ハウスセンゴク
第二章 与野党攻防、OKEHAZAMA!

 ハウスセンゴクの壁に開いた穴は、それほど大きくはなかったので、そこをくぐるとき
には、頭をさげてかがまなければならなかった。今、僕の目に映るのは、足元に大量に散
らばる、コンクリートの破片のみ。ハウスセンゴクの中はまだ見えていない。
 この、肝心のものがすぐには視界にはいらない、という入場のしかたは、僕には期待を
さらに増幅させてくれる、気のきいた余興のように思えた。実際に、一歩瓦礫を踏み越え
るごとに激しさを増して、昂奮が全身を駆け巡るのを感じる。
 さあ、高牙よ。顔を上げて見るんだ、夢にまでみた最新のアミューズメントパーク、偉
大なるハウスセンゴクを!
 僕は、瞬間息を吸い込み瞼を閉じると、すいっと上体を起こした。そしてゆっくりと目
を開く…。
「ぐえぇぇっ…」
 飛び込んできたのは、まさに合戦の光景であった。断末魔の叫びを残して、地面に倒れ
落ちる男。その側には、自分が斬った相手を見下ろして、満足げにうなずいている、黄色
に輝く太刀をもつ豪傑がいる。
 これは、山吹先輩ではないか! まわりをよく見れば他にも二人ばかり、先輩の戦果が
転がっている。そして傍らでは武神教授が、いっそう呆然とした表情で立ち尽くしていた。
「やるじゃないの、山吹。でも相手は丸腰なんだから、勝ってあたりまえかもね」
 ひゅぃと一吹き、賞賛の口笛を鳴らしてから、内侍さんが冷やかすような口調で感想を
述べた。彼女は樹の幹にもたれかかって、すっかり観衆として楽しんでいる。
 それにしても、山吹先輩に倒された敵なのだが、リアルだ。おばさんの格好をして道化
をさせられていたNPCはグロテスクであったが、こうしてじっくり眺めると、人間と区
別がつかない。ロボット工学の進歩に感謝をすべきだと思った。
「何を言っとるのだ、高牙君。彼らは正真正銘の人間じゃよ…」
 武神教授が苦汁に満ちた表情をしながら、かすれた小声で呟いた。
 その言葉を聞くと、僕はぎょっとし、少し後ずさった。なるほど、横たわる人たちが着
ている服は現代のデザインで、しかもなにかしら見覚えのあるものだ。
 そう、これは入り口にいた係員が身につけていた、ハウスセンゴクの職員の制服ではな
いか。
「ここはまだハウスセンゴクの正面広場じゃ。盗賊などの敵役NPCが出現するのは、こ
のまた先にある合戦ゾーンからなのに、慌て者めが。出会いがしらの人間を、光線太刀で
めった斬りにするとはのう…」
 勝ち誇り、腕を組んで犠牲者を踏んずけてポーズをとっていた山吹先輩は、さすがに顔
色を変えた。そして、しどろもどろに弁明を始める。
「あっ、あのぅ、教授っ。この人たちは、いきなり俺を取り押さえようと、襲ってきたの
ですよ。正当防衛じゃないですか」
「君はハウスセンゴクの壁を爆破して侵入したんじゃろ。この職員たちは、勇敢にもその
賊を捕まえようとしたのじゃ。それを相手に喧嘩を売って、剣で薙ぎ倒してしまっては、
まるで居直り強盗ではないか」
 教授は、涙声になっている。引率してきた学生のまさかの不祥事に、顔もこわばってい
た。
「でも、殺してはいないですよ。光線太刀で失神させただけです」
「立派な傷害罪じゃよ」
 僕はなすすべなく、二人のやりとりをただ聞いているだけだったが、ついに教授の口か
ら先輩に対する有罪判決が出た瞬間には、かなりの衝撃を受けた。
 教授はその一言を吐いたとたん、力が抜けたように座り込んでしまった。内侍さんが駆
け寄る姿が目に映ったが、僕は心の動揺が治まらず、何も行動できないでいる。おそらく
非難された当人である山吹先輩は、僕以上に心が痛んでいるだろうと思った。
 だが次に、僕のその感傷をあざ笑うかのような信じ難い言葉が、堂々とその山吹先輩か
ら発せられたのだ。
「じゃぁ、さっさと逃げましょう! 幸い出くわした刹那に倒したので、この敵、いや職
員に顔は覚えられていません。それに俺たちは正門で入場拒否されて、ここにはいないこ
とになっています。完全にアリバイは成立ですよっ!」
 教授に追い詰められると逆に、山吹先輩は本領を発揮し、都合の良いように論理を展開
しだしたのだ。反省などはまったくしていない。教授と僕の口が、ぽかりと開いたままに
なった。
 僕は無意識に、すがるような目で内侍さんを見ていた。このままではあまりにも教授が
不憫なので、内侍さんが山吹先輩の暴言を、激しく非難してくれることを期待していたの
だ。
 僕の願いが通じたのか、教授を助け起こしていた内侍さんが、ついにきりっと山吹先輩
に顔を向ける。そして、穏やかな口調でこう言った。
「そうね、ここにいてもしかたないし、そろそろ先に行きましょうか。ねっ、高牙君?」
 ガーン! 信じられない、あの僕が尊敬していた内侍さんの口から、こんな言葉がでる
なんて。アパ研には、良識のある人間はいないのだろうか…。僕は返事ができず、その場
に硬直してしまった。
 それにも構わず、内侍さんはカバンを左肩に掛け直すと、教授の背中をポンポンと叩い
てから、すたすたとハウスセンゴクの奥へと、歩いて行ってしまったのだ。まったく自然
に、平然と。
「それがしも、内侍殿に同感でござる。三十六計逃げるにしかず、と兵法で申すではござ
らんか」
 それまで影のように控えていた馬耳さんが、勢いよく現れた。そして袴のすそをからげ
ると、小走りに前方へと消えていく。
 あまりにも当然のごとく先へと行ってしまった内侍さんと馬耳さんを見て、教授も山吹
先輩も、まるで精神を掴まれたかのごとき状態になった。緊迫していた空気が、ぷつっと
切れたのだ。この両人は、自分たちが無視されるとは、考えてもいなかったのだろう。
 しかしこれが、教授と先輩にとって、救いになった。
「あ、あぁ。そうだな」
「それもそうかのう」
 そして、今まで口論していたことはすっかり頭から消え去ったのか、糸で引き摺られる
人形のように、内侍さんたちの後をあたふたと追いかけだしたのだ。
 自分勝手な山吹先輩のみならず、教授までもが、逃げた! 自分たちに都合の悪い事件
などなにもなかったかのように。
 内侍さんは催眠術の心得があるのだろうかなどと、馬鹿なことを思いながらも僕は、先
輩の犠牲となった職員たちを皆が放って行ってしまったので、慌てていた。大声で呼んで
も誰一人として振り向かない。教授の背中がぴくりと少し反応したように見えたが、それっ
きりである。内侍さんの出した助け船に乗っかって、すっかり逃避を決め込んでいるのだ!
 僕は、一緒に逃げるべきか、意識を失っている職員たちを介抱すべきか、迷った。後者
は良識的な行動だろうが、そうするとハウスセンゴクへの不法侵入を自首することにもなっ
てしまう。
 その時、人生における重大な決断を迫られているのを自覚した僕の心に、内侍さんの言
葉が、風が吹き抜けるように蘇ってきた。
〈怖いのかい、高牙君。これでびびっていたら、お化け屋敷巡りなんかできないわよ…〉
 いいや、怖くなんかないさ! 僕は唇をぐっと噛み締めた。内侍さんと一緒に世界中の
アミューズメントパークを制覇すると、僕は心に誓ったんだ。こんなところで、捕まって
たまるか!
 決心がつくと、僕は自分でも驚くほど、勇敢になった。いや、暴挙にでたと言うべきだ
ろうか。
 そばに馬車の乗り場があった。戦国時代に馬車があったかどうかは疑問だが、まぁ客サー
ビスなのだろう、とにかく馬車が止まっていた。御者と馬は、ロボットだ。ハウスセンゴ
ク内の巡回コースを走るらしい。
 僕は、失神して倒れている三人の職員を、順番に担いで、馬車に放り込んだ。
「三人で千五百円でさぁ、旦那!」
 僕は、御者ロボットに自腹を切って金を払うと、馬車を出させた。
 馬車は、ゆっくりと遠くを目指して駆けて行く。僕はそれに向かって手を合わし、斬ら
れた職員たちの、意識が戻るまでの冥福を祈った。
 それから僕は、槍を握って走った。薄情にも僕を残してハウスセンゴクの奥のゾーンへ
と消えてしまった、皆んなを追いかけなければならない。
 走りながら考えた。誰が良識のある人間だって? まぁ、いいか。今回だけは、自分で
自分を見逃そう。
 僕は良心の痛みを振り切るように、手にもつ槍をぐるりと勢い良く回転させた。
 さぁ、早く征こう!

 僕が教授たちに追いついたとき、目の前には、水を湛えた幅十メートルほどの堀が横た
わっていた。水堀に掛けられた土橋を越えると、板葺きの屋根をもつ木組みの門が、口を
開いている。
「遅いぞ、高牙。なにをやっていたんだ」
 声がする方向に首をめぐらせると、峠の茶屋風の休憩所の中に山吹先輩が寝転がってい
た。そして他の三人も一緒に、団子を食べたりして寛いでいる。人に苦労を残しておいて、
呑気なものだ。
 山吹先輩は身勝手にも、遅れてきた僕を怒っている。それをなだめる武神教授は、すで
にさっきとは打って変わって上機嫌だ。
「良いではないか、ハウスセンゴクは逃げたりはせんよ。では、全員そろったところで、
合戦ゾーンへの門をくぐろうではないか」
 休憩所を出ると、教授は軽くスキップを踏みながら、さっさと橋を渡って行き、槍をもっ
た門番と話を始めた。
 山吹先輩と内侍さんも、武器を素振りしながら現れる。
「はぁあ。じゃあ、参りまするか」
 最後に、待ちくたびれて居眠りをしていた馬耳さんが、あくびをしながら出てきた。
 これから僕たちがくぐり抜ける、合戦ゾーンへの門の向かって右側には、さらに高く三
重の櫓が聳えている。おそらくそれに登ると見晴らしがよく、門を通ろうとする客の様子
を見物できるだろう。また、左右の土塁の上には塀が築かれており、それがずっと先まで
続いている。
「さぁ、早く来んかい! ほら、これが通行手形じゃ」
 ここでは入場拒否されなかったので、教授は安心して、たいそう嬉しそうだ。表紙が江
戸時代の通行手形に似せてデザインされているガイドブック兼スタンプ帳を、僕たちに配っ
てくれた。
「さぁ、入門するぞ。ここからは戦国時代じゃ。危険が迫ったら光線武器を抜いてもよい
ぞ」
「よく断られませんでしたね。今日は、与党の議員とその支持者の貸し切りじゃなかった
のかしら?」
 内侍さんが、薙刀の鞘を払いながら、質問をした。薙刀の柄の先からは、紫色の光りが
浮かび上がって、反り返った刃を形成する。
「さきほどの門番は、学生アルバイトじゃったからのう。武器はレンタルではなしに、持
ち込みだと言ったら、愛想よく通してくれたわい」
 足取りも軽く歩む教授を見ていると、僕も心が再びうきうきとしてきた。
「そういえばあの門番が、面白い話をしてくれたわい。わしたちが来る十分ほど前に、死
体らしきものを乗せた馬車が、からからと門を通って行ったんじゃと。ほら、気味悪いじゃ
ろう?」
 僕はそれを聞いた瞬間、ぎくっとなり、手から槍をとり落としてしまった。
 それを見た山吹先輩が、ここぞとばかりに僕を責めつける。
「なんだよ、高牙。こんな程度の怪談が怖いのかよ。情けねぇなぁ。ますます次回のお化
け屋敷巡りが、楽しみになってきたぜ」
 僕は頭にきて咄嗟に、拾い直した槍で山吹先輩に切りつけてやろうかと感じた。一体、
僕が誰の尻拭いをしたと思っているんだ、まったく!
「そんなに言わないの、山吹! 高牙君だって、経験を詰めば強くなるわよ。まだ高校を
出たてで、いろんな刺激に対してウブなだけなのよ、きっと」
 僕は内侍さんに笑顔を向けられて、からかわれているのだろうかと感じたが、なにかど
ぎまぎしてしまった。まいったなぁ。
 そんな僕を、内侍さんは面白そうに観察している。
「高牙君も、槍の準備をしたら?」
 そこで、どきどきしながら僕も槍の鞘を取った。澄みきった青、天色の穂が、空に真っ
直ぐに伸びる。それに魂を引きつけられたように見入った僕は、心に呟いていた。槍よ、
ウブな僕を導いてくれ、立派な男にしてくれよっ、てね。

 報道陣がひしめいていた。とあるアミューズメント施設の前である。
「ガイドブックによると、あれは『ノブナガ劇場』、料金千円の最高アミューズメント施
設でござるな」
「でも、いったい何をやっているのかしら?」
 というわけで、興味をそそられた僕たちは野次馬となって、『ノブナガ劇場』に近づい
て行った。
 そこでは、記者団による共同インタビューがおこなわれていた。インタビューされてい
る人物の左胸には金バッジが輝いている。ニュースによく出てくる、与党の中でもかなり
の大物議員だ。このような人まで来ていたのか。これでは、僕たちなど、入場拒否されて
もしかたがないな、と思った。
〈ハウスセンゴクを御覧になって、どのようにお感じになりましたか?〉
「私は、この施設はたいへん素晴らしいものだと考えております。特にこの『ノブナガ劇
場』! なにしろあの戦国の英雄、織田信長の生涯を体験できるのですからな」
〈それは、選挙前の大事な時期に、わざわざ与党の国会議員の多くを集めてまで、体験さ
せるべきものなのでしょうか?〉
「無論です! この国際化社会の荒波と不況にもまれて、この日本国が苦しんでいる時に
こそ、先進的な気性で天下布武をなしとげる寸前まで戦い抜いた希代の英雄、信長公に、
われわれ政治家は学ぶべきなのです。また、それを各界の方々にも知っていただきたく、
財界や芸能界からも、『ノブナガ劇場』にお招きした次第であります」
〈与党だけでなく、野党の議員さんの顔も見うけられますが?〉
「日本の将来を背負うのは、われわれだけではない。野党の先生方にもがんばってもらわ
なければいけませんからな!」
 そういったやり取りの後に、議員たちや財界、芸能界からの招待客は、手に手に光線武
器をもち、勇んで『ノブナガ劇場』の中へと入って行った。
 とたんにインタビューをしていた記者たちはさっと散らばり、一斉におのおのの社のテ
レビカメラに向かって、実況レポートを始めた。
〈『ノブナガ劇場』での合戦の模様は、中に入ったテレビカメラからお茶の間に中継をい
たします。さぁ、日本の明日を担う議員の先生方が、動乱の戦国時代にタイムスリップを
して、どのような行動をとるのか、注目してみましょう。またこの特別番組が、テレビの
前の皆様の、来月の選挙での投票を決める参考になれば幸いです!〉
 議員の先生はともかくとして、さぁ、ここで僕たちはどのような行動をとればよいのか、
それが最も重大な問題だった。僕は、何か嫌な予感がした。
「記者会見は終わったようじゃし、わしらもそろそろ動かねばならんが、どうするかのう?
『ノブナガ劇場』の他にも、いろいろと施設はあるぞ。一番奥まで行けば『オオサカ城』
があるし、『茶の湯博物館』や『琉球航海探検館』も興味深いぞ」
 武神教授は、僕たちアパ研のメンバーの反応を伺うように、ぐるりと一同の顔を見渡し
た。
 僕は力強く瞳を輝かせながら、こくこくとうなずいて、教授が言ったような他の施設に
行きましょう、という気持ちを表情と態度で示した。しかし、そのような謙虚な方法をと
るべきではなかったのだ。特に、このサークルでは!
「俺は絶対、『ノブナガ劇場』にはいるぜ!俺が信長に代わって、天下をとってやるのさ」
「わたしも、『ノブナガ劇場』に興味があるわ。それに、政治家とアミューゼメントパー
クなんて、絶好の研究対象じゃないの!」
「それがしも、一度でよいから信長公の元で戦働きをしたいものよと、かねがね願っておっ
たのでござるよ!」
 嫌な予感が、当たった。僕は慌てて、教授が決断を下す前に、反論をした。
 国会議員の先生が主催のイベントに入れるわけがないでしょう。現に入り口で入場拒否
されたじゃないですか、と。
「高牙君、そんなことで怖じ気づいていては、アミューズメントパークは楽しめんよ。そ
れに、わしはだてにハウスセンゴクの企画に参加しておったわけではない。裏口をちゃん
と知っておるから、そこから入れば大丈夫じゃよ。安心せい!」
 僕を覗く三人のアパ研のつわものが、大声で万歳三唱をした。そして、教授を急かせて、
裏口へ早く案内してくれるように、頼んでいる。
 僕の背後を、チリンチリンと染み入るような音を響かせ、風鈴売りがのどかに通りすぎ
て行く。平和な、ハウスセンゴクの初夏の一日。これから、どんな恐ろしいことがおこる
のか、僕には想像できそうな気がした。
「何をぼおっとしとるんだね、高牙君。出発するぞ」
「教授、それを言うなら出陣でござるよ」
「そうだっ! アパ研の初陣を祝して、勝鬨をあげるぞ。それっ、えい、えい、おうっ!」
「おうっ!」
「おうっ、でござる!」
「おうっ! わしも年がいもなく、興奮してきたわい」
 そして一同、わめき声と共に、めいめいの武器を振り回しながら、『ノブナガ劇場』へ
と突進していった。
 僕はこの、まったく良識と常識がないアパ研のメンバーと行動を共にするのをためらっ
て、立ち止まっていた。
 その僕の背中を、いきなり内侍さんがパシッ、と大きく叩いた。
「こんなことでびびってちゃ、だめよ。人生には、これよりもっと勇気のいることが沢山
あるのよ」
 内侍さんは、僕を待っていてくれたのだ。そして、僕の心の葛藤を見透かしたように、
黒い瞳で見詰めながら、励ましてくれる。僕は、感動で涙が滲んできた。やっぱり内侍さ
んはいい人だなと。
「これなら最新のジェットコースターに乗るほうが、断然勇気がいるわ! それに比べた
ら、国会議員なんて全然怖くないわよ」
 僕は思わず、くすりと笑ってしまった。内侍さんらしいたとえ方だな、と。
 そうだね。もうこうなったら、成るようになれだ!
 半ばヤケになった僕は、おうっ! と怒鳴り槍をブン回すと、内侍さんの手を引っぱっ
て、一目散に『ノブナガ劇場』へと駆け出したのだ。

 僕と内侍さんは、教授たちが使った裏口から『ノブナガ劇場』へと入り、そのまますうっ
と正面へと回っていった。
 そこには、さきほど記者団からのインタビューに答えていた与党の議員がいた。床机に
腰をかけて、舞扇をもってどっしりと構えている。あとは五名ほどの側近が背後に控えて
いるだけだ。まわりは陣幕で囲まれており、ドラマの合戦シーンにでてくる、大将がいる
本陣のようだ。なかなかよくできたセットだと感じた。
「遅いではないか! もう他はすべて配置についたというのに」
 議員はいきなり、ドスの利いた大声で怒鳴った。さすがに僕はむっときたが、相手は大
物国会議員、迫力が山吹先輩とはケタ違いで、凄い。僕の足はすくんでしまった。
「あなたは、一体だれなのですか」
 内侍さんも気圧されたようだが、アパ研で鍛えた勇気で、この議員に強気で挑んだ。
「ははっ、私かね。ちゃんと入り口での説明を聞いておきたまえ」
 議員は、面倒くさそうな口調にもかかわらず、本心はこの質問を待ち望んでいたかのよ
うで、にやっと笑った。そして、いっそうふんぞりかえりながら、自己紹介を始める。
「私は、今回の『ノブナガ劇場』で織田信長を演じることになった! つまり、諸君らの
主君というわけだ。偶然にも私は本名も織田だし、政界では与党の重職を担っておる身分
である。これはまったく、私に相応しい配役ではないか、がははっ!」
 ずいぶん勝手な言い分だ。これなら山吹先輩のわがままなどかわいいものだと思った。
 それはともかくとして、僕たちは裏口から入場したので『ノブナガ劇場』の説明を聞き
そびれたようだ。この失策は、この施設を楽しむ上において、かなりのハンデとなるだろ
う。今だって、目の前で高笑いをしている織田議員が信長役だからといって、それがどう
したのだという気分だ。
「君らには、丸根砦を守ってもらおう。このボタンを押すのかな、それ」
 織田議員は、戸惑っている僕らを無視して、勝手に命令をくだすと、彼の横にある操作
パネルのようなものをいじる。すると、本陣の奥からコトコトという音をたてて、騎馬ロ
ボットが二頭、歩いてきた。
「それに乗って、行きたまえ。目的地はこの操作パネルですでにインプット済みだ」
 内侍さんと僕は、顔を見合わせた。なにがなんだか、さっぱり分からない。
「そうね、信長様の命令には逆らえないようだし、征こうか? どこに連れて行かれるか
分からないっていうのも、なんだか面白そうだしね」
 そう言って、内侍さんは白馬にひらりと跨がった。僕は、その後ろの赤馬にぎこちなく
乗る。
 刹那、二頭の馬はビヒーンと嘶くと、コトコトと歩きだした。なかなか気持ちがいい。
僕は、胸が踊るのを感じた。背後から、織田議員信長様の声が届く。
「健闘を祈るぅ! 今川勢はすぐそこまで進軍してきておるぞぉ。せめて史実どうりにゲー
ム時計で七時間はもちこたえてくれよぉ」
 いったい信長様は何を言っているのでしょうね、と僕が前方を進む内侍さんに呼びかけ
ると、内侍さんは無言でさらに前を薙刀で指し示した。そこには、木でつくった道案内板
が立っている。
《シナリオ1 OKEHAZAMA》
 桶狭間だって! じゃあ、僕たちは有名な桶狭間の合戦の世界を、これから体験するの
だろうか?
 内侍さんの呟きが通路を吹き抜ける微風にのって流れて、僕の耳に伝わってきた。
「一五六〇年、桶狭間の戦いにて、織田信長は今川義元を破り、その首を取ったわ。兵力
は今川軍二万五千に対して、織田軍はわずかに三千…。勝ったのが不思議ね」

 馬は、二分ほど緩歩した後に、天井から垂れた黒布の幕をくぐったところの、薄暗い広
間で止まった。
 広間といっても地面には土が敷かれていて、ところどころに草が生えている。とても屋
内とは思えないが確かに天井はあり、見上げるとプラネタリウムのように月と星が映しだ
されていた。そしてまわりには柵が巡らされている。これは、とてもリアルな、砦のセッ
トだ!
 僕と内侍さんがきょろきょろとしながら馬から降りると、白髪まじりのやせた男が駆け
寄ってきた。この男も胸に金バッジをつけているが、信長役の織田議員と比べると、かな
り貫禄で見劣りがする。
「ようきてくれた、こんな所ですまんなぁ」
 その男は、なぜか全身を不安気に震わせている。特に顔面は、恐怖に引きつっているの
がよくわかる。
「ぼ、僕の名は佐久間いいます。野党の議員なんやけど、こ、この丸根砦の守将役をやら
せてもらってます」
 じゃぁ、偉いんですね、お互いがんばりましょう。と言って、僕はさっと敬礼した。佐
久間議員は、手を左右に振りながら、早口でしゃべり続けた。
「なにいってますのんや。あ、あんた史実を知りまへんな。この砦は最前線にあって、皆
が知ってる決戦の前に、今川氏の大軍に攻め落とされたんや。でもって悲惨にも、守備兵
は玉砕してますんやで。こ、こんなとこに僕を配置しよってからに、これは絶対に与党の
嫌がらせですよ」
 内侍さんは、愉快そうに佐久間議員の大阪弁を聞いている。
「たかが、ゲームでしょう。そんなに恐れることはないじゃない。どうせ敵の今川兵はN
PCロボットなんですから、精一杯合戦を楽しみましょうよ」
 それもそうだ、と僕もふむふむとうなずいたが、佐久間議員はちゃいます、ちゃいます
と否定をする。
「そ、そうはいきませんよ。この『ノブナガ劇場』のゲームはテレビ中継されてますねん
で。あまりぶざまに負たら、僕は来月の選挙で落選ですわ。議員も辛いんでっせ」
「じゃぁ、カッコよく戦って散ればいいじゃないの。大坂の陣の真田幸村みたいにさ。そ
したら、当選確実よ」
 内侍さんのアドバイスは適確だと、僕も思ったが、佐久間議員はしゅんとして顔を伏せ
てしまった。
「あんたらは、まだ知らんのや。『ノブナガ劇場』の合戦がどれだけリアルかを…」
 そして、佐久間議員は顔を背けて、砦の片隅を指差した。内侍さんと僕は、そちらに視
線を移す。
 げっ! げげっ!
 そこには、戦死体が五体ころがっていた。そのうち四体はNPCのようだが、後の一体
は、人間だ! 失禁してズボンを濡らし、口からは涎がだらだらとたれている。しかも全
身が、電気的にピクピクと痙攣をしつづけているのだ。
「ひどい格好ね…」
「僕の後輩の服部ですわ。さっき敵の物見の部隊と遭遇しまして、彼はよう戦こうたんで
すけどね。光線武器の威力は、無茶苦茶に強力ですよ。か、彼がどれだけのたうちまわっ
て苦しんだか。もう僕は、戦いが恐ろしい…」
 僕にも、佐久間議員の震えがすっかりのり移っていた。内侍さんもさすがに、笑顔を消
して、考え込んでしまう。
 そのとき、NPCの見張り兵が、声も裂けよとばかりに叫んだ!
「敵襲ぅっ! 今川兵が、攻めて来たっ!」
 ひゃーっ、来よったでぇ、という佐久間議員の声が、丸根砦に響き渡る。
 僕の頭の中は、恐怖と混乱で真っ白になっていた…。