神婚


「戻ったか。早かったの」
 火影の執務室に余計な気配がないのを確認し、音もなく戸を開ける。刹那、下を向いたままの三代目から声が掛かった。妙に硬い声の相手に内心溜息を吐き、執務机の前に立つ。
「連絡鳥寄越したの、火影サマでしょ。…ってか、何やらタノシイ事になってるようで」
「誰に聞いた」
「うちの子」
 不快感を隠さない三代目にさらりと告げる。
 任務中、緊急で里に戻されるのは過去に幾度もあったが、同じタイミングで子供達が泣きついてくるなぞ、そうはあり得ない。

 火影と子供達が同じ用件でもない限りは。

 そして、この三代目の態度から、こちらもどうやら子供達の用と同じと踏む。
「ならば、話が早い。…イルカがの、戻って来ん」
「そのようですね。連絡は」
「このような物を遣して来た」
「…あーらら」
 不機嫌に差し出された書簡にざっと目を通し、気の抜けた声を出す。
 差出人は、波の国の横にある、海沿いの小国。本来なら疾うに終わっている筈の、イルカの任務先。差異はあれど、基本的に木の葉と同じ神を祀る一族の居る国。
 そして内容はと言えば。
「木の葉の舞巫女『うみのイルカ』を、大名家へ正式に娶りたい…ねぇ」
 慇懃ながら、意味のない言葉で飾られた書簡の内容を要約し、くつりと笑う。ある程度、予測の内ではあったけれど。それでも、歓迎しかねる事態ではある。
「うみのイルカは巫女じゃなくて中忍なんですがねぇ。そっちは無視ですか」
「そのようじゃの」
「それに…」
 一呼吸置く。
「娶るも何も、俺はまだ、三行半を渡されておりませんが?」
 木の葉隠れ里及び、火の国の法は勿論、この国の法でも重婚は禁じられている筈。従って、現状でこの申し出は受け入れられる訳もない。
 知られていようとなかろうと、イルカは既婚なのだから。
「…向こうがそれを知っとる訳なかろうが。それに、イルカが巫女筋である以上、それは瑣末な事と判断されるじゃろ」
「ごもっとも」
 詰まらなさそうに言うのに同意すると、苦笑気味に肩を竦める。
 頭の片隅で、ぱらりと木の葉神社の縁起と、それに伴う木の葉の歴史のページが捲られた。
 件の国から、木の葉の祭神の下に嫁いだ水の媛。そして、それに付き随った巫女の一族。
 イルカは…うみの家はその裔なのである。
 今回、新年神事を復興した際、未だその巫女筋が絶えていない事が知られたのだ。それ故、既に巫女の絶えていた先方の神事に招かれたのだが。
 手放したくなくなったと言う事だろう。
「…取りあえず迎えに行きたいのですが?」
 ひらひらと書簡を弄び、三代目の前に置く。穏やかな口調は保っているものの、僅かにチャクラが爆ぜる音がする。制御しきれない内心の苛立ちに、他人事のように嘆息する。
 どうやら自分は、かなり怒っているらしい。
「それとも、里の判断は別にありますか?」
 無言の三代目を静かに促す。
 個人の事情と政治的利益。馬鹿馬鹿しくも無視できるモノでもない。もっとも、表情を窺った範囲では、私的感情は訊くまでもない。では、公的判断はどうだろうか。
 少し、探るような目つきになったかも、しれない。
「…元々水の媛は自分達の土地の神であり、巫女共々返せ…という事なんだろうがの」
「でしょうね」
 唸る三代目に同意する。
 巫女の一族…イルカの先祖がこの土地に来たのは、木の葉隠れ里の興る遥か以前の話だと言うのに。事が『神事』と言うだけで、年数も個人の事情も無視しようとする。それが神事と言ってしまえばそれまでだが、もっと現実と折り合いをつけても良いだろうに。
「ところで、神官筋の者は何と申した?」
 ふと、思いついたように三代目が訊ねる。その表情は、ぷかりと浮かんだ煙管の煙に隠された。それを溜息半分で見遣り、ゆっくりと口を開く。
「『イルカ先生が、予定日になっても、全然帰って来ないんだってばよ。カカシ先生、何とかしてくれってばよ』」
「…お主が言っても可愛くないの」
 殊更にナルトの口調を真似てみると、嫌そうに吐き捨てられる。
「…放っておいてくださいよ。俺に相談しろって、アイツらに仰ったの、三代目だそうじゃないですか」
 自身に可愛げがないのは百も承知である。今更言われるまでもない。
「…まぁ、良い。唯一の直系神官の言質も取ったのでな。護筋に社の意を伝える」
 にやり、と口の端を持ち上げる三代目の意図を汲み、軽く跪く。
「『水の媛を二度散らすな』…速やかに媛と憑坐たる巫女を奪還せよ」
「御意。…それにしてもまぁ、嫁を迎えに行くだけだってのに仰々しい事で」
「…お主がなかなか公表せんからじゃ。公用にしてやっただけマシと思え」
 カカシがカカシとして動く以上、大義名分はどうしても必要なのである。それを知るからこその茶番。
 おまけに、通常と違って今回は問題が色々あるのだ。
「ともあれ、とっとと連れ帰って来い。子供達が落ち着かん」
 背を向けたカカシに煙管が飛ぶ。それを持ち主の元に弾き返し、ゆるりと振り返る。
「言われなくても。…俺も、本人の望み以外で手放す気はありませんからね」


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