俺たちの夢、関ヶ原
第九話 朝靄に雪待消える

     (1)
『         9/15/1612
 ラッキー・ピシーズ
 ロンドンより海原を来たりて
 遂に、関ヶ原に立ち
 向かう敵はことごとく撃滅せんと誓う
 願わくば、彼方の故国に錦を飾らん 』

 早朝、太陽が昇っておらずまだ薄暗い平野で、一人の青年武者が、松の大樹にナイフで
文字を刻んでいる。終えると、彼は愛しそうにその跡を指でなぞった。
「僕は、僕の夢のために、迫り来る敵はことごとく撃滅する!」
 樹の幹に彫りこんだ言葉を口にして、誓いを心にも刻みこもうとしている。青年の碧眼
が希望を宿して、薄夜に光る。
「父さん、母さん、僕はここまで来たんだよ。『関ヶ原』なんだ。武勲を上げて、有名に
なって帰ったら、思いっ切りびっくりした顔をして僕を迎えておくれよ」
 ラッキーは、故郷に送ろうとするかのようにメッセージを呟くと、地面に跪き、大地に
キスをした。彼と、そして日本にとっての聖地である『関ヶ原』に、愛と畏敬をこめて。
「そこにいるのはラッキーさんだね! いったい何をしているのさ」
 ラッキーが、何だろうと顔を上げると、そこに空中から物体が落下してきた。うひゃ、
と叫んでラッキーは後ろにのけ反り、尻餅をついた。
「ごめんなさい、アタイたちが近寄ったのに気付かなかったみたいね」
 さらに別の声が重なった。活発な印象をいっぱいに含んだ少女のものだ。
 動転しながらも、ラッキーは薄闇に眼を透かして、前に立った二つの影を確かめた。脱
兎と七夕が、愉快そうにラッキーを眺めている。
「ラッキーさんも早くから眼が覚めたようだね。僕たちもそうなんだ。だって、『関ヶ原』
なんだからね!」
 脱兎は、しゃべっているうちに、だんだんと興奮が高まってきたのか、ぴょんぴょんと
飛び跳ねだした。
「まだ、日の出まで一刻ほどあるわよ」
 七夕の姿は、黒髪が闇に溶けてうっすらとしか見えない。胸につけている紅玉の光だけ
が、彼女の立つ位置を示していた。肩に長い棒状のものを掛けている。鉄砲のようだ。
 脱兎のほうも、よく見れば背中に弓が揺れている。
「まだ合戦は始まらないのに、完全武装デスね」
「うんっ! 落ち着かなくってさ。早く始まってくれたらいいなと思うよ!」
「アタイは、ちょっと複雑な気持ちね。この緊張感は、好きやから。ずっとこのまま、待っ
ていたいような気もするわ」
 七夕は、ラッキーが文字を彫った松の根元に、腰をおろし、夢を見るような眼で『関ヶ
原』の平野を眺め渡した。
「ほんまに気持ちいいわ。アタイは思うの。ずっと、こんなに幸せな感じでいたいって」
 七夕の純粋な、透明な心から発せられた、言葉であった。
 ラッキーはそれを聞いて、自分がいつのまにか、武勲を求めることだけに囚われていた
ことに、気が付いた。七夕と脱兎は違う。素直なのだ。『関ヶ原』の大地で息をしている
ことさえも、自然な喜びとして、受け止めている。
 ラッキーは、自己の狭い心を恐れた。僕は、『関ヶ原』を利用しようとしていただけな
のだろうか。本当に愛してはいなかったのだろうか、と。
「七夕サンや脱兎サンは、『関ヶ原』の雰囲気を楽しんでいるデスね。私は手柄を立てる
ことで頭が満杯でした」
 ラッキーは深く反省をした。日本人は、楽しむために『関ヶ原』を求めているのだった。
つい、自分の栄誉に執着して、大事なことを忘れてかけていた。
 その時、頭上を覆う松の枝の間で、カサカサという音がした。
「それでいいと思いますよぅ」
「ぎゃっ!」
 一瞬後、松の幹を伝って、ずるずるっと、影が根元に這い降りてきた。ラッキーと七夕
は同時に絶叫して、腰が砕け、反射的に四つ這いになって逃げた。
「そんなに驚かなくてもいいと思いますよぅ」
 影はぬるっ、と地面に軟着陸をした。
「驚かしっこはなしだよ、委蛇! ラッキーさんと七夕が腰を抜かしたじゃないか」
 脱兎だけは慌てずに、ぽんっと跳ねて、影に話しかけた。
「済みませんですよっ」
 と影、いや一の谷氏の武将、稲葉委蛇が、怯えているラッキーに謝る。若い青年だが、
目の輝きが、老成しているように落ち着きすぎていている。そばにいる気配を、まったく
感じさせなかった。
「委蛇はいつも考えごとをしているんだよ。哲学者じゃないって、本人は言ってるけどね」
 脱兎が、細身の、突然の登場者を紹介した。
「委蛇がいるっていう、気配がなかっただろ。それは見える世界には心を置いてないから、
存在感も消えるからなんだって」
「一の谷氏にはこんな変な武将しかいないデスか!」
 ラッキーは地面にへたりこみながら、抗議をした。七夕もおおげさにうんうんと頷いて
いる。
「ええっ、望羊や委蛇はそうかもしれないけど、僕は普通の武将だよ…!」
 脱兎の反論は、その場の誰からも、受け入れられなかった。
 ゆったりとそれを遮って、委蛇が口を開いた。
「まぁ、良いではないですか。それよりもラッキーさん、あなたのように武勲を求めるの
も、大いなる『関ヶ原』に参加する目的の一つなのですよっ。それを『関ヶ原』研究家は
〈首取ったり主義〉と名付けています」
「クビトッタリ…?」
 ラッキーは聞き慣れない言葉にきょとんとして、委蛇に歩み寄る。
「そうですよっ。そして、脱兎や七夕さんのように純粋に『関ヶ原』にくること自体に喜
びを見出だす武将は〈関ヶ原至上主義〉者と呼ばれます。いわば『関ヶ原』に魅入られた
人々ですね」
 委蛇は、目の前で聞き入るラッキーを気にも留めず、淡々と講義を続ける。気配を感じ
させないので、あたかも闇から声が生じているようである。
「勝敗や戦果は関係ないデスか?」
「その通りですよっ。勝ち負けは武運に委ねて、『関ヶ原』の時間の流れに身を任せるの
ですよっ」
 この時、新たな声が会話に加わった。
「〈関ヶ原至上主義〉ですって! 違うわよ。一の谷氏の面々は、楽しければなんだって
いいのよ。つまり、遠足気分ってわけね!」
 落ち葉を踏んで歩み寄ってくる音が響く。そのさくっ、という音がした淡い闇の空間に、
金白色の帯と銀色がかった髪の流れが、揺れながら光を放っている。
「雪待だね、おはよう!いい合戦日和になりそうだね」
「おはよう、脱兎。おはよう、皆んな。『関ヶ原』合戦まであと半刻ね」
 美貌の軍師、雪待が、全体を白と銀色でまとめた、女性用に軽めに作られた鎧を纏って
現れたのだ。胸にかけた黄玉の輝きだけ色が違い、これが装束の美しい白さを強調してい
る。
「朝から集まって、今日の作戦を立てていたっ、ていうのではなさそうね」
「雪待さん、アタイたちは『関ヶ原』初体験なのよ。だからこの合戦場の雰囲気に圧倒さ
れて、目がさえてしまって…」
「いいのよ、七夕さん。私だって『関ヶ原』のことが頭から離れなくて、昨日の夜からろ
くに眠っていないんだから」
 雪待は、七夕にやさしく微笑みかける。だが、その声には気迫が籠っていて、これまで
で最高の軍師を演じようという決心を発散している。
 それに影響されて、ラッキーの心の中に、これまでの予選での激闘が思い出されてきた。
京の町衆、雑賀鉄砲隊、そしてお市の方…。そうだよ、ベストをつくして闘いさえすれば、
手柄や武勲が目的でも良いじゃないか。
「私は、やっぱり〈首取ったり主義〉者のようデス。悔いの無い『関ヶ原』にするように、
力の限り首を取りますデス!」
 ラッキーは、かすかに明るくなってきた〈大関ヶ原合戦場〉に響き渡る大声で宣言をし
た。僕はロンドンに英雄として凱旋するんだ、と自らの宣誓をしっかりと胸に叩き込んで!
 
「雪見殿、雪見殿っ。起きて下さりませ」
早朝、まだ朝日が昇るか昇らないかの刻限である。靄がかかっている一の谷氏の本陣では、
まだ半数ほどの者は眠っている。その中の一人の、銀色の短髪をした少女の顔を覗き込ん
で、呼び掛ける男がいた。
「ううん、まだ暗いよぅ」
 少女は、瞼をちらっと開けて、周囲の暗さを確認すると、ごろりん、と寝返りを打って
眠りに戻る。
「仕方ない。かわいそうじゃけど…」
 表情を変えずに呟いた男は、全身を黒装束で覆っている。彼は、腰から水筒を外すと、
満足した表情で眠っている少女の首筋に、ポタポタポタッ、と水滴を垂らした。
「きひゃっ、なになに何よっ!」
 少女は、冷たい液体を首から胸元にかけて感じた瞬間に、ばっと飛び起きた。きょろきょ
ろ首を巡らせること数回で、ようやく頭がはっきりとしてきて、ついに枕元に片膝を付い
ている黒い人影を確認した。
「だ、誰っ! 六馬? 雪待姉さん?」
「しっ。お静かに」
 黒い影はばたばたと全身で驚きを表現している少女を制止した。
「天神雪見殿ですな。拙者は毛利家の武将、村上早緑からの使いの者にて、源五郎と申し
まする」
「えっ、早緑から!」
 忍者の名乗りを聞いても、雪見は最初はきよとんとしていたが、早緑と聞いた瞬間に、
眠りの世界にいた眼をぱっと輝かせた。
「はっ、書状をお持ちしております」
「早緑が手紙をくれたのねっ!」
 雪見は、毛利の忍者、源五郎が懐から出した書状をひったくると、わくわくしながら読
み始めた。その表情が、喜びで弾ける。
「早緑っ、私たち『関ヶ原』で一緒に戦えるのねっ! どんなに強いのかな、早緑って…」
 元気一杯に寝所から跳ね起きると、雪見は着替えを始めようとして、源五郎の存在を忘
れていたことに気付いた。
「ありがとう、毛利の源五郎さん。早緑に、楽しみにしているわっ、て伝えてちょうだい
ね」
「はっ、承って候」
 源五郎には、雪見の心底からの反応が微笑ましかった。そして、忍者の職業病である無
表情を少し和らげた。
 そして、少女の元を去り、秋冷の関ヶ原、黎明の靄の中を走り抜けた。

     (2)
 薄明が、しだいにあたりの闇にとって代わろうとしている。『関ヶ原』合戦は、もうそ
ろそろ開始を迎える頃である。
 雪待がその朝靄の中を、望羊と作戦の相談をするために本陣へと向かっている。
 合戦の作戦のほとんどは、雪待が一人で立てているのだが、それでも望羊がいつものの
んびりとした態度で賛成してくれると、嬉しいのだ。どんなに危うい策でも、不安が消え
ていくように感ぜられる。戦を控えて高ぶっている神経が、不思議と落ち着くのだ。
 雪待は、歩を急ぎながら、夜明け前のラッキーや七夕の会話を、思い出していた。
「ラッキーさんは〈首取ったり主義〉だったのね。そういえば、うちでまともに計算でき
る戦力っていったら、彼ぐらいのものね」
 雪待は作戦を、すでに立てていた。真面目に合戦で闘おうとしている武将が、途中から
参加した南蛮人の瓦版記者だけでは、できることは限られるわよ、と思う。
「望羊のなりゆき主義を始めとして、他の皆んなも自由気ままに走り回るつもりなんでしょ
うね」
 雪待は、今回は最初から、それを許すつもりでいたのだ。つまり、何も命令はしないか
ら自由にしろ、というのが雪待の決めた作戦なのだ。
「まぁね、ここまで勝ち残ったご褒美、ということにしましょう」
 また、一の谷氏の面々を放し飼いにしたら、どんな行動をとるのだろうかと想像すると、
可笑しくなってきた。
「望羊は、さしずめ安全な所で昼寝でもするのでしょうね」
 一の谷氏の一般の兵はまだ眠りについている。他の陣営では、夜明け前から慌ただしく
合戦準備をしているのだが、ここだけは、早朝の静寂が、まだ残っている。一の谷氏はの
んびりしているのだ。勝敗にこだわらず合戦を楽しむ、という気風が、武将から農民の志
願兵に至るまで、行き渡っているのだ。
 雪待は、誰も見ていないのを確かめて、むんっと背伸びをするように、天に両手を突き
出して、肺の空気を吐き出すように叫んだ。
「でもねっ、私は〈御味方勝利主義〉者なのよ! 他の大名たちと同じでつまらないかも
知れないけど、本当はまともな合戦をして勝ちたいのよっ!」
 〈御味方勝利主義〉とは、味方の大名の勝利のために、己を犠牲にして尽くすという合
戦方針である。この時代、大部分の武将は、この旧来の考え方に執着していた。
 そこに突然、濃い朝靄の中から雪待の声に唱和が起こった。
〈私は〈御味方勝利主義〉者なのよ〉
〈まともな合戦をして勝ちたいのよ〉
〈私は一の谷氏じゃ、満足できないわ…〉
「誰っ!木霊の術ね。私は一の谷氏の軍師であることに満足しているわ!」
 雪待は叫び返しながら、周囲を見回して声の主を探した。
 視界が白く、靄で遮られてはっきりしないが、よく訓練された集団に取り囲まれている
のが、気配で感じられる。雪待は、己の油断に舌打ちをした。『関ヶ原』開始半刻前の魔
の時間。過度の緊張が、開始の合図に間があるために、少しばかり緩む時…。
〈お主は一の谷氏の軍師、天神雪待殿に間違いないずら。拙者は、武田信玄公に仕える者〉
「武田信玄っ?信じられないわ。一の谷氏ごときに精鋭の忍者集団〈三つ者〉を派遣する
なんて」
 雪待は、相手の忍者が甲斐の虎といわれる強豪大名、武田信玄の手の者であると聞き、
驚愕した。
 なぜなら、雪待の軍師としての常識では、理解できないからだ。どうして信玄が、戦局
に影響がありそうもない、弱小一の谷氏を狙う必要があるのだろうか。確かに武田氏の陣
は一の谷氏の正面だが、踏み潰そうとすれば容易にできるほどの戦力差があるのだ。
〈ふふっ、信玄公は戦では最大の利益を求められる。ただ、一の谷氏を壊滅させるだけで
は意味がない〉
「じゃぁ、何が目的なの!」
〈知れたことよ。それは人材、つまりお主が目的だ。お主はおなごの身でありながら、か
なり優秀な軍師だ。この俺とお主が組んで、武田家の戦略を立て、武田騎馬軍団の戦術を
考えれば、いつかは幕府さえも倒せるずら〉
 影の一つが、序々に濃くなったかと思うと、それが実態化して醜い男の姿となった。も
ともと容貌が並よりも劣るのに加えて、戦で傷ついたのであろうか、左眼が潰れ、脚を引
きずっている。だが、その体には、恐ろしいばかりの闘気が蓄えられているのが、軍師の
雪待には読み取れる。
「武田家の伝説の軍師、山本勘助! まさか? 山本勘助は、武田軍団の宣伝のためにでっ
ちあげられた架空の人物の筈だわ」
 そう、全国の軍師なら誰でも知っているのだ。信玄の知恵袋として、武田騎馬軍団の破
壊力を何倍にも増す策を授けていると語られる、幻の名軍師の名と容貌を。
「架空の武将なら、ここにいるかよ。拙者、山本勘助は実在しているのだ」
 勘助が、ひょぃと口笛を吹くと、雪待を包囲していた影の輪が、すっと狭まった。影は、
有無をいわさず、雪待の肩に手刀をいれ、崩れたところを縛り上げた。
 忍者の適確な一撃を受けた痛みで、気が遠くなろうとする雪待の耳に、勘助の低い呟く
ような声が響いた。
「これで、武田氏は軍師が二人だ。さらに、くくっ、この美貌を信玄公が見逃す筈はない
ずら。側室も増えることになるずら」
 雪待は、薄れる思考の中を、ぞっとする戦慄が走るのを感じた。が、痛みで、腕に抵抗
する力がはいらなかった。ただ、無意識に胸の黄玉を握り締めただけであった。
 山本勘助と〈三つ者〉は、消え去った。が、一流の忍者である彼らでさえ、気が付かな
かった。この一幕を、林の中に隠れて、じっと見ていた者がいたことを。
「大変なことになったな。拐らわれたは雪見殿の姉上の雪待殿か。我がお館様と早緑殿に
ご報告せねばな…」
 雪見に書状を届けた毛利の忍者、源五郎であった。だが、さすがの彼でも、闘うには相
手の数が多すぎた。また、下手に手を出せば、毛利氏と武田氏との開戦理由にもなりかね
ない。
 その代わりに源五郎は矢立てと紙を取りだし、雪見に事件を伝達する報をしたためた。
それを傍らの木に、目立つように括りつけた。
 友人からの手紙を無邪気に喜んだ、あの愛らしい雪見の表情が、この書状を見たらどの
ように変化するのかと、ふと考えると、源五郎の心は冷たくなった。が、すぐに毛利家の
ために生きる忍び、無表情な源五郎に戻る。
「ひゃぃ!」
 と掛け声と共に、源五郎は南の松尾山に陣する毛利氏への帰還を急いだ。
 この源五郎の急報は間もなく、望羊が朝の散歩の最中に、発見するのであった。それは、
遊び気分で『関ヶ原』を楽しんでいた一の谷氏の諸将に、厳しい戦の現実を、突き付ける
こととなる…。

 バンッ! という銃声と共に、どさっと一人の忍者が空中から落下した。
 ピヒュン! という弓を放つ音と共に、ぐはっと一人の忍者が枯れ葉の中に崩れ落ちた。
「どう、アタイの鉄砲の腕前は!」
「どんなもんだい、オイラは弓で、動く物体を狙うのが得意なんだ!」
 脱兎と七夕が、互いの武器の技量を自慢しあった。
「もう一人、忍者が出て来たら、決着がつくのになぁ」
「そん時はアタイの勝ちに決まっているわ。鉄砲の弾の方が速いんだから」
 互いに相手の顔を睨み合う。と、すぐに双方とも、にやりとして笑い転げた。
「でも、開始の合図の前に、敵サンを倒してしまったデスけど、いいのデスか?」
 ラッキーが、二人の戦果に狂喜しながらも、ルール上心配になって、問うた。
「大丈夫ですよっ。敵陣に侵入した兵を討った場合は、偵察兵または忍者と見做して、戦
果として計算されますよっ。それより早く、首印を取りなさいな」
 ずっと落ち葉の上にあぐらをかいたままでいた委蛇が、ラッキーに答えた。
「そうだったね、忘れるとこだったよ。七夕、行こう!」
 脱兎は、一跳びして落ちた忍者の傍らに着地をした。そして、忍者の死骸の襟元を探る。
「脱兎サン、ひょっとして、首を切って持って帰るデスか」
 ラッキーは、生理的に怯え、鳥肌が立った。これまでの合戦では、敵兵を殴り倒しても、
首そのものは落としたことがなかったからだ。
「そんなことはしませんよっ。第一、重いでしょう? 属する大名家の認識票を斬り取る
のですよ」
 委蛇が、口を薄く開いて笑った。年齢は望羊や雪待とたいして変わらないらしい。が、
なにかこの年にして、俗世離れしている印象を与える。
「認識票デスか?」
「ラッキーさん、これだよ、これ」
 脱兎が、手のひらと同じくらいの大きさの正方形の布切れをラッキーに見せた。
「今の忍者の首印だよ。菱形の家紋が描かれているね」
「アタイのも菱形よ。これは武田菱。とすると、武田信玄の軍の忍者やったようねぇ」
 七夕も嬉しそうに、首印と称する布切れを握り締めて戻ってきた。
「武田信玄というと、強い大名デスね。でも、どうして信玄ドノが…」
 ラッキーは、脱兎の取った首印を珍しそうに観察しながら、尋ねた。
「そんなこと、どうでもいいよ! 首が手にはいったんだから」
「そうよ! 脱兎、今日の『関ヶ原』が終わるまでの首取り勝負をしようか?」
 完全に楽しんでいる。ラッキーは焦った。〈首取ったり主義〉の自分が、遊びで合戦を
している二人に負けそうに思えたから…。
 一の谷氏、本陣。若き武将たちがようやく起床して集まっていた。しかし、〈楽しく合
戦〉を主義にしている彼らに今、重い合戦の現実がのしかかっていたのだ。
「雪待姉さんが、拐らわれた…?」
 雪見はそれを望羊から聞いた瞬間、衝撃で血の気が引き、体が揺れた。望羊が慌てて手
を差し伸ばし、雪見を支える。
「側室にするんやって!なんて助平なジジィやの!」
七夕の、首印を握る手が、怒りで震えている。
「望羊サン、どうするデスか!」
 雪見を見かねて俯いていた一の谷氏の武将たちの目が、ラッキーの言葉と同時に、一斉
に彼らの大名、望羊を見詰めた…。