏡の男が一番湯でつかっているのか?
「それはですな…」
 と言いながら、やおら木に掛けてあったコートからノートと木筆
を取り出す眼鏡の男。そしてずりっずりっと匍匐前進のような要領
で、身を低くして腕を交互に動かして湯から出て茂みのほうへと、
眼鏡をキラリと光らせながら進んでいく。
 湯煙が充満しているにもかかわらず、その眼鏡に一点の曇りなし!
まるでその萌え絵描き魂が視界を妨げるいかなるものをも容赦せず
消し去っているかのよう。
 俺は慌てた。なぜなら眼鏡の男が進む先には女神湯がっ!
 ツォンナ聖家の鉄の掟『過剰萌えにより不可侵の聖地』によって、
いかな聖守護の俺様といえども進入できない地点へと、ずりずりと
かの男は侵食を試みているのであるっ!
 (うききっ、ぱしゃぱしゃ、くちゅん!)
 ああっ、サル耳さまっ! 肩までお湯につからないとお風邪がひ
どくなっちゃうよーっ! 
 ……肩までお湯につからないと、眼鏡の男におヌードを萌え描き
されちゃうよーーーーーっ!
 俺はドキドキした。ああっ、ダメだ、だめだよっ!
「……なぜついてくるのですかな?」
 眼鏡の男が、俺の真横でキラリと眼鏡を光らせた。なぜか眼鏡の
男が俺のすぐ隣にいた。なぜだぁっ?! いつのまにいっ?!
 ……二人で仲良く匍匐前進しましょう。
 ……そうですな。
 俺たちは、萌える瞳で語り合った。人はいつか分かりあえるとは
本当のことだったんだなー。

 ちゃぷーん。

 (うきっ、ぱしゃぱしゃ、うききっ)

 目の前には孟宗竹。そしてそこが女神湯への最終防衛線であった。
まさに孟宗の竹であるっ!
 サル耳さまの蕩けるようなお声が、俺様の心の中の彼女の入浴画
像と激しく重なり合って、ああっ、めぐりあいツォンナ。

 ちゃぷーん。

 (うききっ、セガちゃんったら、お風呂だい好きになっちゃった
かもっ、くちゅん)
 (ふふふっ)

 ……誰かいる!
 サル耳さまのほかにも、誰か女人がいる!
 誰なのだ?! 甘くかつ高貴な、サル耳さまを優しく見守るよう
なその微笑声が湯煙にのって、サル耳さまのウキ声とハーモナイズ
している。
 よく考えろカツラギよ。ここはツォンナの妹女神様の専用湯であ
る。ということはあの声の女人も妹女神、メイメイ様ということに
なる。推理その壱、クリアー。
 そしてそこは湯である。温泉である。ということは、そのメイメ
イ様も脱衣されているということになる。おはだかである。推理そ
の弐、クリアー。
 つまり結論を申し上げよう、諸君。いま、このカツラギ様の目の
まえ30センチの孟宗竹の向こうに、おはだかの妹女神さまがおふ
たりもご入浴されているということなのだよ。
 わかったのかね、諸君ーーーーーっ!
 俺はとなりの眼鏡の男を、きりっと見つめた。眼鏡の男も俺をキ
ラリと見つめ返した。いま、俺の心、すなわちツォンナの大地は熱
く燃えている。彼も萌えている。萌え絵師の魂が燃えて、木筆を握
るこぶしが震えて何かを伝えようとしている。これが聖家古来の言
い伝え「祈りを超えた萌え」なのだろうかっ! そうだ、ツォンナ
が望むならば、望むならばっ、女神さまの禁断のおはだかを激筆す
るも是非なしなりっ!
 ……レディ!
 ……ゴーですなっ!
 俺の左腕が孟宗竹に延びた。眼鏡の男の右腕が筆を握りながら孟
宗竹を割って入った。そして心を合わせてオープン・セサミっ!
 最終防衛ライン、突破!
 孟宗竹を抜けると、そこは湯煙だった。
 まさに戦場の霧。ミスト・オブ・ザ・ウォー!
 眼鏡の男、ノート構え良し、射程オープン。
 俺ことカツラギ、サル耳さまへの言いわけ準備よし、バナナ装填。

 ちゃぷーん。

 そして湯霧が晴れてきた。

 湯霧の向こうには、小さな火の玉があった。

 そしてその火の玉は湯の煙霧を裂いて大きく大きくなって……

 ブォーーーーーーーッ。
 ブォーーーーーーーッ。

 (エッチッチはだめよ、ね?)
 (うきっ、お兄ちゃんったら、エッチッチぃ、うきゅっ)


『それでタツ耳さまにおねだりされて秘湯にお供したというわけか
ね』
 タツ耳さまの炎のお仕置きを受けて、あえなく撤退してきた俺と
眼鏡の男の頭上から、木の幹に取り付けられている伝声線をとおし
てナナシ司令の声が響いてきた。
「然りですな」
 俺のとなりで湯につかっている眼鏡の男は、まだ髪が燃えかけて
プスプスいっているにもかかわらず、妙に嬉しそうだった。
『まぁよしとするか…。結果的にはカツラギ君と合流できたのだか
らな』
「然りですな」
『こうして平和な聖地を捨てて運命に流された4人、そのうち3人
が再びまみえたわけだ。わかるかね、カツラギ君?』
 いや、わからない。何の話だ。運命に流された4人だって? ま
るであの伝承ではないか? 俺はキノコを食っていないぞ。
「まるでバナナキノコの伝承ですな」
 眼鏡の男が呟く。バナナキノコ? 俺は男に問おうとして目をむ
けたが…やめた。その手は目まぐるしく動き、なにやら芸術的な萌
え絵を紡ぎだしている。孟宗竹を開いたときに激しく脳内に感じた
タツ耳さまの艶なる入浴姿を描きとめているのだそうだ。それがツォ
ンナの望みなれば、妹女神さまへの功徳を積む行為となるのだ。
(愛でるべし、愛でるべし)
 それには構わず、ナナシ司令の声はなお、俺に降り注いでくる。
『では次に成すべきことは決まっておるな、カツラギ君』
 
 なんだったっけ? あぁ、何かをすっかり忘れていたような。

『伝承どおり、魔王のところに乗り込むのだよ』

 魔王、魔王……も、も、モエモエ大王っ!

 あぁ、何かをすっかり忘れていたよ。
 うぉぉぉぉぉぉぉおおおおおっ! 
 ネコ耳さまぁぁぁぁぁあああああっ!
 キミがいない日々を1年も過ごしてしまったのかぁぁあああ!
 俺を、俺を、責めてくれっ!

 (♪エッチッチぃ、はだめよ)
 (♪うきっ、エッチッチ〜なお兄ちゃん)

 湯殿の向こうから、タツ耳さまとサル耳さまの歌声が聞こえてく
る。

『カツラギ君、しばらく会わないうちに……堕ちたな』

 それが、聖家の定めなれば、あぁ、バナナキノコ。