神婚


「何奴!」
 背後で起きた派手な破壊音に反応した、目の前の人物の時代がかった誰何に思わず脱力しかけるが、なんとか無表情に振り向く。
 少々機嫌が悪そうな気配が気になるものの、それでもイルカが待ち望んでいたものには違いない。
 安堵の息を吐きつつ、待ち人が現れるのを待った。
「引取り人です」
 玲瓏な低い声が豪奢な部屋に響く。
 すぐ近くまで来ていた筈の雷が遠くに聞こえるのは、決して気のせいではないだろう。
「ご依頼の神事はお済みでしょう。速やかに中忍うみのイルカをご返却戴きたい」
 視線がちらりと向けられ、薄く目だけで揶揄われる。その目の奥が、軽く潜められたのを敢えて見ないフリをして。
 モノ扱いかと、拗ねた視線で見返せば、素知らぬ顔をされてしまった。
「…何の話だ?ここには中忍なぞはおらん。そなたの言うが木の葉よりお帰りいただいた巫女姫の事であるなら、筋違いである。姫は我の妻となるのだから」
 皓く光るチャクラ刀の刀身に目を眩ませ、震えながらも言い募るその言葉に、現れた人物はわざとらしく目を瞠る。
 その態度に、失笑しかけたのは雫。イルカは、これから始められる神事に軽く息を整える。
 言葉一つ間違えただけで失敗する、言霊の神事。
 ちょっと変わった、婚礼の神事。
「それはそれは。…中忍じゃないんだってね?イルカ?」
「…自分では中忍だったと記憶してますけれど。あ、でも、『うみのイルカ』はいないかもしれませんね?」
「そうだね。『はたけ』だもんね」
 澄ました顔で告げれば、愉しそうに返される。
 その場にいる者を無視して始めた、この言葉遊びが、実は神事を呼び興すモノであるのを、居合わせた二人は知らない。知らないままに、神事の立会者に仕立て上げられてしまう。
 それも、仕方がない。これは、引き離された二神の、迎えの神事でもあるのだから。
「知らぬ間に離縁されたかと思いました」
「それはこっちの科白。《起きた朝に消えるのは止めて欲しいところだ》ね」
「申し訳ありません。《雨を呼ぶ儀があり》まして」
「《知って》るけどね?」
「えぇ。《ごめん》なさい」
「イルカ《詩瀬里》」
「はい。何でしょう、カカシさん《なぁに?緑江くん》」
「《還っておいで》用は、済んだんだろう?」
「《良いんですか?》…夫ある身であらぬ申し出を受けておりますけれどね」
「勿論。《他は要らない。偽れない。だから迎えに来た》んだからね」
「《…戻っても?》」
 カカシとイルカの声に、音ではない何かが重なってくる。自分達に言い易いよう、気付かれないよう、言葉尻は変えているのに、姿に、気配に別の何かがダブるのだ。
 その様子に『立会者』は、ただただ二人を凝視してしまう。
「《二度と離されたりしない》から、ね」
 気が付いたように、喚きながら寄ってくる、契約不履行の雇い主を刀で薙いで威圧し、イルカに手を差し伸べる。
 その流れる所作に淡い笑みを浮かべ、傍に置いていた雫の手を借りて立ち上ると、舞うようにカカシの手を取った。
「《お帰り》」
「《ただいま》帰りました」
 添えられた手を取り、自らの腕の中へ閉じ込める。ここまでの一連の動きにたった二人の観客は息を飲む。




 そして。






「…カカシ。国主は今回の件は関知しないってよ」
 場を壊す、のんびりした声で空気が溶けた。


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