俺たちの夢、関ヶ原
第二話 六馬、将軍を討つ!

     (1)
『         5/18/1612
 華麗なる陰謀、とでも表現すれば良いだろうか。『関ヶ原』に向けての初戦で、私が従
 軍している一の谷氏が、見事に勝利を収めたのだ。
 一の谷氏が属している近畿地区の〈ろ〉組(各地区内で事前の抽選で〈い〉〈ろ〉の二
 組に分けられる)予選が十一日に、日本晴れの下で始まった。
 我らが軍(一の谷氏!)の対戦相手は波多野秀治の率いる一万の大軍。シード大名(前
 回の『関ヶ原』で活躍した大名家がなる。一回戦をパスできるのだ)にはなり損ねたも
 ののの、京の北西の地帯を領する大勢力である。また武将も豪将赤井直正を筆頭として
 猛者揃い。
 それに反して我らが軍は、大名以下、重臣たちが原因不明のご乱心で、急遽その子らに
 出場メンバーを変更するというアクシデントに見舞われた直後の戦となる。つまりレギュ
 ラーの武将のほとんどが初陣なのである。
 湊川合戦場に集まった観衆は、地元の一の谷氏が出るということもあって、予選の初戦
 にしては多く約二万人。その大半は波多野氏の圧勝を確信していた。
 だが、勝利の女神は我らが一の谷氏に微笑んだのだ!堂々と進軍を開始したはずの波多
 野氏の大軍は結局、その敵の陣地に辿り着けなかった。一体なにが起こったのか?
 その答えは、一の谷氏の恐ろしき女神が知っていた。彼女の送り込んだ毒キノコが、波
 多野氏の豪傑たちに幻覚症状を与え、夢を見させていたのだ。
 混乱する敵本陣に突撃をかけて打ち破った、一の谷氏遊撃隊の将、御幸両虎はこう語っ
 ている。
 「あの光景はできることならば思い出したくはないね。なんせ、あたり一面が狂者で埋
 まっていたんだぜ。泣く者、笑う者、裸になって踊る者、果ては好きな女の名を呼ばわ
 りながら男同士で抱き合い接吻する者。一見、地獄のようだけど、よく見ると本人たち
 は幸せそうなんだ。気味悪かったぜ。仕方がないから、さっさと波多野氏本陣の旌旗を
 ぶっ倒して、勝鬨を挙げて帰ってきたのさ」
 彼の言葉は本当である。なぜなら、私も自分の体でこの毒キノコを試したからだ。恐ろ
 しい体験であったが、これも読者の皆様にリアルなレポートをお届けするためである。
 ともかく、我らが一の谷氏は二回戦にコマを進めた。次の対戦相手は元将軍家の足利氏
 である。
 次回の『関ヶ原』体当たりレポートも、期待して頂きたい。
  レポート ラッキー・ピシーズ
             ミヤコにて』

 ここまで書き終えると、やや頬がこけてやつれ気味の異国の青年は、空を見上げて、大
きく深呼吸をした。
 さわやかな初夏の空の下、ここ日本の都、京は大変な賑わいである。ラッキーは日本に
来て、これほど沢山の人を見たのは初めてであった。また、美しい女性もこの都市には多
い。田舎のやぼったい娘よりは、華やかな街の女の子の方が、航海で世界の港町を渡って
きたラッキーの好みに合う。
 ここで、〈湊川合戦場〉で受けた心の痛手を癒そう。ラッキーは決意と共に、拳を固め
た右手を天に振り上げた。
「やぁ、あの南蛮人さん、おかしいわぁ」
「えっ、どこどこ。わぁ、ほんまや。一人で興奮してはるわぁ」
 茶屋の店先を通る京娘が珍しそうに眺め、きゃっきゃと騒ぐ。
 ラッキーは赤くなって、慌てて手を引っ込めた。
「何をやっているのさ、ラッキーさん。ちょっと落ち着きなよ」
 団子を頬張りながら、隣に座っている男があきれてラッキーを眺めている。黄色がかっ
た髪を短く刈り揃えた、青年武将である。長身であり、その身体はしなやかな筋肉で包ま
れている。
 彼は、一回戦で波多野氏の本陣を切り崩した勇将である。今は甘いものを食べて寛いで
いるが、戦になると、猫科の猛獣を連想させるような、強く見据える視線を、相手に対し
て放つのだ。
「オォ、両虎サン。私、日本の都の賑わいに、感動していました」
「そりゃ良かった、俺はてっきり笑い茸がまだ腹の中に残っていて、また踊り出すのかと
おもったぜ」
「からかわないで欲しいデス」
 青年武将は、御幸両虎、十九歳。一の谷氏遊撃隊を率いる武将で、突撃や強襲を専門と
するが、彼も又、今年の『関ヶ原』が初陣である。
「とにかく」
 両虎は、今度は饅頭を口に放り込んだ。
「もう試合は始まってるんだぜ。油断しないこったな」
 とたんにラッキーは、ぶっ、と茶を吹き出した。慌てて問い返す。
「いつ、合戦が始まったデスか。ホラ貝は鳴りませんでしたよ」
「ラッキーさん、かわいい娘を眺めるのに夢中で気付かなかったろう。さっき本能寺の鐘
が鳴った時に、俺が立ち上がって、御所の方角を向いて礼をしたのを」
 両虎は、茶を啜りながら、楽しそうに異国の青年の驚き振りを観察している。
「でも、私たちの軍の本陣はどこデスか。試合開始までに本陣を定めないと、不戦敗デス
よ」
 また合戦を取材しそこなうのではないか、という嫌な予感が、ラッキーの胸の内を襲っ
た。
「大丈夫さ。望羊の大将ならちゃんと遊郭の二階に旌旗を掲げているさ」
 両虎は、うまそうに、ちまきを噛んでいる。
「軍師の雪待は怒って、本陣詰めを拒否して、出ていってしまったけどね」
「遊郭って、おなご遊びの場所が本陣なのデスか?」
「大将旗が掲げられたら、そこが本陣なのさ。まあ、あの遊郭が敵に見付かったら、即座
に攻め落とされて、負けだろうがね」
「オォ、マイガッド!」
 ラッキーは、目の前が真っ暗になって、天を仰いだ。
 故郷の父さん、母さん、御免よ。僕、やっぱり従軍する大名を間違えたようだよ…。
 いや、今からでも遅くはない。一の谷氏から脱走して、取材対象の大名家を替えようか。
日本ではこういうことを、ご謀反と呼んで、たいして悪いこととは考えられていないよう
だし…。
「そんなに、じたばたしなさんなって。これが〈洛中合戦場〉の醍醐味じゃないか。市街
戦は楽しいぜ」
 両虎は茶屋の娘に勘定を払いながら、哀れな従軍記者を慰める。
「こちらさんのおっしゃる通りですよ。四年前の『関ヶ原』では、幕府はここ〈洛中合戦
場〉を予選の決勝戦に使いはったんです。そのときは、両軍の放火で、京の街の半分が、
焼けてしまいましてんえ」
 茶屋娘が気さくに話に加わった。
「それでも、都の人々は今日の合戦を楽しみにして、街を復興してきたんえ」
 愛嬌ある笑顔をラッキーに贈る。
 ラッキーは、その娘の明るい表情を見て、はっと、日本人の心に触れたような気がした。
自分たちの街を焼かれてまで、『関ヶ原』の合戦を待ち望む人々。うまく言い表せないが、
そこに戦国を生き抜いてきた庶民のパワーを感じる。
 そして、負けそうだからといって、その戦いから逃げようと考えていた、自分を責めた。
僕は、この合戦に一方の武将と共に行動し参加出来ることを、誇りに思うべきなのだ。そ
う、京の町衆の期待と声援を一身に背負っているのだ。
「サンクス、ありがとう。私は、合戦記者として、大切なことを忘れていたようデス。そ
れは、合戦を愛する心デス。あなたに教えられました」
 ラッキーは、感謝を込めて、茶屋娘に右手を差し出した。
「まぁ、おおきに」
 娘は喜んで、ラッキーの手に団子を一包み握らせた。
「お団子のお持ち帰り、四文どすぅ」
「ははっ、ラッキーさん。いっくら京娘ったって、握手の習慣まではしらないさ」
 両虎が大笑いする。
 きょとんと団子を握りしめていたラッキーも、これにつられて破顔一笑した。娘も、よ
く意味が分からないままに、袖で口元を覆ってくすくすと笑っている。
 五月晴れの京の町に、三人の笑声が響く。合戦はすでに始まっているのを、すっかり忘
れきったかのように…。

 京の将軍御所の二条第が、先の将軍であった足利義輝の本陣である。ラッキーは、通り
をぶらぶらと上り、北へ御所に向かうにつれて、群衆の数が増えているのに気付いた。
「両虎サン、さすが都デスね。人が多いデスね。いつもこうでしょうか」
「なに言ってんだい、これは俺たちの合戦の観衆だぜ」
 両虎が、明快に答える。
「合戦デスか?将軍サマの御所でデスか。ということは、一の谷氏が本陣に攻め込んでい
るデスね」
 ラッキーは声を弾ませた。心配することはなかったのか。今度の合戦も楽勝のようだ。
「いいや、一騎打ちが催されているのさ。ほら、茶屋を出た直後に、高価そうな衣装を着
た茶坊主が俺に話し掛けてきただろう。あの時、将軍様からの招待状を受けとったのさ。
〈京の町を焼け野原にするのは余の望みではないので、一騎打ちにて雌雄を決せん〉とか
いう内容だったな」
 両虎は、書状を懐から取り出して、ひらひらさせた。
「兵を使わずに、武将同士が真剣で闘って、勝負を決しようというわけさ。合戦規則には
ないけど、面白そうな趣向じゃねぇか」
「一対一の剣の腕を競うデスか?」
 ラッキーは、日本の位の高い武士は、貴族趣味に陥って、武道を疎かにする、と聞いて
いた。希望が心のうちに、沸き起こる。
「それならば、文弱な将軍家では、一の谷氏の若武者の敵ではないデスね!」
「知らないのかい、ラッキーさん。将軍様は剣聖塚原卜伝から奥義を授けられた程の、剣
豪だぜ。前回の『関ヶ原』では、予選四戦で百人斬りを達成したのは語り草さ」
 ラッキーの希望は、早くも消え去ろうとしていた。
「で、でも両虎サンなら勝てますよね」
「分かんねぇな」
 両虎は、素っ気なく答えた。
「やってみないとさ」
 ラッキーは、思わず右手に持つ団子を握り潰していた…。

     (2)
 京の東方を南北に流れる鴨川、この川を右手に見ながら、北を目指して駆ける騎馬が二
騎あった。乗り手は男女の若武者である。
「はーっ、何て気持ちが良いんだろう。やっぱり来てよかったよ」
 先を行く、青雲色の髪を靡かせた青年が、空に声を掛ける。
 馬は、初夏の陽光を受けて輝く川面から反射した光に、きらきらと包まれている。空色
のこの駿馬、地響きを轟かせ、ひたすらに突き進んでいる。まるで、疾風のように駆けて
いく。
「なあ、『そらあお』、なんだか胸がときめいてきたよっ」
 若者は爽快な気分で馬に話し掛けた。『そらあお』と呼ばれた馬も嬉しそうに眼を輝か
せた。
 その時、やや後方から元気な、よく通る声が届いた。
「ちょっとー、六馬。待ってよっ。私の馬じゃ『そらあお』に追い付けるわけないじゃな
いの」
 一緒に走っている少女武者が叫んだのだ。白銀色の小袖を身に纏って、あたふたしなが
ら、引き離されれないように必死に馬を駆っている。
「全力で疾走しないでよっ!待って、待ってよ」
「やぁ、御免よ。つい夢中になって、君がいたって忘れていたよ」
 先を疾駆していた若者は、我に返ったように振り返ると、馬の速度を落として、後続の
少女に並んだ。
 そして、そのまましばらくゆっくりと、鴨川を眺めつつ進んだ後、脇道を右に折れる。
川の縁で、枝を広げている大木を見付けると、少女に合図をして、停止をした。
「よし、ここらで休憩しよう」
 武者は馬から降りる。
「『そらあお』、君も少し休んだほうがいいよ。元気を回復したら、もう一走りしような」
「もう、六馬ったら馬ばっかりで、私のことはちっとも気にしてくれないんだから。あん
なに早く馬で走ったのは初めてよ。本当に怖かったんだから!」
 少女は、銀色がかった短髪をゆさゆささせ、馬から地面に飛び下りながら、抗議をした。
 この十七歳の少女武将、その髪の色といい、整った顔立ちといい、誰かに似ている。
「六馬って、すぐに帰るからっ、て雪待姉さんに言って、街から出て来たのに。もう二刻
も経ってるじゃない!」
 わさわさと両手をしきりに振りながら、若者に文句を言っているこの少女は、そう、一
の谷氏本陣付の天才軍師、天神雪待の妹なのである。名を天神雪見という。
 雪見は飛び跳ねながら叫び、愛馬の汗を拭いている若者の注意を引こうとしている。こ
の少女、目が切れ長でない所を除いて姉と容貌は似ているが、性格はかなり違う。
 姉を、冷気を放ちしんしんと積もりゆく白雪に例えるなら、彼女の方は、光の中を元気
よく舞う粉雪といえるだろう。
「もう、『関ヶ原』の予選は始まってるのよ。それなのに、一の谷氏騎馬隊の武将、関守
六馬がこんな所でさぼって、よくないじゃない。負けちゃうよ!」
 雪見は、よく声が枯れないと思えるくらいに、叫び続けている。
 すると、『そらあお』の汗を拭い終わって、若武者六馬は、やっと満足そうに振り向い
た。
「鴨川よりこちら側は、洛中合戦場の一部だよ。だから別にさぼってはいないよ」
 六馬は反論したが、雪見に、むんっと睨まれて、付け足した。
「じゃあ、もう少し『そらあお』を休ませたら、征こうか」
 そのまま自分も樹の根元に寝転がった。
「雪見もおいでよ、風が気持ちいいからさっ!」
 もうっ、と言いながらも、雪見も六馬の側の草の上に座った。六馬の行動は、なんだか
爽やかで憎めない。
 そうね、『そらあお』の速さならすぐに街まで行けるし、もうすこし五月の風を楽しむ
のもいいかもね。
 この二人、将軍主催の一騎打ち大会など知る由もない…。

 ラッキーと両虎は門前に群がる街衆を掻き分けながら、将軍御所へと入っていった。も
うすでに一騎打ちは始まっているらしく、観衆から喚声や悲鳴が沸き起こっている。
 その中でも、一際耳に飛び込んで来るのは、将軍様コールである。
〈将軍っ!将軍っ!〉
〈将軍様ぁ、頑張って!〉
〈そら、そこだ。免許皆伝「一の太刀」!〉
だいたい、京の民衆は、地元の足利将軍贔屓である。江戸幕府に取って代わわれた今でも
なお、将軍と呼んで、親しんでいる。
「将軍サマはすごい人気デスね」
「おい。今、将軍と闘っているのは脱兎じゃないか?」
 両虎は、庭で剣を構えて向かい合っている武者を見て、叫んだ。
 その声に脱兎が気をとられた瞬間に、隙が生じた。将軍が即座に間合いを詰め、烈迫の
気合いと共に剣を振り下ろす。
「ぎゃっ!」
 その悲鳴は空中から聞こえた。脱兎が瞬時に横っ跳びで逃れて、着地と同時に空中に飛
び上がったのだ。そのまま、御所の屋根に降り立ち、剣を投げ捨てた。
「降参、降参。適わない。オイラ、剣は得意じゃないんだ」
 観衆から、またも大喝采が上がる。
「おおぃ、脱兎ぉ、戦況を教えてくれぃ」
 両虎が大声で屋根の上の脱兎に呼び掛けた。
「両虎、遅いよっ!足利将軍家の他の側近武将は、味方の火牛が炎の太刀であっさりやっ
つけたんだけど、大将の将軍が強いったらないんだよ。火牛、心猿、雪待、オイラとあっ
さり四人抜きさ」
 脱兎は、息を震わせながら、庭の隅を指差した。
 両虎がそこに視線を走らせると、将軍家の五将が焦げている横に、一の谷氏の武将たち
が失神して倒れていた。逞しい火牛と、すばしこい心猿、それに軍師雪待。
「オォノー、雪待サンまで!」
「六馬と雪見が戻ってきていないのを知って、慌てて代理の参加を買って出たんだよ。三
十秒は、なんとかもったんだけどね…」
「大将はどうした?」
「望羊が、一騎打ちなんかするはずないだろう!そうなった時は、もう負けは決まったと
同じだよ」
 その時、会話を遮るように、元将軍である足利義輝の、気合いの籠った声が響いた。
「次の一の谷方の武将はそなたかな。いざ、余と勝負をいたせ!」
 射るような鋭い眼光が両虎に叩き付けられる。
「しゃあない、やりますか」
 両虎は観念したように肩をすくめると、庭の中央に向かって歩みだした。
「播磨国は神戸藩、遊撃隊の武将である御幸両虎、見参!」
 大音声で名乗りを上げる。
「うむ。余は足利十三代将軍、百人斬りの義輝じゃ」
 将軍は脱兎戦で使った剣を投げ捨てた。そして傍らに積んである剣の山から一本を新た
に取り上げ、油断なく構える。
 両虎も剣を抜いた。両虎の剣は、日本では珍しい両刃である。『虎牙の剣』と名付けら
れている。
 両虎は眼光に力を注ぎ、面と将軍と向かい合った。将軍からも、恐るべき気迫が襲って
くるのを、強烈に感じる。さすがの両虎も心の中で舌打ちをした。

「望羊、合戦はどこでやってるの!」
 遊郭の二階に向かって、声を張り上げたのは愛馬の『そらあお』に乗った六馬である。
 その二階の障子窓ががらりと開いて、中から寝ぼけたような青年の顔が現れた。一の谷
氏の大将、一の谷望羊の遊び疲れた顔である。
「あぁ、六馬ですか。将軍家との合戦なら、二条の将軍御所でやってますよ」
「そう、じゃ僕も行ってくるね」
 返事を聞くが早いか、六馬は疾風のごとく駆け出していた。その後に、途中で散らばっ
ていたのを集めたか、六馬の騎馬隊約百騎が轟音を響かせ
て続く。
「あぁ、それと形式は将軍からの要望で、一騎打ちですよ…と。行ってしまいましたね。
まぁいいですか」
 望羊は気にする風でもなく、遊女の待つ寝床へと戻った。

「両虎サン、危ないデス!」
 ラッキーはこの言葉を、試合が始まってから、二十遍は叫んでいる。それほど両虎は、
将軍の免許皆伝の剣の腕前に押されっ放しなのだ。
 鋭い剣撃を避けて、ついに後ずさる両虎。将軍もあえて間合いを取り、意外だという感
じを湛えた眼をして両虎に語り掛けた。
「余の攻撃を避けること、二十遍に及んだのは、そちが始めてじゃ。褒めてとらす」
 好敵手に出会えた喜びから、興奮まじりである。
「だが、倒れたとはいえ元将軍家の名誉に賭けて、余が勝つ!」
 一呼吸置くと、将軍はすすっ、と滑るように前に進んだ。剣の間合いに入る。
(だめか…)
 両虎が苦し紛れに『虎牙の剣』を横に薙ぎ払った、その時である。
 将軍御所の裏手から、一斉に馬の嘶きあがるのが聞こえた。観衆がざわめく。
 次の瞬間、裏手から約百騎もの騎馬武者が御所に乱入し、庭を黒雲のごとく覆ったかと
思うと、観衆を蹴散らして表門から去って行ったのだ。まるで、つむじ風のように。
「六馬…」
 両虎は、襲撃者の中に、『馬鳴の槍』を振るう盟友の姿を見たように思った。その槍は、
馬の嘶きに似た音響を発して、将軍を狙ったと感じたが…。
 その時、ラッキーが庭の中央を指して、歓喜の声を上げた。
「将軍サマが倒れています。やった、両虎サン、勝ったんデスよ!」
 観衆も我に返り、その視線が一斉に、さきほどまで一騎打ちが行われていた舞台に集ま
る。そこには、足利将軍が目を回して大の字にのびていた。
 合戦奉行所の審判が進み出て、足利元将軍家の大将が討たれたため、一の谷氏の一本勝
ちを宣言した。促されて、両虎とラッキーは勝鬨をあげた。しかし…。
〈ああっ、将軍様ぁっ!〉
〈『関ヶ原』で活躍して、将軍家を復興することを願ってはったのに!〉
〈そのために、血の滲むような稽古をなさったのに。こんな卑怯な闇討ちで…〉
 両虎とラッキーは、京の町衆の怒りに、完全に取り囲まれていたのだった!
 二人は袋叩きの後、京から逃げ落ちた。

《対足利将軍戦、闇討ち一本で一の谷氏辛勝》