俺たちの夢、関ヶ原
第一話 出陣、戦国合戦選手権!

     (1)
『         5/11/1612
 海が光り、山の緑が輝き、そして日本中の武者の心が騒ぎ立つ、夏。
 今年もまた、その夏がやってきた。
 夏といえば、合戦のシーズンである。
 おっと、合戦といっても、相手の国を屈服させるための、野蛮な殺し合いではない。
 年は、すでに慶長十七年(一六一二年)を迎えている。約一三〇年もの間、日本全国の
 大名に、お家の生き残りを賭けた、果てしなく続く戦いを強いた戦国時代は、十二年も
 前に終結した。日本には、戦争がないという意味での、平和が戻っている。武力に訴え
 て大名間の争いを解決する時代ではない。
 しかし、合戦は日本から消えなかった。スポーツとして、その形を洗練させて、今なお
 存続しているのだ。
 そう、毎年の夏は合戦のシーズン、といったのは、このスポーツ合戦競技を指していた
 のだ。
 そして、今年は四年に一回の、日本全国の大名家を巻き込む最大の合戦大会、『関ヶ原』
 が開催される年なのだ。
 大名であれば、武士であれば、いやまた百姓であっても、今年の夏は彼、また彼女らの
 心は、本州の真ん中あたりにある、この国最大の合戦場に注がれるのである。
 栄光と挫折、雄叫びと悲鳴、それに幾多の武者たちの血と涙とを、その歴史の中で吸収
 してきた、山々に囲まれた盆地に広がる大地、『関ヶ原合戦場』。この合戦場の名を人々
 が口にする時、そこには必ず畏敬が込められるのだ。それほど『関ヶ原』は日本人の心
 の中で大きな存在なのだろう。ここに、日本文化の秘密を解く鍵が隠されているのかも
 知れない。
 私は幸運にも、今まさにこの関ヶ原合戦史に加わろうとしている新たなる一頁を、読者
 の皆様にレポートするという栄誉を得ることができた。
 さあ、我々もこの、壮大なバトルフェスティバルに参加しようではないか。
 私が滞在している港街、コーベ。ここにも合戦のための旅立ちの支度を終え、『関ヶ原』
 への出陣の合図を待つばかりの、若者たちがいる。この土地を支配するコーベ藩の大名、
 イチノタニ氏の武者たちである。
 青春のさなかを『関ヶ原』に駆け抜けようとする、彼、そして彼女らを待つものは、勝
 利の喜びか、それとも敗北の悔しさか。
 ともあれ、私もこのイチノタニ氏に従軍して、『関ヶ原』に参戦する。遠く大洋を隔て
 た彼方でくつろいでおられる読者の皆様も、私のレポートを媒介として、是非とも激闘
 の『関ヶ原』を体験して欲しい。
 では、いざ参らん!
  レポート ラッキー・ピシーズ
             コーベにて』

 ここまで書き終えると、黒髪碧眼の青年はペンを置いて、椅子から立ち上がった。窓の
そばまでいくと、大きく深呼吸をする。ガラスなど嵌まっていない、木製の格子の付いた
窓から外を眺めると、そこには、新しい活気にあふれた港の風景が、広がっている。あち
らこちらで荷担ぎの人夫が大勢、忙しそうに、商船と倉庫の間を、往復しているのが見え
る。また今朝あたり、新たに数隻の船が着いたのであろう。
 異国人の青年、ラッキーは海を眺めているうちに、ふと故郷ロンドンのことを想った。
自分の愛する両親や友人たちが存在しているのは、水平線の遥か彼方、地球のほぼ裏側で
ある。
 なかなか奇妙だ、と思う。ラッキーは今まで、ヨーロッパ以外には文化的な人間の住む
地域はない、と思いこんでいた。しかし、大航海を経て東洋に来てみると、ヨーロッパの
水準でもかなり立派だといえる港に、出迎えられた。そして、生活水準からいえば貧しい
ものの、ちゃんと人々は生きていて、目の前で立ち働いている。
 地球は広い。これは感動だ。いつか故郷の両親にも、この感覚を味あわせてあげたいと
思うが、それはまず無理なことだろう。
 ラッキーの海を見詰める眼が、遠くなった。アジア大陸をも通り越して、懐かしの本国
を透かし見ようとするかのように。その頬を、五月の新緑の匂いを含んだ、心地好い潮風
が、やさしく通り過ぎる。
「待っててくれ、父さん、母さん。もうすぐ僕の書いた『関ヶ原』の記事が、ニュースペー
パーに載るからさ。この機会をものにしたら、僕はいっぺんに特派員としての名声を得ら
れるだろう」
 ラッキーは心に思っていることが、ロンドンの我が家に届くような気がして、声に出し
て空に話し掛けてみた。
「そうしたら、楽をさせてあげられるよ。旅行にだって連れて行ってやるさ。日本は遠す
ぎるけどさ、ヨーロッパ一周なんていいんじゃないかな」
 ラッキーは話しているうちに、表情が和んできた。
 僕の夢だ。この夢を『関ヶ原』が叶えてくれるだろう。
 そして、僕はこの夢を一の谷氏に託した。神戸のような素晴らしい港をもつ大名だ。か
なり裕福で、強大に違いないと考え、取材対象に選んだのだ。我ながら深慮だ、と思って
いる。
「やるぞっ!」
 思わず右腕で握り拳を作り、振り上げて叫ぶラッキー、夢と野心でいっぱいの十八歳の
青年である。
 その時、表戸がトントン、とノックされた。
「おっと、客かな。どうぞっ」
 ラッキーは少し慌てて、振り上げた腕を引き下ろしながら返事をした。
「こんちわーっ、ラッキーさん」
 元気の良い声と共に少年が、ぴよーん、と部屋の中に飛び込んで来た。
 ラッキーは驚いて、反射的に後ずさりをした。なぜなら、その大きな眼をくりくりとさ
せた少年の、ぴよーんと跳んだ距離が異常だったからだ。立ち跳びで軽く六メートルは浮
いて迫り、ストンとラッキーの真ん前に着地をしたのだ。
「ラッキーさん、お久し振り!おいら大将に頼まれて、伝令に来たよ。どうしたんだい、
そんなにびっくりした顔をしてさ」
 少年は、丸い眼でラッキーの顔を覗き込んだ。
「や、やぁ、ハロー。いつも威勢がいいデスね、脱兎サン」
 ラッキーは軽く深呼吸をしてから、挨拶を返した。好奇心に満ちた眼を見た瞬間に、ラッ
キーはこの少年が誰かを思い出していた。一の谷氏の若き武将、青葉脱兎である。年は確
か十六と聞いていた。もう青年と言った方がよい年なのだが、その無邪気な行動を見てい
ると、どうしても少年と呼びたくなる。
 ラッキーは脱兎に右手を差し出した。脱兎も嬉しそうにその右手を伸ばし、二人は握手
を交わした。この時代に握手の習慣を知る日本人は少ないし、喜んでするものはさらに希
である。ラッキーは日本人の中で、一番最初に、この少年が好きになったのだった。
「それで、大将サマの一の谷ドノは、どのようなお知らせを下さったのデスか」
「そうそう、それなんだけどさ。ラッキーさんの待っていた情報だよ。今年の『関ヶ原』
選手権大会の近畿地区予選の組み合わせが決まったのさ」
 脱兎は、ラッキーの回りを落ち着きなく、軽くぴょんぴょんと弾んで回りながら話して
いる。
 ラッキーは、脱兎の(軽い)一跳びがおよそ二メートルの高跳びになっているのは気に
なったが、それよりも『関ヶ原』情報と聞いて、興奮を覚えた。
「というと、幕府から近畿地区大会の組み合わせ決定の書状が届いたのデスね。脱兎サン、
私、早く見たいデス」
「そうくると思ったから、写しを取って持って来たよ」
 脱兎は、夏の野ウサギのような薄い茶色の髪を弾ませながら、懐から、巻いた書状を取
り出して、ラッキーに手渡した。
「近畿大会のだけじゃなくて、全国の地方大会の組み合わせも載せているよ。サービスだっ
て、大将が言ってた」
「オー!これは嬉しい。感謝しますデスよ、脱兎サン」
 ラッキーは、一の谷氏の大将が、この前に会った時に教えた〈サービス〉という母国語
を、もう使っていることに滑稽なよ
うな嬉しさを感じながらも、そそくさと机の上に書状を広げた。
「ワォ、沢山の大名が参加するのデスね」
「全ての大名の参加が、幕府によって義務付けられているんだって。だから参加大名家は
約三百だよ」
「全ての大名デスか。参加する財政的ゆとりの無い大名もいるでしょうに。例えば、凶作
に見舞われたりして」
「えーと、お金を使わせることが、幕府の狙いなんだって。つまり他の大名が裕福になり
すぎて、倒幕の企みを持つことを防ぐためらしいよ。うちの大将が言ってた」
 脱兎は、跳ぶのを中断して、上を向いて思い出すような仕草をしながら答えた。
 ラッキーは組み合わせ表を覗き込んだ。全国を八つの地区に分けた、トーナメント形式
である。漢字は、ヨーロッパからの航海の間に、中国は明国出身の、通訳を兼ねた仏教僧
に習っていたので、分かる。
「各地区から二代表が、決勝大会の『関ヶ原』へ征けるのデスね。それで、脱兎サンたち
の一の谷氏はどこですか」
「ここだよ、近畿地区の、〈い〉組〈ろ〉組のうち、〈ろ〉組のほうさ。一回戦は丹波篠
山藩、波多野氏四十万石さ。へへっ、最初から強敵と当たっちゃったよ」
「勝てそうなのデスか?」
 いきなり敗退されては、ラッキーは困る。
「オイラ、分かんないや」
「それで、その合戦日はいつなのデスか」
「五月十一日だよ!」
 と元気良く返事をする脱兎。
 だが、ラッキーはその言葉を聞いた瞬間、眩暈を感じていた。
「そ、それって、今日じゃないデスか?」
「うんっ!そうだね」
「オーノーッ!私たち合戦開始に間に合わないデース!」
 取材ができないじゃないか…。
 合戦記事を書いて有名になるという自分の夢が、遠のいていくのを、ラッキーは脳裏で
感じた。
「ごめんよ。疲れたから、途中で昼寝しちゃったんだよ」
 脱兎が、頭を掻きながら、弁解するのを、ラッキーは呆然として聞いていた。
 いきなりへまをしてしまった。僕が、故郷の両親を喜ばせてあげることができる日は、
遠いのかもしれない、ごめんよ…。

     (2)
 新緑の香りがあたりに満ち、さわやかな風が心地好い、五月晴れの天気。今日は、一の
谷氏にとって、慶長十七年の第三回『関ヶ原』合戦選手権の初陣の日である。
 ここは播磨国内の神戸藩領にある〈湊川合戦場〉。一の谷氏はこの地元の合戦場にて、
近畿地区大会一回戦の相手、丹波篠山の波多野氏を迎え討つのだ。
 山と海が間近に迫っている神戸の地形。その間の平地を利用した〈湊川合戦場〉は東西
に長く伸びた設計になっている。このほぼ中間あたりにある蓮池という土地に、一の谷氏
は布陣を完了していた。南にはすぐ、瀬戸内海が太陽の光りを反射させて輝いている。
 その一の谷氏の本陣にて、大将らしき男と、軍師らしき女が、寛いで話をしている。
「しかしまあ、一回戦の合戦場が近場で助かりましたね。へたをすれば遠く越前の福井や、
あるいは伊賀の山中にまで征かなければならないはめになっていましたから。幕府に感謝
しなくてはねぇ」
 大将と見える男がのんびりと言った。若い、それでいて考え深そうな、理知的な男であ
る。そう、年は二十二歳くらいか。
「そうね。でも相手は十分この地区から代表になれるだけの力を持った強豪よ。油断は出
来ないわね」
 軍師の女が軽く答える。こちらは話し方が速く、はきはきとしていて、頭の回転の速さ
を証明するかのようだ。
「油断をしてはならないのは、お相手の波多野氏の方じゃないですか。まったく、雪待に
かかったら、何をされるか分かりませんからね。どうせ、すでに決着は付いているんでしょ
う」
 扇子で風を胸元に迎え入れながら、大将が笑い掛けた。実際、合戦競技の開始直前とは
思えない程に、彼には緊張感がない。
 雪待、と呼ばれた若き女軍師も、微笑みながら答えた。
「そうね。独創性に欠けるとは思ったのだけど、あなたのお父上や重臣たちに使ったのと
同じ手でいったわ、フフッ。」
 この女軍師、フルネームを天神雪待という。年の頃は、傍らに座る大将と同じくらいで
ある。美しい面立ちに、銀色がかったなめらかな長髪を持つ。一の谷氏で第一の知将であ
り、この五月の燦々とした陽光の中でさえ、彼女の周りだけ、なにかしら冷気を感じさせ
るような凛々しさを備えている。
「そうですか。じゃあ波多野氏の軍勢はもうすぐ地獄を体験しますね。いや、天国と表現
すべきでしょうか」
 大将は、すっかり落ち着いて、ゆったりと言った。
「なんにしろ、早いところカタを付けましょう」
 この男、名を一の谷望羊という。戦国時代のどさくさに紛れて、摂津と播磨の国に跨が
る神戸一帯を切り従えて勢力圏に納めた、一の谷源羊の嫡男である。先日、家督を継ぎ、
幕府に大名(藩主)として登録されたばかりだ。知性的な面は、ヤサ男的な二枚目なので
あるが、その性格には人生をナメたようなものが、多分に含まれている。大体、合戦選手
権の初陣で緊張を感じないのは、この男くらいのものであろう。
 しかし、それでも『関ヶ原』合戦選手権は始まりを迎えたのである。
「望羊、そろそろ時間よ」
 携帯用の日時計を確かめていた雪待が言った。それとほぼ同時に、湊川合戦場全体が、
轟わたるホラ貝の響きに満たされた。
《ばおぉーっ、ばおぉーっ》
「一同、礼っ!」
 雪待が全軍に、透き渡るような澄んだ声で、号令を掛けた。
《お願いしやーすっ!》
 全兵が一斉に、海に向かって礼をしながら、叫んだ。合戦は礼に始まり、勝鬨で終わる
のが、決まりである。
 さすがに望羊も床机から立ち上がり、皆に倣う。対戦相手である波多野氏の将兵も同じ
ように礼をしているはずである。
 『関ヶ原』合戦選手権、近畿地区大会、一回戦、一の谷氏対波多野氏の試合が開始され
たのだ。
「それじゃぁ、私は調理場の方を見てくるわね」
 雪待は白金色の小袖を纏った、透けるほど白い身体を翻して、さっさと本陣を出ていっ
た。
「ああ、こちらは相手の軍を捕捉しだい、全軍に突撃の合図を出しますよ」
望羊は雪待を見送りながら思い出していた。五日前に雪待に毒を盛られて、べろんべろん
になった親父を始めとする重臣たちの姿を。雪待が敵でなくて良かったと、望羊は心の底
から思うのだった。

「ラッキーさん、間に合ったようだよ。まだ本陣が残っているから」
身軽に馬を乗りこなしながら、前方に見える一の谷氏の軍旗の立っている本陣を見付けて、
脱兎は明るく叫んだ。
「良かったデス。これで私も合戦レポートを落とさずに済みます。確かルールでは本陣が
破られたら、即座に一本負けでしたね。ということは、まだ一の谷氏は敗れてはいないデ
スね」
 日本の馬より二回り大きい、西洋馬に乗る異国人特派員、ラッキーが表情を輝かせて叫
び返す。
「これは私の最初の『関ヶ原』デス。オォ、神よ、この私の人生にとって記念すべき日を
与えて下さったことを、感謝します」
 ラッキーは感動のあまり、馬上で祈りを捧げた。
 二人は、味方の前線に着いたところで馬を降り、徒歩で本陣へと向かった。
 ぴょーんぴょんと跳ねながら軽快に進む脱兎に追い付くために、息を切らし、早足で歩
きながらラッキーが話し掛けた。
「脱兎サン、そういえばここに来る途中で追い抜いた波多野氏の前線部隊の様子、何か変
じゃありませんでしたか」
「んんーっ、港のすぐ北で行軍を停止していた部隊のことかい」
「そーデス。でも、あれは休息を取っているとか、弁当を食べているという、雰囲気じゃ
なかったデスよ」
「オイラは、あの部隊はよくあそこまで進んでこれたなぁ、と思うよ。今朝はもっと東に
ある生田の森に陣を構えていたのに…。」
 脱兎は、振り向かずに前を見たまま答えたが、最後のほうは口ごもった。
「何か知ってるデスか、脱兎サン。教えて下さい。兵隊たちのほとんどが、のたうち回っ
ていたように見えたのデスが。あれは、私が航海をしてきたナオ船の中で見た、壊血病の
症状とは違いますし…。もし伝染病なら大変デスよ」
 ラッキーが食い下がる。それにしても、脱兎サンはなんという足の速さをしているんだ。
馬に乗るより速いんじゃないか、僕の心臓は破れそうだよ。
「ううーん、伝染病じゃないよ…。あっ、ほら調理場に着いたよ。雪待もいる。おおぃっ、
ラッキーさんを連れて来たよ!」
 脱兎は、ラッキーの方を見ずに、追及をごまかした。
 そういえば、前の方、炊煙が上がっている、陣幕で囲まれた一角から、なんとも旨そう
な卵料理の匂いが漂ってくる。
 ラッキーは、日本に来て久し振りに嗅ぐ、香ばしい西洋料理の匂いで元気を振り絞り、
陣幕を目指す歩みを速めた。

 信じられないことだが、ラッキーは日本の合戦場の陣幕で、オムレツが鉄板の上で大量
生産されている光景を見た。あたりには卵が焼ける匂いが充満している。
 調理場を監督していた女性がこちらに近付いて来た。銀色の髪が眩しい、美人である。
「ハロー、ラッキーさん。お久し振りです。どうです、驚きました?」
その女軍師、雪待が切れ長な目を細めて、楽しそうに話し掛けてきた。
「ハーイ、雪待サン。また会えて光栄デス。この料理は…」
「そうよ。この前にラッキーさんから教わった、オムレツなの。もうこの料理は、名人級
の腕前になりましたわよ」
「では、合戦中の弁当がオムレツですか。一の谷氏の兵隊はなんとも恵まれているデスね」
 ラッキーは、横の鉄板で焼かれていた、出来立てホカホカのオムレツを、ひょぃと一切
れつまんで、口に投げ入れた。
 瞬間、雪待と脱兎の表情が強張った。
「オォ、これにはマッシュルームが入ってますね。美味しいデス。トレビヤン!」
 ラッキーは、前の二人が硬直しているのには気付かずに、満足そうに口をほぐほぐさせ
ている。
「アッ、つい仕事を忘れるところでした。私、雪待サンに質問があります。まず、一の谷
氏の武将たちは、大将サンを始めとして皆々若いデスが、これはどうしてですか?」
 雪待は、冷静な彼女らしくなく、顔を引きつらせながら答えた。
「大将の望羊は、この『関ヶ原』に初陣参加することを、お父上から命ぜられたの。でも、
そのお父上を始めとして、自分より年上の武将がいたら、窮屈で鬱陶しいから、嫌だって
ゴネたんです…」
「それで、望羊サンの前の大名であった源羊サマや、重臣方は、承知したデスか?」
「いいえ。だから私が五日前の出陣式で、そのオムレツを、年寄り連中に振る舞ってあげ
たの。我儘な私たちの大将のためにね…」
「源羊サマや重臣方が食べて、望羊サンが喜ぶ…?」
 ラッキーはその意味が、すぐには分からなかった。が、ぞくっと直感が背筋を走った。
いや、まさかこのオムレツは…。
「そうなの、中にいいものが入っているのよ。そのオムレツには…」
「それで今朝は、波多野氏の陣に、オイラが堺の商人に変装して、そのオムレツをいっぱ
い届けてあげたんだ…」
 いつも元気なはずの脱兎が、小さな声で説明を継いだ。
 毒かっ!ラッキーは確信した。なんてことだ。味方の作った毒に倒れて、夢が叶わない
ままに、僕は死ぬのだろうか…。
 しかし、恐怖とは逆に、ラッキーはなぜか不思議に愉快になってきた。
「ハヒッ!」
 突如、ラッキーの全身の精神網を、痙攣するような笑いの感覚が走った。炊煙が拡大し、
目の前を包みこむように感じた。 これがラッキーの目に、濃い霧のように映ったと同時
に、彼は舞い踊り出していた。ロンドンだ!僕の故郷の霧だ!と笑い狂い、絶叫しながら…。
 脱兎と雪待は、唖然として突っ立ったままである。
「笑い茸って、やっぱりすごいね…」
「そうね、オムレツにすると、知らずに食べてしまうんですものね…」

《対波多野戦、毒盛り一本で一の谷氏圧勝》