ONE


3

「真珠〜。御飯食べた?」
 暗部専用のテントに戻ると柔らかく問いかける。
 目的の人物がテントの中央、入口に背を向けてきっちり正座しているのを見つけると困ったように苦笑した。
「…銀さん」
 振り向かずに応えるのは、素顔を不用意に晒さないためだろう。床に置かれた面にさりげなく手を伸ばしている。
「休んでて、って言ったじゃない」
「…すみません」
「まぁ良いよ。食事は取ったみたいだしね。はい、地図」
 面の横にある空の膳を確認すると、申し訳なさそうに身を小さくする相手をひょい、と持ち上げ、そのまま膝の上に座らせる。
 ついでとばかりに自分の面も外すと相手の面に重ねた。
「し、銀さん!」
「カカシで良ーいよ。床よりは座り心地良いデショ。ほら地図見て」
 くつくつ笑いながら、膝の上の存在を背中からしっかり抱え込み、床に拡げた地図を指す。
 本陣周辺を表すそれの、赤い印はトラップの場所を示している。
 もがいてみるものの、絶対に逃がしてくれない腕に嘆息し、諦めたように地図に視線を移した。
「…結構、広いなぁ。ん…。カカシさん、あの…」
「なぁに?」
「チャクラに反応させるタイプの物で良い?」
 首を傾げて聞いてくるそれは、忍のチャクラにのみ反応するという仕掛け。一つ間違えば自分たちも巻き込まれかねないが、そこは額宛が物を言う。
 特殊な加工のなされた額宛は、トラップの通行証になり得るのだ。そして、額宛をしていない暗部の場合はその腕の刺青がそれに代わる。


 つまり、敵の忍にのみ、反応する。


「良いよ」
 だから、返事も軽い。
「じゃあ…」
「七番と八番を総大将に九番十番を陣本体に付ける」
 敵忍をスポイルした以上、トラップを抜けてくるのは精々、ラッキーを手にした武士か、実力もずば抜けた上忍だけだろう。
 敵の武士なら、武士たち自身が始末すれば良いし、忍の方は、暗部で排除すれば問題ない。
 何より、今回のトラップは、進攻してくる敵を減らし、依頼者である味方武将たちの本陣になるべく近寄らせない事が最大の目的なのだから。
「はい。じゃあ、今、必要物資を書き出すから…」
 さらさらとトラップに必要な物を書き出していく。その頭には明日の手順まで思考が巡らされているのだろう。
 真剣な横顔を眺め、満足そうな笑みを浮かべる。
「朝までに用意させる。だから真珠は寝なさいね」
「カカシさんは?」
 優しく頬を撫でれば、不思議そうに問い返してくる。抱えられていた自分より、走り抜けたカカシの疲労の方が濃いだろうと言う、気遣い。
「これからアスマと現場」
 綻んだトラップ位置から敵が侵入してくる可能性がある以上、見過ごす訳にはいかない。そして、カカシ以上に戦力になる忍はそうはいないのだ。
 それを熟知しているから、アスマの要請にも気軽に応じた。自分がいるのに、仲間だけを前線に置いておく気にはとてもなれなかった。
「だ…駄目です!カカシさんも休まないと」
「ありがと。でも大丈夫だぁよ」
 慌てた口調を軽く宥めれば、きゅ、と唇を噛み締める気配がする。
「…昨日も一昨日もSランク任務で寝てないのに…」
 拗ねた上目遣いに苦笑を返す。
 火影から直接与えられる任務故、自ら洩らす事もなければ、他から情報が流れる事も原則としてあり得ない。それなのに、何故かバレているらしい。
 もっとも、自分以外での情報の出所は一つしかないので、それ自体は内心の苦笑で済ます。とりあえず、カカシの体調を慮り、指令を出し渋る火影を説得してまで任務に付いている事実はバラされていないようだ。そこまでバレてしまったら、流石に言い逃れが出来なくなってしまう。
「2、3日寝なくても平気…」
「カカシさん!」
 切羽詰まった声に肩を竦める。
 自分が無理や無茶をするのは既に習い性になってしまっていて治す気もないのだが、心配のし過ぎで不安に揺れる瞳を向けられるのには昔から弱い。
 早々に白旗を上げる事にした。
「…降参。明日、里に戻ったら、ちゃんと寝ます」
 だから今日は勘弁して。
 そう続けると。
「…本当?」
「一緒に寝てくれるんならね」
 不安な瞳はそのままに疑わしげに覗きこまれて、困ったような笑みと共に軽い冗談を口にする。
 絶対に否定の言葉が出てこない事を見越して言葉を選ぶ自分はきっと、かなり卑怯だろうと思いながら。
「な…」
「ほら。もうおやすみ」
 予想に違わず、真っ赤になって慌てる相手を軽く抱き上げて混乱しているうちに簡易ベッドに横たえる。
「…イイコだからちゃんと寝て。俺の為だと思って、ね?」
「…無理しないで」
 言い聞かせながら髪を梳く仕草にうっとりしてしまう。それでもなんとか、不安を口にする。
「昔から言ってるだろ。お前と里の為の無理は無理と言わない」
「…ズルい」
 低くて甘い声と言葉に、優しい笑みまで添えて。
 容易く反論を封じる男に拗ねきった視線を向ける。
「…おやすみ。夜明け前には戻るよ」
「…おやすみなさい」
 低い囁きに呟きで返すと、閉じた瞼の上に鼻先に唇に優しいキスが降り注ぐ。里外で緊張していた身体がゆっくりと緩み、疲れた意識が闇に沈んでいく。
 手の中の珠が小さな寝息を立て始めるのを確認してから、カカシは静かにテントを後にした。


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