「貴方には抜けられませんよ」
仕掛けを前に足止めされる獲物に、静かに告げる。
「それは、私の知る最高の忍を基準にしてありますから。貴方には無理です」
次々に獲物に向かう仕掛けを辛うじて躱す相手に、滅多に見せない艶冶な微笑を向ける。躱す、とは言っても片腕は既に捕らえてある。時間稼ぎには十分だろう。
「お前…アカデミーの」
「お見知り置きとは光栄です」
イルカの声に反応した相手に微笑いかける。刹那、相手に安堵と侮りの表情が浮かんだ。
「中忍風情が…」
「アカデミー教員のトラップは上忍をも凌駕します」
脅す為か、嘲りの中に殺気を泌ませる相手に淡々と続ける。漲らせた筈の殺気は、柳に当たる風のように流された。
イルカの言葉に嘘はない。大人の意表をつく子供の悪戯に日々晒されるアカデミー教員は、子供の着眼点と大人の巧緻さを併せ持つ為か、上忍以上に巧妙なトラップを自在にする者が少なくない。
そしてイルカは、目の前の獲物がその事実を知ろうと知らなかろうと『真珠』なのである。
そのイルカが粋を尽くした仕掛けを抜けられる忍は、イルカが知る限り、唯一人しか存在しない。
その自負は、敵を前に退く事のない穏やかさに表れる。
もっとも、その態度すら唯一人の策の内だと思えばの物ではあるのだが。
「目的をお伺いしましょうか。…元、暗殺戦術特殊部隊・蒼狗隊補欠の…三十二番さん」
歌うような口調で告げる内容に相手の顔色が変わる。
「な…!」
ざわりと殺気が増す。
イルカの言葉は余程、屈辱的だったのだろう。憤った感情のまま無作為に跳躍した男にイルカの仕掛けが追っていく。
「無駄ですよ。そのトラップは敷地内に入った者をどこまでも追います」
容易く挑発に乗る敵に内心で溜息を吐く。
聞いてはいたが、これでは正規の暗部隊員になれる訳がない。上忍と言う話だが、それも手違いなのでは、と思う。イルカの知る暗部と…上忍とは随分格が違う。戦闘能力は確かに高いが、それだけ、では。
自身は中忍だが、最上の忍を肌で知るイルカとしては失望を感じ得ない。
「…っ!」
三度定位置に戻らされ、苛立ちを隠さない敵に重ねて問う。
「目的は何です?補欠さん?」
「…狐を渡せ」
明らかな挑発に煽られた訳でもないのだろうが、唸るように吐き出される言葉に、すぅ…と目が据わる。判ってはいても許しがたい言葉には違いない。ほんの一瞬、眉を寄せるものの、一呼吸で心を落ち着かせると涼やかに通る声で敵の背後に言葉を放つ。
「…だ、そうですよ。旦那様」
その科白を受け、反射的に振り返る。
そこには、今の今まで欠片の気配も掴ませなかった人物が悠然と立っていた。
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