杞憂


「…ふむ。此度はこの程度で良かろう。すまなんだな、カカシ」
「任務ですから」
「したが、そなたには感謝しておるのだ。どうだ?正式に我が国の軍事顧問にならんか?厚遇するぞ」
「忍者稼業が性に合ってるんですよ」
 上機嫌の依頼主に苦笑する。
 顔を合わす度の仕官の勧誘も既に数え切れない。火の国の国主は、殊のほかカカシの頭脳をお気に召してくれて居るらしい。
『火の国の軍事に助言を』という、ある意味稀有な依頼は、十数年前からカカシを指名する事で成っている。
 事実上、一国と見なされていようとも、『木の葉の隠れ里』が火の国に所属している以上、その軍事力は見逃せる筈もなく。当然ながら火の国の軍備の一端を担っている。形としては、兵役・仕官ではなく、専属の傭兵集団のような形態ではあるが、それは忍と言う特殊な職種故である。これ自体は、火の国に木の葉が成立して以来の契約なのだが、現国主は純粋な兵力としてだけでなく、「頭脳も」と、要望した。
 忍を軍備として雇い、使う以上、火の国の軍事機密は木の葉の下に漏洩される事は必至。どうせ隠しておけないならば、共有してしまえ…と、考えたらしい。
 これは、国主が、四代目火影と旧知であり、公私に渡って交流していたが為の発想である。そしてまた、『依頼』されての『任務』である以上、他国への機密漏洩はあり得ないとする職務上の倫理も、その発想を後押しした。
 頭脳提供者として、カカシに白羽の矢が立ったのは、勿論その明晰な頭脳故ではあるのだが、何より四代目の直弟子であり、最も信用のおける者、そして人質としても最適と判断されたからである。
「四代目と同じ事を言う」
「申し訳ありません。…それより、弟君…いえ、将軍がいらっしゃらないのは何故ですか?」
 機密性の高い依頼とはいえ、上位の関係者の不在に首を傾げる。同席していない事に対する怪訝…と言うよりも、城内不在に対する疑問である。
「あぁ…。あれは木の葉に行っておる」
「里に?何か不都合でもございましたか?」
「い、いや。違う違う。そのような事はない」
 自らに不備があったのでは、と言うように眉を寄せると、慌てたように首を振る。それをじぃ、と見詰め、無言のまま水を向ける。
「木の葉に意中の相手が居るとかでな。足繁く通っている」
「…それはそれは」
「おお。そなた知らんか?イルカとかいうくの一でな。アカデミーの教師もしておるとか」
「…イルカ、ですか?」
 苦笑しつつも穏やかな表情の中、導き出された名前に、密やかに笑う。誰よりもよく知る名をあっさりと提示されたが、どのように答えたものか逡巡する。
 最も効果的、且つ印象深い答え方を。
「うむ。受付も兼任しておるそうだが…。どうだ?どのような女性か知らんか?」
「…妻です」
─────────────────── …は?」
「イルカなら。私の妻です」
 鮮やかに笑ってみせる。刹那、依頼主の顔色が変わる。それを見て、カカシの笑みが一層深くなる。
 この人物は、十年前の祝言の時にお忍びで里へ来ていたのだ。その際、自ら寿いでいる。名前はさておき、イルカの顔は憶えている筈。
 カカシの、彼女に対する執着も、よく、知っている筈だ。
「…あの娘か…」
「憶えておいででしたか」
 項垂れたように深い息を吐く相手に、微苦笑を浮かべる。
「当たり前だ。次代火影の妻を忘れる訳にはいかん」
「恐れ入ります」
 次代かどうかなぞ、カカシには興味のない話だが、その立場に効力がある時には否定をしない。そして、止めとも言える言葉を口にする。
「…故意であろうとなかろうと、弟君を惑わすなど、不徳の極み。私自身の管理不行き届きも含め、帰里次第厳重に罰するとしますが、お許し願えますか?」
 姿勢を正し、頭を下げる。見なくても、相手が、慌てるのが判った。
「必要ない。アレには私からよく言い聞かせよう。すまぬ」
「ありがとうございます」
 依頼主…国家元首に頭を下げさせ、神妙な表情で恐縮を装いながらも内心ほくそ笑む。この人物から、言質が取れればそれで良い。後は子供達が何をしても大義名分が立つ。
 件の弟君も、別に気持ちの良い優秀な人物なのだが、事が事なだけに、今回ばかりは周到にしていて損はない。
「…戻るか?」
「お許し戴けるなら、すぐにでも」
「許す」
「ありがとうございます」
 言葉と共に、姿を消した。


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