俺たちの夢、関ヶ原
第十話 一の谷氏、驀進する

     (1)
『一の谷氏の陣中が、今日ほど沈んでいるのを、僕は見たことがなかった。
 僕を含めた日本の人々にとって、聖なる日である、九月十五日に、一の谷氏の諸将は、
 初めて悲しみを知ったように思えた。
 天神雪待、銀色の髪をもつ、僕たちの女神が、拐らわれたのだ。
 あぁ、『関ヶ原』よ。なぜ、幾多の苦難を乗り越えて、あなたのもとに辿り着いた僕た
 ちに、かような試練を課すのですか。
 それは、神のみぞ知るのか。それとも、この大地が教えてくれるのか。
 僕には、わからない…。       』 ラッキーの日記より、抜粋。

 日本の武将にとっては聖地であり、四年に一回だけ、その本当の姿をさらす〈大関ヶ原
合戦場〉に、今、ホラ貝が鳴り響く。
〈ばおぉぉぉっ、ばぉぉぉっ〉
 音は濃く立ち込める朝靄に染み透り、この大いなる大地に参集した武将と観客、合わせ
て約四十万人もの、夢を求めてやってきた人々の腹の底にまで響き渡る。
〈お願いします! おぅっ!〉
 二十万を越す兵たちが一斉に礼をし、〈大関ヶ原合戦場〉にその雄叫びが轟く。
 第三回『関ヶ原』合戦選手権が今、始まったのだ。

 この日、望羊は、呑気に礼などする気には、なれなかった。
 合戦前の礼は、徳川将軍と江戸幕府の合戦奉行に、敬意を表して捧げるものである。が、
望羊は、徳川家康の顔を想像しながら頭を下げた事など、一度としてなかった。
 では、なぜ礼をしていたのか。それが、合戦規則だからなのか。
 違う。己の心が認めなければ、たとえそれが規則であっても、平気で無視する事ができ
る望羊である。
 しいて言えば、自分自身に対して、畏敬の念を込めて黙礼をしていたのであった。それ
は、望羊の自信であり、自惚れでもあった。それが、普段の彼の、悠々とした態度を支え
ていたのだ。
 だが、今の望羊には、自信も自惚れもなかった。
「望羊、礼はしたほうがいいぜ。大名が頭を下げていないのを、合戦奉行に見咎められた
ら、出場権を剥奪されちまうからさ…」
 両虎のなだめるような、いつになくやさしい声が、脳裏に届いた。
 望羊は、それなら大名はやめる、と叫びかけたが、体の方はあっさり前に沈み、おじぎ
をしていた。精神が、反発する力さえ失しなっていたのだ。
「望羊サン、苦しい時は、祈るのがいいデスよ」
 気遣ってくれるラッキーの声が、福音のように聞こえる。
 望羊は、素直に忠告に従う事にした。そして、彼が一生で何度、口にするか分からない
感謝の言葉を、頭を傾けながら呟いた。
「〈大関ヶ原合戦場〉よ。俺たちを招いてくれて感謝しています。俺は、予選の最初は合
戦など面倒でしたが、今ははっきりと言えます。あなたのところに来て良かったと」
 望羊の、頭を下げているその秀麗な面には、救いを求めるかのような苦悩が浮かんでい
る。
「しかし、〈大関ヶ原合戦場〉よ。俺の軍師、雪待が拐らわれたのです。そして、初めて
気付きました。俺の自信は、俺自身が源ではなかったのです。いつも、のんびりとしてい
られたのは、彼女が支えてくれている、という安心感があったからだったのです…」
 望羊は、ぎりっと歯を軋らせた。先ほどまで泣き叫んでいた雪見の声が、まだ耳に痛く、
残っている。
 その残響が、祈る望羊の怒りを呼び起こした。雪待を助けたい。いや、必ず助ける! 
そういう思いが、怒濤の如く胸に押し寄せる。敵は日本で屈指の強豪大名、武田信玄。ま
ともに戦って勝てる相手ではない。だが、信玄。その顔を思い浮かべると、腹の奥から怒
りが込み上げてきて、全身が震えるのだ。
 長い間、礼の姿勢を続けている望羊の肩を、促すように両虎が軽く叩いた。
「さあ、望羊、下知をしてくれ。もう、合戦は始まっているんだぜ」
「あ、あぁ」
 望羊は、重いものに背中を押さえ付けられているかのように、ゆっくりと体を起こした。
 心配して皆んなが注視した望羊の顔は、しかし、いつも通りの薄い微笑を湛えた、余裕
を含んだような表情に戻っていた。やや、呼吸が大きいが、それは号令を掛ける前の緊張
のためのようにも思える。
「なんだ、望羊。落ち着いているじゃねぇか。安心したぜ。さぁ、一の谷軍に指示をだし
てくれ。今日は、事情が事情だし、俺たちも下知に従うさ」
 両虎は、望羊の体を軽く抱き、勇気付けようと彼の背中をさらにポンポンと叩いた。
 望羊は、一同を見渡した。両虎、ラッキー、火牛、脱兎、心猿、七夕、委蛇、そして目
のまわりを中心にして、顔全体を泣いた跡で赤くしている雪見。六馬は『そらあお』と共
に前線に偵察に出ている。ごほっ、と喉のつかえを取ってから、望羊は驚くほどの大音声
を発した。
「『関ヶ原』合戦、最初の下知を伝えます! 一の谷氏、全軍…」

 『関ヶ原』選手権の陣配置は、すでに大坂城で行われた抽選によって決定している。
 徳川幕府方の東軍の陣は、西を向き、北から順に最上氏、畠山氏、北条氏、武田氏、大
友氏、今川氏の順である。その後方の桃配山には徳川幕府軍八万が監視の目を光らせてい
る。さらにその後陣をかためる位置に織田軍三万がいて、側面の南宮山からの攻め来たる
かも知れぬ軍に対して備えている。
 西軍、豊臣太閤方は、東を望み、北から笹尾山に豊臣太閤軍の全力六万、天満山に尼子
氏、一の谷氏、上杉氏、村上氏と続く。
 それに加えて、南方には松尾山があり、毛利氏二万が北の合戦場を見下ろしている。
 また、合戦場の東南端、桃配山のはるか後方の南宮山には、北国の伊達氏と南国の島津
氏がいる。
 これらの軍が、ホラ貝の音を合図として、引き絞られた弓が放たれるように、一斉に動
き出したのだ!

 一の谷氏の本陣に、衝撃が走った。どよめきが起こった。
「な、なんだって。望羊、もう一度、言ってみろよ!」
 両虎が彼らの大名に詰め寄る。
 望羊は、穏やかな表情を変えないで、下知を繰り返した。
「一の谷氏、全軍、転進します!」
「逃げるってことじゃねぇか!」
 同時に、ぼくっと鈍い音がした。望羊の頬に、両虎の拳が入ったのだ。
「雪待がどうなってもいいってのかよ」
「うぐっ…。俺の下知に従うといったのは両虎ですよ」
 望羊は、頬の痛みを無視して、さっと軍配で両虎の額を指す。一の谷家直伝の『羊角の
軍配』である。
「むっ!やるのかよ」
 両虎は、望羊を睨み付けながらも、たじろいだ。火牛の持つ炎を発する『牛王の太刀』
と同じく、『羊角の軍配』も妖力を有している。両虎の手が、腰の『虎牙の剣』を探った。
「二人、やめろ」
 その時、低い、言葉数少なな声と共に、筋肉質の大男が現れ、背後から抱えるようにし
て両虎の動きを封じた。
「火牛、なぜ止める。おまえの姉をこの臆病な大将は見捨てるっていってんだぜ!」
「俺は、望羊を、信じる」
 天神火牛がぼそっ、と重低音で呟く。両虎のいう通り、雪待、火牛そして雪見は兄弟姉
妹である。
「俺と違い、雪待は勝気だ。むざむざと信玄の魔手には、落ちん。それまでに、助ける」
 火牛の、表面は静かだが内面は燃えている眼が、望羊を見詰める。望羊も火牛に、誠意
を込めて視線を返した。
「感謝します、火牛」
 望羊は、一呼吸置いて火牛に頷く。そして、他の武将の顔をもう一度眺め渡した。
「さぁ、早く行軍しないと正面の武田騎馬軍団が突っ込んできますよ。急いで、西へ後退
します!」
「おっ、おおぅ!」
 武将一同は、まだ戸惑いながらも、各々自分の部隊に散らばった。そして、素早く陣を
払い、潮が引くように瞬くうちに全軍後退を開始する。
 指揮する武将が動揺しているといえども、一の谷氏は元来、逃げるのが得意である。と
いうよりも、正面からの正攻法以外の攻撃がお家芸なのである。速い。両隣の味方である
尼子、上杉軍が気付いた時には、西軍の戦線の一の谷氏がいた場所に、ぽっかりと穴が開
いていた。
 だが、この神速の撤退をなす一の谷氏の中から分離して、正反対の方向へと別行動をと
る一隊があった…。

 桃配山の徳川将軍家の本軍は、まだ戦闘に参加していない。高みの見物の状態である。
陣幕のいたるところに、「厭離穢土欣求浄土」と黒書された幟が翻えっている。
 征夷大将軍徳川家康は、西南に広がる眼下の盆地平野での激闘を見ながら、軍師に戦況
を尋ねていた。
「そろそろ、開始してから一刻になりまする。左翼は、今川と大友の大軍が、西軍戦線を
突破する事に成功したようですな」
 老軍師、本多正信が、口を開いた。
「うむ」
 家康は、満足げに頷く。
「中央は、我が方の武田と、西軍の上杉が、激しい戦を展開しておりまする」
「うむ。双方とも強兵である。決着は当分つかぬであろうよ」
 野戦好きの家康である。言葉の響きに、興奮が混じった。
「ただ、我が東軍の右翼は、すでに存在しておりませぬ。全軍壊滅に御座る」
 正信は、老顔の皺一つ動かさず、淡々と報告をする。
 そこに満ち満ちているのは、大坂太閤軍の六万人強の軍勢であった。福島正則、加藤清
正という猛将二人を先鋒にして、一直線に徳川軍を目指して行軍中である。
 家康は、この戦線を見て、しきりと爪を噛み始めた。怒っているのである。もっともで
あった。今回の『関ヶ原』で決定的に叩きのめす筈だった豊臣氏が快進撃をしているのだ
から。
「秀吉の猿め、やりよるわい!」
 その、家康と正信の眼中には、敵前逃亡した弱小一の谷氏など、かけらもなかった…。

     (2)
 一の谷氏がいなくなった天満山の一角で、白馬の躯を撫でながら、呆然と佇む少女がい
た。合戦装束を身に纏っている。かなり長めの白銀色の帯の余りが、甲冑の下からはみ出
して、腿のあたりで不安定に揺れている。
「雪待姉さん、雪待姉さん、どうしよう…、どうしたらいいの私…」
 雪見は、姉の身を思って錯乱した心が耐えきれず、ついに倒れるようにして愛馬『はつ
はな』の首にしがみついた。
 東方から、多数の騎馬が駆ける、どどどどっ、という地響きが伝わって来る。敵である
東軍の武田氏の騎馬軍団が突撃を開始したのだ。すぐにこの場所も、武田軍団の軍馬の蹄
の下となるだろう。
 雪見の心は全く空回りをしていた。焦燥が、天性の陽気さを覆いつくしていた。姉の雪
待の姿が、脳裏で明滅していた。
 何かを、早くしなければならない。
 このままでは、大好きな雪待姉さんに、もう会えなくなるのではないか。不意に、この
恐ろしい仮定を思いついた途端、雪見は、心臓が絞られ、汗が全身から、淡雪のような白
い肌に、沸き出るのを感じた。
「私が、私だけでも助けに行ってあげないと、雪待姉さんがかわいそうよね…」
 雪見は、失神寸前のように、『はつはな』から離れ、ふらふらと前へ歩を進めようとし
た。が、松の根に足をとられて、のめりそうになる。
 その瞬刻、滑るように雪見に走り寄り、馬上からその華奢な体を支えた若武者がいた。
 青雲色をした髪を靡かせた若武者と、空色の駿馬。関守六馬と『そらあお』である。
「六馬!あなたどうしてここに…?」
 雪見の潤んだ眼が、問いかけるように六馬を見上げる。
 雪見は、このまま敵の軍団が突撃した時に、死んでもいいなと考えていた。そこに、六
馬が現れたのだ。
 姉を思って心が塞がり、彼の事は考えずに、夢遊病のように漠然と、覚悟を決めていた。
それに思い至ると、自分を見詰め返してくれている六馬の済んだ瞳が、雪見には痛く感ぜ
られた。
「ご、ごめんね。私、また六馬の事を忘れてしまっていたわ。勝手に、討ち死にしようと
していたのよ…」
 とうとう、雪見の頬に、大粒の涙が流れる。
「雪待が、拐らわれたんだってね」
 六馬は、雪見の謝る言葉を、気にしていないというふうに、わざと聞き流した。
「さぁ、じゃあ早く雪待を助けに行こうよ。急げば、今日の『関ヶ原』が終わるまでに、
武田信玄から奪い返すことが出来るよ」
 六馬は、雪待を馬上に掬い上げ、雪見をやさしく抱いた。
 雪見の双眸から溢れる涙の量が、六馬が側にいるという安堵感を得て逆に、一気に増し
た。それが恥ずかしくて、雪見は顔を、六馬の膝の上に伏せた。
「もう、泣かないで。僕と『そらあお』が、すぐに雪待を助けだしてあげるよ」
 六馬が、俯いた雪見の耳元で、明るい声で励ました。
「そうしないと、楽しい『関ヶ原』にならないだろう。そんなの、僕も嫌だから」
「ごめん、六馬。私が、泣いてばかりで、楽しく、ないよね…」
 雪見は、涙で喉を詰まらせながらも、渾身の力を使って言葉を絞り出している。
「これは、戦争なのよね。敵になにをされたって、それは仕方ないのに…」
「違う、それは違うよ!それじゃぁ、楽しくないじゃないか」
 六馬は、慌てて否定をし、手を差し入れて、無理やり伏せていた雪見の顔を起こした。
そして、その濡れた顔に、自分の顔を接近させた。
「楽しく『関ヶ原』を駆ける事が、僕の夢だったんだ」
 六馬は、雪見の目を見ながら、お伽話をするようにゆっくりと、語りかけた。
「実は、僕は幼馴染みの両虎と、ちいちゃな頃から約束していたんだ。一緒に『関ヶ原』
に征こうって。そして、一杯楽しもうって」
 六馬は、雪見の愛馬『はつはな』にも付いて来るように呼び掛けて、『そらあお』を東
の激闘地に向けて走らせながら、続けた。
「せっかくその夢が叶ったのに、奴も僕も、雪見までが悲しんでいるなんて、耐えられな
いよ」
「私と、姉さんのせいね…。本当に、ごめんなさい…」
「ううん。それに、雪待は雪見の大事な姉さんだから、僕にとっても大切な人だしね…。
だから、征くんだ!」
 六馬は、少しはにかみながら雪見を強く抱いた。そして、さわやかに『そらあお』と
『関ヶ原』の空に跳んだ。

 一の谷氏はひたすら、駆けに駆け続けた。全軍、特に武将たちは燃えていた。
「そうかい、そういう訳かっ。ははっ、やるじゃねえか、我らが望羊の旦那もよう!」
先陣を切っているのは、両虎である。彼は今、敵陣を目指し、それを斬り崩すことしか頭
になかった。
 これは、火牛、脱兎、心猿、七夕の一の谷氏の武将たちも同じである。もちろんの事、
ラッキーもであり、勢いこんで西洋馬を操っている。
 最初の陣地から、論争を伴いながら退却をして、味方の西軍の後方に回り込んだ時、一
の谷氏の『関ヶ原』はこれまでか、あとは神戸を目指して落ち延びるのみか、と武将の皆
が思った。そして、言い様のない怒りを、望羊に向けていた。
 しかし、ここで突然に、その望羊が大号令を下したのである。
「全軍、左方へ半転!上杉軍の後方を抜けて、戦場に再登場しますっ!」
 一瞬の間を置いて、一の谷全軍から歓声と雄叫びが轟いた!
「一体、どういう事だよ、望羊」
 両虎が、極度の興奮で全身を震わせながら、望羊に歩み寄った。狂喜している顔も、そ
れが突然すぎて、半ば引き攣っているようだ。
「もう少しで、望羊を叩き斬って、指揮権を剥奪してやろうとしていたんだぜ!」
「それは、危ないところでしたね」
 望羊は、余裕のある笑顔で応えた。しかしそれは、いままでの慢心からの余裕ではない。
その双眸が持つ光の強さが、明白に違うのだ。猛々しさがある。隠していた怒りを露にし
た、と言っても良い。
「武田氏とまともにぶつかっては勝ち目はない、犬死にでした。だから、一旦逃げる事で、
その相手を上杉氏に任せたのですよ」
 望羊の説明は朗々と、一の谷氏の諸将に届いている。
「さぁ、逃げはこれまでですよ。側面から回り込んで、憎っくき信玄めを奇襲してやりま
しょう!」
 望羊にしては、珍しい激語である。だが、この場合は効果が十分にあった。全軍がこれ
を聞き、闘志で波打つように震えるのが、望羊に跳ね返ってきたのである。
「望羊、俺は、信じていた。この意気なら、信玄でも幕府でも、倒せる」
 火牛が、望羊に握手を求める。
 火牛の手を堅く握りながら、望羊も応える。
「えぇ、信玄なんていう旧世代の人間に、雪待と、一の谷氏の楽しみを奪われてなるもの
ですか。撃滅、信玄ですっ!」

 遅れ馳せながら、一の谷氏の『関ヶ原』初の戦闘が始まった。戦端を開いたのは、御幸
両虎である。
 両刃の『虎牙の剣』を軽やかに振るう両虎にとって、これは快戦であった。
 両虎の手持ちの兵は僅か二千。これで、眼前に現れた一万二千の伝統ある大名、今川家
に正面攻撃を仕掛けたのである。いくら、気合いが充実しているからといえ、楽天家の両
虎も全滅覚悟の突撃だった。
 それがである。出会う今川の兵は、ほとんどが戦闘の準備ができておらず、慌てふため
いてほうほうのていで逃げて行くのである。
「どうしたってんだ、一体?」
 両虎は、不思議に思いながらも、しゅぱしゅぱ首を取っては、首印を集めて回るのに忙
しい。
「両虎サン、こやつら飯をくっていたようデスよ」
 ラッキーが追い付いたようだ。彼は、拐らわれた雪待を助ける戦が始まったとたんに、
騎士道精神を発揮して、興奮状態。すでに狂暴兵と化している。
「うわっ、ラッキーさん、こっちへ来るな。俺は味方だぜ!」
 両虎は荒れ狂ったラッキーの恐ろしさを知っているので、慌てて逃げ出そうとする。
「大丈夫デスよ、両虎サン。『関ヶ原』に来て私はパワーをコントロールできるようにな
りました。今は〈首取ったり主義〉者の名に賭けて、獅子奮迅の働きをするのみデス!」
「本当かい?そうか、そりゃ良かった。それよりも、今川のやつらが弁当を食っていたっ
て?」
「イェス、討った敵兵の口の回りに飯粒がついているデス」
 ラッキーは、剣を振るう手を止めずに、両虎に叫ぶ。
 『関ヶ原』の最中に、いくらこの方面の敵軍を撃破したからといって、今川氏の信じ難
い油断であった。そこを両虎が襲ったのだ。たちまち、大混乱である。
 このような混乱状態の兵では、いくら数が多くとも、戦闘準備万端かつ闘志十分の、一
の谷軍の相手ではなかった。
「ははっ、いいねぇっ、『関ヶ原』って。合戦人生、こうでなくちゃならないぜ。快感、
快挙、欣快、快楽ぅ! さぁ、一の谷氏の皆々も楽しめる時に思いっ切り楽しもうぜ!」
 『虎牙の剣』が抜き差し舞う度に、今川の押し合いへし合いしている混乱兵が、すぱっ、
すぱっと消えていく。両虎は、しなやかな猫科の筋肉を秘めた長身を、踊るように滑らせ
ながら快哉を叫んでいた。
「こりゃ、いけるぞっ!ようし、信玄、待っていろよ!」
 一瞬にして、今川兵はほとんどが壊走してしまった。
「へっ、さすがに少し疲れたぜ」
 両虎は、今川の本陣の休息跡と思われるところで、和菓子を発見すると、そこで一服を
することにした。ラッキーは、逃げ遅れた今川兵を掴まえては、首を取っている。
 ラッキーが味方でよかったと、しみじみと両虎は感じていた。
「しかし、今川家が奇襲に弱いという噂は聞いていましたけど、これほどとはね。『関ヶ
原』一瞬先は闇ですねぇ」
 望羊が着いた時には、今川兵は完全に消滅していた。
「とにかく、信玄を倒すまで、出会う敵はことごとく撃滅します!」
 ラッキーの誓いの文句を引用し、望羊は心を引き締めた。