週末は恋人


 思うように火が点かず、途方にくれてどうしようかと思っていると、背後から、声。
 慌てて振り向くと、楽しそうにくつくつ笑っている、人。
「あ…」
「みーつけた」
 見覚えのある容姿に、焦る。
 新任の、数学の先生。こんな風にサボったりするようになる前、クラスメイトがカッコいいって騒いでいたのを覚えてる。
 だって。
 自分だって、カッコいいと思ったのだ。


 見られた。


 絶対に見つかっちゃイケナイのに。


 ううん。


 見つけて欲しかったかも、しれない。


 出来たら、このヒトに。




 困惑の表情を隠せないまま、相手を凝視する。何を言われるのだろうか。やっぱり、叱ったりするのだろうか。
「せ…せんせい」
「ハイ。…喫わないの?」
「あ…」
「喫わないなら、俺にチョウダイ」
 硬直してしまったのを気にも止めずにのんびり言うと、両手から煙草とライターを奪う。
 給水塔に寄り掛かって、手馴れた所作で火を点けると、ふわりと煙を吐き出す。
「くぁー。セッタなんて久しぶり…。どしたの?」
 紫がかった煙が立ち上っていくのをぼんやりと眺めていると、不思議そうな声が降って来る。
「…怒ら、ないんですか?」
「怒って欲しいの?」
 思い切って尋ねてみても、変な反応が返ってくる。
 サボってたのに。
 タバコ持ってたのに(吸えなかったけど)。
 自分は生徒で、目の前の人は先生なのに。
 何で叱らない?
 解らなくて、見上げてしまう。
「…淋しそうにボンヤリしてて、煙草の喫い方一つ知らない子を?どうやって怒れば良いの?」
 不意打ちのようにしゃがんで自分と視線を合わせて、に、と笑う顔に息を飲む。
「だ…て。授業…」
「授業なんか、出たくない時もあるデショ。俺なんかサボりまくってたよー。しょっちゅう呼び出されてた」
 これがまた面白いセンセーでねぇ。
 くつくつ笑って続けるのに気が抜ける。
「それ…も」
 おずおずと灰が伸びるタバコを指差すと、パラリと灰が落ち、それに目を向けた教師は更に笑う。
「火の点け方も知らなかったクセに。持ってたって方が不思議だぁよ」
 もう一口、吸い込んで美味しそうに煙を吐く。先刻、紫に見えた煙は、今度は白が強くなっている。
 吸殻、そこら辺に捨てたら嫌だな、と思いながらゆっくり口を開く。
「…父の、だから」
「あー。だろうねぇ。コレ、女の子煙草じゃないよ」
 タバコを銜えたまま、煙を揺らして話す。
 燻らせてる、て言うのかな。
 場違いな事を考えて、かなり短くまで吸いきったタバコを見ていると、どこからか出した携帯灰皿に吸殻を突っ込む。
 自然な仕草。
「…せんせい、タバコ、吸うの?」
「たまーにね。買ってまでは喫わないけど。コレはね、昔、知り合いに貰ったの。たまに役に立つから」
「ふぅん」
「何で?」
「美味しいのかな、て。父、は、長い包みでいっぱい買ってた、から」
 楽しそうに鼻歌を歌う父親の手元のビニール袋から、何本も出てくる、タバコの箱。それを見て、怒る母親の顔。
 もう、二度と見る事の出来ない、情景。
「ヘビースモーカー?」
「うん。長い包みの中から普通の箱が出てくるんだけど、1日で包み、なくなってた」
「1日1カートン?そりゃ凄い」
「カートン?」
「長い包みの単位だよ」
 この箱が十箱入ってたでしょ。
 首を傾げると苦笑される。
「…知らなかった」
「そりゃ、興味ないとねぇ。…さて。一服したし?ちょっと先生っぽい事しよっか」
 くしゃりと、髪が乱れない程度に撫でられ、目を見開く。
 首を鳴らしながら胡坐をかき、バリバリと頭を掻いて、目を細める。
 それをじ、と見ていると柔らかく笑い掛けられ、瞬時に顔が熱くなった。
「んじゃ、質問に答えてね。最近、よく休んでるけど、授業詰まんない?」
「…別に…」
「じゃ、イイコ疲れた?」
「…うん」
「そっか。そりゃしょうがないねぇ」
「しょうが、ないの?」
 叱るでもなく肯く相手に逆に不思議になる。
「うん。やる気ないモノはしょうがないでしょ。まぁ、今までイイコだったから、先生方が心配してるけどね」
「そんなの、いらない」
 肩を竦めるのに顔を背ける。
 嘘ばっかりの心配なんて、要らない。
 欲しいのは本物だけ。
 でも、本物は、もう、ないから。
「イイコじゃなくて良い。悪い子になりたい」
 方法は知らないけど。
 授業をサボる事くらいしか、思いつかなかった。
 タバコの吸い方だって、知らなかった。
 でも、イイコじゃないのが良い。
 イイコでも、心から喜んでくれる人はもう、いないから。
 悪い子になったって、何にも楽しくないかもしれないけど。
 それでも、少しはマシかもしれない。
「悪い子になりたいの?」
「なりたい」
「…じゃ、究極に悪い事、一つ教えてあげるから。他は勘弁してくれない?」
「え?」
 突然の提案に首を傾げる。
「オトナなんて、騙しとけば良いよ。形だけイイコに戻れば。それで、安心するから」
 妙な事を言い出す相手は、笑顔を絶やさない。何かを企んでそうな、そんな表情についつい、引き込まれてしまう。
「俺のはともかく、他の先生の授業は出てね?」
「…悪い事、教えてくれるなら」
 確認するように言い含められるのに頷いて。次の言葉を待ってしまう。
「Parent-Teacher Associationにバレたらタダじゃすまない、究極の悪い事、だよ?」
「うん。いい」
 改めて言われても、答えは変わらない。
 自棄になってると思われたって、別に構わなかった。
 もう、どうだって良かったから。








「じゃ、俺と恋愛しようね」



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※セッタ=セブ○スターの略。…ご存知でしょうけど、まぁ、一応。