休日


「どこまで行くの?」
「後ちょっと」
 同じ問答を何度か繰り返すと、カカシは気付かれないように小さく息を吐く。
 一見、とても楽しそうにしている愛妻は、どうやら、殊の外ご立腹のようである。
 出掛けに渡された、何が入っているか判らない、異様に大きな荷物もそれを裏付けていて、内心、頭を抱えてしまう。
 彼女を怒らせる理由に心当たりがありすぎて、実は、お手上げ状態だったりするのだ。
 昔から、本格的に斜めになった姫君の機嫌を直すのは苦手なカカシである。
「カカシさん?」
「何?」
「もう、着きますよ」
 今回は声をかけてくれるだけマシと思いつつ、周囲を窺う。里外れの家から、更に里境方向に進んでいるので、どうやら目的地は人気のない所。記憶から推察するに、子供の頃、二人でよく遊んだ場所に向かっている気がする。
 あまり里を離れるのは良しとしないが、この程度なら大丈夫と、肩の力が抜ける。
「ん〜」
「どうしました?」
「…結構、遠くまで来てたんだなぁ、ってね」
「…場所、判っちゃいましたか」
 苦笑する相手に頷く。推理は正しかったらしい。
 それにしても…である。
 大人の足でも、既にそれなりの距離を歩いている。子供にはかなり遠かったろう。平均基準を大幅にずれていた自分はともかく、イルカもよく、嫌がらなかったモノだと、今更ながらに感心する。
 里を隠すように形成された森の中、大人一人がやっとの道を抜けていく。
 里への侵入者を防ぐ為、意図的に鬱蒼とさせた森を迷いなく奥へと入って行くと、突然、ぽかりと空間が開く。
 木々に囲まれた、然程大きくはない池沼。その畔。
 人も殆ど訪れないそこは、伏流水が湧き出ている所為か、水深を見誤る程に透明度が高く、明鏡止水を絵に描いた様で、覗けば魚が泳いでいるのまではっきりと見えた。
 沼の円周の七割は水辺からすぐ岩肌が見え、隙間を縫って背の高い樹木が生い茂っている。残り三割の岸辺がなければ、人が踏み入れるような場所ではない。水の透明度や水深から、厳密に言うと、湖に区分するべきなのだろうが、その辺はイメージと言い伝えを優先。
 また、言い伝えの所為で里の者は滅多に近寄らない、穴場でもある。だからこそ、大人に内緒の遊び場として利用していたのだけれど。
「…あれ?」
 記憶と微妙に差異のある場景に、カカシが首を傾げる。基本的な変化はない。
 だが、どこかが違うのだ。記憶力に自信があるモノの、その差が上手く表せない。
 尤も、軽く十年以上、足を向けた事がなかったのだから、様変わりも仕方がないのかも知れないのだが。
「こんなに、花、あったっけ?」
 唯一、遊び場にもなり得た汀の空間が、花に彩られている。葦・荻・真菰・浮矢柄等の草、小楢を始めとする落葉樹は、一般的に沼の代表する植物で、子供の時にも見かけたものだが。今、目にしているモノは、それとは違う。
 野に自生する物と、人が品種改良した物。
 それが入り混じっている。
「ここ十年くらいで移植したんです」
 くすり。
 自身の記憶の正確さを肯定されて、ほっとする。
「へぇ」
「結構、頑張ったんですよ。根が張るまで鉢で育てて、何度も往復して移植して。定期的に肥料をあげたり…ね」
「…意外な才能を発見。じゃあ、もしかしてこの大荷物、俺達の弁当の他に、彼らの食事も入ってるの?」
「そうです。折角のお休みですから、手伝って戴こうかと」
 鮮やかに笑う、その裏を見て、内心で苦笑する。
 服を変え、場所を変え、非日常を演出する。
 それはきっと、イルカの苦肉の策、なのだろう。放っておけば、興味と懸念の赴くまま、延々と『忍』から離れられない、カカシへの。
「カカシさん?」
「んー。今、シート敷くから待ってて」
 無言のまま荷を解くカカシに不安そうな声。
 …コレくらいで損ねるような機嫌なぞ、持ち合わせてはいないのに。
 それに、本来ご機嫌が斜めなのは自分ではなくて、相手の方の筈だ。まぁ、そんな姿も可愛いのだが。
「はい。座って」
 一際濃い色を映す木陰を選んでシートを敷き、こっそり持参していた大きめのクッションを置く。予想外の代物の登場に、目を見開く相手をふわりと抱えて、その上に下ろした。
「腰は痛くない?しばらくそこに居てね」
「え?」
 慌てて腰を浮かすのをやんわり戻す。
「急いで肥料やって来るから」
「一緒に…」
「折角の白いワンピース、汚したら勿体無いよ」
 新しいんでしょーに。
 そう続けると、頬が染まる。そこに一つ、唇を落とすと袖を捲った。
「昼の用意してて」


3← →5