俺たちの夢、関ヶ原
第五話 あと一つ、決勝を前に…

     (1)
『          7/6/1612  一の谷氏、遂に決勝戦進出!
 皆さん、待ちくたびれたかい? はるか彼方の東洋の果てから、最前線で取材を続ける
 合戦レポーター、ラッキー・ピシーズがお届けする、『関ヶ原』速報だ!
 日本全国で、農作業が一段落した五月に予選が開始されてから、はや二ケ月を迎えよう
 としている。季節はもう真夏。この土地特有の、体に粘り付くような湿気の中でも、全
 国の大名たちは、今日も元気に合戦に血と汗を流しているのだ。
《合戦結果》
 さて、私が従軍している一の谷氏は、下馬評に反して快進撃を続け、遂に準決勝に出陣、
 相手は紀州の雑賀衆。
 合戦前の兵の配置では、鈴木孫市率いる雑賀衆が、いち早く山岳地形の〈賤ケ岳合戦場〉
 に着陣し、砦の大半を押さえて断然有利な状態を築いていた。
 合戦の流れも最初は、雑賀衆の意図通りに、一の谷氏が、鉄砲で完全警戒体制にある敵
 砦を攻めあぐねている様に見えた。
 ところが、開始一刻(二時間)後の正午前に事件が発生した。雑賀衆の最前線の砦に対
 する攻撃で苦闘していた古今無双の一の谷方の武将が、ようやく砦内に単身乗り込むこ
 とに成功したのだ。
 この突破に付け入って、一の谷氏はその大岩山砦を猛攻し、一気に陥落させた!
 一の谷氏は、この得点のリードを日没タイムアップまで維持し、判定で勝利をものにし
 たのだ。決勝進出!
 決勝戦は、六角氏を破った北近江の浅井氏と、一の谷氏との間で行われる。勝った方が、
 『関ヶ原』出場だ!
  レポート ラッキー・ピシーズ
            アネガワにて』

 本国へ送る記事を書き終えると、全身に銃傷を負った〈古今無双〉の異国武将ラッキー
は、ペンを置き、目の前に開けた平地を眺め渡した。決勝戦が行われる〈姉川合戦場〉で
ある。この、豊かな琵琶湖北東岸の穀倉地帯で、『関ヶ原』出場を賭けた激闘が、繰り広
げられるのだ。
 ここ近江は、一の谷氏が決勝で対戦する浅井氏の地元である。
 真夏の戦場は、容赦なく日が照り付けて、暑い。隣で床机に腰を掛けている一の谷氏の
大名である望羊は、先程からしきりに扇子で胸元に風を送り込んでいる。
「ラッキーさん」
 ふと、望羊が呟く様に話し掛けてきた。
「前の試合では、お互い死ぬ思いをしましたね。俺もあの横殴りに吹き付ける嵐の様な銃
弾の中を、どうやって生き延びることができたのか、今だに分かりません」
「望羊サン、私だって同じ思いデス。あれはまさしく…」
「悪夢、でしたね」
 望羊は、不意に頬の筋肉を緩めて、思いだし笑いを漏らした。
「ははっ、まったく悪い白昼夢でしたよ」
 望羊は、雑賀戦の前の雪待が見せたかよわさを、もう一度心の中に描いてみた。準決勝
で破れていれば、彼女はあのままの雪待で止まっていただろうか。
 いや、有り得ない。望羊は首を横に振った。雪待ならすぐに立ち直って、本国で優秀な
政策担当者として、俺を押し退けて腕を振るってくれただろう。
「それにしても」
 望羊は笑いが収まると、ラッキーと自分の傷だらけの姿を見比べた。火縄銃の猛射にさ
らされた二人だ。
「お互い、鉄砲傷だらけですね」
「まったくデス。お陰で故郷から持ってきた衣服が、穴が開いたり焦げたりで台無しになっ
てしまったデス」
 ラッキーは大袈裟に、撃たれた時の様な身振りをして、おどけてみせた。
「代わりに新しい日本の衣装を頂き、感謝デスよ、望羊サン」
 ラッキーには、一の谷氏から、日本武将の衣装と甲冑が与えられていた。遠くからは、
ラッキーは大柄で勇猛な、れっきとした武将に見える。
「雑賀衆戦はラッキーさんのお陰で勝てたのですからね。当然の褒美ですよ。本当に、格
好よい武者姿ですよ」
 望羊は賛嘆するようにラッキーを見入っている。それほど、ラッキーの武装姿はサマに
なっていたし、確かにそれに見合うだけ武勲を彼は挙げていた。
「テレますね。この前の合戦は、死なないために無意識に暴れていただけデス。私があれ
程強いとは、思っていませんでした」
 ラッキーは心では少し誇りに感じていたので、褒められて気分が良くなってきた。
「ラッキーさん、一の谷軍の武将として『関ヶ原』に参加しませんか」
 望羊が、頬を喜びで紅潮させたラッキーを眺めながら、試すように誘い掛けた。
「参加、デスか。本当にイイのデスか」
 ラッキーは、不意な思いがけない勧誘に、戸惑いながらも喜びが沸き起こるのを感じた。
「えぇ、もう事実上初陣は済んでいますしね。丁度、六馬と雪見が他の地区の予選を偵察
に行っているので、騎馬隊を率いる武将に空きがあるんですよ」
 望羊は、ラッキーが乗り気なのを見て取って、さらに説明を続けた。
 六馬と雪見は、置き手紙を残して突然陣から消えていたのだ。六馬はいつも風のように
気ままであり、雪見は文句を言いながらも心の中では遠出にワクワクしながら付いて行っ
たのだろう。
 予選を戦う武将が、突然いなくなったことについて、実は望羊はアクシデントを密かに
面白がっていたし、他の者も、駆け落ちじゃないかと、あらぬ噂を作り上げるのに熱中し
たものだ。
 だが、軍師雪待のみは、妹の雪見がなぜ六馬を止めなかったのかと憤慨した。また、六
馬が統率する騎馬隊をどうしようかと真剣に困っていた。
「六馬サンの騎馬隊を、私が…」
 ラッキーは、これまでに遭った数々の災難をついつい忘却していた。それは、雑賀衆戦
で自分の思いがけない力を知ったことから生じた、興奮が残っていたからであろう。
「お受けします。合戦の取材のためには、実際に戦場に立たねば駄目デスね」
 ラッキーは、心を踊らせながら、承知をした。自分では意識しなかったが、大声を出し
たようだ。望羊が、驚いた目をしている。
「そうですか、じゃ決勝戦ではラッキーさんは、一の谷氏先鋒の騎馬隊を統率する武将で
すよ」
「必ずや、殿のお役に立ってみせまするデス」
 ラッキーは、ぎこちなく跪いて、慣れない日本式の礼をした。
「ラッキーさん、一の谷氏ではそのような堅苦しい礼儀はご法度ですよ。ただ、楽しく合
戦しよう、これが軍法です」
 望羊は、床机から地面へと腰をずらし落とし、膝を付いていたラッキーの顔を覗き込ん
で言った。そして、いたずらを告白するように片目を閉じて、付け足した。
「我が軍師、雪待殿だけは認めていませんけどね」
「楽しくデスか。そういえば、京の茶屋の娘サンも、皆んな『関ヶ原』を楽しみにしてい
ると言っていました。これが日本の合戦選手権に参加する武将の心デスか」
 その時、彼らの後ろから、豪快な笑声が響いてきた。
「ははっ、そんなに不真面目なのは、この軍だけだぜ」
 晴れ渡った夏空を背景に、猫のようにスラリとした身体を仁王立ちにした、両虎がいた。
草の上に座り込んでいる二人を愉快そうに見下ろしている。
「『関ヶ原』は大名家存続を賭けた真剣勝負さ。ラッキーさんは、この合戦で負けた大名
がどうなるか知らないのかい」
「あっさり負ければ、名誉を失います。それは日本人には恥デスね。だから、時には恥に
耐えられなくなって、切腹する大名や武将もいます。船の中でポルトガル人の商人に教え
てもらいました」
 ラッキーはスラスラと答えた。日本の知識には自信がある。
「ははっ、それは誤解ともいえるな。なぁ、望羊」
 両虎は大きく手を横に振って、ラッキーの回答を否定した。
「そう、これは本当は政治的闘争なのです。つまり、この『関ヶ原』の戦績によって、幕
府から宛行われる所領が増減するのです。だから、予選の序盤であっさり負けた結果、お
取り潰しにあう小大名が、毎回全国で五十家ほどでてきますよ」
 望羊は、自分には関係のないこと事のように、扇子を弄んでいる。
「逆に、『関ヶ原』で活躍すれば一挙に所領も増えるのさ!」
 両虎が豪快に、吠えるように叫んだ。が、すぐににやりと笑って続けた。
「俺も領地などに興味は無いがね。合戦場で暴れまくって、人気者になる!これが俺の目
的さ。そうなりゃ、この間は追ん出されたけど、次に京に行った時には、娘たちにおおも
てだろうぜ!」
 両虎は自信一杯に胸を張った。負けをまったく考えない、陽気な、若武者らしい野心で
ある。
「望羊サンは? 一応は大名なのデスから」
「ふふっ」
 望羊は、両虎と目で頷きあった。
「私も、所領なんて関心ないですよ。ただ、『関ヶ原』を戦っている間は、旅ができるの
がいいですね。根っからの戦国気質でうるさい親父や、重臣たちから解放されますから。
気分は爽快ですよ」
 そして望羊は、自由の空気を吸い込んで味わおうというように、肺一杯に深呼吸をして
みせた。
「政治や所領のことを気にしているのは、この軍では雪待だけですよ」
「おやっ、そうかな」
 両虎がおどけた声を出した。
「望羊、おまえさんと一緒に本陣にいれるからじゃないのかい」
 望羊の耳元で冷やかす。
「悪夢ですよっ」
 望羊は反射的に答えて、両虎から目を逸らした。
「ところで、ラッキーさんはどうして『関ヶ原』を取材しているのですか。南蛮人記者の
取材は、まだ珍しいですよ」
「それは、すこし両虎サンと似ています」
「ははっ、女の子に騒がれたいのかい!」
 両虎はラッキーを同志と思い、手を打って喜ぶ。
「それも良いデスけど、それだけじゃない、手柄なのデス」
 ラッキーは、空を見上げた。
「故郷から、遠くきました。皆んなが驚いて、称えてくれるような手柄がないと、私は帰
れませんデス」
 そして、手柄とは合戦記事のはずであった。しかし、今は武将として認められたい、と
いう願望がラッキーの心中では優勢だ。武者震るいを感じた。早く戦いたいと。

     (2)
 夏の日は、情け容赦無く、『関ヶ原』近畿地区大会決勝戦の試合場である、ここ〈姉川
合戦場〉を照らしつける。
 その、姉川が中央に流れる平野を見下ろす高地、竜ヶ鼻で、一の谷氏の兵たちが思い思
いにくつろいでいる。
「ねぇ、雪待。オイラ、他の大名の戦いを見るのは初めてだよ。興奮するね!」
脱兎が、大きなお握りを口に頬張って、目を期待に膨らませながら合戦場を見下ろしている。
「えぇ、私もこれだけの大兵力がぶつかる試合は見たことが無いわ」
 雪待も、切り株に腰を掛けて、弁当をつついている。その口調も、興奮混りである。
「でもさ、近畿地区大会の〈い〉組と〈ろ〉組の決勝戦を同じ合戦場でやるなんて、オイ
ラ知らなかったよ」
「私が聞いたのでは、近江の商人が、幕府に働き掛けて、地元で両方の決勝戦を開かせる
ことに成功したからだそうよ。だって、ほらこんなに観戦客が訪れるのですもの」
 と、言って雪待は周囲を見渡す。そこは、一面人、人、人で埋まっている。〈姉川合戦
場〉は超満員である。
「幕府の公式発表では、五万人だそうだけど、本当はもっといると思うわ。七万は越えて
いるんじゃないかしら」
 観戦客も、それぞれ思い思いに弁当を食べたり、草むらで昼寝をしたりしている。武士
だけではない。むしろ町人や百姓の方が多いようだ。皆んな、合戦ファンなのだ。
「いいや、アタイは十万人は堅いと思うワ!だって太閤様の試合やからネ」
 突然、日に焼けた顔をした少女がにゅっと現れた。
「なんせ、大坂の存亡が賭かっているんやからネ。それに、町人の多くは秀吉さんが好き
なんやから」
「あなたは!」
 雪待が振り返った。
「たしか雑賀衆の鉄砲隊を率いていた…」
 蜜柑色の肌をした健康的な少女は、白い歯を夏の陽を受けて輝かせながら、自己紹介を
した。
「そうよ。アタイはアンタたちに負けた雑賀衆の鈴木七夕よ」
 元気が良い、からっとした声である。
 脱兎は、敵の武将を合戦場以外の場所で見た緊張をごまかすために、お握りをくわえた
まま、その場で跳び跳ねている。
「あっ、あっ、よろしくっ!オイラは青葉脱兎。弓が得意なんだ」
 七夕は、脱兎にちらっと笑いかけて応えた後、雪待に顔を向けた。何かを待っているか
のようにじっと見詰めている。
 雪待は、少女の瞳の意味を、最初は勝者に対する挑発かと思ったが、すぐに彼女が待っ
ているものが何かを理解した。
「七夕さん。よかったら、一緒に観戦しない? お弁当も沢山用意しているわよ」
 雪待は、突っ立っている雑賀の少女を手招きする。
「えっ、いいのかい。アタイが一緒で?」
 七夕の表情が輝いた。が、もう一声を待って躊躇している。
「もちろんだよ。鉄砲の話でも聞かせておくれよ!」
 脱兎がはしゃいで、横に少し飛び退いて、七夕のために場所を空けた。
「ありがと!じゃあ、おじゃまするね!」
 勢いよく、七夕は脱兎の横に腰を下ろした。
「あっ、ほらほら、太閤様の金瓢箪の馬標が動き出したワ!」
「ほんとだ、試合開始だね!」
 すぐに、七夕は一の谷氏の武将と打ち解けたようだ。

 ホラ貝が、広い〈姉川合戦場〉の平野に朗々と響き渡った。
〈始まったで〉
〈太閤様、がんばって!〉
〈大坂を幕府から守って下さい!〉
 大坂商人と思われる一団から、一斉に応援の喚声が沸き起こる。大坂城の豊臣秀吉は、
特に幕府から目の敵にされている。予選などで負ければ、所領は大幅に削減されるであろ
う。このため、声援も必死だ。
 『関ヶ原』近畿地区大会〈い〉組決勝戦、大坂豊臣氏対越前朝倉氏の合戦が動きだした。
この勝者が、『関ヶ原』への切符を手に入れることができるのだ。
 姉川の北岸から攻める朝倉氏の兵力は二万人。五軍を縦に並べて、最後尾に大名、義景
の本陣が控える。
 南岸の豊臣氏は兵力三万六千。隊を大きく左右に展開し、鶴翼の陣形で構えている。
 その両軍合わせて五万を越える兵力が、一斉に進撃し、姉川でぶつかった!
「あぁ、いいわねぇ」
 その堂々とした戦を見て、雪待が溜め息をついた。
「どうしたのさ、雪待」
 脱兎も、大戦闘を目の当たりにして目をくりくりさせている。
「私も、一度こんなまともな合戦の指揮をとってみたいわ」
 雪待は、うっとりしながら、眼下の戦に見入っている。
 最初のぶつかり合いは、朝倉軍が押し気味だ。中に大太刀を振るって、突進してくる豊
臣方の兵を片端から薙ぎ倒している豪傑がいるのだ。この活躍に、観戦場の一角を占める
武士の一団が沸く。
「浅井の兵だわ」
 雪待がその一団が立てている幟を確認して呟いた。
「朝倉氏と、オイラたちが次に当たる浅井氏は、同盟関係だったよね」
 脱兎も、目は戦場の勇士の上に、釘付けにしたままである。
 七夕が、その会話に割り込んだ。
「ねぇ、そんなに普通の合戦がしたいんなら、なんでアタイたちとの合戦では逃げ回った
んサ?」
 七夕が興味深そうに尋ねる。
「それは武略よ。雑賀の鉄砲隊に正面から突っ込むほど馬鹿じゃないわ」
 雪待の目はまだ戦場に注がれている。
「でもアタイたちは、そんな馬鹿な南蛮人にやられたんよね」
 七夕は敗戦を思いだし、やや悔しそうである。
「あの南蛮人は、ほら、あの今突っ込んでいった豊臣方の武将みたいに、無鉄砲な猪武者
やったワ」
 戦場では、一人舞台を演じている朝倉の豪傑、真柄十郎左衛門に、豊臣方のギザギザ山
道の幟が迫っていた。そして、その部隊の大将自らが一騎打ちに掛かった。
「福島殿やわ!」
 七夕も、真柄対福島の闘いを見守る。
「アタイたちは鉄砲にに頼りすぎたのかもね。アタイたちにもあんな豪傑が一人いたら、
変な南蛮人なんかに負けんかったのに…」
 福島は槍をしごいて真柄に突きかかるが、真柄はそれをかわし、逆に頭上から福島の兜
を叩き割ろうとする。
「私だって、奇策ばかりじゃなしに、こんな観衆を熱狂させる合戦をしたいのよ」
 と雪待、金白色の小袖の端を握りしめている。
「京と堺じゃ観衆は怒っていたもんね!」
 脱兎は今にも戦場に跳び降りんばかりに、ぴょんぴょんしている。
 姉川の激闘に変化が起こった。豊臣方の福島に助太刀が入ったのだ。
「可児さんや! 福島部隊の突撃武将よ」
「七夕って、やけに詳しいんだね」
 脱兎が興味を持って、七夕に目を移した。
「まあね。アタイたちは傭兵稼業であちこちの大名に雇われて、合戦の助っ人をしたりし
てるから、武将情報は沢山入ってくるのよ」
 七夕は、誇らしげに脱兎を見やった。
「『関ヶ原』以外の、地方の小大会や練習試合じゃ、引っ張りだこなのよ」
「へーっ、すごいや、七夕って」
 脱兎は感心しきって、しきりに頷いている。
 合戦場中央では、両軍の戦線は膠着状態である。真柄も、二人を相手によくしのいでい
る。
「アタイも普段は傭兵をやってるんやけど。それでさ、…」
 七夕が、何かを言い出そうとして、口ごもった。
「アタイを…」
「なんだい、七夕? 言ってみなよ」
 脱兎は戦場よりも、この合戦に詳しい鉄砲少女、七夕に意識を移していた。
「アタイを一の谷氏で雇ってくれないかな? 安くしとくからさ」
 勇気を出して七夕が言った。断られたらと思うと不安なのだろう。茶色い愛らしい目の
端に、涙が少し浮かんでいる。
「『関ヶ原』で戦いたいんや!」
 脱兎は狂喜した。跳び上がり過ぎて、頭上に聳える樹の枝に頭をぶつけたほどだ。
「七夕、それって本当かい!すごいや。ねぇ、雪待ぃ、いいだろう?」
「お願いや、アタイも『関ヶ原』に連れて行ってください。四年間、毎日祈って待った、
夢なんです」
 だが、雪待は振り返らない。一心に戦場を食い入るように眺めている。
「豊臣方の後詰めが動くわ」
 数に勝る豊臣方の遊軍のようになっていた左右の翼が、押しつ押されつしている中央両
軍を包囲するように進撃を開始したのだ。
 十万の観衆が一気に沸いた。豊臣贔屓の町人が、激しく金色の旗を振って応援をしてい
る。
 豊臣方左翼の〈南妙法蓮華経〉と大書された幟を掲げる隊が、朝倉氏の右翼に食らい付
いた。朝倉軍は縦陣を引いている。その大半が豊臣方中央軍を支えるためにすでに投入さ
れて疲弊していた。
「加藤清正さんよ」
 七夕は、返事を貰えないので半ば諦めて、肩を落としながらも、いじらしく解説に戻っ
た。
 朝倉氏は、清正の猛撃にたまらず、崩れ立った。前線を残して、横撃された裏の兵から
混乱し逃げている。それを見た朝倉の無傷の本陣が、早くも後退を開始した。前線の真柄
も、ついに孤立し力尽きた。
「終わったわね」
 雪待が、興奮で息をはずませながら、ようやく七夕に振り向いた。
「次は私たちの番よ」
 七夕に声を掛ける。
「そうですね。がんばって下さい」
「何を言ってるの、あなたも参加するのよ。一緒に合戦場に出てくれるのでしょう?」
「えっ、アタイも出てもええの?」
 七夕は一瞬ポカンとした。が、雪待の言葉を理解したとたん、その顔にだんだんと輝き
が広がっていった。喜びのあまり、茶色い瞳に涙が滲んでいる。
「もちろんよ。合戦の明日は七月七日で縁起も良いしね。それに脱兎も喜ぶわ」
 雪待は歓迎の意を込めて、七夕の頭を軽く抱いた。
「うん、うんっ!絶対に楽しくなるよ」
 脱兎も嬉しくて、七夕を雪待から奪って、その手をとり、一緒に、軽快に跳ね踊りだし
た。
「ありがとう、楽しくやろうネ、脱兎!」
 七夕の鉄砲が、跳ねる背中で揺れている。
「楽しくなければ合戦じゃない、か…」
 望羊の信念通りね、雪待は苦笑をした。